四章七話 『碧眼の少女』
「あの、私の話聞こえてますか? とても困っているのです、助けて頂けたら貴方の言う事をなんでも聞きますから」
「おいおい、俺達と遊ぼうぜ。あんな奴放っておいてよ」
「だから私は何度も断っています。貴方方とは遊べません」
「チッ、おいそこの男。テメェのせいでしらけちまったじゃねぇか」
毅然とした態度の少女の発言は火に油を注ぐ行為でしかなく、男達は理不尽な怒りをルークへと向けている。
しかし、ルークの考えている事はそこではない。
立ち止まり、少女の発言を改めて口に出す。
「……なんでも言う事を聞く」
「アァ? なにボソボソ言ってんだ! 文句あるならハッキリ言えや!」
チンピラの怒鳴り声にも囚われず、ルークはゆっくりと振り返った。
この瞬間、ルークのやるべき事は決まった。
別に少女の安否なんて微塵も興味ないけれど、助ければなんでも言う事を聞いてくれる。
すなわち城までの道を知れるという事で、なんとビックリルークとってプラスになるではないか。
反則行為ギリギリ、というかほぼ反則なのだが、バレなければ問題はない。
反則行為とは、バレなければ反則にはならないのだ。
「アァ? もしかして俺達とやっちゃうつもり?」
「舐めてんのかテメェ!」
無言で近付くルークに負けず、男達は立派な死亡フラグを建築し始める。
リーダーと思われる大男の前まで行くと、おもむろにポケットへと手を突っ込む。なにかを探るようにガサゴソと指を動かし、
「いやぁ、お金出すんで勘弁してもらえないっすかねぇ」
「ハッ、中々分かる奴じゃねぇか、ハナッからそうしてりゃ良いんだよ」
「ちょっと待って下さいね」
男の態度にニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべ、完全な隙が生まれる。
この男の前で無防備になるという事は、それすなわち殴ってくれと言っているようなもので、
「勇者アッパー!」
「ブッ!」
ポケットの中で五本の指を握り締め、謎の必殺技名を叫ぶと同時に顎へと拳を叩きつける。
対応出来る筈もなく、大男はガクリと力が抜けたように膝から崩れ落ちた。
間髪入れずに二人目の懐に潜り込み、
「勇者ボディブロー!」
「へぶしっ!」
男のボディ、誰しもの弱点であるみぞおちに拳を突き刺し、体がくの字に折れたところへ鼻っ柱へ右ストレート。男が倒れるのを見届ける事もせず、最後の一人の前で飛び上がると、
「飛び膝蹴りィ!」
「勇者はッ!」
膝の皿が男の鼻へとヒット。血が飛び散り、骨が砕ける嫌な感触が膝を伝って全身へと伝達する。
適切な突っ込みを最後に、残りの男は白目を向いて倒れ込んだ。
制圧完了と思いきや、大男が体を起こし、
「テ、テメェ、なにしやがーー」
「勇者キィィック!」
「最後まで言わせてッ!」
助走をつけ、そのままの勢いで顔面へとドロップキック。遺言を残す事すら出来ず、大男は今度こそ完全に沈黙した。
ただ、ここで許すほどルークは優しくはない。
今日は色々と鬱憤がたまっており、それを晴らすには絶好のチャンスなのだ。
なので、とりあえず立ち上がれないくらいにボッコボッコにすると、満足気に額の汗を拭い、ルークは勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべた。
どちらがチンピラなのか分かったもんじゃないが、助けられた少女はドレスをたくしあげながら近付き、
「ありがとうございます。貴方のおかげで助かりました」
「あ? あぁ、そういや忘れてたわ」
「忘れてた?」
「いや、こっちの話」
ストレス発散に気をとられ、完全に少女の存在を忘れていたルーク。改めて少女を見るが、どこか名家の娘なのだろうか。
ティアラとドレスには豪華な装飾が施されており、幼い顔立ちながらも気品が漂っている。
腰までの艶目いた黒髪と透き通った碧眼、ともかく普通の少女ではない事は確かだ。
「お前さっきなんでも言う事聞くって言ったよな?」
「はい、助けて頂いたので、私に出来る事ならばなんでも」
「……あのよ、俺が言うのも変な話だけど、あんまそういう事言わねぇ方が良いぞ」
「そういう事?」
