闇夜のお化け退治
裾に黒い猫のような軟らかな毛のファー付きの黒のショートパンツと、黒のクルーネックのセーターを身に着けたユキが、うつむき加減でむくれた顔をしている。小さな白い顔は、ふわっとしたショートボムの後頭部しか見えない。白く細い首筋とうなじ、耳にかかる軟らかな毛に触れたくなる。ふわっと後頭部辺りでまろやかに空気感を含んだユキの髪質は、本当に猫の毛のようだ。
むき出しの首筋が寒そうで、私は、チェック柄のショールをユキにそっとかけると、ユキが、ぴくっと左肩だけ反応した。右耳もぴくっと反応する。本当に猫のようだと、わたしは、笑いをかみ殺す。
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ユキが、何故、こんなにむくれているのかというと、それは昨夜に話がさかのぼるのだけれど。……わたしには、よくわからない理由でユキはずっとこんな調子でへそを曲げているのだ。木の椅子の背もたれを使わずに猫のように器用に横向きに小さな身体をおさめて、寒そうな白いはだしの足も膝小僧もむき出しのまま、ずっと丸まって下を向きながらむくれている。
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昨夜、どうやら、ユキは、怖い夢を見たようなのだが、……そのことについて、どうも……わたしが、きちんと真面目に取り合おうとしなかった点で、ユキは非常にご立腹らしい。いつもなら、まるで喉を撫でられるのを待ち続ける機嫌のよい猫のように、気まぐれにわたしの様子を窺ったり、通常よりもかなり苦いコーヒーを入れてくれたりは必ずしてくれるユキが、今日は、口さえきいてくれず、目も合わせてくれないのだ。
わたしは、さて、どうしたものかと、指先で、鼻の頭をかく。こうしたむくれたユキを眺めるのも、わたしは結構新鮮で好きなのだけれど、このまま放って置いて、ユキに本当に嫌われてしまったら、たまらない。
観念したわたしは、ユキの足元にそっと身体をうずくませると、そっとユキのやわらかな髪に触れるか触れないかの位置でぽんっと軽く手で一度触れると、ユキの顔を下からのぞき込むようにして、
「……ユキ、ごめん。ゆるして そういうユキもかわいいけど、そろそろかなしくなるよ」
……と、普段は使わない低い声色で話すと、ユキが、途端、動揺したように、黒目勝ちの目を揺らし、頬を赤らめると、ばっ、と顔を背けた。耳が真っ赤だ。
ふっ、と、わたしは、抑えきれない笑いをかみ殺して、ユキの軟らかな髪に指を滑らせる。赤くなった耳に触れると、ユキが勢いよく身体をのけぞらせた。途端、倒れそうになる椅子を抑えて、わたしは、抑えきれずに笑いだす。ユキはむくれたふりをしているが、もう彼女の機嫌がなおっていることをわたしは知っている。ユキが、わたしを黒目勝ちのうるんだ瞳でにらみつけようとしているから。目を合わせてくれているから。そうして、むくれた風に口をとがらせて、彼女はわたしに告げたのだ。
「……多恵さんが、かなしくなるのは、私も不本意だから、その、ゆるしてあげます、けれど、お化け退治には協力してください。約束ですよ?……あと、もう二度と私の怖い思いをした気持ちを馬鹿にしたら、もうゆるしてあげないですから」
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はい。わかりました。もう二度といたしません。そう、わたしは、従順で神妙にそう彼女に告げると、彼女は、やっと満足したように、いつものやわらかなふわっと空気を含んだような嬉しそうな笑みを浮かべた。今度はわたしの方がすぐに顔をうつ向けてしまうが、その真意をきっと彼女は知らない。
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さて、その例のお化け退治の内容に移るが、それは、彼女の夢に由来する。
どうも、彼女は夢の中で、わたしが食べられてしまうお化けと対峙したらしかった。
わたしは、神妙な顔をして、でもその実その仮面の下では笑いをかみ殺して、彼女の話を真剣に聞く。まさに不誠実な態度だが、仕方ない。笑うと彼女がまたむくれてしまうから、そんなことはできないので。
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なんでも、そのお化けは、牙があり、ものすごく唸り声をあげるらしかった。それから、わたしを見つけるとまるで好敵手が現れたといわんばかりにとびかかり、戦いを挑むのだそうだ。
なるほどなるほど、それは興味深いお化けだが……。あれ?と、わたしは、ユキの話を聞きながら、奇妙な感覚にとらわれる。
--そのお化け、すこし、わたし、知っているような……気がするぞ。……どういうことかしら
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その後もユキの熱弁は続く。昨夜の夢は特に大変だったらしかった。そのお化けは、わたしを見つけるや否や、わたしにとびかかり、キックとパンチを繰り出した後、わたしを踏んづけ、ふみつけ、めためたにしたあと、わたしを頭からがりがりおいしく頂こうとしたらしかった。
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--わたしは、次第に無言になっていく……。あの、ユキさん、それって……あなた、気づいてらっしゃらないようですけれど……お化けの正体、わたし、解りましたよ?
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ユキの様子を用心深くいつも紳士に見守り、見つめている、猫のロビンが、わたしと目が合い、ウウウ、と低い唸り声をあげる。ユキには聴こえない微妙な鳴き加減だ。彼はプロフェッショナルである。そう、……そういえば、昨夜、わたしは、寝ぼけて、ユキの寝室に入ろうとしたのだった。その時である。いきなり、襲い掛かった黒いシノビのもの。
--まぁ、黄色い目をしたわたしをどうやら嫌っているロビンが、とびかかり、わたしの顔面に猛烈にとびかかってきたあと、鋭い猫パンチと猫キックと踏んづけ攻撃を繰り出し、(爪を使うとユキに怒られるため、彼は戦闘時でも使おうとはしない紳士猫である)最終的に、うぎゃおおうと叫びながら、わたしの腕を噛みついたのだった……。
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ユキの悪夢の熱弁は続くが、わたしは、真実をユキに伝えてよいものかどうか、悩みどころの話だ。--いえ、真夜中に寝室に寝ぼけたといえ入り込んだとあっては、嫌われそうな事案であるし、このまま闇に葬りたい。猫のロビンも言うなと目線で脅迫している。
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わたしは、ユキの話を真剣に聞きながら、内心冷や汗でいっぱいだった。
そんなある午後の話。
やわらかなコーヒーの匂い。少し温かな陽だまりが時折差し込む冬のそんなほんのすこしの温みのなかで。
彼女の入れてくれた苦みが強いコーヒーと、ユキの様子に、わたしは、頬を緩ませる。こんな時間が、本当にすきだと。そう、幸福な実感に胸をいっぱいにしながら。
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