忙しいあなたへ。
私の恋人は、忙しい人だ。
昨日もバイトから帰ってきたと思ったら、夜中の夜中までパソコンと向き合って、あなたのヒヤリとした冷たい足が布団の中に入ってきてちょっと起きたときには、もう外は少し真っ黒というには明るかった。
あぁほら今も、地蔵のように寝てる。
この部屋に移り住むと決めてから、2人で選んだ若草色の布団をあなたにかけ直して、着替えを済ませる。
仕事に行くまでの1時間と30分。
疲れたあなたが、あったかい朝ごはんを食べられるように。
「魚があったな、、」
なんだか少しクラクラとする頭を働かせて、冷蔵庫にあったアジの開きをコンロにかける。
美味しく焼けますように。
あなたは少し薄味が好きだから、ほんの少しだけ塩を振る。
時計を見て、タイムリミットを確認してはカーテンを開ける。朝の光が部屋の中に差し込んできて、ぎゅっと目を瞑った。爽やかな感じはもう9月で、8月の日差しの残り暑がまだ陽の強さに感じられるほどだった。
「今日は暑くなりそうだなぁ」
そんなことを小さくつぶやきながら、クーラーの効いたオフィスを思い浮かべて、悩んだ挙句に薄いカーディガンを箪笥から引っ張り出しては、洗面所に駆け込んで着替えと身支度を済ませる。
「ん??」
化粧も髪もほどほどに完成してきたときに 鼻に香った香ばしい匂いに急いでキッチンに出る。
「はっ!!」
やってしまった、、
漫画に書いたら、美味しく調理してもらえなかった魚の目が×印で描かれるような、そんな感じで所々が真っ黒くなってしまった。
「うぅー、、ごめんー、ナツキー。」
小さな声で、作った相手への謝罪を込める。
「わざとじゃないよ。」
せめての言い訳もつぶやいて。
それから、簡単にお豆腐のお味噌汁を作って昨日の残り物と白いご飯と一緒にテーブルに並べた。
「まあいいでしょう。」
机の上を満足に見て、ベッドの方へ目をやるとまだ寝息を立てているあなたに笑みがこぼれて、机の端に置かれたままのパソコンと散らばったいくつかの紙ファイルに「あぁ、がんばったんだね」とため息が漏れた。
ファイルを開けば、そこに広がる細かい文字と難しい漢字やアルファベット達があって、それはどれも私にはよく分からない。あなたが頑張る世界は、私にはよく理解できなくて難しくて複雑で、もどかしくなる。
「がんばりすぎだよ。」
少し切なくなって、ファイルを閉じてまとめて、パソコンと並べて置いた。
あと10分。
口紅を塗っていなかったことと髪を結んでいる途中だったことを思い出して、洗面所に戻る。
あなたに「おはよう」と言えない日が続いても、
あなたからの「いってらっしゃい」が無い日が続いても、
あなたのいない部屋に帰る日が続いても、
あなたの分が減らない夕食が続いても、
あはたの体温に安心して眠れない日が続いても、
それは、あなたが頑張ってるからだって知ってるんだからね。
だから、私も、
がんばれるよ。
「よし。」
毛先がくるんとした髪を1つにまとめて、ぎゅっと最後に締める。君が好きだと言った香りを身に纏って、
鏡に向かって、1つ笑う。
あなたは私の原動力だ。
鞄を取りにリビングに戻ってきては、ポーチを忘れたことに気づいて洗面所に戻る。
あぁトイレも行こう、なんて考えて気持ちを仕事に切り替えていく。
「おはよう」
突然の声に驚いて振り向くと、そこには寝癖を撒き散らかしたあなたが布団から起き上がる所だった。
「おはよ!ごめん、起こしちゃった?あと5分で出ちゃうね!」
あなたが、
眠たそうな目を擦りながらベッドの上に座る。
「今日早いの?」
「うん、ちょっと。昨日仕事残してきたから早く行くの。」
あなたがゆっくりと立ち上がる。
そんな疲れた顔をして、わざわざ起きなくていいのに。目の下にできた隈が心配だよ。
「寝てていいよ。」
「いや、今もう一回寝たら絶対に起きれないからやめとく。」
