「早く乗って」
「トッツ…」
エルシエッタは、手を伸ばして涙で顔をぐしゃぐしゃにしている男の子を抱きしめた。
頭がぼおっとしていて、思考が回らずどういう状況か把握し切れていなかったが、トッツの表情を見て自分を心配してくれている事が分かり愛しくなった。
エルシエッタの胸に抱かれた事にトッツは、顔を真っ赤にした。
「姉ちゃんたちを助けに来たんだ」
何とかエルシエッタの腕から抜け出したトッツは、エルシエッタの手を取って強く握った。
その表情が大人っぽく見えて、エルシエッタは、少しだけ照れた。
「身体はどう?」
トッツの背後から小柄な金髪の少女がエルシエッタに尋ねた。
エルシエッタはそう言われ、自分の身体を確かめた。
斬られた腹の傷にも外れたはずの右肩にも、傷も痛みも無かった。まるで、傷を負った事が幻であったかの様に何ともない。その上、左腿の矢の傷も傷を焼いた跡も無かった。エルシエッタは、驚いてキョトンとした顔をした。
「この子が治したのよ」
その金髪の少女の横には、少し茶色がかった黒髪の少女が居て、彼女はその肩を抱いていた。眉の形がアーチ形で柔らかく、睫毛の長いその少女は、穏やかな表情で眠っていた。エルシエッタは、どこか懐かしさを覚えるその容姿に瞬間で親近感を覚えた。エルシエッタと比べればかなり色白だが、肌の基本色も近い様に見えた。
ちょっとお母ちゃんに似てる。
少し年下に見えるその少女にそんな事を思うなんて不思議だったが、その感想はエルシエッタにしっくりときていた。
傍に座って居たロングが重たそうに頭を上げると、エルシエッタの口元を舐めて、その無事を喜んだ。
「お疲れ様、ロング。頑張ったね」
そこへ、ランティも降りて来て、エルシエッタの髪を羽繕いする様に優しくついばんだ。
「ランティも、ありがとね」
エルシエッタは、それぞれの身体を撫でた。
ロングは、疲れ切ったのか、エルシエッタの無事に安心したのか撫でられながら眠った。
「トッツがわたしたちに助けを求めて来たの。凄い頑張ったのよ」
「ありがとう。トッツ」
照れながらもまだ緊張感を持った顔をしているトッツに、エルシエッタは、ハッとした。助けに来たはずの彼の姉をまだ助けられていない事実に。
「ルイカ…」
エルシエッタは、立ち上がろうとしたが体に上手く力が入らず、立てなかった。
「荒く回復させたから、身体が追い付いていないのね。貴女自身の回復力を加速させただけだから、魔素も体力も疲弊したままの状態なの。起きるのに時間がかかるわ。サナエなら魔素の付与もできそうだけど、この状態だしね」
「でも」
エルシエッタは、それでも動こうとしたが上半身を動かす事が精一杯だった。
「大丈夫。連れ去られた人たちは、連れが捜索しているわ。こちら側の倉庫の中に地下に続く階段が見つかって、人が奥に居るって報告があったわ」
エルシエッタは、それを聞いて尚更立ち上がりたかった。まだ安心はできないが、ルイカが無事である可能性が高まった。だからこそ、すぐに駆け付けたかった。
その倉庫の地下を発見したのはマルスだった。メルリたちの側にラナックが付き、イクノとマルスが捜索にあたっていたのだ。壊した屋敷よりもこちら側の捜索を優先したのは、こちらが崩壊や火事を免れた無事な区域だった事もあるが、エルシエッタがこちらを目指していた様に見えたのも理由だった。
トッツは、エルシエッタの腕を自分の肩に回すと立ち上がり、エルシエッタが立てる様に身体を持ち上げて支えた。
「エルシィ姉ちゃん、一緒に姉ちゃんを迎えに行こう」
「うん」
エルシエッタは、トッツの肩を借りて立ち上がると、まだ上手く力の入らない足を引き摺る様に歩き出した。
メルリは、その後ろ姿をじっと見ていた。
足を引きずってはいるが、傷は癒えているしすぐに普通に歩けるだろう。寄り添い歩く二人を見て、メルリが今支えている細い肩を感じた。
