「よくある話だ」
メルリは、その建物を目の前に大きく息を吸った。
この邸宅の何処かにサナエたちは居る。
メルリは、左手の指輪から伝わって来るサナエの気配を感じていた。
「メルリ。打ち合わせ通り私たちで行くから、メルリは外で待機しているのよ」
同じくその邸宅を見詰めているメルリの姉のエルラーナの目は、決意と怒りに強い光を帯びていた。
エルラーナは、王城を出発した時の礼服を着て身だしなみもキッチリと整えられている。
事実であるのなら許せませんわ。
メルリの話では、ここにサナエが連れ去られている。それに、魔素に恵まれた子どもたちも。どう言う目的か分かりませんが、やって良い事ではありませんわ。
エルラーナは、手首をそり返す様にキュッと手を握った。その手の中にじわりと汗が滲んだ。
メルリが暴漢から救った少女ミランナの事を思い出した。
その少女が、酷い目に遭わされている事を知り、エルラーナはすぐにその子と歳の近い妹のメルリと重ねてしまった。神の恩恵とも言える魔素に恵まれて生まれた少女、一方は王族に生まれもう一方は貧しい境遇に生まれた。その事でこれだけの格差が生まれる事にもエルラーナは、愕然とした。人々は、其々の環境の中で其々の幸せを享受して生活しているのがこの国だと信じていた。しかし、ミランナの見ている世界は違うのだ。先程サナエの誘拐の事実を告げられ事の次第を聞いた際に紹介された赤毛の少女のミランナを見た瞬間にエルラーナは、汚いと思ってしまった。そんな自分に気付き落胆した。体を洗って清潔な服装をしていても、染み付いてしまった匂いや肌の荒れはすぐに消えるものでは無い。しかしそれは、ミランナがその境遇の中で望まず刻み付けられてしまったものだ。それを知らぬ無知なまま、彼女を遠ざけたい目で見てしまった。南国のドンボルドから連れてこられた不幸な少女から目を背けようとしてしまった。妹のメルリは、そんな事もお構いなしに助けたと言うのに。
その自分を否定して、新たに自分を肯定する為にも、サナエとミランナの妹ポランナの救出は絶対だった。今日数人の子供たちを助けたところで、解決する話では無い事もラナックやマッコスたちの話を聞いて分かっている。だが、養子とは言えサナエと言う王族に連なる貴族の娘を取り戻すと言う大義名分の下に行動し、せめてそこに居る子どもたちを解放したいと考えた。
そう。あってはならない事ですわ。
罪の無い子どもたちを拐かすなど、如何なる理由があろうとも許される事ではありませんわ。
メルリは、緊張している歳の近い姉の強張った頬を見て、大丈夫かしらと心配した。それは、姉が上手く事を運べないかも知れない懸念では無く、危険があるかも知れない状況に飛び込ませてしまう心配だった。
エルラーナに何かあったらと考えたら胸が締め付けられる思いだった。だが、側にラナックもジーナも居る。万が一など起こらないと信じた。
「ラナックおじさま。いえ、騎士ラナック。姉を、エルラーナ王女を頼みましたよ」
メルリは、硬い表情でラナックに語りかけた。
ラナックは、柔らかい表情でその至極色の瞳に応えると、胸に手を当て片膝をつき、こうべを垂れた。
「では、エルラーナ様、参りましょう」
そう言ってラナックは、エルラーナをエスコートした。
エルラーナと騎士二人は、領主ソンナットの屋敷の門をくぐった。
今朝、サナエと連絡の取れたメルリは、その指輪から伝わるサナエの気配を頼りにイクノをお供に港周辺を探った。しかし、その気配はそこには感じられなかった。やはり、海へ出てどこかに連れ去られたのだと確信した。
しかしどこへ?指輪の効果範囲は、そんなに広く無いはず。そこまで遠くではないはずよ。
メルリは、焦りを感じながらも港を歩いた。
シェッツェヌの港は、早朝の漁から帰った漁師の船や朝市の客などで多くの人出があった。まだ日が登ったばかりだと言うのに賑わう港に、顔色の悪いメルリは、軽い目眩を感じていた。
メルリは、水揚げ場の漁を終えた老漁師を見た。ドンボルド人の特徴の褐色の肌で赤みがかった髪にかなり白髪が混じった短髪である。日に焼けた黒い顔の皺はかなり深く刻まれているが、その体は細身ではあるが筋肉質であった。
