「何がいけないって言うの?」
トッツは、煤で汚れた身体で一人、ジルクに向かって歩いていた。
心細さと不安と心配が絶え間なく彼を揺さぶっていた。
ほぼ丸一日歩き続けて足は酷く痛み、足を一歩前に出すのも重く体は支えるのも難しい程で、体はグラグラと揺れた。それでも、その歩みを止めなかったのは、少しの希望でも縋りたいと思っていたからだった。大好きなエルシィを助けたい。姉を助けたい。その思いが彼に僅かな気力を生んでいた。
ジルクの町の輪郭が遠くに見えたのは、それから半日経った頃だった。
途中、夜に渡った川の岸で倒れて気を失ったが、朝には何とか起き上がり再び歩いていた。最早意識も朦朧として、自分の呼吸音以外は何も聞こえていなかった。
それでも、町が見え始めた事に気付いた時には、呼吸が少しだけ楽になるのを感じた。
青色烏のランティは、エルシエッタの命を受けてトッツに付いてきていた。時折、トッツを心配して降りて来て、じっと様子を伺っている。健康状態を把握する事はできないが、生きているかどうかは見ている様であった。トッツが夜中も歩き続けている時は、夜目が効かず難儀していたが、明るくなるとすぐにトッツを見つけて追いかけた。彼が川岸に倒れ込んだ時には、しばらく軽くつついたりして反応を見ていた。この小さな人間が、主人であるエルシエッタにとって大切な存在である事は、何となく理解していて、今は何かあれば加勢する事が彼の受けた命令だと分かっていた。
日が落ち始めた頃、トッツが人の巣が沢山寄せ集まった場所に入って行き、フラフラと大きな人間たちに何かを話そうとしているのもランティは、屋根の上から見ていた。
大きな声を上げる人間にトッツが暗く細い道に連れて行かれた時は、ランティは、どうするべきか悩んだ。が特に声を上げるだけで、危害を加えている様には見えなかった為、様子を見ていた。が、別の人間が入り込んできて、大きな人間と揉めだし、事態はよく分からなくなった。ランティには、後から現れた人間の内の二人に大きな力を感じて驚いた。しかしそれはトッツでは無く、大きな人間に怒りを感じているのだとランティは感じた。大きな人間たちが何やら怒り、彼らより小さな人間にその怒りをぶつけようとしているのを感じてランティは羽ばたいた。暗がりでよく見えず、その影がトッツのものだとランティは、勘違いした。トッツだと思った者に危害が加えられない様にランティは、力を使って水の玉を作って大きな人間にぶつけた。
その後、倒れているトッツを後から来た人間が連れて行ったが、ランティは様子を見ることにした。
翌朝、目を覚ましたトッツは、自分がベッドで寝ている事に気が付いた。町に入ってからの記憶が朧げで繋がらなかったが、部屋にいたエルシエッタと同じ位の年齢に見える女の人が出してくれた朝食に食欲が反応した。
トッツは、その食事を夢中で平らげた。村を出てから二日、何も口にしていなかった事に、本人もその時気が付いた。それだけ必死に歩いて来たのだ。
「何があったのか、話せる?」
トッツに食事を出した女性、リリーナはそう尋ねた。
トッツは、しばらく黙っていたが、何かを思い出して涙ぐみそれを袖で拭った。
「…助けてください…」
躊躇いがちにトッツは、そう言った。
一方、別室で朝食をとっているメルリ一行の他の面々は、一部を除いていつも通りに落ち着いた雰囲気で食事をしていた。その一部は、ラナックとトクナだった。昨晩の事を引きずって困った顔でカップのお茶を飲んでいる。
「ラナックおじさま。やっぱり、あの子を助けるべきだわ」
メルリは、昨日から一貫して変えない意見を蒸し返した。
「メルリルーク様。ですから、それはできません」
トクナは、ため息混じりに昨日と同じ意見を述べた。
「トクナは、黙っていなさい。ラナックおじさまに話しているの」
確かにメルリの言う通り、今はトクナに発言は求めて無いのだが、メルリが立場を弁えた行動をしない事に口出しせざるを得ないのだった。
ラナックは、困った顔で二人を見て、少し眉を歪めると、
「トクナの言う通りです。この国の人間に引き継いだ方が賢明です」
「それにしても、何があったのかは聞いてあげないと」
サナエもメルリに加勢した。昨夜保護した男の子の姿から、何事かが彼に起きているのは明白に思えた。それに、現れた魔獣も気になる。
意思を持って魔法の攻撃を使った様に見えた。その鳥の魔獣は、今もすぐ近くからこちらの様子を窺っている。男の子を狙っての事とは思えない。その理由が気になった。
