「美味しく無いかも…だけど…」
「サナエ!フィナリア川が見えて来たわ!」
メルリが馬車から顔を出し腕を伸ばして前方を指差して声を上げた。
王都ナッサヘルクを出発して、半日から過ぎていた。
リゾン湖北方に流れ込むレイナ川沿いに走るファラント街道を北上して行くと、レイナ川を支流とする巨大な河川フィナリア川の岸に突き当たる。
ファラント街道は、そこからレイナ川を橋で渡り、西方の国ラッドレイスに向かう。その為、メルリたち一行は、フィナリア川を船で渡るか、川を船で下るかする事となる。
フィナリア川の上流側には、ナッサヘルクの第二水軍の拠点があり、一行はそこに寄り馬車ごと船に乗り西方の港町シェッツェヌを目指す経路を選んでいた。
後数時間フィナリア川沿いを進む事になる為、一先ず昼食休憩を一行は取る事にした。
「サナエ!川の近くで食べましょ!」
メルリが馬車からポンと飛び出した。
「メルリルーク様、お待ちください」
サナエは、それを追って馬車を降りた。その後をリリーナがゆったりと降りて来た。
「えっと…」
リリーナが、少し困ったように辺りを見回した。その視線に、近くに居た護衛の騎士のトクナが止まった。
「私が手伝いましょう」
そう言うと、トクナは馬を降りて近くの木に馬を繋いだ。そして、リリーナの元に戻ると、荷物を乗せている馬車からひと抱えある大きな籠と手に下げられる籠を下ろして待っていた。
「こちらを運べば良いですか?」
トクナは、大きな籠をすっと軽々持ち上げた。
「私も何か手伝いますね」
そこへ、女性の騎士が声を掛けてきた。今回、護衛対象が女性ばかりと言う事もあり、二人の女性騎士も護衛に付いている。その一人が、彼女イクノである。もう一人は、ジーナと言う二十代後半の女性で、エルラーナの近くに常に控えている。イクノは、二十歳のドンボルド系の女性で、ロンダと同じく赤みがかった髪に褐色の肌である。腰まである波打つような長い赤い髪を編んで纏めている。
「では、燃料になる枝を拾って来て貰えますか」
リリーナは、イクノにそう伝えた。
イクノは、キリッとした顔で微笑んで「分かりました」と、行動を開始した。
リリーナは、その姿に、なんてカッコ良い方なのかしらと感心した。
「ここが良いわ!」
メルリは、川がよく見える川岸の草むらに手足を広げて、サナエに言った。
確かにそこは、川に近過ぎず平なスペースも確保できそうだ。それに何より、視界を木が邪魔せず波立つ川面が光るのがよく見え、遥か遠くの対岸も見る事ができた。
それは、とても大きな川で、流れも悠然としている。流れる水も美しく、時折横切る魚の背が見える程だ。
サナエは、早速抱えて来た布を広げて、端の何点かを石を重しにして敷いた。
布が敷かれると直ぐにメルリは、その真ん中に足を投げ出して座り、川を眺めた。
「メルリルーク様、はしたないですよ」
そう言ったサナエに、メルリはニッと笑いかけて、自分の隣をぽんぽんと叩いて示した。
サナエは、それが隣に座れと言う合図なのだと分かり、遠慮がちに近くに座った。
「サナエとは暫く会えなかったから、寂しかったわ」
「…旅の準備で会ってたでしょ」
サナエは、少し周りを気にしながらそう言った。
「寂しかったは、寂しかったよ。あれは、支度だもの。一緒に過ごすのとは違ったわ。でも、これは旅で冒険だわ。サナエはわたしの相棒だもの」
「うん、それがメルリのしたい事だからね」
クスリと笑うサナエにメルリは不敵な笑みを浮かべた。
「違うわ。わたしとサナエがしたい事よ」
メルリとサナエは、お互いの顔を見て吹き出すように笑った。
「ほら、サナエ、お仕事しなきゃ。手伝って」
そこに手提げの籠を手にしたリリーナが来てサナエに言った。
「良いのよ、リリーナ。お母様は、サナエにわたしと仲良くするようにと言ったのよ」
そう言ったメルリにリリーナは、困った顔をした。
「リリーナさん。食事の準備をしますね。トクナ様の持ってきてくださった籠をこちらにくださいな」
サナエは、立ち上がるとリリーナに笑いかけた。
「メルリルーク様は、もうしばらくお待ちください。直ぐ昼食の準備をしますから」
そう言ってサナエは、メルリに片目を閉じて合図した。
「分かったわ。お腹が空いたから早くして頂戴」
メルリは、少しため息を吐くと、意地悪そうにいった。
「はい、ただいま」
恭しくスカートの端を持って膝を曲げるサナエに、メルリは隠れて笑った。
サナエは、メルリにこれはゴッコ遊びであるかの様にわざとらしく振る舞った。
サナエは、メルリが自分を特別視している事を分かっていた。都合上ウェイティングメイドとして側に置いているが、メルリにしてみればあくまで仕方なくなのだ。しかし、サナエは違う。メイドとして、仕事を与えられているから、ここに居られているのだ。と自覚していた。必要とされ、仕事を与えて貰える事に感謝し自己肯定できていた。