「サナエ、貴女の力が人の力になれたよ。これは、とっても誇れる事だわ」
と、眠って居るサナエに小さく話しかけた。
エルシエッタとトッツが倉庫の所まで来ると、何人もの人影が松明の灯に照らされていた。時折見えるそれぞれの横顔は疲弊している。トッツが見た限り、そこにはコロック村から連れて来られた者はいなかった。そこにいるほとんどが若い女性で、男性はトッツよりも小さな男の子が数人居ただけだった。その表情がまだ晴れないのは、かなりの心労と疲労によるものが多かったが、諦めの気持ちが解放された事を理解できずにいた。閉じ込められた場所から移動させられるのは、性的な乱暴をされるか労働させられるかしか無かった。特にコロック村から連れてこられたばかりではなく、他の村から連れてこられたであろう人々は何ヶ月もそんな生活を強いられていた。だからだろう、すぐには信じられないのだ。
その解放された十数人の間をトッツは姉を探して歩いた。
「姉ちゃん!ルイカ姉ちゃん!」
松明の灯の中では、その顔がはっきりと見えずに判別しづらい。それでも姉を見つけられる自信はあったが、その中には見つけられなかった。
「ルイカ!ルイカ!」
何とか自分で立てる様になったエルシエッタもまだ痺れる左足を引きずって声を上げた。
数人は、その声に視線を上げるが、反応は薄かった。
「…トッツ…?」
倉庫の方から微かな声が聞こえてエルシエッタは、そちらを見た。
倉庫の暗い入り口から顔を出したのはルイカだった。その表情には、かなりの疲労が見られたが、灯の中に弟と姉の様に慕って居る少女の姿を見て、その表情を崩した。
「姉ちゃん!!」
トッツは、駆け出していた。
飛びつく様に姉を抱擁すると、声を出して泣いた。ルイカもまた諦めかけていた弟の無事を腕の中に感じて大声で泣いた。
それがきっかけだった。
その場に居た全員が、囚われの身から解放された事を実感して、側に居る誰かを抱きしめて安堵の涙に声を上げた。
朝日が登り始めた頃、盗賊が奪い溜め込んでいた食料で煮炊きした温かい料理を作り、皆で食べるとコロック村に向かって歩き出した。歩いて一日はかかる距離だが、囚われていた人々にとっては、それ以上に長い道のりになりそうだった。それぞれが元の村に帰りたがったが、盗賊の残党の報復を恐れ、護衛は必要だと考えたメルリたちは一纏めでなければ付き添えなく、一旦コロック村に連れて行くしか無かった。
ラナックは、昨晩のうちに馬に乗り一足先にジルクに向かった。メッサの駐留軍の元へ今回の事の次第と残党の対応、村の警護の件を要請する為だった。メルリたちをこれ以上足止めさせる訳にもいかないからだ。
村に着くと、コロック村の人々は、村の状況に愕然としながらも、数少ない生存者とともに生きて会えた事を喜んだ。
ルイカも両親が亡くなった事にかなりのショックを受けたが、弟が無事であった事に改めてエルシエッタやメルリたちに感謝を告げた。あまりにも理不尽で受け入れ難い現実と折り合いを付けるには、今ある命に目を向けるしかないのが現状であった。
一日半かけて到着したコロック村には、ラナックの要請した兵士団も到着して居た。そのほとんどは、ラナックの情報を頼りに盗賊団のアジトの確認と残党の追跡に向かっていた。村に残った兵士団の一部は、帰村を希望する人々の護衛をする段取りとなった。
「それでは、わたしたちも、行くわね」
コロック村に戻った翌日、メルリたちは先行するエルラーナたちに追いつく為、村を後にする事にした。
出発準備の整った馬車の前でメルリは、トッツたちに別れを告げた。
「あの、本当にありがとう。この状況だから、何もお礼ができなくて、ごめんなさい」
ルイカが、心苦しそうにして居ると、メルリはニッコリと笑った。
