「聞かなかった事にします」
その迫り来る、巨大で獰猛な生物の、今まさに獲物を飲み込もうとして開かれた顎の様な洞窟の入り口を見て、サナエは息を飲み込んだ。サナエの口の中は緊張で渇いていた。
「近くで見ると大きいわね」
メルリもそれを見て感心した様に目を見開いて暗く続くその先を覗き込んだ。
サナエとメルリの乗る船には、二人に加えてササナとエルシエッタの四人とスフレがササナの膝の上に乗っている。
誰彼構わず膝を借りて落ち着くスフレにサナエは節操のない子だと少し嫉妬を混じえて笑った。勿論、スフレにだって膝の好みはあるようだが、その柔らかな毛と撫で易いそのサイズの有用性を理解しているのか、気持ちの落ち着かない人の側に行く事が多い。家族同士のコミュニティを大事にする種なのかも知れない。親代わりのサナエが気持ちを許した相手にはすぐに懐いた。
そのスフレを撫でながらそれでも強張った表情で、島の岸壁に空いた大きな洞窟のゴツゴツとした岩肌を眺めていた。
リゾン湖は波が穏やかではあるが、そこは湖底の地形が複雑なのか、水の流れができており、時折渦巻いたり横波が来たり船を揺らして、まるで侵入者を拒んでいるかの様だった。
「シーマロドロの南側に有る島に行くの」
起き上がれる様に回復したササナは、そう皆に伝えた。
「でも、貴女の体調が心配よ」
サナエは、顔色が冴えないササナの顔を覗き込んだ。
「そうね、しばらく安静にした方がいいわ」
ミーニアもサナエに同意しながら、水をササナに手渡した。
「それは、数日眠れないまま、村をそのまま飛び出して来たからで、少し寝たからもう平気よ」
ササナは、そうぎこちなく笑って見せた。
「そうよ。わたしたちもじっとしている訳にはいかないわ」
メルリは、椅子から立ち上がってササナにニッと笑いかけた。
襲撃を受けた後、馬車を立て直し湖岸へと向かった。自害した襲撃者四人の遺体は、放置する訳にもいかずロングに穴を掘らせて埋めておく事にした。本来ならば、要人に危害を加えようとしたこの者たちは、この町の有力者や軍関係者に報告して身元の特定などの調査が為される事になるだろうが、メルリたちの事情を優先して後日改めて報告する事にした。その場で詳しく調べる訳にもいかなかったが、やはり、メッサでマルスたちが対峙した灰色のローブを着た者たちと同じ様な姿だった。それにローブと武器以外に個人を特定できる物は無さそうだった。
ドレストとミーニアは、目の前で起こった事と死んだ襲撃者にかなりの動揺を見せていた。
サナエも人の死を目の当たりにする事に慣れる事は無く、それも負けを確信した瞬間に自害を選択する襲撃者のロジックは、理解できず吐き気を感じた。
漁師の集落に戻ったメルリたちは、西の村の事を教えてくれた漁師の元に行き、しばらく休む場所として船小屋を使わせてもらっている。
そこで、ササナの着替えをさせ、毛布に寝かせて休ませていた。女性陣たちも、汚れた服の着替えや擦り傷の治療やらをそこでしてから、遅い昼食を取る事にした。
小屋に入れてもらえないドレストとマルスは、ロングとともに見張りとして外で粗末な木のベンチに座って魚を煮た具沢山なスープを食べていた。
「こういう事、よくあるのですか?」
疲れ切った表情でドレストは、マルスに尋ねた。尋ねながら、仕切りに眼鏡のずれを指で直している。どうやら、馬車から放り出された際にフレームが歪んでしまい、自分で直したものの、しっくりきていないのだろう。
「よくって程では無いけど、たまに。去年は何度かあったな」
ドレストの質問にマルスは、メルリとサナエと三人で行った場所の事を思い出した。
「慣れている様でしたので、お若いのに」
「ドレストさんは、なんか隠居みたいだな」
師匠のラナックとそれ程変わらない歳だろうドレストにそんな印象を感じて、マルスは失礼と思いながらも笑ってしまった。
「確かに、ずっと籠ってましたから、隠居と変わりませんね」
マルスの表現になる程と、ドレストは笑った。
「ドレストさんは、何処まで行くつもりですか」
「何処?と、言うと?」
「俺たちは、多分上手く進めばパンスティークまで行く事になるだろうけど、ドレストさんたちは、そこまで付き合う必要は無いから」
