「何か来やがったか?」
エルシエッタは、荒く乱れた息を何とか抑えてその砦を木の陰から窺っていた。
夜の帳が降り、エルシエッタの気配は闇の中に溶け込み直ぐ近くを通ったとしても気付くものはいないだろう。しかし、その呼吸はやや乱れて彼女の存在の完全なる隠匿の阻害となっていた。
ズキズキと痛む彼女の左足の太腿には、包帯が巻かれている。
コロック村から賊を追う途中、エルシエッタは一度家に戻り、村で受けた矢の傷の処置をした。毒は塗られていなかったが、肉に食い込んだ矢尻は矢を抜くと傷の中に残る様に細工されていた。その為に、傷口を開き食い込んだそれを抜かなくてはならなかった。でなければ、腐食した矢尻によって肉も腐らせてしまう事だろう。それに賊と戦うには傷から血を流しながらでは、いつ体力が尽きてしまうか分からない。
「んっ!グゥゥ!!」
布を口に噛み締めて、先の細い小刀で傷口を広げ矢尻を取り出すとその傷口に高熱に焼いたナイフを押し当てた。自分の肉の焼ける匂いに意識が飛びそうになった。彼女にトラウマを刻みつけた臭いが自分からした事に痛みとは別に吐き気を催した。それでも意識を失わなかったのは、賊への怒りと復讐心が強かったからだ。普段は明るく穏やかに振る舞っているエルシエッタからは想像できないほど、その身体から漏れ出すほどの殺意が込み上げていた。
コロック村の惨状に故郷の悲劇が重なり、彼女の内に押し留められていた狂気が露出しようとしていた。それは、側でエルシエッタの身を心配する赤毛狼のロングですら怯えさせる程だった。
エルシエッタは賊の襲撃の翌日の夜、ロングの鼻を頼りに賊の砦を見つけ、襲撃の隙を探していた。
傷口には火傷と切り傷に効果のある薬草と痛みの感覚を鈍らせる実をすり潰して張り付けて包帯で縛っているが、すぐに治るわけでは無い。本来の痛みと比べれば軽減されているが、その傷で一日以上歩き続けている為焼いた傷も開き掛けて血が滲んでいた。
口を開けて、痛みを軽減する実を粉にした物を舌の裏にひと摘み落とした。
脳髄が背中から抜ける様な感覚が起こり、エルシエッタの身体が自然と短く震えた。五感が身体から少し離れた様に感じて、痛みが和らぎ呼吸も多少楽になった。多用すれば、自我を失いかねない実だが、今のエルシエッタには必要なものだった。
盗賊団の砦は、大人の男性の背の高さ程の土塀と一ヘンテ(一メートル)程の幅の堀に囲まれている。
周囲は、一片が百ヘンテ程あるだろうか。
エルシエッタのある場所は、小高く壁の中も多少見る事ができた。門の前には門番が二人、砦内には粗末な小屋が幾つも有る。それは構成員の寝泊まりする場所の様だ。奥には大きめのしっかりとした建物が有る。それが頭目の住居であろう。その両脇に倉庫らしき物がある。馬が繋がれている場所もそこにあった。侵入するならその辺りだろうとエルシエッタは考えたが、今の足では堀と壁に難儀する事は明白だった。
となれば、正面から行くしか無い。
エルシエッタは、闇に溶ける様に森の中に消えた。
男たちは、酒を煽り宴を楽しんでいた。宴はまる一日に及び、既に半数以上の者が飲み疲れていびきをかいて転がっていた。
中でも大柄で筋肉質な男のタルドは、果実酒をちびちびとやりながら、まだ眠らずに破けた屋根から見える星を見ていた。その左腕には血に濡れた包帯が巻かれている。
この稼業は性に合っているとタルドは、思っている。幼少から何も持たない彼は、拾うか奪うかしか生きる術を知らなかった。
この世界の排泄物の様に生まれたのだ、このまま死ぬまで汚れて生きてやる。
それが彼の人生感だった。
