その11
次のマナー教室までの間、私は、夫の急な出張やPTA役員の仕事などでせわしなかった。
そんな中で三回目の教室の日はあっという間に訪れた気がした。
その日もドアを開ける時に期待したが、進藤の顔が見えた時、少しだけガッカリした。前回の朱鷺男の存在は、生徒を繋ぎ止めるための桜子の作戦かもしれない。
その日の講義は、服装についてだった。
私には正式なパーティーに出る機会はないかもしれないが、午前中と午後、また夜や、ガーデンパーティーと室内のパーティーは服装が違うなどの話は参考になった。
「皆さん、わりと勘違いなさるのが、天皇陛下の御前に出る時には必ず一番格式が高い服装でなければならないと思ってらっしゃる方が多いのね」
桜子は、服装には格式があると説明した。
「もちろん叙勲の式や正式な場ではそうなんだけれど、ニュースでも話題になる園遊会は、昼間のガーデンパーティーなので、それよりも少しカジュアルな服装が正しいの。例えば和服だったら、黒留袖ではなく色留袖になります。陛下はホストというお立場なのだから、招かれた客より一段格上の服装であられるの。それを勘違いして陛下と同等の服を、と考える方がいらっしゃるのね」
私は、園遊会に招かれるなど生涯ないと思いつつ聞いていた。
「私も、皆さんが思っているほど、数多くのドレスやバッグを持っているわけじゃありませんわ。新しい服や宝石を次々と買ったりしていません。もちろん気に入った良品があれば手に入れますけれど。数を多く持っていればいいと言うものではないと思うの。私の家では全てにおいて歴史を重んじるところがあったので、私も自然と良い品物を長く大切に使うという気持ちになったわ。母や祖母から引き継いだものも多く持っておりますし、新しいものはお金を出せば買えるけど、歴史は買えませんでしょ。時代が変わっても価値が変わらないような、自分が気に入った質のいいものをいくつか、用途に合わせて持つことをお勧めします。そうねえ……」
「例えばバッグだったら、社交界のパーティーや正式なパーティーならドレスに合わせてバッグも靴も揃えるけれど、ここに来る皆さんは、そうそう必要ないでしょう。あら、嫌みじゃなくてよ」
桜子の口調があっけらかんとしていたので、私には嫌みに聞こえなかった。
「結婚式などのお席の服ね。皆さん経験ないかしら、喪服を買う時、コサージュやアクセサリーをつければ結婚式に着て行けます、って言われたこと」
「あ、あります」
「あれはね、嘘、いえ、嘘じゃないけれど、あまり感心できないわね。喪服って他の服に比べて高級でしょ。それを納得させるトーク。成人式の振り袖を買う時に、結婚したら袖を切って留袖にできます、って言われなかったかしら」
一同、顔を見合わせ頷いた。
「それで、振り袖を留袖にしてきた方、どれだけいられるかしら」
「私のは派手すぎて、結局切るのをやめてそのままにしてしまってあります」
私が答えると、桜子は満足そうに頷いた。
「喪服もそうですけれど、それ専用の服を他に流用するのは現実にはちょっと難しい話。冠婚葬祭はそれぞれに適した服があるの。冠は成人式、婚は結婚式、葬は弔事、最近は七五三なども冠ね。祭は、本来は先祖の祭祀なのだけれども、法事というよりは日本古来の神様をお祭りする意味合いが強いかしら。お正月や節句などの歳時的な年中行事がそうね。それらを全て一着で済まそうなんて考えてはだめ。冠には冠の服、婚には婚の服、という作法があるのだから」
「冠婚葬はわかりますけれど、祭の服装って何ですか」
三回目となると、ただ講義を聴いていただけの初回と違って、質問も気軽にできる。
「祭と言っても色々あるけれど、例えばお年始に伺う時の服装を思い浮かべてみて下さい。和服で考えるとわかりやすいわね。冠が振り袖や黒留袖なら、祭は色留袖、または訪問着ね。結婚式に招かれた時も、近い親者でなければこの類いで大丈夫ね。洋装なら、無理に特別な服を用意しなくても、生地の良いシンプルなワンピースやアンサンブルを持っていれば充分。その都度ジャケットや羽織物で変化をつけられますでしょ」
