「おじさん!もう一つ!」
「この街はとても美味しそうな香りがするわ」
メルリは、立ち並ぶ食べ物屋から流れてくる様々な香りに目を輝かせた。
「夜には、晩餐会があるから食べ物は控えよう」
そう言いながらもサナエの鼻もヒクヒクと好みの香りを求めて動いていた。
メルリとサナエは、部屋に案内されてすぐに外に飛び出した。昨日の夕方には、メッサの首都メッサリアに到着していたのだが、宿を取ってすぐに翌日に備えて寝てしまった為、街の様子を見にいけていなかった。その欲求を満たすべく、イクノを引っ張って街に繰り出したのだ。
メッサリアを北に走るイナルフ街道は、シラネッタと言う港町に続く道で、メッサリアの北側には、この都の最大の商店街がある。特に農産物の多いメッサは、食に関してはかなり充実した店舗数で、旅人の腹をはちきらんばかりに誘う。その食自体が観光資源の様な街なのである。海産物は少ないが、広い土地を利用して牧場も多く、肉や乳、革製品や毛織物も豊富である。植物繊維の生産もあり、服飾関係の職人も多く、特に貴族の女性たちは、各国からこぞって良い職人と取引しようと訪れたり使者を送ったりしている。そのため、かなりの財を持つ商人が多いのもこの国の特徴だ。ある一定の税さえ納めればそれ以上は求めない方針の国政の下、自由にお互い競い合いその技術は高まっている。メッサ自体の規制や税が無いのだが、ジルクの物流管理会議において、価格の調整が行われ国を越えての取引に関税をかけている。その税は、ジルクの運営資金とメッサへの各国の駐在税、そして、大半はそれぞれの国の取引数に反比例して割合を計算して各国に振り分けられる。
メッサが、ルスカール大陸の食糧庫として他四国、そして隣の大陸の幾つかの国からその土地を欲されている。その為、侵略や過剰な同盟をさせないように緊張を保っている状況なのだ。しかし、ナッサヘルクとの関係性の深さは他国から見れば脅威であるのは否めない。かつて、南や西の三国から侵撃された際に、ナッサヘルクがそれを阻み国境をせり出して間に入る事でメッサを守った歴史がある。ナッサヘルク自国の立場の維持とメッサに恩義を売る目的が主だったが、それはメッサからすれば国を失わずに済んだと言う結果が強く、王も貴族も国民もナッサヘルクに対して大きな借りとなった。もし、ナッサヘルクの防衛線が無かったら、戦乱は続き国は絶えず形を変えていたと歴史学者は言う。
取引の多いメッサとナッサヘルクが割りを食う物流管理になっているが、その辺りの事情を鑑みるとニ国には必要な損益と言えた。
「これは本当に美味しいわ」
そう言って頬張るメルリが持っているのは、芋を蒸して崩したものに発酵させた牛の乳を混ぜたものを薄く焼いたパンで挟んだハムパムと言うこの地の食べものだ。芋と乳の甘みに塩味の効いたパンが合い、いくらでも食べられそうだと頬を緩めている。
サナエもイクノも目を丸くして頬張っている。
「もう一ついこうかな」
と、小銭の入った袋を手にしたサナエだったが、ふと思い止まって鞄に戻そうとした。
「おじさん!もう一つ!」
サナエの隣でメルリが指を一本立てて、小銭を差し出した。サナエは、今しまったばかりの鞄の中の小銭入れを覗き込んで顔をしかめた。
「あいよ」
屋台の店主の髭の濃い中年男性が焼き立てのパンに芋を乗せてメルリに差し出すのをサナエは横目で一瞬見て、ぎゅっと堪える様に目を閉じた。
「メ、メルリ、あんまり食べると後で食べられなくなりますよ」
まだぎこちなくはあるが、イクノは、メルリと呼ぶ様に頑張っていた。
「大丈夫よ、これくらい」
「サナエは、我慢してますよ」
美味しそうに二つ目を食べるメルリを恨めしそうに涙目でサナエは見ていた。
