その8
桜子の講義が終わる頃になると、先ほどの若い男性は奥に消え、紅茶と菓子が乗ったワゴンを少々ぎこちない様子で押してきた。
桜子は彼に構わず、講義の補足を続けた。
「弔事の作法は案外難しいのよ。最近では、よくテレビとかインターネットで紹介されているマナーを鵜呑みにしてる人が多いみたいだけど、そういったマナーが全部正しいかというと、そうでもないの。その家、その地方、菩提寺や宗教によってずいぶん違うから。私も一般的なことはお教えできるけれど、それが全部に通用するわけではないの。一番いいのは親戚に率直に訊くこと。親戚が近くになければ、地元の葬儀会社やお寺に質問しても失礼にならないわ」
桜子が話している間、彼は、進藤のように流麗ではないけれど、丁寧な仕草で皿を配った。私の側に来た時、彼から若者らしい爽やかな香りがした。
そして彼が役目を終えようとしているその時、桜子は初めて彼に話しかけた。
「朱鷺男さん、何か面白いお話をしてちょうだい」
桜子はそう言うと、次に私たちに向かって言った。
「朱鷺男さんは画家でいらっしゃるの。おじいさまが明治天皇の肖像画を描かれたのよね」
私たちは感嘆の声を漏らした。
「曾祖父です。僕は菊池さんみたいにご婦人方を楽しませるような話はできませんよ」
彼は自分の紅茶の皿を持って、壁際のソファに座った。
「朱鷺男さんはどんな絵を描いていらっしゃるのかしら」
美江が椅子をずらし朱鷺男を斜めに見るよう座り直しながら、上品に作った声色で言った。
「主に抽象画なんですが、曾祖父や祖父の関係で肖像画の依頼を受けることもあって、正直なところ、肖像画は、モデルが美しい女性ならともかく、大抵がじいさんですからね、楽しくはない」
ホホホ、と私たちは笑った。皆、明らかに朱鷺男を意識している笑い方だった。
「肖像画を依頼するくらいだから、相応の家柄の方が多いんでしょうね。今までどんな方を」
美江は積極的に訊いた。
「ふふふ、秘密です。固い言葉で言うと業務上守秘義務って言うんですけど。肖像画を描くにはその家に長いこと出入りすることになるので、自然と内状も知ってしまうことが少なくないんです。だから昔から画家は上手下手よりまず口が堅いことが重要視されてきたんですよ。僕も、曾祖父や祖父が築いた信用がなかったら、玄関にさえ入れてもらえなかったでしょうねえ」
「まあ、そんなこと、全然知らなかったわ」
桜子が驚いた顔をする。
「肖像画を描くくらいだから、名家の方、もしかしたら皇族だったりするんでしょうね。なるほど、わかりますわ」
「ゴシップ誌にお金で売るなんてことをされたら困りますものねえ」
私たちも口々に頷いた。
「そんなわけですから、僕が関わったお家のことはお話できませんが、以前、祖父に聞いたヨーロッパでの話をしましょう」
私たちは彼に注目した。