「盗賊のアジトに行ったのは、わたしたちの用事があったからで、たまたま出会ったトッツと目的地が一緒だっただけよ。貴女たちを助けたのはトッツで、わたしたちは、わたしたちの理由で盗賊を懲らしめただけなんだから。でも、恩に感じてくれるなら、今度来た時、美味しいご飯を食べさせて。旅の醍醐味は、その土地の美味しいものを食べる事なんだから。ましてや、この辺りは、美味しい穀物や野菜が採れるのでしょう」
ルイカは、弟の肩を抱き寄せて笑った。
「任せて!すぐに村を立て直して、美味しいものを沢山作るわ。楽しみにしていてね」
ルイカは、メルリが何者か知らなかった。でも、同い年で気持ちの良い性格の可愛らしい見た目をした、カッコいい女の子だと評価して、とても好きになっていた。
「トッツ、元気でね」
馬車に乗り込むメルリの後から、優しく微笑んでトッツの頭を撫でたサナエに、ルイカは撫でて居る反対の手を取って強く握り礼を言った。
「エルシィの命を助けてくれてありがとう。わたしの、わたしたちの大切な家族を助けてくれてありがとう」
その言葉に、サナエの目の端から涙が流れた。
「ううん。助けて貰ったのはわたしな気がする」
「え?」
「ルイカも元気でね。トッツは、ルイカをしっかり守るんだよ」
「うん!」
トッツは、返事をすると決意の顔をしてサナエに返した。
サナエが馬車に乗ると、エルシエッタが来て硬い表情でメルリたちを見た。
「ボク、もっと強くなる。旅に出て、負けない位強くなる!」
「エルシィ?」
ルイカとトッツは、その決意に驚いた。エルシエッタは、ずっと側に居てくれると思っていたから、戸惑った。
「ごめんね、ルイカ、トッツ。でも、決めたんだ。ボク、世界を見てみたい。強くなりたいって。ここは、ボクの村じゃない。大切な家族って言ってくれたルイカの気持ち、凄く嬉しいよ。でも、ボクの村と家族は昔、襲われて奪われてしまったんだ。あの時もっと力があったならって思うんだ。あの時よりも強くなったつもりでいた。でも、今回の事で気が付いたんだ。ボクには、まだまだ力が足りて無いって事に。この村も二人の両親も守れなかった。メルリたちが来てくれなかったら、二人も守れずにボクも死んでいた。それに気付いて、凄く悔しいんだ。何も失わない位の力が欲しい。だから、色んなものを見て吸収したいんだ。ボクの我儘だけど、ここを出て行く。二人とはしばらくさよならする」
エルシエッタは、泣きながら二人を抱きしめた。
二人も、エルシエッタの決意に触れて、止めたい気持ちを抑えて泣いた。
「絶対いつか帰って来てね。エルシィにも美味しいものを食べさせてあげる為にわたし、頑張るから」
ルイカは、頑張って笑顔でそう言った。トッツは、抱きしめられたまま、ギュッと拳を握って耐えていた。
「じゃあ、エルシィ、早く乗って」
と、メルリは、馬車の扉を開けてエルシエッタに手を差し伸べた。
「え?!」
エルシエッタは、困惑して顔だけ振り向きその手を見た。
「一緒に行こっ!」
サナエもまた、手を差し伸べてエルシエッタを誘った。
「で、でも…」
エルシエッタは、その手を取っていいのか分からなかった。
「早く!」
メルリは、焦れて声を上げた。
「エルシィをお願いします」
ルイカは、動かないエルシエッタの背中を両手で押した。トッツも、何も言わないが一緒に押した。
「だって、ボクには、ロングやランティって言う魔獣も一緒だし…」
「ウチのスフレもまだ子どもだけど魔獣だよ」
「旅に出るなら、一緒に連れて行って貰って!その方が心配が少ないから!」
「えぇー!それってボク、信用されてないって事?」
ルイカの意見にエルシエッタは、戯けた。
「そうだよ!エルシィ姉ちゃん一人だと僕は心配で堪らないよ」
涙声で訴えるトッツにエルシエッタは、「うん!分かった!」と、観念した。
「じゃあ!よろしくね!」
そして、メルリとサナエ、二人の手を取って、馬車に乗り込んだ。
新しい旅の仲間を乗せて、馬車はエルラーナたちを追って街道に向かって走り出した。