「分かりますが、シェッツェヌであの様な事があったんですよ。それにここは他国です。特にメルリルーク様に置かれては慎重に行動なさって下さい」
ラナックも少年の事に付いては、気になる点はあった。ナッサヘルクの駐留役人をはじめ各国の役人に挨拶に行った際に、メッサの役人が先日近隣の村が盗賊の一団に襲われたと話していた。その村の関係者だとしたら、それはメッサの軍関係に任せた方が良いだろう。実際動いているはずだ。そこに他国の王女が出張って行ったら、面倒事になりかねない。
「何がいけないって言うの?」
メルリは、納得のいかない顔でむくれた。
「メルリ、まずは男の子の話を聞いて、対処を考えましょう。でなければ、何をしなくてはならないかすら分からないわ。この議論は議論にすらならないわ」
エルラーナは、昨日からの同じやり取りに幾分かうんざりしていた。
こうも物事に首を突っ込みたがる妹の行動理念が理解できない。立場ある人間は、些事は些事として然るべき者に委ねるべきなのだ。いちいち首輪突っ込めば、些事は些事では無くなってしまう。些事とやり過ごせるものも当事者に近付くほど見える問題は差し迫ってしまうからだ。全てを対処し切れないのだから、選別する目を持たなければその積み上げられる問題に押し潰されてしまう。
「ま、そうね。でも、聞く限りは何らかの協力はするわ」
ブレるつもりの無い妹にエルラーナは、ため息を吐きながら頷いた。
そこへ、リリーナが扉をノックして入ってきた。
目を覚ましたトッツと言う少年が話した事はこうだ。
四日前、村を盗賊団が襲った。この地域の村を時々襲い、食糧や金品を奪っていく盗賊団で、その動きを知ると地域の住民は協力して撃退する為の自警団を結成して被害を最低限にするよう対処していた。しかし、今回は突然の襲撃だった。何の対策も取れぬまま村は襲われて財産を奪われるどころか、村人のほとんどが殺され村に火を放たれたのだと言う。若い女性は連れ去られ、その中に彼の姉も居た。少年の心に深く恐怖を刻んだのは、その襲って来た盗賊団の姿だった。黒いローブのような物を皆が纏い、炎の中で踊るように村人を殺害して行ったのだ。その姿はまるで死霊の様であった。
少年には、仲良くしている魔獣と暮らす少女がいて、その少女が駆けつけて、少年と彼を庇って傷付いた村の老人を助けた。
魔獣とともに少女は、盗賊団と戦ったが魔獣の放つ魔法が掻き消されて、盗賊団に届かずかなりの苦戦を強いられた。
少女は、その戦いの中、腕に矢を受けてしまい傷を負ってしまった。
何とかその場をやり過ごして少女と老人を森の少女の家まで連れて行き治療を行ったが、翌朝老人は死に少女は鳥の魔獣を少年の護衛に残し、姿を消していた。少年は、少女が盗賊団の元へ行ったのだと確信した。
少年は助けを求めに大きな町であるジルクに向かった。
途中村に立ち寄った少年は、メッサの兵士団が来ている事を知り、事情を説明して助けを求めた。が、しかし、兵士はその求めに応じなかった。盗賊の痕跡も少なく追う事はできないとして、僅かに生き残った村人の治療をするとそれ以上は何もせず戻って行ってしまったと言う。
改めて少年は、ジルクに向かう決心をした。ジルクには、メッサだけでは無く、他の国の兵士も居ると言うし、大きな町には冒険者と呼ばれる高い戦闘能力を持った人も居ると聞いた事があったのだ。協力を求めて、姉と少女の救出の望みを繋げようと考えたのだった。
話を聞いて、メルリは、立ち上がってワナワナと震えた。自分の出番だと確信している顔だった。
イクノも隣で許せないと言う顔で話を聞いていた。
その様子に、トクナは頭を抱えて、ラナックは、自身に沸き起こる義侠心と自制心と戦っていた。
エルラーナは、危険がハッキリと見える事柄に関わることは絶対的に反対だった。
サナエは、気になる事があった。
「黒いローブ。ポランナちゃんを連れ去った人も着けていた…」
その姿のイメージが重なるのが気になったのだ。
黒いローブなど、それ程珍しい物でも無いのかもしれないが、サナエは何か心がざわつくのを感じた。
「その魔法を弾くローブ。とても気になるわ」
メルリは、黒衣の者を見ては居なかったが、サナエに危害を加え、ポランナを攫い、メルリの自尊心に傷を残して行った者との繋がりがあるのなら確かめなければならないと考えた。
「確かに、それは確かめなくてはならないですね」
ラナックの目がギラリと光った。
どうやら、彼の義侠心が勝った様だった。




