四章二十五話 『叶うのなら』
確証があった訳ではない。
自分の力が魔元帥に通用しない事くらいは、嫌というほどに理解していた。
でも、もし勝てる方法があるとすれば。
それはティアニーズ自身の力ではなく、ウルスの力を利用するという方法とるべきなのではないか。
ソラという精霊がいない以上、こちらにこれといった有効打は存在しない。だから、ウルスの造り出した剣を利用したのだ。
自分の造り出した物ならば、自分の体を傷つける事も出来るのでは。ぶっつけ本番で確証もないし、失敗すれば間違いなく命を落とす行動だ。
けれど、可能性があるのなら。
そして、それは上手くいったようだ。
「……まさか俺の武器を使うとはな。早く消しときゃ良かったぜ」
仰向けに倒れ、壊れた宝石から黒い光が漏れている。少しづつだが宝石が消滅を始め、それに比例するようにウルスの顔から生気が失われていた。
四人は体を引きずるようにしてその側に寄り、
「勝ち、で良いのかな?」
「あぁ、お前達の勝ちだよ。まさか一日に三回も負けるとは思ってなかったぜ。中々良い剣の腕だ」
「そうかい、勝ててなによりだよ」
壁に背を預けて座りこみ、今にも寝てしまいそうなトワイル。
そんなトワイルの腹に触れ、メレスが治療を始めた。彼女だって重症の筈なのだが、何事もなかったかのように振る舞っている。
「ティアニーズ、お前狙ってたのか?」
「いえ、たまたまです。私の身近に、人のを利用するのが得意な人がいるので」
「……ルークか。すげぇよ、お前の力のにはびっくりだ。また人間を好きになれた」
「私だけの力ではありません。皆さんがいてくれなければ、きっと勝てませんでした」
呆れ笑いを浮かべ、動く気配のないウルスを見て、ティアニーズ安心したようにその場に座りこんだ。
彼女の言う通り、一人では絶対に勝てなかっただろう。
トワイル、コルワ、メレス。
三人の攻撃があったからこそ宝石を砕けたのだ。
その証拠に、今までの魔元帥は一瞬にして消滅していたが、ウルスはまだ実体が残っている。これだけやってなお、精霊の一撃には届かないのだ。
塵も積もれば山となる作戦は、どうやら成功したらしい。
「どう? 私の偉大な力」
「偉大だな、よーく分かったよ。お前がいるせいですげぇやり辛かった」
「私は私はー?」
「お前の雷のせいでこの様だよ。剣にまとわせるだけで切れ味増し過ぎだっての」
トワイルの応急措置を済ませ、次はコルワの治療を始めるメレス。
敵にだというのに、コルワは褒められて嬉しそうに柔らかな笑顔を浮かべていた。ただ、やはりこちらも重症らしく、疲れはてて地面に寝転んだ。
「そんでティアニーズ、お前ルークの事好き過ぎだろ。戦う相手は俺なのに、俺の事なんざ見てねぇし」
「な、す、好きとかそういうのじゃありません! ただ、その……憧れているだけです! 決して愛とかじゃないです!」
「はいはい、そんだけ否定すると逆に怪しいぞ。お前の根性には驚きだ、誰にも負けねぇ、人間として最強の強さを持ってる」
「怪しくありません。全然、これっぽっちも好きじゃないもん」
頬を膨らませて顔を逸らした瞬間、腹部と掌に激痛が走る。忘れていたが、腹を串刺しにされ、剣を素手で握っているので当然の事なのである。ただ、あちこみ痛み過ぎて感覚は多少麻痺しているのだが。
コルワの治療を終わらせてやって来たメレスに頭を下げ、ようやくティアニーズ番が巡って来る。
「まったく、無茶し過ぎよ。全部が完璧に治るとは思わないでおいてね。多少の傷は残るわよ」
「あははは……どうしても負けたくなかったので」
「どんどん感化されてるわね、あの勇者に」
