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「あなたは、好きになさい」


 「サナエェェ!」


 メルリは、突如崩壊してできた床の穴に向かって叫んだ。

上に向かう階段から身を乗り出して覗き込んでも、その奥は見る事はできない。

 メルリは、穴に近付こうと前に出た。


「待てよ」


 それをマルスが腕を掴んで止めた。


「離して!」


 メルリは、その手を振り払おうとするがマルスの手の力には敵わず、振り払う事はできなかった。


「待てって!まだ居る!」


 メルリは、マルスの力に揺さぶられ、ハッとした。壁で阻んだもう一頭の斑熊(ゲリグル)が二人の方へ警戒しながら向かって来ていた。


「一度上に戻ろうっっ痛ぅ」


 マルスが、メルリを掴んでいた手を離して爪で抉られた右肩を庇った。

 メルリは、直ぐには動けなかった。サナエの元に行かなくてはと思うのと同時にマルスの傷の事と迫り来る斑熊(ゲリグル)の事にどう対処すべきかの優先順序も方法も浮かばなかった。

 メルリは、マルスに引きずられる様に階段を上がって行くしかなかった。

 上の階層に着くと泥を避けて座り、マルスは腰の小さな鞄から細く切られた布を二巻取り出して、傷口に巻こうとした。それは何かあった際に応急手当てができる様に持ち歩いている物だ。しかし、利き腕がうまく使えない状況では、うまく巻く事ができない。いつ下から斑熊(ゲリグル)が上がってくるかも分からない状態で焦って居ると、メルリが蒼白な顔で近付いて来た。


彼の(ネス)傷を(フデナ)癒せ(レミディオ)


 メルリが肩に手を近付けてそう唱えた。

 マルスの肩の傷口の付近に緑がかった光が纏わり、覆った。メルリの額に汗が浮かんで呼吸も乱れた。マルスは、肩の光が温かさを超えて熱く感じた。ザワザワと蠢く様な感覚が肩にあった。肩に痒みを伴う様な不快感が起こったが、傷口に触れてはいけないのだと何処かで感じていた。

 少しの間があって、メルリが深く息を吐いた。


「わたし、治療する魔法は使えないから、もしかしたら跡が残るかも知れない」


 メルリが申し訳無さそうにマルスに言った。

 メルリには、医療の知識が無く、マルスの自然治癒力に働き掛けて早めただけに過ぎなかった。メルリには、それしかマルスの手当てする方法を知らない事が悔しかった。

 マルスが自分の肩を見ると、傷口は塞がっていたが爪の跡は残っていた。


「ありがとな、でも男の傷は勲章だからな。気にしなくていい」


 メルリは、それでも落ち込んだ顔をしている。


「一度外に出て、助けを呼びに行こう。駐屯基地だってそんなに遠く無い」


 マルスの提案にメルリは、首を左右に大きく振った。


「でも、サナエが落ちた先に今よりも危険があったら、俺たちじゃ対処しきれないかも知れない」


 メルリは、また首を振った。


「でも、どうするんだよ」


「マルスは、外に出て人を呼んで来て。わたしは一人でも行く」


「バカ!だったら、俺が行くから、お前が助けを呼びに行け」


 マルスは、覚悟を決めようと考えた。


「わたしがサナエを迎えに行く!サナエは、わたしを待っているから」


「お前に何かあったら、俺が師匠に怒られるだろ!サナエに何かあっても怒られるんだ!だから、お前は安全な所に居ろって!」


 マルスは、メルリの両肩を掴んで言った。

 マルスにとってメルリは、この国の王女で騎士見習いとは言え、命を捧げる相手だ。しかし、それと同時に大切な幼馴染でもある。普段はいけ好かない少女と思ってしまうが、メルリを大切に想う気持ちは確かにある。それに、サナエとは面識はあまり無いが、マルスもサナエが心配で堪らなかった。メルリのサナエを想う気持ちとは差があるだろうが、マルスは、サナエを想うと胸の奥にモヤモヤとした苛立ちに近い様な熱が宿るのだった。だから、自分の命に代えてもメルリを守り、サナエを救出しなくてはならない。


「マルスのバカ!」


「なんだよ!」


 メルリは、泣いていた。

 マルスは、初めてメルリが涙を流しているのを見た気がした。だから、驚いて止まってしまった。


「わたしが貴方たち二人を巻き込んだの!だから、わたしが何とかしなくちゃいけないの!」


 後悔や無力感から来る失望の涙では無く、自分を責めながらもその責任を胸に刻み、自らを奮い立たせる決意のこもった涙だった。それは無謀で無策な決意でしか無かった。それでも、マルスの気持ちを震わせた。


