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その16

 その日の教室を終え外に出ると、美江が話しかけてきた。

「この後、少しお時間あるかしら。相談したいことがあるんだけど、そんなに時間は取らせないから」

 私は留美と顔を見合わせた。

 留美は携帯電話の時間を確認して

「三十分くらいなら平気だけど」

 と私を見た。

「私は五時前に帰れれば」

 と私も答えた。

 彼女らは大通りに出ると、JR駅方面に向かった。

「駅前のカフェでいいかしら」

 私たちの返答を聞くまでもなく、二人は先に歩いていた。

 歩きながら美江が振り向いて言った。

「そういえば朱鷺男さんって、ちょっと調べたんだけど、朱鷺男なんて名前の画家、みつからなかったわ」

「え、わざわざ調べたんですか」

 と、私はつい口に出してしまった。

 私も朱鷺男のことは気になるが、調べるほど酔狂ではない。

「いえね、若くてハンサムで画家でしょ、胡散臭いじゃない。よく自称芸術家の結婚詐欺とか聞くから」

 美江は言い訳のように言った。

 でも私は知っている。美江が、朱鷺男がいる時といない時とでは声のトーンが違うことを。

「朱鷺男って本名なのかしら、ペンネームなのかしら」

 留美の言葉に美江は答えなかった。


 美江は、駅前ロータリーに面したカフェの前で「ちょっと会っていただきたい人がいるの」と言って、店の中へ入った。

 店内の入口からよく見える奥の席で、スーツ姿女性が一人手を挙げて合図していた。美江はその席へ私たちを導いた。

 美江たちがその女性と並んだ席に座ったので、必然的に私と留美は女性と向き合って座る形となった。

「コーヒーでいいかしら。それともお紅茶」

 美江が仕切って手早く注文を済ませると、初対面の女性を紹介した。

「こちらは私たちの知り合いで青柳さん。弁護士のお仕事をなさってるの」

 紹介された女性は、私たち二人に名刺を差し出した。三十歳前後だろうか、聡明そうな額ときりりと描いた眉で、全く隙がない。

「マナー教室に通われている方ですね。突然すみません」

「はあ」

「教室について少しお話し聞かせてもらえませんか。お時間そんなに取らせませんので」

「お話って」

「講師の女性について、どう思われました」

 一体この人は何を言いたいのだろうと思った。

 青柳は飲み物が運ばれてくるのを待ち、コーヒーが運ばれてくるとようやく口を開いた。

「実はね」

 もったいぶるように言った。

「桜子と名乗っている彼女、実は詐欺師なんです」

「ええっ」

 私は思わず声をあげ、慌てて口を両手で塞いだ。

「信じられないかもしれないけど、そうなんです」

 青柳は子供に言い聞かすようにゆっくりと言った。

 私が驚いたのは、彼女らがそれを知っていたことに対してなのだが、幸いなことに勘違いされた。

「私の事務所にある方からご依頼があって、詳しいことは話せないんですけど、とにかく桜子さんが経歴詐称を行い、それによって不当な利益を得ているということを証明したいんです」

 私はまた失態を演じるかもしれないと思って、口を押さえたまま聞いていた。

 留美は何も言わなかった。

「それで、あなた方に彼女に関しての証言をしていただきたいんです」

「証言って何のですか」

 初めて留美が口を開いた。

「彼女の経歴にだまされ、不当に高い受講料を支払っていたということです。それから彼女の教室の講義内容がデタラメであったことなども」

「別に、彼女の講義内容はデタラメなんかじゃありませんでしたよ」

 留美がしらっとした顔で言った。

「そちらの方たちに確認していただければわかりますけど、教わった礼儀作法は間違っていないと思いますけど」

 ここは口が達者な留美に任せるに限る。

「受講料だって不当に高くはないと思いますよ。お茶菓子付きで月八千円なんて、むしろ良心的なほうじゃないかしら。確かに私は、彼女が元華族という言葉に引かれましたけれど、それが決め手だったからではありません。他のお教室なんかと比べてみて全般的によさそうだったから申し込んだんです。もしたとえ彼女が元華族と言う肩書きでなくても申し込んだと思います」