「うーん。正直、行き先なんて考えて無かったんですよ。勢い、ですか。柄にも無く行動してしまいまして」
ドレストは、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「メルリルーク王女と結婚したら大変だからなぁ」
マルスは、思い出しながら苦く笑った。
「え?え?」
ドレストは、マルスを二度見して、その勢いで歪んだ眼鏡が大きく外れた。
「な、な、何ですか?王女と結婚される方でも、ご存知な、なのだだ、ですか」
かちゃかちゃと眼鏡をかけ直しながら明らかな動揺をドレストは見せた。
「まあ、メル…メリッサもサナエも気が付いてはいないみたいだけど」
「は、はは、はは…」
「俺も、噂は聞いてて、タイミング的にあれっと思ってたんだけど、ラッドレイスの王子の顔も年齢も知らないので、ちょっとかまかけて見たんですけど…」
マルスもその事実に驚きながら、渇いた笑いを浮かべた。
「じゃあ、もしかして…」
ドレストは、小屋の中に視線を送った。それに対してマルスは、真顔で頷いた。
「どうりで魔法を…あぁ…」
ドレストつまり、ラッドレイスの第四王子のドミークは、頭を抱えて項垂れた。
しばらくぶつぶつと何かを言った後、ドレストは顔を少し上げて湖の方を眺めた。
「聞かなかった事にします」
「俺もそうします」
その後、二人とも言葉無く何となく、湖の静かな波を眺めていた。
漁師から手漕ぎ船を二隻借りられる事になり、一行は船に乗り込んで湖岸を離れた。
ササナの言う小島は、シーマロドロの南側に有り、そこからだと、ぐるりと岬を回り込んで行かなければならない。あまり岸沿いに進むと、人目につき易いと言う事も有り、少し大回りで進む事にした。
「わたしの父が病で倒れたんです」
ササナは、湖を進む船の中で話し始めた。
ササナの父親が一月前に畑で仕事中に突然倒れたそうだ。それで、何人かの医者にもかかったが、原因も分からないまま容態は良くもならなかった。ササナの父親は、先代から村長を引き継いだばかりの若い村長だった。村の人々も若い村長の病気を心配した。もし、何かあれば、村全体が不安に陥る事になる。何としてでも、病気を治さなければ村の存続にも繋がりかねない。ササナは、幼い頃に母親が蛇に噛まれ命を落としている事も有り、家族を失うかも知れない事態に大きく動揺した。
畑仕事は、村の人たちが手伝ってくれたが、父親の看病は、ササナが毎晩寝ずにつきっきりでしていた。日中は、村の女性が看病してくれたが、ササナは畑に出て、夜は父親の看病を続けた。ササナの心も身体も疲れ果てていたが、一向に父親の病気は良くならなかった。
そんな中、昔聞いた伝説的な話を思い出したのだ。
兄弟の月が仲良く空に現れる時、女神の島に花が咲く。その花の蜜は、どんな傷も病も癒やしてくれる。
ササナは、その兄弟の月が一緒に登るのが今夜で、その島がシーマロドロの南のグリーシェ島だと知って、村を飛び出して来たのだ。
「その花を摘んで帰れば、お父様の病気が治るのね」
メルリの質問に、ササナは不安げながらも頷いた。
「でも、最近は。その花が咲くのを見た人はいないの」
「どうして?そんな凄い花なら誰もが欲しいはずよ」
「島は千年前から国の管理下で、聖地として祀られているの。それに庶民の立ち入りは認められていないの。それに、島を守る亡霊が居るって噂があって、誰も近寄らないわ」
国が独占しようとしたのかしらとメルリは思った。帰ったら、祖父の研究書や資料を調べてみようとメルリは考えた。
「でも、どうして?どうして、わたしたちが魔法が使える事に反応したの?」
「魔法だったら、亡霊も倒せるかなって…」
ササナは、少し後ろめたそうに俯いた。
「魔法は万能では無いわ。でも、対処法はあるかも知れない。面白いわ」
船が洞窟の奥には、しっかりとした桟橋があった。
採光の穴があるらしく、薄らと明かりが差していた。その明かりも暮れゆく中で僅かの時間だった。一行が船を降り切る頃には真っ暗になっていた。
「漂え小さき光」
メルリの頭の少し上に光の球が浮かび上がり、周囲を柔らかく照らした。
足下は、思いのほか手が入っていて、薄暗くてもつまづく事は無かった。更に奥には、石段が有り上に向かっていた。その石段を一人ずつ慎重に上がって行った。




