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「そのドレス、とても似合っているよ」


 その女、ヘレスは、シーマロドロの町に到着すると、その町に充満する魚の臭いに眉を寄せた。

 ヘレスは、背が高く細っそりとした女性だった。落ち着いたカットの深いグリーンのドレスに所々黒いレースの装飾が施されている。普段は結いまとめている赤みがかった黒髪は今はドレスの上に自然と流れ背中の辺りまである。色白な頬は痩せ細り、そのグリーンがかった瞳の目元は不健康な影を落としていた。故郷を思い出させるその匂いは、彼女の表情の影をより濃くした。

 彼女の生まれた町は、海に面した港町でこの町の様に魚の臭いが染み付いた町だった。その上、浜風がその臭いに潮の臭いを加えて掻き回して、海辺の港町独特の風が吹いていた。


 風が穏やかな分、停滞するのね。


 故郷の記憶との違いはあれど、彼女が嫌い捨てた臭いに違いは無かった。


「彼女は、ここにいるようね」


 彼女の乗って来た馬車の中から、いやに装飾的な仮面を付けた人物が少し顔を出した。その声は男性だが女性的な言い回しだ。

 ハンカチを口にあてがいながら言うその仕草が、妙に芝居がかっているのにヘレスは目を細めたが、何も言わなかった。

 彼女、ナッサヘルクの第四王女メルリルークがこの町の何処かに居る。


「探しなさい」


 仮面の男が言うと、馬車の周りで何かが動く気配がした。

 馬車の影が動いたかの様だった。

 ヘレスもその姿を目で捉えてはいなかったが、それが仮面の男たちが指先と呼んでいる者たちだった。その姿を一度見た事があるが、灰色のローブを纏った姿でその表情も影に隠れて見えなかった。

 

「君は、ここに居るのかな」


 仮面の奥の目は、ヘレスに行動を求めている様にも感じた。

 この男に取って、自分も指先と何ら変わらないのだと理解してヘレスは、馬車を離れて町の中に入って行った。


「私のあげたそのドレス、とても似合っているよ」


 ヘレスは、男の声を背中で聞き流し、並ぶ建物を見た。

 街道側のこの辺りは、この町で唯一商店や食事処が並んでいる。観光やこの町で手に入る魚の加工品の買い付けに来る商人が主な客で地元の人は一部の裕福な人以外は、ほとんど利用しない。

 ナッサヘルクの王女が居るとすれば、この辺りだろうとヘレスは考えた。


 商売をしている建物は、それ程数もないし大きくも無いわ。あの男の言う通りこの町に居るのならば、探すのはそれ程大変では無いわね。

 でも、どうしてナッサヘルクの王女が、こんな町に来ているのだろう。


 ヘレスは、ナッサヘルクの王女の不可解な行動にいら立ちを感じた。しかし、だからこそ嫌な方に回されずに済んだのかも知れないとも考えていた。

 数年一緒に働いていた同僚が主人とともに殺されるであろう事を考えると、気持ちが重くなるのを感じた。直接手を下すことも無く現場を目撃する事も無いのは、彼女の心を少しだけ軽くしてくれた。だが、もしもそちら側に回されていたとしても、刃を向ける事は躊躇わなかっただろう。


 全ては、御心のままに。


 ヘレスは、首から下げているペンダントのトップを布越しに触れて祈った。

 




「ドミーク様、船の準備ができております」


 ラッドレイスの第三王子のドミークの失踪の手引きをしたのは、ヘレスだった。

 ラッドレイスを船が出港する前には、この旅の目的がナッサヘルクのメルリルーク王女とドミーク王子との顔合わせと婚約の成立である事を彼女はあるつてから情報を得ていた。

 その事を聞いていなくても、同行する事になった大臣の強張った面持ちや船に積み込まれた贈り物の品々を見て、何らかの交渉が行われるのは明らかだった。気が付いていないのは、当の本人のドミーク王子とその側仕えのミーニア位なものだろう。