少女は話の流れが掴めていないのか、その瞳にルークを写しながら首を傾げる。
普通、なんでも言う事を聞くなんて言わない。先ほどそんな約束をしていたルークが言っても説得力皆無だが、常識としては普通だ。
この場合、少女がよほど純粋なのかバカなのかの二通りの可能性があるが、恐らく前者だろう。
流石ルークでも心配になるレベルである。
しかし、少女は気にする様子もなく、
「貴方は私を助けて下さいました。だからなにも心配する事はありません、きっと凄く良い人ですから」
「うえ……俺に向かって良い人とか言うな。聞いただけで吐き気がする」
「そうなのですか? 分かりました、ではお名前を教えて下さい」
「……お前ちとズレてんぞ。ルーク」
「ルークさんですか、立派なお名前ですね」
話の趣旨を掴めず、少女はマイペースに会話を進める。ルークの名前を聞くなり、少女は嬉しそうに微笑んで手を合わせる。
世間知らずのお嬢様、恐らくそんなところだろう。
とはいえ、言う事を聞くと言ったのは少女なので、
「ちょっと用事があって城まで行きたいんだけどよ、道教えてくれ」
「え、お城ですか……?」
「おう、早く行かねぇと勝負に負けちまうんだ。迷子……じゃなかった、道分かんなくてよ」
ここまで来てもルークは自分が迷子だとは認めない。実際、誰がどう見ても迷子なのだが、それを認めてしまえば負けになる。
少女は少し考える仕草をとり、言いづらそうに口を開いた。
「ここから真っ直ぐ行って大通りに出れますので、そこからは道なりに城を目指せばたどり着けますよ」
「大通りを道なりに……わりぃ、道覚えんの得意じゃねぇんだ、案内してくんね?」
「そ、それは……」
「ん? なんか問題あんの?」
「い、いえ、あると言えばありますけど……助けて頂いた恩もありますし……」
消え入りそうな声で、歯切れの悪い言葉を続ける少女。なにかしらの問題があるのだろうけど、そんな事に興味はないし、あったとしてもルークは逃がさない。
うつ向く少女の後頭部を見つめていると、
「分かりました。東門へ行こうと決めいたので城までは行けませんが、近くまでなら私が案内します」
「うし、んじゃ早速行こうぜ。大通りだったよな」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
顔を上げ、少し不安げな表情になりながらも案内を受け入れた少女。
時間が惜しいので、ルークは早速大通りに向けて歩き出そうとするが、少女がいきなり手を掴んでそれを止めた。
「なに」
「い、いえ、そちらの道では遠回りになりますので、こちらの道から行きましょう」
「お前さっき大通りって言ったじゃん」
「さっきはさっき、今は今です。急いでいらっしゃるのでしょう? だったら、こちらの方が近道になりますよ」
「……まぁ、早くたどり着けるんならなんでも良いけどよ」
少女の態度に若干の違和感を感じつつも、ルークの目的はティアニーズよりも早く城にたどり着く事なので、その違和感を口に出す事はしなかった。
少女の提案通り、二人はいりくんだ路地を進んで行く。
ルークは道が分からないので少女の後ろを大人しくついて行くが、少女は興味ありげにチラチラと後ろを振り返ってくる。
それはあまり居心地の良いものではなく、
「なんだよ、言いたい事はあんなら言えっての」
「いえ……ルークさんはどちらから入らしたのですか? 身形からして、あまり位の高いお家の出身とは思えませんが……」
「東の田舎の村だよ。普通の人、一般人……だった」
「だった、とは?」
「色々面倒な事に巻き込まれて今は違うんだよ。それについては聞くな、苛々するから」
「分かりました。……田舎……いくつか質問しても宜しいですか?」
ルークの不機嫌な顔を見て察したらしいが、少女は田舎という言葉が気になったようだ。
その表情は心なしか先ほどよりも晴れやかになっており、興味津々といった様子だ。
「別に良いけどよ、質問する時は質問して良いかなんて聞かねぇ方が良いぞ」
「そうなのですか? ありがとうございます、一つ学びました。では、王都の外は広々とした壮大な草原が広がり、見渡す限りの海と山が広がっているというのは、本当の事なのですか?」