「そうだよ!お前のせいでこんな目に遭ったんだ!」


「なによ!そこまで言う事ないでしょ!」


 メルリの目が吊り上がり、怒りに口元が震えた。


「だったら、最後まで巻き込め!」


「はぁ?!」


「一緒にサナエ助けて帰ろうぜ」


 メルリは、息も荒く眉を怒らせ口元を歪めた。


「ふん!しょうが無いから付いて来なさい!さっさと行くわよ!」


 そう言うと、マルスの方を見ずに階段を降りて言った。その口元は少し笑っていた。


「バカ、不用意に行くな。俺が先行する」


「バカとは何よバカ!だったらさっさと行きなさいよ」



 マルスは、皮ベルトの代わりに包帯にしようとしたら布で胸当てを直した。ズレや脆さが気になるところだが、この際無いよりはマシだと考えてそうした。

 下に降りると、斑熊(ゲリグル)の姿は無かった。脚を滑らせて穴に落ちたのか、それとも下の階層に自ら降りたのかは分からない。サナエの危機が増した事は明らかだった。


「そのまま下に向かおう」


 下を覗いて状況を把握したいが、脆くなった床に近付くのは危険だと判断して進む事を選んだ。

 マルスは壁際を慎重に進んだ。


石よ(ドロス)我が眼前に(ガイエディ)道を築け(ビロムロケーヌ)


 崩れ掛けた床が集まり固まって、メルリの目の前に橋の様に道ができた。メルリは、その道をスタスタと最短距離で先へと向かった。一方、マルスは、メルリが魔法を使った事で壁際の床の面積が減ってしまい、壁に張り付く様に進まなくてはならなくなってしまった。


「何て事するんだよ」


「早くして」


 マルスが抗議したが、メルリは真剣な顔で一蹴した。

 メルリは、今はサナエの事で頭が一杯だった。


 更に下に下がった二人が見たのは、その階層の床に空いた大きな穴だった。

 それは、先程できた穴では無い様に見えた。

 サナエの姿も斑熊(ゲリグル)の姿も見えない。傷を負っていたまだ熊(ゲリグル)が、サナエを追って階段を降りて来たのなら、血が所々に付いていても不思議では無かったが、そんな跡も見当たらない。穴に落ちたと考えるのが妥当だとマルスもメルリも考えた。

 二人が今いるのは、大きな部屋になっていた。端から端まで四十ヘンテ(四十メートル)程有りそうな部屋で、その真ん中に部屋の半分を占める程の穴が空いている。天井も高く、五ヘンテくらいありそうだ。光で天井を照らしてみると、上の階の穴が見えた。その穴の周りに抉られた様な跡が見えた。それは、下から何かの力で削り取られている様に見える。この部屋で何かが起こったのは明らかだった。

 と、メルリの肩に乗っていたスフレが飛び降りて部屋の奥へ走り出した。


「スフレ?」


「メルリ、光を」


 スフレを追おうとしたが、マルスに言われて光をマルスの方に近付けた。

 マルスは、穴の近くまで行き慎重に下を覗いた。

 この部屋と同じくらいの高さの部屋がこの下にもあるらしかった。

 気を付けながら天井の穴の真下の辺りに目を向けると、黒い塊が見えた。それが斑熊(ゲリグル)だと分かった。それまで気を失っていたのか、体がビクリと動きゆっくりと頭をもたげた。落ちた衝撃で体をより傷付けたのかぐらつきながらも体を起こすのが見えた。

 その近くにはサナエの姿は無い。瓦礫に埋もれてしまっている可能性も過ったが、マルスはサナエが何とか動いて別の場所に移動したと考えた。


「どう?」


 心配して尋ねるメルリに


「サナエは、見当たらないが斑熊(ゲリグル)が居る。生きてる。急ごう」


 と、ありのままに答えた。

 メルリは、不安に苛まれながらもしっかりと頷いた。

 

「スフレ」


 メルリが声を掛けると、奥の暗がりから「くうん」とスフレの声が聞こえて来た。

 その声のした方に近付いて行くと、数ヘンテはある白い大きな塊があった。

 スフレは、その塊に体を擦り付けながら悲しい声を出して鳴いていた。

 メルリは、それがスフレの親なのだと理解した。幻とも言える風雷狐(ネッグール)。その成体。しかし、もう息はして居なかった。

 生き絶えてそれ程の時間は経っていない様であった。何らかの病気に罹って動けなかったのかも知れない。それは、眠る様に静かに死んでいた。


「スフレ、私たちはサナエを迎えに行くわ。あなたは、好きになさい」


 メルリは、そう言ってマルスとその奥の階段に向かった。

 階段を降り始めたメルリの肩に、スフレが飛び乗って来た。

 

「ありがとう。サナエを一緒に迎えに行ってくれるのね」


 階段を降りる二人と一匹は、その先に向かう緊張で体が冷たくなるのを感じていた。






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