四章二十六話 『勝つための策』
ティアニーズ達の戦闘が終わるより数分前、ルークは頬に走った鈍痛に顔をしかめて地面に倒れていた
「……ゴホッゴホッ」
何度殴られただろうか。何度蹴られただろうか。
数えるのもバカバカしくなるぐらい打ちのめしされ、その度に血を吐いて立ち上がる。途中から記憶がすっぽ抜けているが、恐らく無意識に戦っていたのだろう。
「この野郎……好き放題殴りやがって……!」
『貴様も気付いているだろうが、悪い知らせと良い知らせだ』
「アァ?」
『どうやら奴は貴様を殺すつもりはないらしい。理由は不明だがな。そして悪い知らせだが、どう頑張っても一発殴る事すら出来ないらしい』
「うっせぇ、こっからが本番だっての。華麗な逆転劇でぶん殴って逃げてやるッ」
『その台詞、何度も聞かされる私の身にもなれ。その度にことごとくやられているではないか』
あのあと、結局一度も殴れずに、ルークは一方的な暴力を受けていた。ボコボコという言葉が相応しく、そりゃもうタコ殴りである。
しかし、黒マントは一向にルークにとどめをさす気配はない。
殺そうと思えばいつでも殺せただろうに、何故か腰の剣には一切手を出さずに、素手だけでルークを圧倒していた。
『恐らく奴の狙いは時間稼ぎだろうな。ウルスをこの場から離脱させる……いや、となると厄介だぞ』
「あ? なにが厄介なんだよ」
『ティアニーズ達が危ない。奴の性格を考えれば、このまま大人しく引き下がる訳がない。ウルスがエリミアスを捕らえるまでの時間稼ぎ、奴の狙はそれだ』
「なら問題ねぇよ」
ルークは即答した。
口角から溢れる血を乱暴に掌で拭い、向かって来る気配のない黒マントを睨み付ける。
「向こうにはメレスもトワイルもいる。あんだけ手負いなんだ、流石にどうにか出来んだろ」
『フッ、ティアニーズの事を信頼しているのだな。この照れ屋さんめ』
「黙れ貧乳。あとで思いっきりぶん殴ってやるかんな」
『な、誰が貧乳だ! 私は着痩せするタイプなのだ!』
意義ありと言いたげに、剣が左右に揺れて暴れだす。人間の姿だったら飛び付かれていただろうが、今はルークの方が優位なのである。
ともあれ、向こうは任せて大丈夫だろう。
口には出さないが、ルークはティアニーズの持つ自分とは違う強さを認めているから。
今やるべきは、
「どーにかしてアイツをぶん殴る。やられたらやり返さねぇと気が済まねぇんだよ」
『それは私も同感だ』
暴れる剣を握り締め、再びルークは黒マントに突撃を試みる。
速さ、技術、運動能力、全てにおいてルークの方が劣っている。しかしながら、その程度で諦めて白旗をあげるほど、この男はやわではないのだ。
「うッ、ラァ!」
真正面、小細工なしで突っ込み、額に向かって全力で剣を振り下ろす。が、黒マントは僅かに体を捻るだけで避け、側面に回られて脇腹に拳が突き刺さる。
痛みを根性と気合いで噛み殺し、今度は凪ぎ払うように振るう。
「ちょこまかしてんじゃねぇぞ!」
しかし、これも頭を下げて身を屈めるだけで回避。さらに、立ち上がり際に放った拳骨がルークの顎を跳ね上げた。
ガクリと膝が折れ、よろけながら数歩ほど後退するが、飛びかけた意識の首根っこを強引に手繰り寄せ、
「だらァァ!」
「…………」
接近して剣を振り回すけれど、一向に当たる気配がない。時折打撃を織り混ぜるが、黒マントは無言のままそれを簡単にあしらって反撃の一撃を叩きこんでいる。まるで、ルークが次にどう動くか分かっているような体捌きだ。
相手が魔元帥である以上、なにかしらの能力を持っている筈なのだが、それを使う気配すらない。純粋な技術と白兵戦のみで、ルークを終始圧倒している。
強い、なんてものじゃない。
強すぎるのだ。
「ボガァッーー!」
後ろ回し蹴りがこみかみに直撃し、よろめいて隙だらけの胸板に蹴りがヒット。そのまま胸ぐらを掴んで手繰り寄せられると、右と左の連続ストレートが顔面を弾き、とどめと言わんばかりのドロップキックで体が大きく吹っ飛んだ。
「……ダメだ、全ッ然当んねぇ」
『無策で突っ込んでも同じ事の繰り返しだぞ。なにか策を立てる必要がある』
「策っつってもなぁ……通じる気がしねぇぞ」
『奇遇だな、私もそう思っていた。しかし、やらなければ一撃を決める事すら不可能。体だけではなくて頭も動かせ』
