「ここは私が」
ナッサヘルク第三王子のイーナスは、姿勢を低くして右手に持った剣の切先を対峙する灰色のローブに向けた。
その背後で、護衛のジードが同じく灰色のローブの剣を受ける金属同士のぶつかり合う音が聞こえた。
イーナスとジード、それに四人のラッドレイスの兵士たちは、ラッドレイスの第四王子のドミークの捜索の為、リゾン湖を横断しジックと言う港町に渡り、西側へとやって来ていた。大きな街道は無く、大した整備もされていない農道を進んでジックから南へ進んで居た。その途中、突然灰色のローブを纏う集団に襲われていた。
「ジード、大丈夫か!」
背後の様子が気になりイーナスが声を上げた。
「はい。ですが、ラッドレイスの兵士の一人が怪我を」
イーナスとジード、それに加え四人のラッドレイスの兵士を取り囲んでいるのは五人の灰色のローブだった。
数の多いイーナスたちの前に現れたと言う事は、数の劣勢を補う自信があるのだろうとイーナスは、理解した。
もしくは、近くに潜んでいるか、援軍の予定があるか…
どちらも分が悪い想像だった。
そして、一人が負傷した今、人数的優位も失ったに等しい。
ラッドレイスの第四王子のドミークの捜索隊としての行動中だった一行は、襲撃など予測していなかった。その為、対応が遅れた事で、灰色のローブたちの奇襲は見事に成功した形であった。
「何が目的だ!」
剣で受けた灰色のローブの剣戟を力任せに押し返しながら、イーナスは吠えた。
だが、ローブから僅かに覗くその口元が笑った様に歪むのが見えただけで答えはなかった。
「ぐぁ!」
イーナスの右手の後ろで声が聞こえた。
イーナスは、目の前の敵の動きを牽制しながら、そちらに目を向けると、ラッドレイスの兵士の一人が首に矢を受けて倒れるのが見えた。
イーナスは、すぐに周囲にも意識を広げた。
やはり、これだけではなかったか。
こちらの迂闊さが、灰色のローブの思った通りの展開になる手助けをした事実にイーナスは奥歯を噛んだ。
この状況、強引にでも退路を作って撤退するべきだが、負傷者を抱えた状況では難しいか。
焦りに嫌な汗を感じながらも、思考を落ち着かせながらイーナスは考を巡らせた。
「ここは私が」
灰色のローブの一人の足を切り裂き無力化したジードが、イーナスに背中を寄せながら、撤退の背後の護りを申し出た。
「だめだ」
イーナスは、即答でその提案を退けた。それと同時にイーナスに目掛けて飛んできた矢を剣で打ち落とした。
その隙を狙った灰色のローブがイーナスに飛びかかって来た。イーナスとジードは、体を入れ替える様にスイッチすると、ジードの突き上げた剣が振り上げた灰色のローブの剣よりも先にその胸を突いた。
襲い掛かって来た灰色のローブの手から剣がガラリと落ちて、その体も崩れ落ちた。
「そちらの二人は、怪我人を守れ!」
イーナスは、仲間をやられて浮き足立つラッドレイスの兵士に指示を飛ばした。
二人は、イーナスの指示に従い一方が援護しながら、怪我人を近くに寄せてその前に立った。二人の灰色のローブが間を詰めて来るが守る限りは、しばらく持ちそうに見えた。
イーナスたちは、もう一人を対応しながら射手を探した。矢の放たれた頻度や角度を見ると、一人だろうと予測した。その一人が、幾つかの周囲の木陰を移動して攻撃の機会を伺っている様だった。その纏うローブが視覚をぼやかし影に紛れさせている様だった。
ジードが目の前の灰色のローブの剣を打ち上げると、イーナスは、すかさずその懐に飛び込みローブごとその腹部を切り裂いた。ローブの下は大した装備も付けていなかった。イーナスの剣は、革鎧をその下の皮膚ごと切り裂いた。剣の走った後から真っ直ぐの傷が生まれ、大量の血と内臓が溢れた。
イーナスは、その手応えに眉を歪めた。命を奪う感触は、イーナスはこの時が初めてだった。その不快さに腹から込み上げ、喉を焼くのが分かった。覚悟を持って剣を振るって来たつもりだったが、優しき青年には刺激が強すぎた。
片膝を突いたそのイーナスの左肩に強烈な痛みが走った。
喉を焼いた酸っぱい胃液が痛みの衝撃とともに口から吹き、垂れた。不快感に流れた涙も宙に舞った。そのイーナスの目が自分の左肩に突き刺さる矢を捉えていた。
ジードは、走っていた。
ジードは戦士だった。瞬間に、負傷した王子よりも敵を打ち倒す事を体は選択していた。
イーナスを撃ち抜いた射手は、迫り来る戦士に動揺した。負傷者に気を向ける事なく、思考する間も無くその戦士はその見開かれた双眸で射手を捉えていた。
射手は、次の矢を番える手も震えて矢を落とした。
「おおぉ!」
ジードの剛の剣の横薙ぎに射手の首と弓は、真っ二つに切り裂かれた。
ジードは、木に食い込んだ剣を呼吸を強く吐きながら引き抜くと、イーナスの元へ駆け戻った。
「イーナス様!申し訳ありません」
ジードは、片膝を突き謝罪した。その謝罪は、敵を打ち倒す事を優先した事と守り切れずに負傷させてしまった二つの事に対しての言葉だった。
イーナスは、痛みと命を奪った感触の不快感に言葉は出てこなかった。それでも、大きく首を振り、兵士たちを襲い続けている灰色のローブの残りに視線を送った。
「お待ちを!」
ジードは、すぐに立ち上がり、灰色のローブたちに切り掛かった。
優位を確信していた灰色のローブたちは、ジードの加勢の勢いに体を崩した。倒れ込んだ一人の体を地面に縫い付ける様に剣を突き刺した。そしてもう一人も、兵士たちの守りから攻撃に転じた勢いに押されて腕と首元を切り裂かれて血を噴き上げて倒れた。
理由のはっきりしない戦いに勝利の声は上がらなかった。ただ激しい呼吸の乱れた音がしばらく響いた。
怪我人の手当てを行ったが、兵士の一人は生き絶えていた。イーナスの受けた矢は、肩の肉に食い込みはしたが、骨には影響は無く、ナイフで傷口を広げ食い込んだ矢尻を残さない様に引き抜くと、消毒作用のある葉をすり潰して傷口に当てて止血した。矢には毒や腐食は見られず、傷だけで済んだ様だった。
ローブたちの目的がはっきりしない上に、第二第三の襲撃も予測される為、一旦戻るべきだと全員が一致した。
近くの農家にお願いして荷車を借りると、灰色のローブたちの遺体を乗せて運んだ。そのローブに隠された顔や体は、まるで拷問かそれとも特徴を消す為か、傷や焼かれた皮膚で痛々しい状態だった。
傷を負った兵士は、イーナスが肩を貸し、亡くなった兵士は、ジードが背負いジックの町に引き返して行った。
誰もが無言だった。
起きた事が理解出来ず、ただの憶測がそれぞれの頭の中に渦巻いて居たが、それについて話し合う余裕はまだ持ち合わせてはいなかった。
イーナスは、肩を貸している兵士が生きている事を噛み締めて居た。奪った命の不快感は、守れた命の重みで補わなければその意味を違えてしまう。
イーナスは、婚約者のローナの温もりが恋しくてたまらなかった。




