「魚になりましょ」
早朝、目を覚ましたサナエは、湖の岸に一人歩き出た。
周りに人がいない場所を選ぶと、腰に差した剣を抜き、素振りを始めた。
かなり早朝ではあるが、岸辺には幾人かの人がいた。
サナエの居るそこは町から少し外れた漁師の住む区画の湖岸である。その近くの一軒家にサナエたちは泊まった。
昨日、街中の宿屋は軒並み埋まっており、ミーニアとマルスが宿屋を回り回って頼み込んだ結果、以前漁師の住んでいた家が空き家になっているから泊まっていいと言ってもらえたのだ。その家主は、漁師を引退して息子のいる町で暮らしているという。その家と土地を安く買い取ったのが、一帯の宿屋を束ねて居る男性でマルスたちが最後に訪ねた大きな宿屋のオーナーだった。
ボロく、いつ壊れるか分からないが、それでも良ければと言われたが、建物は想像以上に傷んでいた。それでも、野宿よりはマシだと、マルスは皆をそこに連れて行った。
メルリとエルシエッタは、楽しそうにしていたが、メルリをそこに寝かせるのかと思うと、サナエのメイドとしての心が痛んだ。それでも、メルリ本人が気にしていない事で納得して収めた。
ドレストとミーニアは、顔を引き攣らせていたが言葉では文句を言わなかったが、借りてきた薄い毛布で床に眠らなければならない状況になかなか寝付けない様子だった。
朝稽古に出たサナエもあまり眠れてはいなかった。
周りの目を少し気にしてしまい、早めに切り上げると、サナエは戻り、朝食の準備をしようと考えた。
家に戻ると、既にミーニアが朝食の支度を始めたいた。家主が残して行った調理器具が幾つかあり、煮炊きはできる様だった。
「手伝います」
サナエは、すぐに手を出して洗って、ミーニアの手伝いに入った。
「早いんですね」
「え?」
「私が起きた時には、サナエさんもう起きてましたでしょ。外を見たら剣を振って居る姿が見えました」
「師匠の言いつけで、習慣になる様にしているんです」
その師匠で戸籍上姉のシャルロが町にいる事など、サナエは知らなかった。
「貴方たちは、これからどうするの?」
朝食を済ませると、メルリがドレストたちに尋ねた。
「きっと私たちの乗ってきた手漕ぎ船は、見つかって居るでしょうから、この町には居られないでしょうね。馬車を手配して南に向かおうかと思います」
「そう。だったらここでお別れね。私たちは船に乗って南のライナロース川に出て、海を目指すわ」
「メル…メリッサ、私たちも探されて居るとしたら、主要な経路は手が回った居るかもしれないよ」
サナエは、その事を昨晩から気にしていた。既にメルリが城にいない事は伝わって居るだろう。となれば、捜索が始まっている。目的地が明確でないとなれば、距離を稼げる水上への手配はして居るだろう。いつもの気まぐれの外出と思って動いてない事も考えられるが、そのうちラッドレイスから王子が来るとなれば、メルリを城に縛り付けておきたい王妃たちはすぐに連れ戻そうと考えるだろうとサナエは思った。
「そうなると、水上も街道も見つかる可能性があるわね」
メルリは、腕を組んでふむっと口を尖らせて考えた。
「この町の港は、押さえられていると考えた方がいいわね。馬車も手配は難しい」
「帰る?」
八方塞がりに思えたサナエは、ボソリと帰宅を提案した。
「それはあり得ないわ!まだほんの少ししか進んでいないのに戻るなんて屈辱だわ」
メルリは、首をブンブンと振ってサナエの提案を否定した。
「でも、どおすんだよ」
できるなら帰りたいマルスは、他人事で尋ねた。
「サナエの言う通りに、道は塞がれている可能性はあるわ。でも、それは想像で生まれた壁でしかないわ。きっと道はある」
「湖を泳いで行こうか」
エルシエッタは、ニシシと笑いながら言った。
「それは無理だ」
「そうね、魚になりましょ」
メルリは、大きく頷いた。
同じ朝、ラッドレイスの第四王子ドミークの捜索隊に付き添っているナッサヘルク第一王子のカジェスは、ノレマト付近でラッドレイスの手漕ぎ船の発見の報告を聞いた。
その船は、湖に無人で浮いていた。オールも無く、ロープは繋がれる事なくプカプカと船の外に浮いていた。
心中か?