「私なんかもドレスの雰囲気を変えたいと思ったら、ボレロやショール、アクセサリーで変化をつけることもありましてよ。アクセサリーも、社交界ではおばあ様やひいおばあ様からいただいた宝石をつけている方が多勢いて、それはとても素敵なことだと思われているわ。和服だったら仕立て直して大切にしていらっしゃる。歴史や物を大切にするというのが、品のある生き方ですわ」
桜子はアクセサリーを殆どつけていなかった。唯一左手の中指に大きな薔薇石の指輪をしているだけだ。
薬指に指輪はなかったが、それが独り身である証にはならない。結婚時より太ってサイズが合わなくなった知人もいるし、仕事や家事の時間ははずしている人もいるからだ。
服装も毎回いたってシンプルである。この日もクリーム色のタートルネックのセーターだった。
その日、私は、思い切って質問してみた。
「先程、シンプルなワンピースにボレロやアクセサリーで変化を付けるっておっしゃいましたけれど、例えば、同じ顔ぶれの人が出席するような結婚式がいくつかあったとしたらどうしたらいいんでしょう。以前、学生時代の仲良しグループが続けざまに結婚した時期があって、同じワンピースを着ていくわけにもいかないし、結局買ったんですけど」
庶民丸出しの質問である。
しかし、思いの外、桜子は真剣に答えてくれた。
「そうね。悩ましいところね。結婚式は写真に残りますものね。だからといってその度に新しいドレスを新調していても、年に何度も出席するなら別だけど、数年に一度のために新調して、次の機会には流行遅れで着られなくなるのもばかばかしいわ」
その通りだと頷いた。
「皆さん、お姉さんか妹さんはお持ちかしら」
「私、妹がいます」
真奈美が言った。
「それならご姉妹同士で貸し借りするといいわね」
「いない場合は。私、弟しかいないんですけど、そしたら友だちとか」
と美江。
「お友だちはお勧めできないわね。お返しするときにクリーニングに出したりお礼とかも気を使いますでしょ。返すのが遅くなったり、万が一、落ちないようなシミでもつけてしまったら、友情にヒビが入ることもありますもの。そんなくらいだったらレンタルのお店を利用したほうがビジネスライクでいいと思いますわ」
なるほど、と私は頷いた。
「それから、よく訊かれるのが、お子さんの入学式、卒業式の服装ね。お子さんの年齢が近いと全部同じ服を着て行くのは嫌だという方もいらっしゃるわね」
「そうなんですよ。しかも上の子と下の子、親同士も同じメンバーだったりして」
と留美も言った。
桜子は、ホホホ、と上品に笑った。その笑いは馬鹿にしたものではなかった。
「でもね、学校の行事は子供が主役なので、親の服装は凝らないほうがいいの。子供より目立つような派手な服装は以ての外ね。学校によっては、父兄の服装も指定してくるところがあるくらいですもの。子供の制服が紺色なら父兄も紺のスーツ着用、というふうにね。あくまでも親は子供の付き添い、押さえた色合いのスーツを着回すくらいでいいと思うの」
桜子が市井の様子を知っていることが意外だった。そういえば桜子には子供がいるのだろうか。
その日も講義が終わる時間を見計らって、菊池が入ってきた。
「桜子さんの講義を聴いていると、ファッションと言うものは昔も今も変わらず女性にとって大きな関心事なのですな」
「あら、女性だけじゃなくてよ。男性だっておしゃれは相当気に掛けていてよ。もしかしたら男性のほうがこだわりが強いんじゃないかしら。腕時計やスーツの裏地に凝る男性、よくお見かけするわ」
菊池は、額に手をやって、これはしまった、といった顔をした。
その後、二人の話は制服から高級ブランドの歴史へと流れていった。
私たち生徒は、菊池と桜子のファッション談義に耳を傾け、時折参加した。