こんな日もあなたは、講義に合わせて起きなきゃいけないんだもんね。
少しくらいサボっちゃったり、お寝坊したっていいのに。
「本当に夜遅くまでやってたもんね。終わった?」
「なんとかね。」
あなたはすごいな。
「やったじゃん。」
そんな気持ちを込めて、笑った。
「あれ?朝ごはん作ってくれたの?」
あなたは目敏い。
朝ごはん、あなたに気づかれないうちに家を出ようと思ってたのに。
「大根おろす時間はなかった、ごめん!」
だってあなたは、
「そんなんいいよ、ハナはちゃんとご飯食べたの?」
ほらね。
「じゃあ、行ってきます!食器は洗っておいてね〜」
あなたには、私よりも自分の体を心配してほしいのに。
「夕飯 作っとくよ。遅くならないようにね。」
あなたの為にしたことが、あなたに無理をさせてしまう。
そんなのいいよって言ったって、あなたはきっと言うことを聞かない。
でも、
「うん、ありがとう。いってきます。」
こうやって、玄関までお見送りをされるのはやっぱり好きで、あなたからの「おはよう」も「いってらっしゃい」も嬉しいなんて思うのはわがままなんだろう。
「いってらっしゃい。」
あなたの言葉に、笑顔を向ける。
ガッチャンと重たく閉まるこの扉が何年経っても好きじゃない。
あなたからのやさしさを、無機質に切り離す感覚がしてしまうからだ。
だからいつも君の顔がまた見たくなって、
「遅刻するなよ。」
こうやって扉を開ける。
あなたがまだそこにいるのを知ってるから。
「はいはい、しませんよ。いってらっしゃい。」
「いってきます。」
今日は、君から2回も「いってらっしゃい」をもらえた。
きっとこんなこと、当たり前で些細だと人から評されるんだろう。でもこれは、私にとっては特別で、なんでもない挨拶なのにこんな気持ちになれるのは、あなたがこの言葉を伝えるために起きなくてもいい時間に目を覚まして、眠たい疲れた身体を引っ張ってここまで来てくれたからだ。
そんなあなたが今日1日、頑張れるように。
少し焦げちゃったけど、それでもきっと「おいしい」と言ってくれるあなたに。
今日は、仕事も大量に終わらせて早く帰ろう。
あなたからの夕飯を作る約束は、あなたの「おかえり」が待ってる約束だと気づいたのは最近だった。
◯
「あぁ、、やばいなー、これ。」
朝から嫌な予感はしていた。
何にせよ、頭が痛い。
お昼ご飯も食べられずに、ぶっ通しで働いていた。脳内小人が金槌で叩いてるんじゃないかと思うような痛みには動かす手も心許なかった。
どれくらい時間が経ったのか、流れに身を任せて片っ端から書類とパソコンとじんわりとする痛みと闘っていた。ふと息を着けば、狙い澄ましていたように、休憩していた小人たちが一斉に立ち上がってせっせと脳内で働き始める。デスク長に呼ばれ、座席に戻る。思わず、こめかみをぐっと押さえた。ふらつくのは、ヒールのせいだ。そう言い聞かせる。
「おい、その仕事半分よこせ。」
声の主を見ようと、斜め前に視線を動かす。
入社からずっと面倒を見てくれている先輩だった。
「あ、いや。今これ課長から、、」
「だからだ。寄越せ。お前じゃなくてもいいんだ。」
「いや、でも先輩だって仕事、、」
「仕事が早い出来る後輩育てたの誰だよ。」
あぁ、敵わない。
今日は、文句も言われないくらい大量に仕事をこなして、定時で帰るつもりだったのに。
せめて、目をじっと見つめる。
「うるさいぞ。持ってこい。」
「何も言ってませんよ。」
しばらくは無言で抵抗して、諦めた。
「すみません。」
立ち上がって、書類を手に取ろうとした。
けれど、
「、、っおい! 大丈夫かよ!」
足元がふらついて、そのまま床に倒れて、そんな自分の体調に自分が1番おどろいて、急いで起き上がった。
散らばった書類を先輩とかき集める。
「すみませ、、」
「お前、もう帰れ今日。」
「え、、」
「調子悪いなら、もっと早く言えよ。どうせあと1時間くらいしたら定時だから。」