元々負けず嫌いという事もあったが、ルークと出会ってからはそれが露骨に見えてきている。塞がった左目に軽く触れ、顔の傷は残らなければ良いかなぁ、なんて呑気に考えていると、ドレスの裾を持ち上げながらエリミアスが走って来た。
「皆さん! 無事ですか!?」
「大丈夫ですよ。もう安心して下さい、あとは城に帰るだけですから」
「そ、そうですか……良かったです。皆さんボロボロで、私は見ている事しか出来ず……なんの役にも立たなくて……」
「そんな事ありません。我々騎士団は、誰かを守ろうとした時にこそ、本当に強くなれるんです。だから、姫様が気にする事ではありませんよ。これが、私の仕事です」
ティアニーズは優しく諭すように言うが、エリミアスは納得出来ないといった様子だ。自分さえ捕まらなければこんな事にはなからなかった、とか思っているのだろう。
とはいえ、ティアニーズは全く気にしていない。
楽観的な考えだが、生きているだけで十分なのだ。
「おい、嬢ちゃん」
「は、はい」
「ティアニーズの言う通りだぜ、戦うって選んだのはコイツらだ。それを自分のせいだなんて言うのは失礼だぞ」
ウルスに呼び掛けられ、エリミアスは肩を震わせて反応する。本人は今にも消えそうな様子だが、エリミアスにとっては忘れられない恐怖を植え付けられた相手なのだ。
しかし、次の言葉に目を見開いた。
「ビビらせちまってすまなかったな。王が拒否した時は本気で殺すつもりだったが、悪いと思ってるよ」
「え……」
「なんだよその顔は。素直に謝ってんだから分かりましただろ」
「は、はい。分かりました」
どちらが立場的に上なのか分かったもんじゃないが、ウルスの言葉にほんの少しだけ緊張の糸をほどいたようだ。
エリミアスは視線を地面へと向け、それから再びウルスへと移す。一瞬言いかけた言葉を飲み込むが、決心したように口を開く。
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「あ? どーせもうすぐ死ぬんだ、わざわざ了承をとる必要なんてねーよ」
「私は、やはり貴方は悪だと思います。私は人間ですから、人間を傷つける存在を悪だと思います。けれど、ほんの少しだけ、貴方を憎めない気持ちがある。あの言葉の、本当の意味を教えていただけますか?」
「……それを聞いてどうする? 悪いが嬢ちゃんにはなんも出来ねぇぞ、ここにいる誰にもな」
「それでも知りたいのです。私はなにも知らない、だから、もっと世界を知りたいのです」
なんの話かは分からないが、彼女の表情を見るによほど重要な事なのだろう。恐らく、ティアニーズ達が駆けつける前になにかあった。口を挟む事はせず、全員が黙ってそれを見守る。
ウルスは光の粒になりつつある上体を起こし、
「だったら自分で見て回れ。誰かに言われた事は全部嘘だ。自分の目で見て、自分の足で歩いて、その上で嬢ちゃんがどうしたいのか決めろ。なにが真実なのか見極めろ」
「ですが……私は城から出られない。たとえ出られたとしても、一人ではなにも出来ない」
「そうだな、でも、それが人間の強さだ。俺達魔元帥は個人主義だからよ、親父の命令にだって従わない時だってあった。でも、人間は違うだろ? 手を取り合って、誰かと繋がる事で本当の力を出せる」
「繋がる事で……」
「進め、そうすりゃ嫌でも大事なものが見えてくる。考えろ、悩め、嬢ちゃんの道はまだまだ長い事続いてるんだからよ」
「私の道……。私は、外に出て世界を見たいです。自分の目で見て、人間は正しいのか、魔獣は悪なのか。ちゃんと私なりの答えを出したいです」
ウルスの顔が、何故かルークと重なって見えた。あの男の場合、自分の事は自分でなんとかしろとか言いそうだが。というか絶対に言うだろう。
