四章二十三話 『魔女の本気』
作戦と呼べるほど、立派なものではなかった。
もしもルークがウルスを逃がしてしまった場合、彼は次にどんな行動をとるだろうか。
逃げるかもしれないが、ウルスの性格を考えればそれはないだろう。一度追い込んだ際、ウルスは危険を承知でエリミアスを連れ去る事を優先した。
だから、今度もそうするのではないか?
ティアニーズの至った結論はこれだ。
自分とエリミアスを二人だけで走らせ、他の面々は少し離れたところから追い掛ける。
なにもなければそれで良い。
しかし、もしも追いかけて来た時にはーー。
「まったく、一人で無茶し過ぎよ。私達が追い付くまで我慢しなさい」
「す、すみません。ちょっと熱くなってしまって」
「まぁ良いわよ。アンタの格好良いところ見れた訳だし。それに、先に片付けないといけない奴もいる」
呆れたように笑うメレスの手を借りて立ち上がり、二人はウルスへと目を向けた。
うつ伏せに寝転がったまま肩を揺らして微笑んでおり、なんとも奇妙な光景である。しばらくそのまま笑い続け、収まった頃に体を起こした。
「いやぁ、まったくやられたねぇ。最初から俺が来るって読んでた訳だ」
「読んでた訳じゃない。もしそうなった場合、どうにかして手を打たないといけないから。あくまでも予防線だよ」
「それでも俺はまんまとはめられた。だろ? トワイル」
剣を持ち直し、不気味な笑顔を浮かべるウルスを睨み付けるトワイル。いつも彼が浮かべている爽やかな笑みは消え去り、平然を装っていても焦燥感と緊張が伺える。
そんなトワイルとは対照的に、いつもの適当な調子でコルワが口を開く。
「今のすっごく完璧に決まったのに」
「あぁ、痛かったし驚いたぜ。あの掛け声はいらねぇと思うがな」
「声出した方がかっこいいじゃん! 必殺技っぽいし」
「声出したら相手に自分の位置を知らせてるようなもんだろーが」
「あ、そっか。今度から気をつけないと」
現在戦闘中だという事を忘れさせるような空気が流れ、その中心に立つウルスは服についた汚れを払った。
後ろにトワイルとコルワ、前にはティアニーズとメレス。完璧に退路は塞いでいる。
「さて、君を逃がす訳にはいかない。勿論、姫様を渡す訳にもね。だからここで倒させてもらうよ」
「……四対一、分がわりぃな。一人によってたかって戦うのが騎士団のやり方か?」
「もうそんな事言っていられないからね。人類の敵を滅ぼすのに卑怯もなにもない……あるのは勝ちか負けだよ」
「そらそうだな。やっぱお前かっけぇぜ……さぞかし強いだろうな!」
怒鳴り声を上げた瞬間、ウルスを中心にして大量の武器が出現。四人に向けてノータイムで一斉に射出された。
しかし、トワイルは一瞬も怯む事なくウルスに向かって走り出す。見事な剣捌きで凪ぎ払いつつ接近し、
「君の力はティアニーズから聞いているよ。遠距離になると、どうやら不利そうだね」
「ルークと違って冷静だな。戦闘経験の差ってやつか」
「俺も一応、副隊長って役目を任されているからね」
ガキン!と二人の剣が激突する音が響く。
そして、弾くのではなく持ち前の身体能力で飛びはねながら回避し、コルワが背後から雷の魔法を放った。
ウルスは舌を鳴らし、トワイルの剣を払って視線を向けて跳躍すると、コルワの背後に回りこむ。
「獣人ってのは身軽で良いなぁ」
「ふふん、速さなら負けないよ!」
呑気な呟きの後、体を捻りながらコルワが短刀を振り回す。ただの短刀ではなく、雷の魔法をまとって切れ味の増した刃だ。
防ぐ。しかしながら、ウルスの造り出した剣に僅かな亀裂が走った。
そして、
「魔法は苦手なんだけどね」
剣が割れるのを嫌ったのか、離れようとするウルスの右肩に小さな炎が直撃。僅かに怯み、その隙にコルワの掌から放たれた雷の槍が右肩に激突し、貫けはしなかったものの、押されるようにして後方へとぶっ飛んだ。
「……硬いな、もう少し強いの出来るかい?」
