四章十八話 『狭い世界』
その日の夜、交渉の場に出向く面々は中庭に集まっていた。その他にも見送りの隊長が数人おり、ただならぬ雰囲気に包まれている。
そんな中、ルークは自分の頭を叩いていた。
ティアニーズが部屋に訪れた以降の記憶がぽっかりと抜け落ちていたのだ。
「どうしました? もしかして緊張してるんですか?」
「ちげーよ、なんか大事な事忘れてる気がするだけだ」
「気のせいだろう。貴様はずっと寝ていた」
記憶はないものの、体が軽くなっているのでちゃんと休憩はとれていたらしい。隣に立つソラの態度が若干不自然だが、黒いフードに身をつつんだバシレが現れ、そちらに意識を奪われる。
恐らく、国民にバレないための対策だろう。
「わりぃな、待たせた。それで、小屋の様子は?」
「特に異常はなかった。中に人が居る気配はあるが、争う音どころか声すら聞こえねぇよ」
「そうか、既に殺されたあとじゃなきゃ良いんだが……。アルブレイル、お前の部下は?」
「ご丁寧に小屋の外に死体が並べられてたよ。メウレスが居なけりゃ突っ込んでた」
城内にやって来た男の言葉通り、第一部隊の人間は殺されていたようだ。怒りで握りしめている拳から血が滴り落ちているのを見るに、アルブレイルを止めるのに相当苦労したのだろう。
しかし、バシレは慰めも言葉をかけるでもなく、
「ちゃんと部隊は退却させたか? 行くのは俺達だけだ、それ以外は全てその場を離れさせろ」
「そう言うと思って退却させてますよ、周りの住民も全て。仮に戦闘になった場合でも、被害は少なく食い止められると思います」
遅れてやって来たミールが息を切らしながら伝える。
その言葉が本当なのかは分からないが、下手に手を出す事はないだろう。正真正銘、向かうのは七人のみ。
「分かった、それじゃあとの事は頼む。王不在の間に城を落とされたなんて洒落にならねぇからな」
「そこは心配するな、誰一人としてこの城には入れねぇよ」
「そうか、なら行って来る」
特に気合いの掛け声もなく、あっさりと出撃が決定。先頭を歩くトワイルに続いて他の面々も歩き出すが、不意にバシレが足を止めた。
振り返り、人混みの中からナタレムを呼び寄せ、
「俺にもしもの事があったら、お前に全てを任せる。親父との約束を果たせ」
「無理っすね、俺面倒なの苦手だし嫌いなんで。内職とかまとめるのとか不得意なんすよ」
「嫌いだ苦手なんてのはどうだって良い。お前がやれ」
「何度も言われても答えは同じ。なんで、ちゃんと戻って来て下さいね。貴方に死なれるのが一番困る」
「……分かったよ、それまでは頼むぞ」
「へいへい」
会話の内容は分からないが真剣な表情なので、恐らく二人だけのなにかがあるのだろう。特に気にせずにルークはその横を通り過ぎると、
「おいルーク!」
自分の名前を呼ばれ、ルークはその声の方向へと体の向きを変える。
声を上げたのはアルブレイルだった。血の流れる掌を見せ、
「部下の仇をとれなんて言わねぇ。が、どぎついのを一発ぶちかましてこい」
「わーってるよ、元々そのつもりだ。魔元帥ぶっ飛ばして帰ってくる」
やる気のない様子でヒラヒラと手を振り、その会話を最後に振り返る事はしなかった。
真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに指定された場所へと足を運ぶのだった。
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「…………」
「ん? そんなに睨むなって、別に食ったりなんかしねぇからよ」
平凡な民家くらいの大きさの武器庫、そこにエリミアスは捕らえられていた。手足は鎖で繋がれ、身動きがとれないようにその周りをかこうように剣が地面に突き刺してある。
そして視線の先、ウルスが笑みを浮かべながらボリボリと武器庫の剣を食べている。
