「こんばんは」
月明かりの下、メルリは、火照った体を落ち着かせる為にメッサリア城の中央庭園を散策していた。
月明かりが明るく、綺麗に整備されている石畳もよく見えた。
着慣れないドレスの窮屈さも、月明かりの中ならそれ程気にならなかった。その明かりに照らし出される自分の影をくるりと回って踊らせると、昔見た影絵劇のヒロインの様で可愛らしく見えて、メルリは、色んなポーズを取って物語を夢想した。
「あの方には、どう見えたのかしら」
そうふと思った自分の想いに、メルリはハッとして赤くなり、周りを見回した。
誰もいない事を確認すると、ホッと胸を撫で下ろし月を仰いだ。
まん丸に程近い少し欠けた兄の月は、銀色の光をメルリに落として輝いている。その光が、晩餐会で見かけたカイルに重なり、メルリは胸が苦しくなるのを感じた。
大きく夜空に光る月を兄の月と呼び、それよりも小さく淡い黄色の月を弟の月と呼んでいる。弟は、兄よりもゆっくりと夜空を動き、兄の後を追いかける様に見える。兄は忙しいが、弟は気ままで良いものだと、夜空を見上げて昔の人がそう呼び始めたのが起源と言われている。兄の月がさっさと沈んでしまうと、弟の月だけになり星空がよく見える事から、調和の月とも呼ばれる。兄の月は、夜道を明るく照らす事から、守護の月や導の月などとも呼ばれる。
「カイル様…」
気品のある銀髪に深い青い目が、メルリの心の中に月明かりの様に染み込んで、思わずその名を口にしていた。
それがどう言う気持ちなのかメルリには、よく分からなかった。我慢して晩餐会に参加したのは、ロンドラードの王子が来ている事を知ったからだ。是非、国の話やランス・ロンドラードに関する逸話などを聞きたかったのと、末裔とされる王子と会う事で、物語のイメージをより現実感を持って感じたかったのだ。しかし、それどころでは無くなっている自分の気持ちが、何処に向かっているのかメルリは、迷子の気持ちになっていた。
だから、こうして一人夜の庭に出てみたのだが、こうも彼を連想してしまう月に照らされていては、心乱れるばかりで落ち着かなかった。だが、その落ち着かない浮足だった感覚が心の端をくすぐり、その振動が何だか心の中心を温かく心地よくしている様にも感じられ、心と体がどっちつかずになり、メルリをもどかしくさせていた。
月明かりが、そんな自分の気持ちを透かしてしまう様でメルリは、恥ずかしさに耐えられなくなり、歩速を早めて庭園を進んだ。
庭園の中央には丘の様に庭をぐるり見渡せる場所があり、そこに東家がある。
メルリは、そこならば月明かりから隠れながら眺める事ができそうだと思い向かった。
緩やかな坂道を少し息を上げながら進んでいくと、その東家にポッと灯が点いているのが見えた。近付くと、それがランタンの灯りだと気が付いた。メルリが誰がいるのかしらと、そっと音を立てずに覗き込むと、一人の女の子が座ってその明かりで本を読んでいるのが見えた。メルリには、その本の装丁に見覚えがあった。
鳥籠の様なデザインの東家の内側には、二箇所の入り口以外の場所にぐるりと円形に長椅子が作られていた。中央には、猫足のテーブルと四脚の椅子が置かれている。そこでは、長椅子に腰掛けそこから庭園を眺めたり、真ん中のテーブルでお茶会が行われている。今は、その女の子が本を読む事だけに使われている様だった。
「【ロンドラーディラング】」
メルリは、その後本のタイトルを思わず口に出していた。
まさか、その本を読んでいる人に出会えるとは思っておらずつい気持ちが浮き立ってしまった。
「!?」
本を読んでいた女の子が、驚いて息を呑んだ。
読んでいた本をパッと胸に寄せて、驚きとも恐怖とも取れる表情で辺りを探り見た。ランタンの明かりで、周りがよく見えていない様子だった。
「驚かせてごめんなさい。こんばんは。わたしはメルリ。メルリルークと申します」
メルリが声を掛けながらゆっくりと姿を現すと、少し緊張が和らいだのか、女の子は本を胸から離した。
「こんばんは…メルリルーク様?」
女の子は、メルリの事を知ってはいる様だった。実際、名前は知っているが、その姿までは知らなかった様だ。
「貴女、お名前は?」
「わ、わた、わたし、ですか?」
女の子は、驚きに声を上擦らせて尋ね返した。
「その本。わたしも好きで何度も読んだの。だから、貴女に親近感が湧いて。迷惑だったかしら」
メルリも少し戸惑っていた。この自分よりも年下と思われる女の子にどう接したら良いのだろうかと考えながら言葉を選んでいた。サナエやミランナやルイカに対した様に強気な態度で接してはいけないと、メルリは、その女の子の持つ空気から感じ取っていた。それは、どちらかと言えば、苦手なタイプだと直感的に思ったが、同時にその読んでいる本に共通点を見出して、前の三人とは得られない共感が得られそうで興味が湧いた。
「サレアナと申します。この本、ご存知なんですか?」