大の字に寝転び、空を見上げて呟く。星がぐにゃぐにゃと歪んで見えるのは、殴られ過ぎたせいなのだろう。
好き放題に殴られて体中には痣ができ、なおかつウルスにやられた傷からは現在も出血中。
これ以上続けば間違いなく死ぬだろうし、そうでなくても今目を閉じれば寝れてしまう。
そんなルークを支えているのは意地。
相変わらずの、『このまま終われるか』精神である。
「普通にやったんじゃ絶対に当たらねぇ。なにか意表を突かねぇと」
『かと言って戦力は私達だけ。斬撃は一応打てるが、それほどの威力は望めないぞ。ウルスに全力を使ってしまったからな』
「それに加えて加護も無し。頭捻ってもなーんも策が出てこねぇ」
『そういう時は熟考するだけ無駄だ。今まで貴様が戦ってきた中で、培ったものをほじくりだせ』
上体を起こし、剣を地面に刺してなんとかバランスを保つ。恐らく今度倒れたら立てない、自分の震える足を見てルークはそう確信した。
黒マントを睨みつけ、それから剣へと目をやる。
今まで自分がやってきた事を思い出し、そして、
「……一つ、あるっちゃある」
『本当か? ならば早く聞かせろ』
「……俺が話す前に絶対やるって誓え」
『何故だ、聞いてからに決まっているだろう』
方法はある。あるにはあるが、ルークはこの作戦で一度とある少女にお叱りを受けている。
しかし、今はやれる事をやるしかないし、たとえソラに断られても主導権はこちらにある。
意を決し、ルークは作戦を口にした。
僅かに時間が空き、剣が喋る。
『……仕方ない、今回はその作戦に乗ってやろう』
「え? マジで良いの?」
『それしかないのなら、それを選ぶしかあるまい。ただ、失敗した場合は貴様を蹴散らすぞ』
「なら問題ねぇよ。必ず成功させっから」
『良し、ならば行こうではないか。奴にいっぱい食わせるぞ』
仮に作戦が成功したとしても、勝ちをもぎ取る事は出来ない。得られるのは殴ったという自己満足のみで、そのあとに殺される可能性だってある。
しかし、忘れてもらっては困る。
この男は、自己満足のために生きている。
自分の欲求さえ満たせてしまえば、あとはどうなろうと知ったこっちゃないのだ。
ラストチャンス。
成功する保証なんてない。
けれど、失敗する気もない。
「うっし、やるぞ。あとで後悔すんなよ」
『貴様が成功されせればなんの問題もないだろう』
「なら大丈夫だ、失敗しねぇからよ!」
体を丸め、最大限の溜めをつくる。次の行動に全てをかけるように、それだけに身体中の細胞を働かせる。
そして、ルークは地面を抉って飛び出した。
「いい加減テメェの顔を見せやがれっての!」
ここまでの行動で、黒マントはこちらが攻めない限り反撃して来ない事は分かっている。それは足止めが目的という証拠にもなっており、実は他に仲間が居ましたなんて事はないだろう。
だから注ぐ、全力を。
向こうは必ずティアニーズがなんとかしてくれるだろうから。
「ーーッ!」
ギリギリを見極める。
これだけボコスカ殴られているのだ、黒マントの射程範囲は嫌でも分かる。
だから、手の届かないギリギリの距離で足を止め、全力で剣を振り下ろす。
放たれるのは、魔を滅ぼす光の斬撃。
「これでも、くらえェェ!」
威力も速度もウルスに放ったものとは比べ物にならないほど弱小だけど、恐らく当たれば効果は絶大だ。
しかし、黒マントはこれを避けた。
大きな動作もなく、フード越しでも冷静な顔をしている事は分かった。
「クソ……!」
ルークが呟いた直後、訪れたのは衝撃だった。流れるように反撃へと切り替え、放たれた右ストレートが右の頬を捉える。
口の中でなにかが折れ、破片が頬に突き刺さる。
後ろへ体が吹っ飛び、黒マントがゆっくりと離れて行く。
剣を握り、
「まだ、まだァァ!」
離れ際、宙を舞った状態で、全力で剣を黒マントに向かってぶん投げた。くるくると回転しながら迫り、僅かに黒マントの動きが止まる。
下手に止めようとすれば手が切れる。
回転する刃物を止めようとすれば当たり前だ。
しかし、
「…………」
黒マントは、回転を見極めて柄の部分に手の甲を当て、剣を難なく弾いた。回転が止まり、剣は落下して地面に突き刺さる。
宙を舞って後方へと吹き飛ばされたルークは、背中から地面に滑り込む。
そして、ニヤリと口角を上げた。
「…………!」
