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「今日は、外に出かけるわよ!」


 夢を見ている。

 そう、夢を見ているのだろう。と、彼女は思った。

 そこは、真っ白な空間で、真っ白なベッドの上に彼女は居た。左手にはガラスの窓があり、少し空いた隙間から風が入り込み白いカーテンが波打っている。

 身体を動かそうとして、右手を上げるとツキリと痛んだ。右手の腕から管が伸びて、その先に液体の入っている物が見えた。


「―――ちゃん」


 呼ばれた気がして、そちらに目を向けると白い服を着た大人の女性がいた。少し懐かしくて優しい気持ちがして、彼女の目の端を温かいものがほんの少し流れた。

 身体を起き上がらせる事が出来ず、彼女はその女性の事をうまく見る事が出来なかった。気配が彼女の周りを動いているのが分かる。その度ごとにこの場所では嗅ぎ慣れた匂いが鼻に届いた。

 彼女は、急に何かが込み上げて咳き込んだ。

 息苦しさに胸が締め付けられるような苦しみと、咳の振動で身体のあちこちが痛んだ。それが内から来るのか外側なのか分からない。痛みが突き刺さるように彼女を苦しめた。


「―――ちゃん!」


 女性が慌てたように、彼女に呼び掛けた。しかし、動きは冷静に対処していた。彼女の呼吸が少し落ち着くと口に水を含ませた。


「大丈夫?」


 彼女は、女性の声が近くに聞こえた事で気持ちが落ち着いた。だから、安心して貰いたくて頷いて見せた。本当は、身体がまだ凄く痛かった。


「先生、呼んでくるわね」


 そう言って行こうとする女性の服を彼女は掴んで引き留めた。女性になるべく近くにいて欲しかった。

 女性は、彼女の気持ちを察してベッドの彼女の左手を繋ぐと、優しく彼女の頭を撫でた。

 彼女が左手を引き寄せると、女性は撫でていた手を彼女の背中に回して、そっと抱き寄せた。

 女性の温かさに彼女は癒されるのを感じた。


「先生に見てもらおうね。サナエちゃん」


 彼女は、優しい声に小さく頷いた。





「今日は、外に出掛けるわよ!」


 メルリは、彼女と二人きりになると、拳を挙げてそう言った。


「メルリルーク様、それはいけません」


 彼女は、直ぐに否定した。


「どうしてよ!って言うか!様ってなに?二人の時は様は無しって約束したはずよ!」


「マルナさんにも叱られてしまいます。リリーナさんもきっと叱られてしまいます」


 あれから更に一週間が経ち、彼女はメルリのウェイティングメイドとして、働くようになっていた。

 出身も名前も経歴も分からず、紹介状も無い彼女がはいそうですかと、働ける訳も無かったがそこはメルリの地位と強引さで押し通したのだ。ハウスキーパーのマルナは、もちろん良い顔はしなかったが、メルリの側付きであるリリーナが、面倒を見る事と監視を申し出る事で話が付いた。当然、突然現れた不作法な少女が王女のウェイティングメイドとなるなど、異例中の異例であり、他のメイドたちの嫉妬を買うところだが、メルリと言う手を焼く王女の元で働く事の同情が勝っていて、そう言った声は無かった。

 

「話にならないわ!いい事!本来貴方は、メイドでは無いのよ。メイドは仮の姿なのよ!だから、わたしに敬語を使わなくてもいいの!」


「ですが、貴方はこの国の王女様なんですよ。わたしなんかが、そんな口を聞いたら怒られてしまいます」


 彼女は、涙目で訴えた。

 石室から出た彼女が見た世界は、余りにも華やかで煌びやかで圧倒された。そこが王城で、メルリがこの城の王女だと知った事で、記憶は無くとも格差は歴然としている事を知った。


「分かったわ。では、これは命令よ。二人の時は敬語を外す事!私の事をメルリと呼ぶ事!分かった?」


「…はい…」


 メルリの圧に彼女は頷いた。でも、話している時誰かに見られたらと思うとゾッとした。


「じゃあ、出掛けるわよ」


「ダメです。叱られます」


「む!敬語!」


「…許可を取らなきゃ。怒られちゃう」


 ここ数日、彼女の失敗により、リリーナと共に何度マルナに叱られた事か。その時の怖さは、耐え難いものがあった。それに良くしてくれるリリーナを巻き込みたくはなかった。


「大丈夫よ!わたし、何度もお城を抜け出して遊びに行っているから。貴方は付いて来ればいいの」


 そう言ってメルリは、服を脱いで着替えだした。


「貴方は、ホワイトブリムとエプロンを取れば大丈夫ね。その上から、これを着るといいわ」


 そう言って、メルリは、クリーム色のカーディガンを彼女に渡した。

 メルリは、パンツルックの少年の様な出立ちでつばの短い帽子を被ってニッと笑った。


「さあ!いくわよ!」


 そう言うと、メルリはこっそりと部屋を出た。彼女も仕方無くその後に続いた。




 彼女は、不思議な気分だった。メルリに反対はしたものの、外に興味が無い訳ではなかった。怖い気持ちもある。でも、建物の外に出る事がこんなにもドキドキするとは思わなかった。もちろん、城を抜け出すと言う特殊な状況下ではあるが、外に出ると言う事に緊張と高揚が彼女に溢れていた。