「あと1時間半です。」
「かわいくねぇなぁ。」
先輩は苦笑いした。
「薬は?」
「飲んだんですけど、」
「じゃあやっぱりもう帰れ。課長にも言っとく。準備しろ。送ってやるから。」
「いや、でも!」
「いいから。大体働き過ぎなんだよ。お前が仕事早くてむしろ余裕あるし、明日もあるから帰れ。」
これ以上押し問答するには少し、身体が火照っていると感じていた。
先輩には何も言わず、渋々書類を渡して身支度を始める。
こんな理由で早く帰るつもりなんて無かったのに。
言えない不満はそっと心の中に閉まった。
何度か送る送らないの討論を交わし、根負けした自分が助手席に座る結果になった。
「本当すみません。」
「ありがとうって言え。」
私の周りには優しい人が多い。
「ありがとうございます。」
先輩は、「ほい。」と頷いて、車を走らせた。
家までは車で30分。お気に入りの音楽を6曲聴いたら着くと思ったらそう遠くない距離だ。スピーカーからは高校生のころよく流行ったJPOPが流れていた。
「朝から体調悪いなら休めよ。そんな体調不良くらいでピーチク言われるほどの職場じゃないだろーが。」
「そうなんですけど、、」
先輩からの言葉には苦笑いを浮かべた。
実際 職場には恵まれているし、体調不良を訴えても嫌な顔をされないくらいには仕事をこなしているとも思う。
「けどって、無理した結果なのは事実だろ?」
頑張る理由は、そこじゃなかった。
「これは独り言なんですけど、『頑張って』っていつでも誰にでも言えるけど『頑張ってるね』って頑張ってる人にしか言えないじゃないですか。そういう人がどこかで泣いているのは苦しいし、頑張りが報われなくても、幸せでいてほしいなって思うんです。」
車の揺れに合わせて、頭がぐわんとする。
「私にも幸せでいてほしい人がいて。夜も寝ないで、誰かの為に頑張ってるんですよ。力になりたいのにいつも私のことばかり心配して、自分を大事にしてくれない。」
この弱音はきっと、体が火照っているせいだ。
「、、、いつも、抱きしめるには、力及ばずです。」
頭がぎゅっと痛くなる。
吐き出した息は熱かった
「今朝も 『あー、疲れ切ってそのまま寝たんだな』ってくらいやりっぱなしの散らばった紙ファイルたち見て、私も頑張ろうって思いました。」
続けようと思った「だから、私も負けてられないんです。あの人の隣が見合うように頑張りたい。」という言葉は、
「独り言中 悪いけど、頑張りって比べるもんじゃないぞ。」
先輩からの励ましの言葉で、口から出て行き損ねた。それはきっと間違いじゃない。
その人のかける思いや頑張る理由はそれぞれ違くて、そのそれぞれがその人にとって大きい。でもきっとその大きさが見ている人の心を動かす力になる時だってあるだろう。
「彼氏、いい人なのな。」
「え?」
「頑張る力に今朝からなるくらいなら、恋人くらいしか思い浮かばないわな普通。」
「その先輩の普通、ちょっとかわいいですね」
そんなことを言うと、先輩は激しく動揺して撤回を求める声が続いたが、
そんな先輩から、あなたを褒められるのはすごく、嬉しかった。
撤回はしないまま、私は答える。
「はい。とっても。優しい人です。」
あなたは本当に人に優しくて
出会った時から「ハナさん、無理しないで。」と横からそっと仕事を持っていくような人だった。おかげで私の仕事は片手でできる程で、それなのに彼は、自分が両の手で4つもお手玉を回すような状態でも「いつもお世話になってますから」と私の感謝も感謝で返すような人だ。
「、、帰ったら、夕飯作ってくれてるんです。」
「そうか。よかったな、一緒に食べれて。」
「こんな体で帰ったらまた心配かけちゃう。体調悪くして、早く帰るつもりなんてなかったのになぁ。」
「そんなに自分責めなくても大丈夫だろ。
どうせ帰ったら元気に振る舞うんだろうけど、そんな今日くらい無理することないって俺は思うけどな。」