真っ当に産まれても卑しく汚い性質の者もいる。そんな奴程、産まれも生き様も卑しい者を見下している。だが、彼に言わせれば、転げ落ちた者程惨めな者はいない。蔑むに値するのはそんな奴らだとタルドは、考えていた。義賊のつもりなど無いが、真っ当に産まれながら人を陥れ奪って来た者から更に奪う時、人生への反逆的な快楽を感じる。
とは言え、村を襲い奪うのもそれはそれで、真面目に地道に生きる人生を踏み躙る楽しさを彼は感じた。
それでも、今回の様な殺戮は後味の悪さを感じていた。いつものように防衛する為に武装した者とやり合った末の殺害であれば、命のぶつけ合いと言う昂るものがあるのだが、逃げ惑う無力な者の背中を斬りつけ穿つのは、どこかつまらなく達成感としても物足りなさを感じた。苛立ちすら覚えるのは、彼が抗い生きて来たからなのだろう。ただ逃げ惑うしか無かった村人に心構えの薄さを感じ愚かな生物だと感じた。
だから、撤退寸前で襲いかかって来た赤毛の狼と槍を構えた少女を美しいとすら感じた。タルドの年齢からすれば子どもと言える年恰好の少女だったが、その戦う姿にタルドは、彼女を自分のものにしたい欲望が湧き上がった程だった。
その少女の槍が付けた左腕の傷を肴にタルドは酒を飲んでいた。眠ってしまうには惜しい星空だとタルドは口元を緩めた。
しかし、気になる事もあった。今回の襲撃の事だ。こんな時期に襲っても成果は少なく、秋の収穫量が減るのも明確だ。それなのに取るに足らない村を襲撃し、それどころか村人のほとんどを殺害する事に何の意味が有ったのだろうかとタルドには分からなかった。
分からなくても良い事ではあったが、腑に落ちない気持ち悪さがあった。今回渡された黒いローブもそうだ。魔力を退ける力が有ると聞かされたが、あんな村に魔術や魔法を使う者がいるはずなど無いのだ。数日前に頭の所にやって来た黒装束の者たちが何を目的にしているのか気になった。
この盗賊団が有る組織の末端に属しているのは知っているし、仕事の上前を献上している事も知っている。特に攫った女子どものほとんどは連れて行かれるが、何を目的としている組織なのかは、長年属しているタルドも知らない。
その歪さをタルドは、改めて感じていた。
それは、突然起こった。
何かが破裂するような音が響き、複数の馬のいななきが交錯した。
タルドは、あまり慌てもせずに酒の椀を置くと音を探った。一斉に暴れた馬が厩を破壊して、砦内を走り回る入り乱れた蹄の音が、ドドドドと地響きを起こしている。
流石にタルドは、立ち上がり寝ている男たちの背中を片っ端から蹴って起こして回った。
「何しやがんだ!」
「イッテェなこのやろぅ!」
各々が乱暴な起こし方に文句を言うが、タルドは構わなかった。
「テメェら、馬が逃げ出してる!何とかしやがれ!」
指示と言うには余りにも乱暴で具体性に欠ける言葉で怒鳴りつけた。
それでも男たちは、響き渡る馬の蹄の地響きにバタバタと動き出した。学のない彼らには、事細かく説明するよりも分かりやすい指示だったのかもしれない。
「何か来やがったか?」
タルドは、一人冷静に状況を探っていた。その胸中にもしかしたらと喜びにも似たものが疼いていた。それは、村で出会った少女との再会だった。数合やり合ったが、外野から放たれた矢に足を射抜かれて、狼とともに森に消えたあの少女の目は決して諦めてはいなかった。それどころか、内に燃える感情が溢れそうになっていた。だから、追って来る事をタルドは、想定していた。その内に燃えるものが燃え盛るのを見てみたいとタルドは、その予感に滾った。




