「でも、間違ったとは思っていないわ」
「静かね」
暗闇の中、その船を見詰めながらメルリは、呟いた。
ミランナの妹のポランナが捕らえられているはずのその船は、人が乗っているのか分からない位、静かに停泊して居る。
ミランナの話では、ほとんどの子どもたちを檻から解放したと言っていた。その事で慌ただしくなって居る事を想像していたが、その様子は無かった。
一体どうなって居るのだろうかとメルリは思考を巡らせた。
もし、子どもたちが居無くなっていたとしたら、探しているだろう。何らかの取引が行われるのなら、商品である子どもたちが居なければそれは成立しない。
そこへ、音もなく影が動いた。
その影は、メルリの方へ近付いて来た。メルリは、それに気付いたが、慌てる事はなかった。
「もぬけの空だった。誰も居ない」
それは黒いフードを被ったマルスだった。フードを取りながら、見て来た船の様子をメルリに伝えた。
灯台での一件の後、四人は気を失ったままのミランナを連れて、合流予定の宿に向かった。
既に宿で諸々を済ませたマッコスが馬車の番をかって出たらしく、馬と馬車を守る様に宿屋の馬車用の小屋の前で立っていた。
聞くと、トクナはリリーナとレリアの夕食の食材の買い出しに出かけたらしい。
この旅の間の食事は、万が一の事を考えて、可能な限り同行したメイドが作ったものをメルリとエルラーナは食べる事になっている。その為の買い出しである。蛇足ではあるが、露天でメルリたちは食事をしたが、マルスやサナエが食して安全を確かめた上でメルリは食べている。
メルリは、マッコスに灯台での事を話すと、宿屋のベッドに寝かせた。その後、マルスがマッコスに代わり馬番をする事なり、改めてマッコスに問われて事の次第を伝えた。
「イクノ。何故、メルリルーク様をお止めしなかった」
マッコスは、額に手を当てて項垂れる様に言った。
「メルリルーク様を危険に向かわせたのだぞ。その事の重大性をお前は反省しなくてはならない」
「はい。反省しております。私に認識の甘さがありました」
イクノは、自分を責める様に奥歯を噛んだ。メルリルーク王女の行動に自分の正義感を重ね、メルリルーク王女御身の安全の確保を最優先せずに、行動してしまった自分の青さを指摘されイクノは自分を恥じた。
「メルリルーク様は、ご自身のお立場を弁えて行動なさって下さい」
「悪事を見逃せと言うの?」
メルリは、納得のいかない顔でマッコスに突っかかった。
「そうではありません。ご相談頂ければ、違う対処の方法も見えてくるものです。貴女の身に何かあれば、それ護衛を任されたイクノやマルスに責任が問われるのです。その意味でも彼らを生かすも殺すも貴女の行動に関わるのです」
「分かったわ。でも、間違ったとは思っていないわ」
マッコスは、そのメルリの真っ直ぐな目を受けて、少し心配で、でも少し嬉しくて、微笑を返した。
「では、彼女が起きましたら、詳しい事象を聞いてどうするかを皆で考えましょう」
ミランナが目を覚ましたのは、エルラーナたちが領主の元から戻り、夕食の準備ができた頃だった。
「…あ、あの…」
薄らと目を開けたミランナが周囲の様子を伺いながら言うと、心配そうに覗き込んでいたサナエの表情がパァッと明るくなった。
「気が付いた?気分はどう?平気?」
優しく問い掛けてくる少し年上の少女にミランナは、戸惑いながらも頷いた。
「ちょっと待ってね」
そう言うと、その少女は部屋を出ていった。
ミランナは、それを見送りながらようやく自分がベッドの布団で寝ているのだと気が付いた。
とても清潔で柔らかな布団。
ミランナは、フカフカで温かな布団に居心地の悪さを感じた。体に伝わる感触や温度は心地良いはずなのに、気持ちはそこに包まれる事を戸惑っている。
ミランナが初めて見るような、綺麗で整った基調の部屋。
肌をガサつかせる潮風の隙間風も、割れた天井から落ちて部屋を水浸しにする雨とも無縁な部屋。鉄の檻も無い。部屋には、仄かに花の香りもする。
ミランナが夢で見たことしかない光景がそこにあった。
夢でしかあり得ない場所に居る事の違和感と浮遊感があった。
そうだ!ポランナ!