先輩のその言葉はきっと間違いじゃない。
特別な記念日でもない。
でも今日だから、私は無理をしたいんだ。
「心配って、お前が大事だからするんだ。お前が好きで大事だから、自分よりもお前を優先するんだ。優しいお前が優しいって言うような人なんだろ?だったらきっと、無理するんじゃなくて、『こんな私でごめんね 』って言うんでもなくて、『いつもありがとう』って伝えたらそれだけで嬉しいもんだよ。」
それも絶対、間違ってない。
でもね、
「違うんです。」
今日は、あなたとたくさん言葉を交わした。
それでやけに先輩が優しかった。
頭も痛い。
きっと熱もある。
それでも今日がこんなにいい日だと思うから、
「それは、彼が普通の男の子だったらの話なんです。」
ありがとうを求めないあなたも、
いい日だったと思えるように。
そんなんいいよと言うあなたも、
同じ気持ちになってもらえるように。
私はあなたに、何ができるんだろう。
「ただいま〜!」
あなたが気兼ねなくもうすぐ終わる今日を過ごせるように、元気よく扉を開ける。
「ただいま、ナツキ。」
あなたは案の定、キッチンに立っていた。
「おかえり、ハナ。」
振り返った君がいつもの優しい顔をして笑うから、
「ふふ、ただいま。」
なんだか嬉しくなった。
「随分と早いね。」
「うん、そうなの。ナツキに早く帰ってきてって言われたからね。それに、夕飯も作ってくれるって言ってたからね。」
目敏いあなたに気づかれないように、
小さい頃に教わった「嘘をついてはいけません」は、破られることも必要なのは大きくなってから知った。この嘘は多分、そういう類のついてもいい嘘だ。
香ばしい匂いはどうやらカレーらしい。
まだ固形のルーはお鍋の脇に置かれたままだった。
「ちょっと早過ぎたかね」
「早く帰って来てくれる分にはうれしいからいいよ。」
本当にあなたは、年の割に落ち着いていて穏やかで、紡ぐ言葉が今まで出会った男性の中できっと1番優しい音を立てる。
顔が火照っていないか心配になるくらいだった。
「具合、悪いんじゃないの?」
ソファに座ろうとして、唐突なあなたからの言葉に少し治まっていた痛みもズキンと大きく波打った。
本当にあなたには、
「敵わないなぁ、、」
気づいて欲しくないとか思いながら、気づいてくれて嬉しいなんて少しでも思ったなんて先輩に言ったら呆れられるだろうか。
一体あなたのその目は私のどこをいくつ見ているんだろう。
「そうでもないよ、ちょっと頭痛いだけ」
ふらふらする自分の気持ちに情けなくなって、落ち着かない。
「寒くない?」
ねぇ、あなたは優し過ぎるよ。
「うん。へーきだよ。」
私はこんなにわがままなのに。
「熱は?」
せめて、
意地を張らせてよ。
「ないよ、大丈夫。」
キッチンに立つあなたが少しだけ呼吸を置いた気がした。
きっと今、あなたは寂しそうな顔をした。
「嘘はよくないなぁ。ハナさんや。朝から悪かったの?」
「、、、参っちゃうなぁ。」
あなたには、バレバレだ。
「なんで、分かっちゃうかなぁ。」
あなたを見る。
あなたはそんなにも優しそうに笑う。
「朝から悪かったの?」
「朝はねー、頭痛いなぁくらいだったんだけど、仕事してたら昼過ぎくらいからクラクラしてきちゃってさー。お昼食べれなくてさ、働いてた方が楽だなーって。」
でも私は知ってるよ。
体調を崩してもあなたは、寝ないで勉強 頑張ってるでしょう。
熱があってもあなたは、他の人に迷惑がかかるからってバイトも休まないでしょう。
あなたには、私の学生時代の話なんてきっと一生出来ないくらいあなたが頑張ってる姿を毎日見てるんだよ。
「それで今まで働いてたの?」
だから、
そんな顔しないで。
私もあなたの真似をして頑張りたいから。
「うん。でも、立ちくらんじゃって机の上の書類ぶちまけちゃってさ、先輩に体調悪いのバレて帰されちゃった。」