基本的に、ルークは他人と自分の間にはとんでもない高さの壁がある。自分が言うのは良くても、誰かに言われるのは嫌なタイプである。
「もし自分の目で世界を見て回れたら。そのあとに出た答えが、貴方達魔獣は悪ではないというものなら……」
エリミアスは胸に手を当て、それからうつ向いていた顔を上げる。
その表情は、どこにでもいる普通の少女の笑顔だった。
「人間と魔獣も手を取り合って繋がりましょう。争うのではなく、理解しあう事でこの国を良く出来ると思うのです。だから、ありがとうございます」
ウルスはエリミアスの言葉を聞いて、時が止まったかのように目を丸くして固まる。
この女はなにを言っているのだろうか。
恐らくそんな疑問がわいているのだろう。
けれど、誰一人として笑う者はいない。それが叶うのなら、誰も傷つかずに済むのら、それが一番良いに決まっている。
ウルスは自分の消えつつある手を見つめ、
「甘いな……だが、もしそんな未来が来るとしたら、きっとすげぇ楽しいんだろうな。でも、それは絶対にない。親父の望みは、親父の憎しみは、そんな綺麗事で済ませられるほど簡単じゃねぇんだよ」
「でしたら、私がウルスさんのお父様とお話します。きっと、分かりあえる筈なのです。それに、ウルスさんはどうしたいのですか?」
「俺か? そうだな、俺は……親父の望みを優先するよ。殺せって言われたら殺す。それが俺の生まれた意味、俺の歩く道だからだ」
「そう、ですか。それなら、私が頑張らないとですねっ」
ウルスの非情な言葉を受けても、エリミアスはその笑顔を崩さなかった。
誰にでも譲れないものがある。
ウルスにとってそれは、父親である魔王の望みなのだろう。だから否定はしない。その覚悟を、この場の全員は見ているから。
「さて、そろそろ楽しい会話はおしまいだ。ティアニーズ、俺にとどめをさせ」
「そ、そんな事出来ません。もう勝負は終わっています」
険しい表情を浮かべ、ウルスは造り出した剣をティアニーズの目の前に投げる。
当然、そんなのは受け入れられない。投げつけられた剣から手を引くが、
「言っとくぞ、俺はまだもう少しだけ動ける。満身創痍のお前達を出し抜いて町の人間を殺す事だって出来る。つーか、お前が俺を殺さないなら殺る」
「そ、そんな……」
「騎士ならとどめをさせ。俺はお前の敵だ、前の戦争で大量の人間を殺した悪だ。きっちりと殺せ、でないと死んだ人気は報われねぇぞ」
その言葉に、ティアニーズは殺された父親の顔を思い出す。実際に会った事はないけれど、前の戦争で殺された人間の一人だ。
そして思い出す。
これは殺し合いであって話合いではない。どちらかが滅びるまで戦いは永遠に続く。
一時の感情に流され、それを見失ってはならないのだ。
「……分かりました。私が、貴方を殺す罪を背負います」
「俺は人間じゃねぇから罪にはならねぇよ。ま、言っても無駄だろうがな。早いとこ頼むぜ」
ティアニーズは落ちていた剣を拾い、大の字で寝転ぶウルスを跨ぐようにして立つ。
誰一人として止める者はいない。エリミアスでさえ、今なにをするべきなのか理解しているようだった。
切っ先を胸の宝石に合わせ、
「最後に、なにか言い残した事はありますか」
「……そうだな、なら甘えて一つだけ。また会えるのを楽しみにしてるぜ」
最後までウルスは微笑んでいた。
躊躇いはない。これが戦いというものだから。
全てが終わるまで、立ち止まる事は出来ないから。
「はい、そうですね」
剣を宝石に突き刺した。
パリン、という音が路地に響く。
そして、今度こそウルスの体は光の粒となって消滅した。
勝った。
それなのに、ほんの少しだけむなしさが、ティアニーズの胸を締め付けた。