ミランナは、妹の状況が気になった。何とかして助け出す方法を考えなければと思った。
布団を出ようと体を起こしたところで、扉が開いて先程の少女が顔を出した。少女は、両手で四角い取って付きの盆を持ち、体で開けた扉を押す様にして、部屋の中に入ってきた。
その姿が見えると、ミランナは、何故か慌ててベッドに戻って布団を被った。何故そうしてしまったのかは、本人にも分からなかったが、自分がどう振舞って良いのか混乱した結果だった。
「お腹すいてる?食べやすいもの持ってきたから、食べられそうだったら食べてね」
と、少女は心底優しい表情でそう言いながら、テーブルに盆を置いた。
海藻で取った出汁の匂いと、仄かに甘い匂いがする。
ミランナは、ニコリと覗き込む少女に申し訳なさそうにいらないと首を振った。少女は、少し残念そうな顔をしたが、料理の匂いに刺激された空腹のミランナの腹が食事を求めて鳴り、すぐに笑顔に戻り、「ねっ」とミランナに手を貸して上半身を起こす手伝いをした。
ミランナは、真っ赤な顔で、「大丈夫です」とやんわりと言いながらも支えられてベッドを出た。
テーブルに着くと、先程の香りがより強くミランナの空腹を刺激した。
「海藻と野菜のスープと、お粥よ」
そのメニューは、ミランナも知っている一般的な食事ではあったが、こんなにも柔らかく温かな香りがするものは初めてだった。
木の匙を少し震える手で掴むと、スープをほんの少しだけ掬い口に含んだ。潮の香りと野菜の甘みが口の中でほどけて、ふわりと口内と鼻腔に広がった。
香りが頭まで抜ける様な気がしてミランナは、それを味わいフウッと息を吐いた。
そしてミランナは、堪らずにスープと粥を勢いよく飲み干した。食べながら涙と嗚咽が溢れた。
食べ終わっても涙は止まらず、ミランナは手で顔を覆い声を出して泣いた。
サナエは、そのミランナを優しく抱きしめて頭を撫でた。
髪が痛み、ゴワゴワとした感触と染み付いた糞尿の匂いに彼女の置かれていた過酷で不衛生な環境を思い知らされ、抱きしめる手に力がこもった。
「サナエ!起きたって?」
バタリと勢いよく扉が開き、メルリが飛び込んできた。
「うん。ご飯も食べたし大丈夫」
「ねぇ、あなた、名前は何て言うの?色々聞かせてもらえるかしら」
ミランナは、泣いたまま部屋に現れたあの灯台で見た金髪の少女を見た。泣いた事で高まった感情に思考が追いつかずどう答えて良いのか分からなかった。
「ミ、ミラン、ナです」
何とか名前だけ口にした。
「ミランナ、ね。わたしはメルリルークよ!あなたを追っていた男たちは何なの?どこに居るのか知っている?」
「え、あ…あの…わた、わた…し…」
「メルリ、ちょっと待ってあげて」
サナエは、ミランナの気持ちを考えて、しばらく待つべきだと考えていた。
「でも、時間がないわ。早くしないと逃げられるわ」
サナエは、これ以上深入りしない方がいい気がしていた。寧ろ、男たちを痛めつけた事で、仲間が居るのなら報復をされる可能性もあるだろう。
しかし、メルリは、マッコスに言った通り自分の正義を信じている。この少女、ミランナを助けた事をやり切るためには、その理由を知りその理由すら打ち壊して、ミランナが気にする事なく生きられる様にしなければ意味がないと考えていた。それが助けた者の責任だとまで。
「さあ、話して」
「あ、あの…」
ミランナは、困って言葉が上手く出てこなかった。話してしまえば、巻き込む事になる。親切にしてもらった事で十分だった。が、この先自分の力だけではどうにもできない事もわかっている。
妹のポランナの事も心配で仕方なかった。
色々な事でぐちゃぐちゃになって、ミランナは、再び顔を覆って泣いた。
「ポランナ…ポランナ…どうしたら…」
「ポランナってどなた?」
「…妹…捕まっちゃって、わたし…わたし…」
ミランナは、項垂れ頭を振った。
「妹が捕まってしまったのね!だったら教えて!わたしが助けに行ってあげるわ」
そう言い切ったメルリをサナエは見た。そう言うのは分かりきっていた。
ミランナの話を聞いたら、余計メルリは止まらないだろう。誰が止めても行くと言うはずだ。
サナエは、フッと短く息を吐いた。
助けたいと思ったのは自分も同じだ。メルリがその決断をしてくれるのを期待していたのだ。
「わたしも行くわ。ミランナ。あなたの力になる。だから教えて、あなたを追ってきた男たちについて知っている事を」
ミランナは、泣いたまま首を縦に振った。
ミランナは、辛い日々を思い出しながらメルリとサナエに話していった。
メルリとサナエは、マルスとイクノにこっそり協力を要請し、夜になるとこっそり宿屋を抜け出し、ミランナの情報を頼りに港に向かった。