それからもう1つ。
きっと何それって笑うんだろうけど
これは、あなたには伝えておきたいだけ。
「それでね、その先輩が車で会社来てるから送るよってわざわざここまで送ってくれたの。ごめんね。」
「んー?なんで謝るのー?」
「、、先輩、男の人だったから。」
ほらね、
あなたはおかしそうに笑って近づいてきて。
突然、
「はい。」
湯気の立つ私のマグカップを渡してきた。
何かと覗き込めば、
「うわぁ、ありがとう。ナツキのホットミルク甘くておいしいんだよね。」
本当にあなたは、出来過ぎてて困るよ。
「体調悪い時に、ミルクって俺は無理だけどね。」
これはあなたが、初めて私を看病してくれたときに作ってくれたんだよ。
「なーんか、風邪引くと飲みたくなるんだよね。でもなんか、自分で作ってもナツキみたいにならないの。ナツキのホットミルク好き。おいしい。」
「ありがとう。」
あなたが私の隣に座る。
あなたのホットミルクは魔法がかかってる。
一口飲めば なんだか全部が穏やかになって安心する。
「別に怒んないよ、そんなことで。むしろその先輩には感謝するわ。ウチのがお世話かけましたすみませんって。」
「ウチのが」だって。
なんかそれは少し照れるね。
「さーて、本当はどうかな?」
あなたの大きな手が私の額を包む。少しひんやりとしていて心地よかった。
「うん、ちゃんと測ろっか。」
押し寄せてきた現実と渡される体温計。
一体いつそれを手に忍ばせてきたの。
「ナツキ〜お願い、無いって言って。」
今日はあなたとカレーを食べて、それからおしゃべりを楽しんで、ゆっくり映画でも観れたらいい。きっとまだある課題と格闘するあなたの丁度いい休憩時間になりたいから。
「休むことも必要だよ。」
優し過ぎるあなたは、面白くない。
「、、せっかく時間があるのに。」
その時間を壊す原因は自分だから、
せめて君に届かないように小さな声で呟く。
「なに?聞こえない」
「なんでもないもん」
膝を抱えて、両手を組んで、ちょうど目の前に来たマグカップをそのまま傾ける。
おいしいからずるい。
しばらく嫌じゃない沈黙が続いて、隣に腰をかけるあなたは私を少し見つめた後、
「カレー、明日にしようか。今日は、おかゆにしよう」
そんなとんでもないことを口走る。
「え、いいよいいよ。カレー食べよう?」
あなたがせっかく作ってくれた。
「だめ。カレーなんて食べれる気分じゃないだろ。ご飯食べて薬飲んで寝たほうが治り早いから。今から作るからちょっと遅くなっちゃうけど、出来たら起こすからそれまで寝てて。」
あなたは立ち上がって、準備を始めようとするから咄嗟に立ち上がって止めようとした。
「はいだめ、もう決定したからね。寝てるか大人しく座ってるかにして。」
あなたのその目にはいつも負けてしまう。
問答無用といった感じで渡されたブランケットをしぶしぶ受け取った。
「うん、いい子。」
その「いい子」は、嬉しくなかった。
忙しいあなたの時間の中で、
私のために過ごす時間があるのなら、
あなたはどうしたらその時間を自分のために使ってくれるんだろう。
あなたがここで、理由もなくゆっくりと過ごせる時間はあるのだろうか。
切なくなって、そのままソファに横になる。
視界に入ったホットミルクはまだ湯気が立っていて、そういえばその隣にあなたの分が並んでいないことに気づいた。
鍋を火にかける音が聞こえる。
目線を動かして、あなたを視界に入れる。
「ナツキ。」
あなたは私には勿体無いくらい頼もしい。
「こんな私で、、」
言いかけた言葉は、冷やご飯を温めるあなたの顔を見て釣り合わないと思った。
「ねぇ、私の方が仕事で遅い時はいつもそんな顔してご飯作ってくれてるの?」
この声はあなたには届かない。
「早く元気にならないとね。」
明日こそは、熱も下げてカレーを一緒に食べよう。それから早く帰って映画を観よう。
いつも頑張りたいなら、
