飛行船
三人はサモ公国国境に近い都市トソロコースへと到着した。
サモ公国へ向かう列車の発車時間まで少しの待ち時間があった。
「さて、」ウルバノ大尉は切り出した。「俺とザカリアの肩書はどうしたらいいんだ? おおっぴらに君の護衛だなんて言いふらす、というわけにもいかないだろう? 馬鹿正直に行くのもいいが、あるいは何か考えているのか?」
そう言いつつも、大尉の頭の中には、ある考えがまとまっていた。
「そこまでは、あまり考えてせんでした。まあ、助手ということで通してもいいのではないでしょうか?」
「銃を秘匿携帯した助手ね」大尉は苦笑した。「それじゃ、俺の考えている案を一つ、披露するとしようか」
それから大尉は続けた。「俺はしがないフリーの記者兼カメラマンで、友人でもあるレスアム博士の学会発表に独占密着取材ということで、ついていくわけだ。そしてザカリアは、俺たちの共通の知人で、駆け出しの女性画家。トーワに行くのに便乗して、異国の作品を幾つかコレクションするため買い付けに行こうとしている。まあ、こんなところだ。どうかな?」
「私は、なかなかいいと思いますけど」ザカリアは、まさかここで画家を名乗れるとは思ってもみなかった。
「じっさい、君は絵描きが趣味だろう?」
大尉はザカリアの方を向くと聞き返した。
「ええ」
クラッツ博士は、一度は肩をすくめてやれやれといった表情をみせたが、おおむね受け入れたようだった。
「まあ道理は通っている気はしますね。でしたら、その案で行くとしましょう」
「じゃあ決まりだな」
「それにしても、わざわざ研究所まで来なくても、途中で落ち合うという方がフィエル君たちの手間も少なくてよかったのではないですか?」
「どうかな? 遊びで行くならともかく、護衛という仕事だからな。手を抜いて後で痛い目に合うのはごめんだ」
「それもそうですね」
夕刻になって、一行はいよいよサモ公国へと入ることへなった。現地の駅を出てからは、まっすぐと飛行船の発着場へと向かった。サモ公国はトーワ帝国と経済協定を結んでおり、パ連邦とは違って飛行船の定期航路が組まれていた。係留塔に留まっている巨大飛行船は、全長が二百メートル近くはあるのではないかというものであった。夕日に照らされて輝くそれを、三人は立ち止まって思わず見上げた。
「いやはや、デカい代物だ。なんでこんなものが優雅に浮かんでいるんだ?」
それを聞いたクラッツ博士は淡々とした様子で答えた。「理屈は簡単です。浮力の原理なわけで、要は船と一緒ですよ」
「まあ、鉄の塊が海に浮かぶのと比べれば、納得かもしれないが」
「大丈夫ですよ。船と比べたらこちらは容易に沈みませんから。フィエル君は乗るのは初めてですか?」
「いや、まあ、どうにも慣れそうにないなって話だよ」
新米部下がいる手前、大尉は強がって明言を避けた。一方でザカリアは初めて見る飛行船の姿に興奮気味だった。
「すごいですね。これで海の上を飛んでいくんですか?」
「そうです」
この世界この時代において、航空機は軍用におけるものについては、どの先進諸国でも普及が進んでいたが、民間ではさほど一般的ではなかった。そもそも大型機は開発途中、航続距離は短い上にガソリンエンジンを使って空を飛ぶものを民間が扱うのは危険だという偏見も強かった。陸路は鉄道、海路は大型客船かこのような大型の飛行船を使うのが主流だった。しかしながら、飛行船というのはその大きさに似合わず積載量は少ない。定員も百名にも満たない。ただ、船と比べるとその速さが売りだった。なにせ時速百キロ前後で進むことができ、航続距離も長かった。
飛行船内は一般的な客船を参考に作られているようで、比較的豪華な雰囲気を漂わせていた。客室も鉄道の寝台よりは広い感じだった。二段ベッドが二つある四人部屋で、部屋の乗客はウルバノ大尉たち三人だけだった。
サロンでの食事を済ませて部屋に戻ると「船内はどこも禁煙なのか?」と大尉はぼやくようにつぶやいた。
「フィエル君、飛行船に使う水素は可燃性の機体です。万が一に備えて火気厳禁ではありませんか?」
「ああ、だがタバコの匂いをさせてる人がいたぞ。喫煙室くらいはあるだろうさ。レスアムは吸わないのか?」
「前には何度かありましたが、」彼は首を振った。「今はまったくです」