「そんな顔するなら、食べれば良いのに」
「女の子には、絶えなければならない時があるの」
サナエは、噛み締める様に言った。その手は、自分のお腹を触っていた。
普段からレリアにお菓子作りを学びながら、つい試食して甘いものを食べてしまっているサナエは、最近お肉が付いてきたのではと気にしていた。
「わたしみたいに、いっぱい動けば良いのよ。サナエだって、剣術を学んでいるし、きっと平気よ」
と、すでに食べ終わったメルリは、腕を振って体を動かして見せた。
「ですが、今夜は食事会もありますし、これ以上は控えてください」
「でも、まだまだ、足りないわ!行きましょ」
メルリは、はしゃいで走り出し、くるりと回った。その拍子に石畳のずれて浮き上がってできた僅かな段差に踵を取られてよろけた。その腕が後ろにいた男の背中にあたった。
「って!」
ふいの驚きと痛みに男は振り向いてメルリを見つけると睨みつけた。
「あ、ごめんなさい」
メルリも自分がよろけた事に驚きつつも男に謝罪した。しかし、男はそれではおさまらなかった。眉を曲げてさらに威圧的にメルリを見下ろした。
「あぁ?!」
「謝ったのよ?何か?」
メルリも男の態度にカチンときて、口を尖らせて睨み返した。
「ガキが、良い度胸だな!」
粗野で狭量な目の前の男に、メルリは、鼻で息を吸うと拳を固めた。
「だったら、これをあげるわ!」
固めた拳を男の鼻っ柱に叩き込んだ。
「あぁっ!!」
予測しなかった一撃に男は退けぞった。メルリの細腕では男にそれ程ダメージは無かったが、怯むには十分だった。
「な、何しやがる!」
怯んだ事に男の怒りは激しくなり、メルリに反撃しようと腕を振り上げた。
そこに人をかき分けイクノとサナエが追いついきその様子を目にした。イクノは、すぐに間に入ろうとしたが、間に合いそうに無かった。
男の拳がメルリの頬を打ち抜くと思われたが、そうはならなかった。
何者かが、男の手首を掴み、止めるとそのまま捻り背中に固めた。
「あいててててて」
男は声を上げて、涙目になった。それ程強く腕を捻られていて、男は動けなかった。
「こんな可愛らしいお嬢さんに手を上げるなんて、メッサの男性は野蛮ですね」
「離せ!いでででっ!」
「ですが、お嬢さん。あなたも、大概ですよ。こんな男の喧嘩を買おうとするなんて、怪我をしても文句言えませんよ」
男の背中にごしに、その声はメルリを嗜めた。
「だって!その男が謝罪したのに突っかかってくるから…あ、あの…」
メルリは、男に抱いたイライラのまま男の背中の声に意見しようとしたが、途中から声にならなくなった。
「気位が高いのは良いですが、無駄な争いを避けるのも知者の振る舞いですよ」
男の後ろから見えた顔は、美しいと言えるほど鼻筋の通った青年だった。銀に近いさらりとした金髪を首の後ろでまとめ、涼しげな濃い青い目でメルリを見ていた。
その男性の美しさにメルリは見惚れてしまった。
「メルリ、大丈夫?」
サナエもその青年の美しさにドキリとしたが、メルリが急に大人しくなった事が気になった。
「カイル、何している」
その青年に後ろから声を掛けた人影がいた。
現れたのは、短髪の金髪の少年だった。穏やかで気品を感じる目は青く透き通っている。
「この男性が女性に暴力を振おうとしていたので、つい」
「またか。早く行くぞ」
少年は、小さく息を吐いてカイルと呼んだ青年の肩を叩いた。
「分かりました。では、この男を何処かに連れて行きましょう」
「行くぞ」
「あ、あの。ありがとうございました」
男を連れて行こうとする二人にメルリが声を掛けた。
銀髪の青年は、手を少し上げてその言葉に返して、人混みの中に消えていった。
その方向をメルリしばらくぼうっと見ていた。