伏し目がちにサレアナと名乗った女の子は、メルリが見てもとても美しい女の子だった。ランタンの光では、はっきりと見えはしないが、ほっそりとした体型に首も手折れそうに細く、光に照り出される鼻筋はスッと品よく、長く緩やかに睫毛は反り、瞳はランタンの光をそのまま反射して濡れ輝いている。黒く長い髪も艶やかに輝いている。その肌は、白く儚げである。その白い頬が、仄かに赤みを帯びた。それは、彼女もまた、読んでいる本を知っている人物に会ったのが初めてだったからだ。
「【ロンドラーディラング】。わたしの生きる指針とも言える物語だわ」
「まぁ!」
そんな事を恥ずかしげもなく言えるメルリという少女に、サレアナは嬉しくなった。サレアナもまた、その本の物語の中にいる時間が現実よりも輝いていると感じている。だから、それを自分の生き方に写しとろうとするメルリの考え方に強い共感を感じた。
「わたしも、ランス様に憧れています。勇敢で、逞しく、でも、本当は戦いが嫌いで、とても優しい心の持ち主で涙もろく、人を信じやすいそんな人間臭い彼が、大切な仲間と支え合って大きな力に立ち向かっていく姿にとても感動します。もう、何度読み返した事か」
「そうなの!ランスは、人として人のまま、強大な魔王を討ち滅ぼして平和をもたらす英雄なの!人にはこんなにも可能性が秘められていると、思わせてくれる凄いお話だわ!」
二人は、お互いに興奮し何度も頷きながら話をした。
「メルリルーク様は…」
「メルリで良いわ。同じ物語が好きな同志だもの。わたしも貴女をサレアナと呼ぶわ」
「では、メルリ様」
サレアナは、恥ずかしい様なくすぐったい表情でメルリの名前を読んだ。しかし、敬称は外しきれなかった。
「晩餐会にお出になったのですか?」
「苦手な場面だけど、行ったわ」
晩餐会の事を思い出してメルリは、少し落ち込んだ。緊張で何を食べたのか、何の話がされたのか、まるで覚えていなかった。時折視界の端に見たカイルの楽しげな表情が断片的に思い返されて、切ない気持ちになった。
「ごめんなさい」
サレアナは、その表情に聞いてはいけなかったのかと、質問をした事を後悔した。
「いいの。サレアナは、参加してなかったみたいだけど…サレアナって、どういった関係者なの?」
「わたしは、パンスティークの第三王女です。本当は、このメッサリアにロンドラードの王子様がやってくる事を聞いて、お目にかかれるかと楽しみにしていたのですが、いざ、その時が近付いたら、怖くなってしまって部屋を出られませんでした」
「それで、本をここで読んでいたのね」
「はい。少しでも、ランス・ロンドラードを感じながら読んだら、彼を近くに感じられる気がして」
サレアナは、頬が熱くなるのを感じて、手で押さえた。
「【ロンドラーディラング】のランスの親友の騎士、セードルフがいるでしょう」
「はい、銀髪の騎士ですね」
「ロンドラードの王子の側に仕えていた方が、そのイメージそのものだったの」
「本当ですか?!」
「長い美しい銀髪に涼しげな瞳。鍛え抜かれていても美しくしなやかな体」
メルリは、口にしながらうっとりとした。
「メルリ様は、ロンドラードの王子様よりもその方に恋をしてしまったのですね」
メルリは、避けていたその答えをサレアナに言われて固まった。
「え、いえ、そ、そそそ、そうではなくて、イメージしていた雰囲気に、あいそうというか、あったと言うか、そんな感じと言うのか、ね、あの…」
「違うのですか?」
繊細ながらも大胆なサレアナの視線にメルリは、首を横に振れなかった。
「でも、わたしは、あの方から見たら子どもだし、恋とかまだよく分からないし…そう言うのは、わたしには不向きだと思うの…」
「メルリ様、どんな物語でも、恋するお話は物語を華やかにする挿話ですわ。物語が色付く様に、メルリ様の世界もきっと色付きますわ。と言っても、わたしは恋なんて物語の中ででしか知りませんが」
メルリは、そう言ってはにかんで笑うサレアナの儚げな微笑みが可愛らしいと心から思った。そんな風に笑えれば、カイルの視線を向かせる事ができるのではないだろうかと、羨ましく思った。
「でも、わたし、ホッとしました」
「どうして?」
「お父様やお兄様やわたしの国の人たちから、ナッサヘルクの王族は、非情で残忍な人たちだと聞かされておりましたから、こんなにも可憐で可愛らしいメルリ様が王女様だと知って、安心しました」
メルリは、パンスティークではそんな風にナッサヘルクの事を言っているのだと初めて知った。
「すみません。お気を悪くしますよね、こんな事を言って」
メルリは、首を横に振った。
「あまり交流が無い国だし、そういう事もあるかもしれないわ。わたしだって、パンスティークの事は本で読んだくらいの事しか知らないわ。でも、サレアナとこうして仲良くなれたし、皆のその考えもいつか変わっていくかもしれないわ」
納得はできなかったが、メルリはサレアナとの出会いがそんな事で傷付くのが嫌で、そう言って自分も納得させようとした。そしていつか、サレアナの国に行ってみなければと考えた。




