第一章 母親
こんなになるとは予想だにしていなかった…。
私にはすべてを知りたがる癖がついている。
それはまばたきを人より多くするのと同じ位の事だ。
自分にとっては当たり前の生理的現象であってびっくりされる事ではない。
ただ相手が受け止められないだけの話だと思う。
私には友達がいない。自分では幸せなのか不幸なのか分からないが自分の幸せを計る為の怠惰な友達ならいらないと考えて生きてきている。悪いとも思わない。逆にいいとも思わない。
自分のすべてを捧げられる相手に出会ったら何もいらないからだ。
希薄な友情なんて面倒臭くて胡散臭くて邪魔だ。
そんな自分のすべてを捧げられる相手に世の中の人は出会ってどうその相手に接しているのだろうか?
私が愛した人は私にどう接していたのだろうか?愛情だろうか。逆に憐れみだろうか…。
憐れみであって欲しいとおかしい私は思うのだ。
かわいそうという気持ちは愛しいという気持ちより深い。 情がなければ湧いてこないだろう。 あの人は私を助けようとしていたのだろうか…。
あの日の雨は天気予報でアナウンサーがうるさく言う程の強烈な降りではなかった。私はそう記憶している。
朝と昼と夜の区別がつかない生活をしていたので定かではなのだが。
なぜなら社会に出て私は仕事をしていないのだ。1日ダラダラして猫に話しかけて録画したテレビ番組を何回も見て同じところで笑ったりしていた。最初のうちは貯金を切り崩していたが資産が底をついてしまい母親が心配して仕送りをしてくれている。結構いいマンションに住んでいられるのもそのお陰だ。
感謝していると言えば感謝しているが何も他に感情が湧かない。別にそれでもいいと思っている。
私の生活はそんなところだ。
冷蔵庫に入っている食べ物を漁ってる時きっと昼過ぎから雲行きが怪しくなり始めたに違いない。
近頃の天気は変わりやすい。昔は春から夏に変わる時位しか天気は荒れなかったのに…。
私は締め切っていたカーテンを開け窓の外を見た。 カーテンを開けた途端に私の上で稲光が走った。産まれて初めて感じる程の激しい稲光だった。 何も身に着けていなかった私は光に貫かれたのだ。 あんなにも強い光を観たのは何十年ぶりだろうか? 私は全裸のままその場に立ち尽くした。
子供の頃良く母親が稲光が光った後数を数えていた。 「10以上数えたからまだまだ大丈夫よ」と心配性の私に説いてくれたのを覚えている。 稲光が光る度にその言葉をすぐ思い出す。空がひかると雷が落ちるからおへそを隠さないといけない。雷の音が怖いと母親にしがみついて泣いていた。 私は今でも父親の顔を知らない。
あまり信頼出来る男ではなかった様だ。
会った事はないがきっと私に似ているのではないかと思っている。
顔も体躯も性格も全てが。
一度めったにお酒を飲まない母親がかなり酔って家にいた時にそんな事を口走ったのを良く覚えている。その時はショックというか虚無感がこみ上げたが後から酔ってそんな事を言う母親を憎んだのだ。酔わなきゃ生活出来ない位嫌な目にあったのだろうか…。大人というのは子供よりも質が悪いと思う。その時もそう思ったが今自分が大人になってもそう思うのだから。
自分が幼少の頃は何故自分に父親がいないのかと不思議に思った事もあったが成長するに従いそれは考えても埒があかない事に気付いたのだ。
男運が悪い母親から生まれたのだから仕方ない。 母親も父親がいない不憫な娘を可哀想と感じていた様でその事をカバーしようと必死だった気がする。そしてそれについてそんな母親を直視出来ない娘がいたのだ。私の幼少期はただ生きていただけだった。今もそれは変わらないかもしれない。