「まぁ、俺も最近村から出たばっかで良く知らねぇけど、多分そうなんじゃねぇの? 海とかあんま行った事ねぇし」
「ではでは、牛や豚といった家畜が、ほのぼのと歩き回っているというのは本当ですかっ?」
「お、おう。本当だ」
ドレスを翻し、少女はキラキラと瞳を輝かせながらルークに迫る。
純粋な瞳とはルークの苦手な類いに入っており、思わず顔を背けながら一歩後退る。迫る少女の肩を掴んで体の向きを変えると、催促するように背中を押した。
「美しい海、険しくもたくましくそびえ立つ山、太陽の香りを漂わせる草原。いつか私もこの目で見てみたいものです」
「見た事ねぇのか? 外に出りゃ良いじゃん」
「出来ないのです。私にも色々と事情があるので」
少女の身形を見るに、よほど位の高い家出身なのだろう。親が厳しくて王都の外にも出してもらえず、過剰な過保護を受けている、といったところだろうか。
世間知らずという点では、ルークに近いのかもしれない。
少女は胸の前で握り拳を作り、
「ですが、私はいつかこの世界を旅してみたいと思っています。壮大な世界を、私自らの足で踏み締めたいのです」
「おう、勝手に頑張れ」
「応援してくださるのですね、やはり貴方はきっと良い方です。貴方と出会えた事に感謝しなくては」
「……おう」
これだからガキは嫌いなんだ。
今ルークが思っている事はそれだ。応援なんてしてないし、心の底から他人事でどうでも良いと思っている。
のにも関わらず、少女は無垢な瞳でルークの顔を見つめ、柔らかな笑顔を浮かべた。しかし、次の瞬間には視線を落とした。
「あの、魔獣が人々を襲っているというのも本当なのですか?」
「らしいな。普通のやつはあんま見た事ねぇから分からんけど」
「そう、ですか……。騎士団の方々が頑張っていらっしゃるというのは知っています。けれど、それでもまだ、戦争は終わらないのですね」
「そのうち終わんだろ。つか、俺が終わらせっから心配すんな」
「貴方が?」
無意識に口を滑らし、ルークは慌てて自分の口を塞ぐ。視線を逸らすという下手くそな誤魔化し方を実行し、
「あ、いや、俺の知り合いに専門家がいるからよ。ソイツに任せときゃなんとかなるって事」
「それは心強いですね、私も一度お会いしたいです」
再びキラキラと瞳を輝かせ、少女はルークに一歩近付く。
別に勇者だと名乗っても問題はないと思うが、トワイルの言葉が頭を過る。少女が勇者だと名乗った瞬間に襲って来ないとは限らないし、ルークとしても自分から名乗る事は避けたい。
と、ここまで考えてルークは少女のすんだ瞳を見る。
自分がどれだけひねくれていて汚い大人なのかを実感し、珍しく考えた事を後悔。
さりとて態度を変える事はせず、
「俺から言っといてやるよ。多分、うるせぇって言われるだけだろうけど」
「ぜひお願いします。騎士団の方含め、戦っている方々に感謝してもしきれませんから……」
「お前みたいなガキは戦場に出ても邪魔だから家にこもってろ。それが一番安全だ」
「邪魔……ですか。そうですよね……」
ルークの言葉に過剰な反応を示し、少女のテンションは右肩下がりになる。
これまた珍しく慰めの言葉をかけようとするが、少女は突然振り返り、
「ですが、私は外に出ます! 邪魔でも迷惑でも、この目で世界を見てみたいのです!」
「……おう。俺に止める権利もつもりもねぇから、やりたきゃ勝手にやってくれ」
「はい! ……す、すみません、はしたない姿をお見せしてしまい……」
自分がどれだけ熱のこもった力説をしていた事に気付いたのか、少女は恥ずかしそうに紅潮した頬を両手で隠す。それから前を向いてルークに背を向けると、ほんの少しだけ歩く速度を上げた。
ルークはその背中を追いかけ、
「お前の人生だろ、好きなようにやりたいようにやれよ。他人になに言われたって関係ねぇよ」
「……はい、そうですね。私は後悔したくはありません。やはり貴方と出会えて良かったです」
振り向き様、少女は屈託のない笑顔をルークへと向けた。
その笑顔はあまり見ない類いの笑顔で、少なくともルークと行動を共にする個性豊かな人間には無理だろう。
子供の笑顔、それを見て少しだけ心が休まるのを感じつつ、二人は城に向けて歩みを進めた。