 その能天気な二人にヘレスは、いら立ちも感じていた。

 そのヘレスは、ミーニアと同様にドミーク王子の身の回りを世話する侍従として三年近く働いている。二人の隠しているお互いに対する気持ちも察していた。しかし、身分違いの相手に気持ちを寄せる歪んだ感性に不快感を持っていた。そんなものは、世間知らずの娘が物語の中で思い描く空想上の戯言でしかなかった。王族の侍従は貴族出身の者も居るが、権力も無い名ばかりの貴族出身者だ。でなければ、身内を小間使いに出させる事など無い。事実、ヘレスも過去に王家に貢献した功績により、貴族として受け入れられた祖先を持つが、今では地方の港町の警備長を任される程度の家である。

 ヘレスは、学び努力してラッドレイスの首都リーディアの貴族学校に入学し、そこでできた人脈を通じてようやく王城の侍従の仕事を得た。血を吐く様な努力をして侍従なのだ。ヘレスは、貴族であってもこれ程の身分の差を現実として突きつけられた。

 ミーニアも同じ様な出自ではあるが、父親が軍で教育係をする程武芸に秀でていた為、そこで王族と接点ができ娘の仕事を世話して貰って、ミーニアが王城で仕事をする様になった。

 ヘレスには、何の努力もせず同僚になったミーニアは目障りでしか無かった。

 だが、周りの同僚たちは、代々支えている者がほとんどで貴族は少なくヘレスは絶望した。

 貴族の誇りのない家族が嫌で出てきた結果、王族に近づく事はできたが、近付いた事で明らかな大きな溝を目の当たりにしたのだ。

 自身に失望しながらも、故郷と家族の臭いのしない場所に来られた事には満足していた。だから、自分の限界を感じながらも、仕事はそつなくこなして、ミーニアの一年後にドミークの側に仕える様になった。侍従でも、特定の人物の側に仕えるのは花形とも言え、ヘレスは達成感を感じていた。

 ドミークとミーニアがお互いに惹かれながらも、口に出せずにいる事に気付いたのは、側仕えになってすぐだった。ドミークは、生来の口下手と自己評価の低さからではあったが、ミーニアの方は身分差を考えての事だと知ると、ヘレスは、多少なり同情をした。そこに共感や身分差の悲恋に対する哀感は無かったが、ミーニアと言う純粋で穏やかな人柄には好感を持ち始めていた。

 だからだろう。二人を逃がそうと考えたのは。


 旅立ちの数日前に彼女が数年前から繋がっているある組織から、今回の旅の目的を阻止する計画が伝えられた。その計画の中に、ナッサヘルクの第四王女メルリルークの暗殺及びラッドレイス第四王子ドミークの暗殺が含まれていたのだ。ヘレスの役目は、ナッサヘルク王城に入り込み、内側からの手引きと両名の足止めだった。


 ヘレスは、悩んだ。

 悩んだ末に、両国の目的である王女と王子の婚約による関係強化、ラッドレイス側のナッサヘルクに対する交易の発言権の強化、戦時における共闘条件の提示などを伝えた。

 そして、ドミークに身分を捨てて逃げる覚悟があるか問うた。

 ドミークも悩んだ。政治に利用される婚姻に巻き込まれる相手国の王女に対しても不憫だと考えていた。珍しい事では無いが、愛する相手がいるドミークには、王女を愛する自信も愛される自信も無かった。だから、ミーニアに尋ねた。


「私と逃げてくれますか?」

 

 ミーニアは、泣いていたがドミークの言葉に頷いた。

 深夜、ヘレスは組織の者にも気がつかれない様細心の注意を払い、手漕ぎ船を湖面に下ろし縄梯子を準備して二人を手漕ぎ船に乗せると、縄梯子を湖に投げ落とした。

 月明かりに照らされた湖面の明かりの中、じっと見つめるミーニアの視線に彼女が何を思っているのか察する事はできなかったが、ヘレスは組織に対する背徳感と自己満足な達成感に震えた。

 


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