「腹が減ったんならもうちっと我慢してくれ。約束の時間まであと少し、王様が俺の願いを叶えてくれたら飯にありつけるからよ」
「そうではありません、貴方は何故こんな事をするのですか」
「こんな事って、誘拐か?」
「違います。何故、何故人を襲うのですか。罪のない人間を、どうして殺せてしまうのですか」
「どうして、か……。ビビってると思ってが、まさかそんな事考えてたとはな」
恐怖がないと言えば嘘になる。
エリミアスは産まれてからほとんどの時間を城で過ごし、何度か外の世界を見たくて抜け出したりはしたけれど、どれも成功する事はなかった。
だから、本物の生きている魔獣は見た事がない。
ましてや魔元帥など、話でしか聞いた事がなかった。
けれど、だからなんだというのだ。
エリミアスの度胸は、父親であるバシレ譲りのものなのだ。
怯みはしない。たとえ、自分がどれだけの窮地に陥ろうが。
「私の質問に答えて頂けますか? 抵抗する人間を殺すのならまだ分かります。けれど、貴方方はそれ意外の国民も手にかけている」
「そうだな、別に難しい理由がある訳じゃない。俺は魔元帥の中でもどっちかって言うと、人間が好きな方だし。いや、大好きだ、趣味は人間観察」
「だったら何故!」
エリミアスの言葉を遮るように、ウルスは剣を噛み砕いた。欠片が床に転がり、その音にエリミアスは体を震わせる。
静まり返った小屋に、ウルスが剣の飲み込む喉の音が響き、
「それが俺の生まれた理由だからだ。俺はそのために生まれた、だからそのためだけにこれからも生きて行く」
「そんな訳の分からない理由のためだけに……なんとも思わないのですか!」
「思うさ、人を殺す時はわりぃ事してるなって罪悪感はある。俺はそこまで悪じゃねぇ、自分がどれだけ汚いかは俺が誰よりも分かってる」
「だったら、今すぐにこんな事終わりにして下さい! 貴方方のせいで、どれだけの人間の命が奪われたと思っているのですか!」
「数えてねぇよ、殺して殺して殺しまくった。だがな、それが戦争だ」
感情が爆発して飛びかかろうとするが、繋がれた鎖でバランスを崩して倒れこむ。
ウルスは抵抗に驚いたように目を見開いたが、特に助ける事もせずに二本目の剣を口へと運ぶ。そのままエリミアスの横にしゃがみこみ、
「それと嬢ちゃんに良い事を教えてやるよ。お前ら人間が本当に憎むべき相手は、俺達じゃねぇんじゃねぇか?」
「そんな口車には乗りません。貴方は悪です……人の命を簡単に奪う事の出来る、紛れもない悪です!」
「じゃあ聞くが、嬢ちゃんはなんで戦争が始まったか知ってるか?」
「魔獣が人間を襲うようになったからです。だから、アスト王国は戦うという手段をとったのです」
「……本当にそう思うか? 嬢ちゃんはその光景を目で見たのか? 戦争が始まるそのきっかけを、嬢ちゃんは本当に知ってるのか?」
「なに、を……」
なにを言っているのか理解出来なかった。
その口振りからして、自分は悪くはないとでも言っているように聞こえる。
体を動かして鎖をほどこうとするエリミアスの顔の横で、ウルスは不気味な笑顔を浮かべる。
「嬢ちゃん、いや人間は俺らが悪だって決めつけてるが……俺達にも事情があるとしたら? そうだな、人間のように戦わざるを得ない理由が」
「理由……? 命を奪って良い理由なんてありません」
「自分を守るためにでも、か? 人間はそうしてるだろ、魔獣を殺して生きている。俺達側の気持ちを考えた事すらねぇだろ? 俺達だって生きてるんだぜ?」
「それは……」
「今の質問は意地悪だったな。だが事実だ、お前らの言う魔獣だって最初から敵だった訳じゃない。嬢ちゃんは、人間はそれすらも知らないだろ?」
戯れ言だと、聞くに耐えない屁理屈だという事は分かっている。聞き流してしまえば良い。けれど、分かっているけれど、ウルスのその表情は本当の事を話しているようだった。
逸らす事も出来ず、その声は耳に入りこんで来る。
