洋上飛行
海上の客船であったならば、映画や舞台のような娯楽の一つでもあっただろうが、飛行船となるとそういうわけにもいかなかった。乗客の大半はサロンで過ごしていた。もっとも新聞か本でも読むか、談笑やチェスでもさすくらいのことだった。それにそもそも、退屈でどうしようもなくなるほど時間がかかるわけでもなかった。
それで三人は、食事やお茶の時間以外はたいてい部屋にこもっていた。クラッツ博士は自身の持ってきた資料の束に目を通していた。
ウルバノ大尉はベッドの上段で横になり、持参した小説を読んでいたが、内容はほとんど入っていなかった。
彼は前回の任務で手にした資料のことを少し考えていた。サモ公国とエテク共和国、そしてトーワ帝国との間に領有権問題のことで、実際に紛争が始まれば、まあ連邦が直接介入しないとなってのことだが、誰に武器を売りつけるか? ってことにもなるわけだ。
別に武器だけに限らない、船舶、鉄鋼材料、食料でもいいし、それこそ医療品や薬の類だって。もしかすると、レスアムの研究もなにがしかの関りがあるんじゃないのだろうか。
ただし、サモ公国はまだしも、共和国とは何かと張り合うことが多い。一方でトーワ帝国とはどうだろうか? 彼らが欲する物を提供できるとしたら政府は動くかもしれないな。だとしても、危険を承知で彼らの海軍について、内情を探るのもどうしたものなのか? それとも、俺が手に入れた情報とは別に、なにかあるとでもいうのだろうか。
大尉はため息をつくと本を閉じた。
「それにしても、レスアムは何の研究をしてるんだ?」
大尉は向かいの下段にいるクラッツ博士に声をかけた。
「興味がおありですか?」
クラッツ博士は、見ていた資料の束から顔を上げた。
「ちょいと気になったもんでね」
「端的にはアルカロイド系の薬物です」
聞きなれない単語に大尉はぽかんとした表情になった。「アルカ何だって?」
「まあ薬といいますか、麻酔薬の類の原料となるものです」
「なるほど、そうものか」
「トーワ帝国では熱心な研究をしているそうで、意見交換も兼ねてですよ。今回は」
「ふむ」
「フィエル君の方はどうです? こうしてやってきたということは、国防軍では要人警護の部隊にでも所属しているのですか?」
ウルバノ大尉はその質問が来るであろうことは予想してた。だが、友人相手だからといって手の内を明かすという必要はなかった。
「まあ、そんなところだね。以前は狙撃兵を務めたもんだが」
「私なんかより、なかなかスリリングな経験をされていますね」
「なに、じっさいやってみればたいしたことはないさ」
「そちらの、ザカリアさんはどうです?」
博士はベッドの上段にいる彼女に声をかけた。
「私は、」
「フィエル君とはずっとこの仕事を?」
「いえ、私はまだ来たばかりで、」
「まあ、いうならば、彼女は新人といったところだな」大尉が補足を入れた。
「そうですか? 以前は何か違うお仕事を?」
「事務職をしてました」
「へえ、それはまた、職種を大きく変わられましたね」
「はい、まあ、いろいろとありまして」
「まあ、いいじゃないかレスアム。誰にだって初回の仕事というのがあるもんだぜ」
「その点は気にしませんよ。むしろ私みたいな人の護衛は、最初の任務にうってつけという感じではないでしょうか?」
「それはそうかもしれないが、あまり謙遜するなよ」
大尉は足を投げ出してベッドのふちに腰掛けた。「で、レスアムの方はどうなんだ?」
「私はずっと研究職ですよ。大学院を卒業してから」
「なんだ、院まで進んでいたのかい?」
「知らなかったですか?」
「そりゃ、俺は学校なんて早々辞めて軍にいたからな」
「学びも面白いですよ」
その言葉を聞いてフィエルは鼻で笑った。
「そもそも学びに終わりは無いもんだと思うがな。学校でなくても、学ぶべきことは多いようだ」