一方リリーナは、サナエが手伝ってくれる事に安堵していた。確かにメルリの言う様に、王妃もサナエには使用人としての有用性より、サナエの持つ力やメルリからの信頼感によるものが大きい。しかし、リリーナにとっては、手のかかる可愛い後輩であり、妹であって欲しいと思っていた。後者に関しては、サナエがエンデ家の養女になった事で、貴族の遠縁ではあるが使用人家系のリリーナとは、身分差ができてしまい寂しさを感じていた。その上、メルリの友人として食客の様な扱いとなれば、リリーナはより辛いと感じただろう。それが嫌なのでは無く、ただ寂しいと言う感情からである。
しかし、こうして変わらずリリーナを慕い、手伝い、頼るサナエにリリーナは、愛おしく感じてしまった。サナエにしてみれば、リリーナを困らせたくない気持ちからだったが、リリーナが感じた内容に間違いなど無かった。サナエの不安な心を支えているのは、リリーナの存在が大きいのだから。
食事の支度が済むと、メルリの希望と言う強制により、サナエとリリーナとトクナとイクノの四人もメルリと一緒に昼食を取る事になった。
食事は、パンとスープと野菜のソテーと魚の干物を焼いたものである。魚は淡水魚ではなく、これから船で向かうシェッツェヌ港で取れた魚を加工した物で、ナッサヘルク内陸では高級品である。
野外で食べるには、豪華な食事を済ませるとメルリはイクノを連れて散歩に出かけた。本当はサナエを連れて行こうとしたが、サナエが片付けがあると言って断ったのだった。
「じゃあ」
と、リリーナがサナエに目で合図した。
サナエは、あ、と目で反応したがその目を伏せた。
「行っておいで。残りの片付けはやっておくわ」
「は、はい…」
サナエは、迷いながらもリリーナに背中を押されて、立ち上がった。そして、手提げの籠を持つと馬車の方へと早足で戻った。
馬車の止めてある道の端に近付くと、トクナとイクノの馬がサナエに顔を寄せてきた。サナエは、それぞれの顔を撫でてやると、嬉しそうな目でサナエを見た。
イクノの馬の背中に、馬車の窓から飛び出してきたスフレが乗り、そこからサナエの肩に飛び移った。つい先程まで座席で眠って居たのだろうか、馬の背中で大きく伸びをした。
今朝もそうだったが、スフレは物おじせずに自分よりも大きな動物に近付く。その無防備さと好奇心のお陰か、馬はスフレに対して警戒心を見せる事なく受け入れてくれた様だった。今もサナエの肩の上から、馬とお互いに体を擦り寄せて親睦を深めている。
そうだ、こうしちゃ居られない。メルリが戻ってくる前に。
サナエは、目的を思い返して、馬車の前の方に隠れながら近付いて様子を伺った。
「騎士として、馬に乗りたいのに、馬車ばっかりだよ」
「馬車だって馬の気持ち分かってやらにゃうまくいかんで」
マルスと御者のマケルの話す声が聞こえた。
サナエがそっと覗き込むと、マルスは、干し肉を噛み切りながら不貞腐れた様に遠くを見ていた。
「でも、お前さんは、貴族の偉いとこの坊ちゃんなんだろ。偉ぶらねぇって言うか、そういう方たちは、こうして俺たちと居る事の方を嫌がるもんだぜ」
「俺はまだまだだからなぁ。馬術も剣術も師匠に届かねぇし。それなのに生まれだけで偉そうにできないさ。そんな奴は頭の空っぽなバカだ」
そう言ってマルスは、咥えた干し肉を噛み切った。
「坊ちゃん。滅多な事は言わないこっちゃ。どこで誰が聞いているか分からんよ」
と、マケルは言いながら笑った。
マルスも釣られる様に笑った。そのマルスの目に、隠れているサナエの肩と、スフレが映った。
「?サナエ?」
マルスは、御者台から降りるとサナエの方に近付いた。
サナエは、一瞬逃げそうに足が動き掛けたが、息を吸ってその足を止めた。
「どうしたんだ?メルリは?」
馬車に手をつきながら、サナエを見たマルスにサナエは、チラッと目を向けてからすぐに戻した。
「メルリは、イクノさんと散歩してる…」
「行かなくて良いのか?またどっか行っちゃうぜあの王女さま」
困るよな。と、マルスはサナエに笑いかけた。
「良いの。用があった…から…」
と、サナエは、マルスの方を見た。マルスは、その少し茶色い瞳と目が合い、どきりとした。
マルスは、その一瞬だけで目を合わせているのが恥ずかしくなり、少し逸らした。その視界に、サナエの少し赤らんだ頬や耳や言葉を上手く出せない薄紅の唇が映り、余計にドギマギしてしまった。
「これ…食べて…今朝作ったから」
そう言ってサナエは、手提げの籠から竹籠の弁当箱を出して、マルスの胸元に押し付けた。
「え?」
「お礼!何度か助けてもらったし…迷惑、掛けたし…」
「お、おう。…ありがとう」
「美味しく無いかも…だけど…」
サナエは、そう言って振り返ると、走ってリリーナたちのいる方へと戻っていった。
マルスは、その背中をぼうっと見たまま立っていた。
その背中をこっそり覗いていたマケルがニシシと笑った。