「嬢ちゃんはよ、王からなにを聞いてる? それが全てだと何故言いきれる? どうせ王都から出た事ないんだろ? その狭い世界で、その狭い視界で、自分の価値観だけで何故俺達が悪だと言いきれるんだ」
「私は、ただ……命を奪う行為が……」
「いけねぇよな、たとえどんな理由があろうと殺しってのはダメだ。なら、お前ら人間はどんな大義があって俺達を殺してるんだ? 人間じゃないからか? んなの、お前らが勝手に決めただけだろ」
目も、耳も、逸らす事が出来ない。まとわりつくように言葉が体を縛る。逃げたいのに、耳を塞ぎたいのに、どうして体はそう動いてくれないのか。
ウルスの顔が迫る。
耳元で、小さな呟いた。
「なんてな。今のは全部屁理屈だ、生き物ってのは自分が生きるために他の奴らを殺すように出来てる。善悪も関係ねぇ、生きるためには仕方ねぇ事なんだよ」
「生きる、ため……。でも、そうだとしても……」
「まだ嬢ちゃんには難しくて分からねぇか。だがよ、いつか必ず向き合う事になるぜ……必ずな」
不気味な声が至近距離で響き、ウルスは剣を一飲みしてエリミアスから遠ざかった。
震えが止まらなかった。
多分、恐怖による震えなのだろう。
しかし、それがなにに対する恐怖なのか、エリミアス自身にも分からなかった。
「まぁ、俺がなにを言いたいのかっていうと、お前ら人間が本当に戦うべきは他にいるかもしれねぇ、って事だ」
「それは、なんなのですか……?」
「それは言えねぇ、別に言っても良いが……王が来てからだな。俺……いや、親父にもそれなりの理由があるんだよ、戦うだけのな。誰のせいでこんな世界になったのか、よーく考えるんだな」
それから、エリミアスは自力で体を起こし、壁を背にして剣や落ちている木の板を貪るウルスを眺めていた。
頭の中でウルスの言葉がぐるぐると回っている。
自分は、人間は本当に正しい事をしているのかと。
「……そろそろか。ちゃんと来てくれると良いんだがな」
「お父様は来ません。王は、この国は魔獣には屈しません」
「いや来るね、間違いない。それが人間って生き物なんだよ。どれだけ危険だろうが、自分の大切な人のために命すら投げ出す……だから俺は人間が大好きなんだよ」
時計を眺め、ウルスは小屋に置いてあった全ての武器を平らげる。満足そうに腹を擦り、なにかを確かめるように腕を振り回すと、いつの間にかその手には剣が握られていた。
切っ先をエリミアスに向け、ゆっくりと歩みを進める。
「それにだ、もし来なかったら俺は嬢ちゃんを殺さなきゃならねぇ。俺としてもそれはやりたくねぇしな」
「死ぬ事など怖くはありません。王の娘として産まれた瞬間から、私の命は民のために捧げると決めています」
「格好良いじゃねぇか。だがな、それは勇気とは言わねぇよ。本当の恐怖を味わった事がねぇから、死ぬなんて簡単に言えんだ。なぁ、そうだろ?」
ウルスの握る剣が首筋に触れる。冷たさに体を震わせるが、それと同時に額から汗が滴り落ちる。僅かに首筋が切れ、赤い液体が首を伝って鎖骨を濡らした。
エリミアスは瞳を閉じる。
怖くて怖くて仕方ない。
けれど、自分に訪れる死を受け入れるために。
しかし、
「ほらな、やっぱり来た」
言葉の直後、扉がバゴォ!と激しい音を立てて砕け散った。残骸が小屋の中に広がり、されどウルスは楽しそうに微笑みながら立ち上がる。
握っていた剣を捨て、現れた男の顔を見ると、
「遅刻だぞ、ルーク」
「うっせぇ。ぶっ飛ばしに来てやったぞ、クソ野郎」
ルークに続き、次々と人が中へと入って来る。その中にはエリミアスの父であるバシレもおり、それを見た瞬間に無意識に涙がこぼれ落ちた。
その顔は、どこにでも居るか弱い少女のものだった。
「待たせたな、俺が王だ」
「いや、来てくれると信じてたぜ」
ウルスの背中越しに見た父親の顔は、未だかつてないほどの怒りにまみれていた。