「まかせろー! 今度は穴あける!」
倒れる隙も与えず、二人は短く言葉を交わして追撃を開始した。
予め話あっていたのかは不明だが、見事な連携を発揮する二人を見て、ティアニーズフラフラと揺れる体に渇を入れる。当然、この戦闘に参加するためだ。
しかし、ティアニーズを守るようにして炎の壁を張っていたメレスが口を開いた。
「まったく、勝手に始めちゃって。ティアニーズ、アンタはお留守番よ。そんな傷で戦おうなんて思わない事ね」
「大丈夫です……私も戦えますから、こんなの痛くも痒くもありません」
「死にかけのくせになに言ってんのよ。直ぐに治療してあげたいけど、そんな暇なさそうだからあと。今は私達に任せなさい」
「ダメです! それじゃ、ダメなんです!」
自分が戦えない事くらい、ティアニーズが誰よりも分かっている。左目はほとんど塞がっているし、骨だってどこか折れているかもしれない。今はそれほど痛みを感じないが、それこそが体が限界を迎えている証だ。
けれど、
「もう、負けるのも、見ているだけなのも……どっちも嫌なんです! 今ここで戦う事を放棄したら、私はきっとあの人に追い付けなくなる……」
「そんなに大事なの? 手負いって言っても、四対一ですら勝てるか怪しいのよ? 最初に言っておくわ、死ぬかもしれないわよ」
「死にません。まだまだやりたい事が沢山ありますから」
何故か分からないけれど、自然と笑みが溢れ落ちた。これだけ追い込まれていながら、未来を考えるだけで楽しくてなってしまう。
自分の歩く道の先にあるのは、きっと希望だから。
諦めたように息を吐き、メレスは炎の壁を消し去ると、ティアニーズの体に触れる。じわりと暖かい光が触れた箇所から溢れだし、
「応急措置だけしとく。無理だけはするんじゃないわよ、目の前で人が死ぬのは御免だから」
「はい、ありがとうございます。私達で、必ず魔元帥を倒しましょう」
その暖かい光を受け入れ、ティアニーズは新たに決意を固める。
生きる、そして必ずウルスをこの手で倒すと。
ウルスを追い掛けたトワイルとコルワ。
相手は魔元帥だという事は分かっているだろうし、戦った事がないとはいえ、前の戦争での脅威は耳が腐るほどに聞いていた筈だ。
けれど、分かっていても、それが戦いにいきるとは限らない。
「……どうした、俺を殺すんじゃなかったのか?」
「その体で良くそこまで動けるね……。正直、驚きを隠せないよ」
「うぅ……すごーく強い」
重なるようにして倒れる二人を、ウルスは余裕な表情で見下ろしていた。
奇襲もコンビネーションも完璧、それに加えて相手はルークの与えた傷でボロボロ。なのにも関わらず、その圧倒的な戦闘力は健在だった。
「言っとくが、俺は本気じゃねぇぞ。あーいや、言い方間違えたな。本気を出せるほど元気じゃねぇって事な」
「それで本気じゃない、か。今までやってこなしてきた鍛練が無意味に思えてくるね」
「んな事ねーよ。精霊の存在なしで俺と殺り合えてんだ、お前達は間違いなく強い」
「俺の強さが君に通用しないのなら意味はない。ま、それだけで諦めるほどやわな教えは受けてないけどね」
トワイルは体を起こす。手足を伸ばして倒れているコルワを引き上げ、まだ諦めてはいないと、その意思を表すように。
ウルスはそんな二人を見て、僅かに口角を上げる。されど手加減はなしだと言いたげに、問答無用で剣を放った。
「コルワ! 君は援護を頼む!」
「りょーかい!」
走り出す瞬間、コルワにそれだけ告げてウルスへと突っ込む。後ろは振り返らず、身に迫る剣にだけ意識を集中して。
凪ぎ払い、振り下ろし、一本一本の殺傷能力はそこまで高くはない。が、もっとも厄介なのはその数だった。
「逃げ場がないって意味じゃお前らも同じだぞ。この狭い路地じゃ避けるってのも難しい、必然的に突っ込む以外の選択肢は消える」
「だろうね、だからそうしているんだ!」