「ねぇ、少し聞いても良いかしら?」
メルリは、その老漁師に声をかけた。
「あ?」
その老漁師は、明らかに面倒臭そうな顔をした。
「はじめまして、わたしはメリーナと申します。旅をしているのですが、友だちがいなくなってしまって探しているの?昨日の夜からこの港で居なくなったの?何かご存知無いかしら?」
メルリは、一応偽名を使い丁寧に挨拶した。
老漁師は、なるほどと言う顔をしてメルリを見た。
「よくある話だ」
老漁師は、そう言って煙管に葉を詰めて火を付けた。
渋い顔で煙を呑むと、口と鼻から煙を出して海を見ていた。
「よくあるでは困ります。何かご存知ありませんか?」
「あんた、子どもの癖に面倒臭い話し方をするな。貴族さんか?」
「ご老人。無礼ではありませんか?」
イクノは、丁寧だが鋭く老漁師に言った。
「やめてくれ、そんな強い目で見られたら、老いぼれた心臓が止まっちまう」
老漁師は、煙を吹かしながら笑った。
「大事な友だちなの!何か知っていたら教えて!」
「大事なら何で手を離した。縄で縛り付けとかなければ、船だってどっか行っちまう。こんな港町なら尚更さ」
メルリは、スカートの裾を掴んで少し俯いた。
「その通りだわ。でも、わたしはサナエを絶対見つけ出すわ!」
メルリは、キッと老漁師を見ると言い放ち踵を返した。
老漁師は、その背中を片目を大きく開けて見た。その口元は少し笑っていた。
「昨晩から普段は見かけない小舟が、港をウロウロしていると聞いたな。同じ船が何度か行ったり来たりしてると言う話だ。港の北側に向かってな」
そう、メルリの背中に言った。
メルリは、振り返り「ありがとう。お爺さん」と、礼を言った。
「ただの噂話だ」
メルリは、港の方に向かった。
北側は、灯台がある方で、その岬の先の海岸は少しずつ高く切り立った崖となっている。漁港の関係者は、その地域には住んでいないらしく、すぐに民家はまばらになっていき、その代わりに敷地の広い大きな建物が点在している。
それは貴族の別荘や交易で財を成した豪商の邸宅に思われた。白壁に覆われた屋敷が多く、門構えはかなり絢爛な造りでその財力を誇示しているかの様に見えた。
ナッサヘルク王都の貴族街もそうだが、メルリはその意味と必要性に疑問符を抱きながらも、自分の住む王城を思い出し権威を分かり易くする事に意味があるのかも知れないと納得しようとした。
次第にサナエの気配が強くなるのを指輪を通じてメルリは感じた。
目を閉じて、より強くその気配を探った。
[サナエ、聞こえる?]
メルリは、サナエに呼びかけた。
少し間があって、サナエの声が聞こえた。
[メルリ、もしかして近くに居るの?]
[分かるの?]
[何となくね。ここは真っ暗で、みんな不安がっているわ。わたしにできる事がある?]
サナエ自身の不安もメルリに伝わってきた。宿で話しかけた時よりも心がざわついている。真っ暗な中で長時間いる事はとても不安で精神を蝕んでいくのだろう。
[サナエ、ほんの小さな光を作ってあげて。強い光は駄目よ。ほのかな光をサナエのいる場所に灯してあげて。サナエの姿を見せてあげて]
[分かった。やってみるね]
メルリの感じているサナエの気配が少し変化するのが分かった。サナエが魔素を意識して魔法を発現させようとしている。それは、とても強く溢れそうになっていた。
[サナエ、落ち着いて]
メルリの意識が、サナエの魔素に制動をかけた。サナエの魔法にそっと手を添える様にメルリの流れの整った魔素が包んだ。
柔らかな光がサナエを包むのがメルリに伝わってきた。
[できた]
サナエのホッとした声が聞こえた。
[本当にサナエは、制御が苦手ね]
メルリは、サナエの様子が落ち着いた事に安堵した。しかし、のんびりもしていられない。
だが、サナエとやりとりした事で、サナエの気配がハッキリと伝わってきた。
メルリは、それを辿って早歩きでそこに向かった。
そこにあったのは、この区画の一等地に建てられた邸宅で、その邸宅の主人は、この地の領主ソンナットであった。




