トーワ帝国
飛行船はトーワ帝国の首都上空にさしかかると、遊覧飛行とでもいうかのように速度を落として飛行した。運航会社の定めた乗客に向けたサービスなの一環なのか、帝国側からの要請なのか、あるいは単に船長の粋なはからいとも思われた。
クラッツ博士たちはラウンジの展望スペースから都市の様子を眺めていた。遠方には山々や田園と思しき風景があったが、都市中心部分はラレイユ大陸にある先進都市と比較してもさほど見劣りするものではないようにも思われた。
「この国は、建物は全部紙と木でできると思っていたが、」大尉はやや感心している様子で言った。「ご立派な建築物を建てているな。それに大通りには路面電車も走ってるじゃないか」
「フィエル君、当然ですよ」博士は何を当たり前のことを、という様子で答えた。「私たちが生まれるよりも前、かつてラレイユ大陸の国々と国交を持つ前だったならば、フィエル君が言うようにこの国には木材建築の建物しか存在しませんでした。トーワの人々は、なかなか勤勉で仕事が早いそうです」
「なんだい? 詳しいじゃないか」
「いえ、いろんな雑誌に目を通しているだけですから。それに専門家に比べたら豆知識程度ですよ」
「まあ、俺だって知ってるさ。ちょっと言ってみただけだ。それに街だけじゃない。軍艦だって作るような国だからな」
「ですか」
そこにザカリアも会話に割って入った。
「いずれにしても、この街並みはほんの十数年でできたんですよね?」
「おや、ザカリア君はお詳しいですね」
「いえ、ちょっと絵画のこと調べてて知っただけですけど」
それから博士とザカリアは街並みと絵画の話で会話が弾みそうな感じだった。
大尉はその間にそれとなく目を凝らして都市の景観を観察した。街の大通りは路面もしっかりと整備されて、路面電車も走っていた。しかし、少し路地のほうを見ると、未舗装で区画の整ってない場所も多かった。
なるほどなと大尉は思った。目立つ場所だけはしっかり見繕っておこうというのがトーワ帝国の考えらしかった。それからラウンジの反対側に移動すると、海の方を眺めてみた。まさかとは思ったが、さすがに軍港を空から拝むことはできないようだった。
とはいえ、一応は街の景色を写真に収めることにした。
大尉の頭の中に、唐突にまったく別の考え事が浮かんできた。クラッツ博士の目をごまかしつつ、護衛の合間に潜入任務をこなす方法をひとつ閃いたのだった。
夜ならば、なんとか抜け出せるかもしれない。大使館に知り合いがいて、ちょうどプライベートの夕食会に招かれるというシナリオはどうだろう? なかば強引な感じもするが、少しの時間参加するという理由で無理なく離れられるかもしれなかった。
いずれにしても、アドリブで振舞うことが多いのはいつものことであった。
昼を少し過ぎるころには、飛行船はトーワ帝国首都の郊外へ設けられている係留場へと降り立った。
「いよいよ到着だな」大尉は景色を一瞥したが、退屈そうな様子だった。「だが、どうみてもここは郊外だ。街の方まで移動しなきゃいけないんじゃないのか?」
「ええ、そうです。鉄道を使ってすぐですよ。夕方までにはホテルの部屋に落ち着いているはずです」
大尉はもう一度周囲を見渡しただけで関心なさそうな様子だった。一方のザカリアは、物珍しそうな様子であたりに視線を泳がせていた。景色はいかにも郊外の田園地帯といった感じだったが、畑も家屋も、木々の様子もラレイユのそれらとはまったく異なる様子だった。
「ザカリアさん、風景が珍しく思いますか?」
博士は物珍しそうに景色見ている彼女の様子に気が付いたようすだった。
「ええ、まあ……やっぱりこうして、間近で目にするとなんだか独特な感じがすると思って」
「さて、とにかく移動しましょうか?」
「ああそうだな」
博士の案内で、大尉もザカリアも歩きはじめた。
「ザカリア、」大尉はこっそりと耳打ちした。「物珍しさに気を向けるのは結構だが、仕事のことは忘れるなよ」
「了解です。分かっていますよ」
彼女の小声の返事に、大尉は何も言わず小さくうなずいただけだった。