 厨房からこっそりと持ち出したパンやハムなどのそのままでも食べられる食材と、二人分の飲み物を入れた水筒や何種類かの布を詰め込んだ肩掛けの皮袋の紐をぎゅっと掴んだ。


「大丈夫?ここを抜ければ外に出られるわ」


 そう言ってメルリは、彼女を気遣った。そこの場所は薄暗く、足元に不安が有り、彼女の足はうまく進まなかった。

 メルリの表情もワクワクに高揚していたが、彼女とは違い、その先に何があるのか分かっていてのワクワクだった。

 今、二人が歩いているのは、湖に繋がる水路の中だった。城の中に水を引き込む為の水路で、大人が通るには狭いが、小柄な二人は、少し屈めば苦なく通れる管理用の通路がある。

 

「出たわ!」


 メルリの声と同時に陽光が目を突き刺して、彼女は目が眩んだ。少しの間暗い中を歩いてきた為、その光は残り暫くの間彼女の視界をチカチカさせた。

 目が慣れると、目の前に手が差し伸べられていた。

 水路の入り口に繋がれた小舟に先に乗っていたメルリの手だった。彼女はその手を掴んで、慎重に船に足を乗せた。その事で、船が動き足場から離れてしまった事に彼女は慌てた。しかし、力強くメルリが手を引っ張って来れた事で、倒れそうになりながらも何とか乗ることが出来た。

 

 メルリは、慣れた手付きでオールを握ると漕ぎ始めた。

 波は、静かだった。木でできた小さな船に座った彼女の目に飛び込んできたのは、視界の先どこまでも続く水だった。城の西側には湖があると聞いてはいたが、見たのは初めてだった。穏やかな波に光が煌めく水面は、想像していた以上に美しかった。そして広大だった。

 彼女は、圧倒されたのと感動したので、大きく息を飲んだまま目を丸くして動けなかった。


「見て!あの岬に有るのが、エイナーリア教の総本山、ファルグウォナル・エイナーリア大聖堂よ!」


 メルリが指し示した先に白壁の鋭角なイメージを受ける美しい建物が見えた。

 錐体を集合させた様なフォルムで、尖塔の一つ一つがまるで天に祈る様に聳え立ち、太陽の光を受けてまるで光を放っているかの様だった。


「とても綺麗でしょ。中に入ると、もっと綺麗なんだから!光を一杯取り入れられるから、ステンドガラスがとても美しく輝いて、虹の中にいるみたいなの!」


 メルリは、帽子を取りながら自慢げに言った。癖のある柔らかそうな金髪が帽子から解放されてふわりと広がった。


「見てみたい」


 彼女は、心の底から思ってそう呟いた。


「今度、洗礼を受けに行きましょ!」


「センレイ?」


「そうよ、貴方はまだどの神様にもご挨拶していないのよ。それに、貴方はこの国で生まれた様なものだから、エイナーリア様にご挨拶しなきゃ」


「エイナーリア様?」


 神様の名前なのだろうと彼女は思ったが、メルリの口ぶりを聞いていると何だか知り合いの人の話をしている様に聞こえた。


「エイナーリア様は、エイナーリア教の神様よ。水と命を司る女神様。髪は流れる水の様に長く美しく輝いて、透き通る様な青い瞳は、命の根源まで見通す様な深く穏やかな色をしているの」


「メルリは、そのエイナーリア教を信じているんだね」


 彼女が言うと、メルリはキョトンとした顔で首を振った。


「宗教なんて、信じていないわ。こんなこと言うとこの国の王族として怒られてしまうのは分かっているけど。確かに宗教の教えは良い事言っていると思うけど、わたしには合わないわ。民衆が求めているから必要だと思うだけよ」


「そう、なんだ」


「わたしは、エイナーリア様がとても美しくて好きなの。教典に出てくる姿もとても美しいし!見た目だけで、人の心を捉えるのに充分だわ」


 メルリは、漕ぐ手を止めて胸の前で祈る様に手を組んでうっとりとした表情で神殿を見つめた。

 彼女は、とにかくメルリがエイナーリア様の事を好きな事は分かった。そして、決してその教えを押し付けはしないだろうと少しホッとした。

 彼女にとって救いをくれたのは、あの人だ。と、彼女はふと思った。夢に出て来た女性だ。あの人に名前を呼ばれた時、心と身体が楽になる気がした。


「…あのね…」


 そうだ。と、思いメルリに話しかけた。

 メルリは、どうしたのと言う顔で彼女の言葉に反応した。


「夢を見たの」


「夢?」


「多分、ここに来る前の夢。真っ白な部屋に寝ていて、とても苦しくて辛かった」


 メルリは、少し心配そうな目付きになって、彼女の話に耳を傾けた。


「でもね、優しい女の人が私の事を抱き締めて名前を呼んでくれたの。そしたら、身体が楽になって…」


「何て呼ばれたの?」


「え?…名前?」


「そう!きっとそれが貴方の名前!」


 メルリは、前のめりになって彼女を見詰めた。その両手が彼女の両手を掴んでいた。そして急かす様に手を取って持ち上げた。

 彼女は少し気後れしながらも、夢の記憶を探った。あの女性は確かに名前を呼んでくれたのだ。


「サナエ…」


 そう、そう呼んだはずだ。しかし、自分で口に出して少し不安になった。


「サ、ナ、エ。…サナエね!」


 メルリは、その名前を呼んで涼やかに笑った。

 光に透ける金色の髪と白い肌、水面の煌めきの中でより輝きを増す、至極色の美しい瞳に彼女は見惚れた。

 メルリは、彼女の両手を自分の掌で包む様に持つと、はしゃぐ様に振りながら、


「サナエ!サナエ、サナエ、サナエ。サナエ!」


 と、嬉しそうに連呼した。

 彼女は、目の前で嬉しそうにしている少女にその名前を呼ばれて心の奥から暖かくなるのを感じた。そして、実感した。


 わたしは、サナエと言う名前なんだ。と。


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