瞬間、剣だった筈の物が人へと少女へと姿を変え、黒マントへと飛びかかる。白髪を風に靡かせ、ルークと同様に微笑んでいるソラだ。
小さな拳を握り、恐らく貧弱であろうパンチを繰り出そうと振り上げる。
「無駄だ」
それは男の声だった。
小さく呟き、人間となったソラに驚く様子もなく、凪ぎ払うようにして腕を振り回す。
頬に当たり、大きくソラの顔が揺れる。が、顔から笑みが消える事はない。
それどころか、黒マントのその腕にしがみついた。
その剣は、ルーク以外には扱えない。
何故か。
簡単だ。持ち上げる事が出来ないのだから。
「…………!!」
ソラのしがみついた腕に引っ張られるようして、黒マントの体が大きく傾く。黒マントは拳を握ってソラを殴ろうとするが、
「こっちを見ていて良いのか?」
その呟きの直後、黒マントは首を横へと向けて一瞬止まった。
驚き、そして油断の結果だろう。
黒マントの視界に広がるのは拳だ。
倒れた筈の男の拳。
「オォォラァッ!!」
腕を伸ばし、渾身の一撃が黒マントの顔面へと突き刺さる。それと同時にソラが腕から離れ、黒マントの体が後ろへと弾き飛ばされた。
満足げに二人は揃って鼻を鳴らし、どうだと言わんばかりに胸をはった。
作戦、その名も囮作戦だ。
以前、ティアニーズをアンドラに向かって投擲した事があったが、その時はそりゃもうこっぴどくお叱りを受けた。
なにも言わなかったルークが全面的に悪いのだけど、今回はそうならなかったらしい。
「どうだ、見たかクソッタレ! 一発入れてやったぞ!」
「ふん、私の可愛らしい顔を殴るからそうなるんだ。めちゃくちゃ痛かったぞバカ者めが」
とりあえずやりたい事が成功したので、勝ち誇った様子で暴言を吐く。
しかし、しかしだ。これはあくまでも一発で、ただの拳骨で戦闘不能に追い込めるなんて事はあり得ない。
黒マントは体を起こし、フード越しに殴られた頬に触れる。
「さて、これからどうする?」
「逃げる!」
「了解した」
振り返って走り出そうとした瞬間、二人の足は意識とは反対に動くことを拒否した。
原因は黒マント。
殺意、これは殺意だ。
計り知れないほどの殺意。
禍々しく体にまとわりつき、逃げるという本能すらもかき消してしまうような。
マントを身につけてなお、溢れ出す殺意を抑えきてれいない。
そして、ルークは理解した。
この男に、自分が僅かでも恐怖を覚えてしまっていると。
今までのは、相手にとって遊びですらなかったのだ。
死。
今二人の頭はその一文字で満たされている。
動いても、動かなくても、一秒後に訪れるのは確定した死。
しかし、
「…………」
黒マントの体から放たれる殺意が消えた。城の方へと顔を向け、なにかを察知したように。そして、剣を鞘に入れると、何事もなかったかのようにルーク達に背を向けてその場を去って行った。
緊張の糸がほどけ、二人は同時に息を吐き出す。どうやら、呼吸する事さえも忘れてしまっていたらしい。
「正直に言おう、めっちゃ怖かったぞ」
「んだよあれ、魔元帥はザコだったってのかよ」
「あれだけの強者が控えている……。思っていたよりも、私達の行く道は険しいな」
言いたい事は山ほどあるけれど、目の前にした途方もない殺意を表す言葉を、ルークは持ち合わせてはいない。
ともあれ、死ぬという最悪の事態は過ぎ去ってくれたのだ。
今はそれに感謝するしかーー、
「ーーあれ」
ぐにゃりと視界が歪み、ルークは前のめりに倒れ込んだ。気付いた時には地面が目の前にあり、草が顔のあちこちに刺さって痒い。しかし、そんな感覚は直ぐにどこかへと飛んで行った。
顔をなにかが濡らしたのだ。
赤い、なにかが。
「……ル、ルーク!」
「やべぇ、アイツ俺の腹斬って行きやがった……」
血が、ルークの腹から溢れ出している。いつ斬られたのかは分からないが、これはウルスにやられたものではないだろう。
血相を変えて側によるソラの声が、次第に遠ざかって行く。
「ふざけるな! こんなところで死ぬなど許さんぞ!」
「うる、せぇぞ。傷に響くから……黙ってろ……」
「おい待て、死ぬな!」
「……死ぬ」
「ーーーー!!」
なにかが耳元で騒いでいる。多分言葉を発しているのだが、なにを言っているのか全く聞き取れない。
痛い筈の腹からは、全く痛みが押し寄せてこない。
来るのは闇だった。
どこまでの深い暗闇に吸い込まれるようにして、ルークの意識はそこで途絶えた。