たまには、先輩に甘えまくって仕事もほどほどでもいいよね。
ねぇ、ナツキ。
あなたがどうか、頑張り過ぎないように
帰ってくる場所が分からなくならないように
あなたはきっと要らないって言うんだろうけど、それでも今日は言わないとね。
「ナツキ、カレーもおかゆもありがとう。」
忙しいあなたへ。
「毎日、頑張ってるね。おつかれさま。」
自分を犠牲にしてしまうあなたが、
ここに帰って来たいと思えるように、
「心配ばかりかけてごめんね。でも私も頑張れるから。」
あなたよりもたくさん 「おかえり」と言えるように。
「早く仕事終わらせて帰ってこなきゃね。」
それで、あなたが休めるようにお風呂を沸かしたりして、
「体調管理もしっかりしないとだね。」
頑張ったのに怒られて疲れて帰ってくるあなたを「頑張ったね」と抱きしめられるように。
あなたのやさしさは私には勿体無い。
こんなにもそこに立っておかゆを作るあなたが愛しいなんてきっと今日じゃなかったから思わなかったと思う。
目を閉じるとじんわりとホットミルクの味が思い出されて、徐々に頭の痛みが薄らいでいった。
「あ、、、ごめん。寝ちゃった、いつの間にか。」
あなたに名前を呼ばれて目を覚ました。
「おかゆ、食べよう。」
あなたの声に頷く。
「少し冷めちゃったかもしれないけど、まあ ハナには食べ頃でしょう。」
そんなに寝てしまっていたかと戻ってくる意識の中で考えていた。
起こしづらそうにするあなたを想像して少しおかしくて笑ってしまった。
ただのおかゆも今日は一段とおいしそうだ。
感謝の気持ちを込めて。
「いただきます。」
あなたに届くように、軽くお辞儀をして。
「どうぞ。俺も、いただきます。」
あなたも手を合わせて、お辞儀をした。
私はあなたのそういうところが好きで、真似をしてるんだよ。
ふと気づいたことがある。
「ナツキもおかゆなの?」
「うん、カレーは明日ハナと一緒に食べるよ。」
その言葉がこんなに嬉しいのはきっと、同じことを考えてたからだ。
「だから、今日は早く寝て、早く治してね」
あなたの優しさには頭が下がるよ。
起きたらあなたに伝えようと決めた言葉があった。伝えたい言葉はいつも頭に浮かんでくるだけで、口から出て来てはくれない。
「ごめんね」じゃなくて。
あなたの目を見て言うの。
「ナツキ、ありがとう。」
伝えようと思った時には伝えてるはずの言葉でも、その時その瞬間で込めた意味は全然違う。
だからそれが全部、あなたに届くといい。
「そんなんいいよ。」
そうやって言われるのは分かってたけど、
あなたにはもっとたくさんの「ありがとう」が送られるべきだ。
「でも、言いたいから。」
だから全部、
あなたに伝わるように。
「じゃあ、、こちらこそ。」
「こちらこそって。ナツキからお礼を言われることは何も無いよ。」
いつも心配をかけて、お世話になってるのはこっちのほうなのに、それなのにあなたは急に真面目な顔をして
「あるよ。たまには、俺のために休んで。」
そんな柄にも無いことを言って、
「いつもだよ。いつもありがとうね、ハナ。」
私には身に余る言葉が続くから少し照れ臭くて笑ってしまった。
あなたからの感謝の言葉なんていらないから。あなたの隣に並べるように頑張らせて。
「だから、私は何もしてないよって。」
忙しいあなたへ。
あなたは気遣いが過ぎるよ。
たまには私にも、優しくならせて。あなたの心を癒させてよ。
きっと、あなたと交わすいくつもの約束が全部果たされることはないんだろう。
でもそれは全部やさしい嘘じゃないから、どうかその約束を守れる日が続けばいいなって思うから。
「ねぇ、ナツキ。明日は一緒に映画でも観ようよ。」
あなたの顔がやさしく笑う。
「さっき、おんなじこと考えてたよ。」
あぁ、もう。
ねぇ、いつも願ってるんだよ。
頑張るあなたがどうか、たくさんのあったかい人と一緒に輝いていますように。