必死に距離を縮めようとしても、打ち落とした直後に新たに武器が出現する。
武器の雨、そんな言葉が相応しいだろうか。
さりとて引く事も出来ず、どうあっても近付いて剣を叩きこむしか勝ち目はないのだ。しかし確実に、トワイルの寿命を縮めていた。
そんな時、
「伏せなさい、頭燃えるわよ」
その声の主が誰だか瞬時に判断したのか、トワイル寸前のところで頭を下げた。
次の瞬間、通路をおおう規模の炎が頭を通過し、飛び交う武器を一瞬にして焼き付くした。
その炎をかき分け、ティアニーズが一気に接近し、
「私はまだ戦えますよ。それに、私達の力はこんなものじゃない!」
「だろうな、お前達がこの程度ならガッカリだよ」
剣を振り下ろした。
ほんの少しだけ驚いたように後退ったが、ウルスはそれを難なく鎌で受け止める。闇夜に溶け込むような、刃までが真っ黒の鎌だった。
弾き、そして一旦離れると、その背後から氷の礫がウルスを襲う。
「ッ! 魔法ってのは厄介だなァ! 俺の十八番が意味ねぇじゃんかよ」
「あら、前に言わなかったっけ? 私の偉大な力を見せてあげるって」
「そりゃルークにだろ。俺に向けるなんざ初耳だよ」
持っていた鎌で礫を砕き、ウルスは数歩下がった。
四人は一ヶ所に集まり、
「さて、どうするの、副隊長さん」
「メレスさんとコルワは援護をお願いします。正直、魔法がなかったら戦えない。前衛は俺とティアニーズがやります。出来るかい?」
「はい、問題ありません!」
トワイルはティアニーズを戦力外とは言わなかった。その言葉に思わず胸が熱くなり、より一層戦う意思が強まるのを感じていた。
精霊のいないティアニーズでは、一人でウルスを倒すのは不可能だ。
けれど、一人ではない。
だからこそ戦える。こうして、仲間となら。
メレスとコルワは後ろに下がり、その前に剣を構えたティアニーズとトワイルが立つ。
久しぶりの感覚に、高揚したように笑みを噛み殺す。
「狙いは胸の宝石だ。幸い、ルークが致命傷を与えてくれたから、それだけを狙って戦う。壊せば勝ち、簡単だろう?」
「簡単に言ってくれるわね。アンタ達は私の魔法に巻き込まれないように気をつけなさいよ」
「よーし、やるぞー! ビリビリさせてやる!」
「行きましょう。私達ならきっと勝てます……いえ、勝って帰りましょう」
あの男は勝って生きている。
だから、負けられない。いつか並んで横を歩くと決めた以上、そこに妥協なんてしてられない。ただひたすらに、真っ直ぐに、あの背中を追いかける。
それが、それこそが、ティアニーズ・アレイクドルの歩く道だから。
異様な空気が流れ、王都のざわめきが止まったように感じる。時刻は十二時過ぎ、しかしながらこの都市は静まる事をしならない。
今まさに、戦いが始まろうとしている事も。
「そんじゃ、開戦の狼煙といくわよ」
そう言って、メレスは人差し指を立てて空へと向けた。ひかり、そして小さな炎が空へと放たれる。
それはどんどん上って行き、そびえ立つ建築物を越えたあたりで姿を変える。
巨大な炎の鳥だろうか。いや、炎だけではない。
羽ばたく羽は雷をまとっており、吹き荒れる風が鳥を守るように渦巻いている。
メレスが手を下げ、それと同時にウルスに向けて落下を開始する。
「な」
その速度に、ウルスは追い付けなかった。発そうとした言葉は風を切る音にかき消され、周囲の壁を破壊してウルスへと真っ直ぐに着弾。
石で出来た地面を抉って競りあげ、飛び交う破片は路地のあちこちに飛び散る。
仲間であるティアニーズ達でさえ、飛び交う破片を避けるように体を丸めた。
「歯食いしばってその目に焼き付けなさい。アンタが人生で最後に目にする顔が誰なのか、あの世で神様に報告する事ね」
「……そりゃ楽しみだ。俺は悪い奴だから神様に会えるか分からねぇけどな」
焦げ臭いにおいを放ち、ウルスはその場に膝をつく。雲の巣のように広がった亀裂の中心、その上で微笑みながら。