と、心の中で思ったが、口に出す事はなかった。
しかし、状況から何らかの事故があった事を推測してしまう。ラッドレイスの王子が側に置いているメイドを連れて逃げ出した事にも引っ掛かっていた。
逃げ出す程、うちの妹が嫌だったのか。
カジェスは、逃げ出した王子に腹も立てていた。姉はともかく、下三人のいもうとたちは、カジェスに取って可愛い自慢の妹たちだった。カジェス自身は、ラッドレイスの王子とメルリの婚約には、反対だった。だから、この捜索も乗り気では無く、寧ろメルリの捜索に向かいたかった。
捜索用の船に手漕ぎ船を引き揚げるのを見ながら、ノレマトの港を眺めていた。
そう言えば、イクノがシャルロと一緒にノレマトに向かったはずだ。
その姿が見えないものかと、カジェスは目を凝らした。
山から昇った太陽の光が波打つ湖面を輝かせて、カジェスの視界を輝かせた。その眩しさに目を細めながら、今まさに出港しようとする船の上に、小さく二人の女性の姿が見えた。どちらも見覚えの軽装の鎧を付けている。その一方の編まれた赤い髪がカジェスの目を止まらせた。遠目だが、その女性がイクノだと確信した。
カジェスは、乗っている船を手で漕いででも近くに寄せたい気持ちだったが、クールに腕を組んで眺めて耐えていた。
「お二人は見当たりませんでした。手がかりもない様です」
ラッドレイスの捜索隊の兵士が残念そうにカジェスに報告に来たが、カジェスは一瞬何の話をしているのか分からない顔をしてしまった。すぐに取り繕って神妙な顔をして「そうか」と返したが、内心焦っていた。
「二人が船を降りた後に流された可能性もある。ノレマトの町に居るかもしれない」
カジェスは、イクノたちの方に行く理由を見つけて、船をノレマトに向かわせた。
カジェスの乗った船が港に着くと、イクノたちが乗った船が今まさに動き出していた。
「イクノ!そちらはどうだ!」
カジェスは、甲板でカジェスの船に気付いたイクノたちに声をかけた。
「お疲れ様です!私たちは、これからリジルに向かいます!」
「私は、この辺りを見て回る!そちらで何か掴んだら教えて欲しい!」
段々と遠ざかるイクノたちにカジェスは、大きく手を振った。
「分かりました!カジェス様も頑張ってください!」
手を振り返すイクノが小さくなって行くのをカジェスは、見送りながら、最後の言葉を頭の中で反芻した。そして、うん。と頷いた。
「カジェス様。間も無く船を港に付けます」
「分かった。街中で手がかりがあるかも知れない。私は軍関係者に聞いて来よう」
カジェスは、少しやる気を取り戻してそう言った。
一方、出港したイクノたちの乗る船の上で、イクノとシャルロは、湖を眺めたいた。まだ時間が早く、漁師の船がちらほら見えるだけで、物や人を運ぶ船は見当たらなかった。
これなら、リジルに先回りできる。
イクノは、カジェスに負けないように頑張らなければと気持ちを入れていた。イクノは、王子と言う立場にありながら、気さくに話し掛けてくれるカジェスの心の広さにいつも感心していた。
「私たちも頑張って、必ずメルリルーク様を見つけましょう」
気合の入ったイクノの横で、シャルロは、先程のカジェスを思い出していた。
「私も居たんだがな…」
と、ボソリと呟いて、カジェスのイクノに対する気持ちに少し苦笑いした。




