博士と教授
フィエル大尉とカジナ・ザカリアが外出中のいっぽう、レスアム博士は一人、ホテルの部屋で書類を読み返していたが、どこか落ち着かないようすにも思われた。
すると部屋の電話の呼び鈴が、唐突に鳴った。
博士は、それを待っていたとでもいうように、すっと立ち上がって電話機に向かった。そして、ひと呼吸してから受話器をとった。
「はい、もしもし」
「レスアム・クラッツ様?」
「ええ、そうです」
「こちら、ホテルのフロントでございます」
「なんでしょうか?」
「クラッツ様のご友人とおっしゃる方が、ただいまお見えになっております」
「どちら様です?」
「少々お待ちください」
なにかのやり取りが、電話口にかすかに聞こえ、すぐに返事あった。
「オスカル・シンシアとおっしゃる方がお見えです」
「ええ、たしかに私の友人です。手間でなければ、直接部屋に来てもらうように伝えていただけますか?」
「かしこまりました」
しばらくすると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「どうも、オスカル教授。お久しぶりです」
「そっちこそ、ずいぶんとご無沙汰しているじゃないか?」
教授は、廊下に軽く目配せしてから、ゆっくりとした足取りで部屋に入った。教授はテーブルの上に広げられている書類に目を向けるとつぶやいた。
「君は相変わらず、念入りだね」
「いつものことですよ。でも午後は、ゆっくりするつもりです」
「それで、研究のことで込み入った話をするのに、ここで大丈夫なのか?」
「ええ、問題ないでしょう」
クラッツ博士は、旅行カバンの二重になっている底から、レポートの束を取り出した。
「ほんとうに実行するのか?」
「ええ、そのために教授にここへ来てもらいました」
「だが君は、パ連邦の大企業の研究部門に所属しているわけだ。そこには、莫大な額の利害が絡んでいることも承知してるはずだ。そうだよな?」
「分かっていますよ。ですが、この特許を一企業が独占するのは、いささか道義的責務に反するように思います」
「壮大な理想を抱くのは構わんが、気を付けるんだぞ」
「教授、なにをですか?」
「そりゃ、レスアム、これには特許と利害と、企業にとって莫大な利益が絡むんだ。下手をすれば命を狙われかねない事態を招くことになる」
「一応の、覚悟はしているつもりです」
「君も大胆なことをするようになったもんだ」
「まあ、世界協調機構の国際特許部門が、この書類を受付拒否する理由はないわけだが……」
「ちなみに、教授へお見せしている現物は、正確にはコピーです」
「コピーだと? では原文はどこにあるんだい?」
「ここにはありません」
「まあ、それはそれで、今回の学会発表で公表するつもりなのか?」
「それは違います」
「ふむ、いつ実行するつもりなのだ」
「そろそろ書類は、特許部門の受付に郵送されているころあいでしょう」
教授は疑問の面持ちになった。
「いつ出したんだ?」
「私が向こうを出発したあとに、専属助手に郵便局へ出すように頼んでおいたのですよ。プライベートの郵便物といっしょに」
「まさか、それで君の上司や、企業側を出し抜いた、と考えているのか?」
「ある程度は、と思っています。私の助手は、書類整理や雑務に関しては誰よりも得意なのですが、研究助手としては、お世辞にも研究所内での評判は今一つでして。まさか、私が重要書類を預けるとは誰も想像しないでしょう」
「なるほど……だが、本当に大丈夫なのかね?」
「彼の郵便物の取り扱いには、なんの疑念もありません」