「でもあなた方は結果として彼女にだまされたわけだから」

「確かに経歴詐称はよくないと思います。でも、だからといって彼女を訴えるつもりはありません。私はあのお教室で学ばさせていただいて為になったし、楽しませていただいた。そちらの方たちもずいぶん楽しんでらしたように見えましたけど」

 留美は言葉に軽く嫌みを込めた。

 その弁護士は少し間を空けた。留美からそのような反論が来るとは想定していなかったのだろうか。

「でもね、実際、被害にあって、訴えたいと言う方もおられるの。あなたはいいかもしれないけど、今後、彼女の経歴に釣られてお金を支払う人が出ないようにするためにも、協力して下さらないかしら」

「だったら他の方に頼んで下さい。少なくとも今シーズン、他のクラスもあるようですし」

「……」

 弁護士は口をつぐんだ。

「それに、おとり捜査みたいなことなさって、そちらは問題ないのかしら。経歴詐称はいけなくて、そっちはいいっておかしな話じゃない」

 何かを言おうとしている弁護士をよそに、留美はさらに続けた。

「とにかく、彼女の経歴詐称によって、私は特に被害を受けてはいませんから。そういうことですので、私たちはご協力できませんので、失礼させていただきます」

 留美はそう言いながらカバンから財布を出し、素早く千円札を出すと机に置き、私を促した。

「あの、ちょっと」

 背後でまだ声がしたが、私は足早に店を出る留美の後を小走りに追いかけた。


 留美はずんずん駅へ向かった。私がついてきているのを確認すると、改札を入った。

 改札内で私が追いつくと留美は再び歩き出した。

 私は彼女に並んで歩きながら、財布から五百円玉を出して渡した。

「ね、なんで。なんで桜子様を弁護したの。最初、あんなにおかしなところがあったら追及するって息巻いてたじゃない」

「うん……」

 そう言ったきり、彼女は黙ってホームへ向かうエスカレーターに乗った。私も無言で彼女の後についた。

 外はいつの間にか日が落ちていた。

 ホームに到着した留美は、私を待ってホームの端に向かってゆっくり歩き出した。

「なんて言うのかしらねえ、何か、ムカついたのよね」

 彼女は言った。

「うん」

「私たち、というか私は桜子様の経歴詐称を承知していたし、それでもお教室で教えてることはちゃんとしてたから、そういうの承知した上で楽しんでたから、それを、まるで私たちが詐欺に引っかかったって決めつけて上から目線で言うのが、何だかムカついて」

「うん、美江さんたちだって楽しそうにしてたよね」

「そうなのよ。逆に彼女らにだまされてたみたいな気分よ。話にのって楽しんでたじゃん、それなのに何って」

 美江と真奈美が先程まで朱鷺男に媚びた声で話していたことを思い出し、急に嫌な気分になった。

「あの二人、スパイだったのね」

 思わずそんな言葉が漏れた。

 留美も顔をしかめてみせた。

「そう言われれば、美江さん、やたら私生活を詮索するようなこと言ってたわね」

 それを感じていたのは私だけでなかったようだ。

 留美はだんだん怒りが増してきたようだ。

「だいたい、私たちだって華族でも何でもないのに、お教室の中では華族っぽくなりきって、お芝居して遊んでたみたいなものじゃない。みんな承知してるんだから、それはそれでいいと私は思うけど」

「思うに、たぶん、他の人たちに断られたんだと思うわ。裁判とか厄介事に首突っ込みたくないってのもあるし、私たちみたいに感じてた人もいるんじゃないかな」

「ま、初めて会った弁護士より、何回も会ってる桜子様と、どっちが信じられるかってことよね」

 ちょうど電車が来て、私たちは口をつぐんだ。


 あの二人は次回の教室には来ないだろうと留美は言った。私もそう思う。

 私たちは構わず教室に行こうということになった。

 私には、留美が思ったより桜子に肩入れしていることが意外に思えた。

 私の場合は、教室に何度か通ううち、桜子も菊池も悪い人ではない、と好感を持ち、親しみを感じていった。自分だけかと思っていたが、どうやら留美も同じような気持ちだったようだ。

 今までの生徒や他の曜日の人たちも、私たちのようにあの弁護士に協力しなかったとしても、何の不思議も感じない。

 私は今日のことは気にしないことにした。桜子や菊池たちに対する気持ちが変わったわけでもないし、せっかく楽しんでいるこの教室の時間を乱されたくなかったのだ。

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