三章二十九話 『旅行準備』
次の日、窓から差し込む朝日を顔に浴び、ルークは重たい瞼を持ち上げた。
あの後、アルフード達と合流してからの記憶はあまりない。
疲労困憊の中、詳しい話は後で聞くとの事で解放され、騎士団の宿舎で一夜を過ごしたのだった。
しばらく混乱する記憶を探ろうと天井を見上げていたが、不意に横から突き刺さる視線に気付き、ルークはそちらに顔を向ける。
猫耳で銀髪の少女が、ルークの横顔をジーっと見つめていた。
「……なんだよ猫耳」
「起きたらまずはおはよーだよ」
「おはよう、んで、なにしてんだ」
「お兄さんの寝顔見てたの、暇だったから」
「暇の潰し方間違えてるぞお前」
ルークの質問に、コルワは猫耳をひょこひょこと動かして反応。
一応、メレスに治療してもらったとはいえ、連戦での疲労は一晩で癒えるものではない。上半身を起こし、体の節々から伝わる疲労に思いきり体を伸ばした。
ルークにつられるようにコルワも背伸びをすると、
「ずぅっとお兄さんが起きるの待ってたんだよ、アルフードに言われたから」
「ずっとって、今何時……ってもう昼回ってんじゃん」
「朝からずっと待ってたよ、顔ツンツンしても全然起きないんだもん」
「疲れてんだよこっちは。んで、なんか用があんだろ?」
「うん、起きたらアルフードが呼んで来いって」
掛け布団を退かしてベッドの上で立ち上がると、ルークは体の調子を確かめるべくストレッチを開始。多少の痛みは残るものの、メレスの魔法の腕を認めざるを得ないだろう。
腰に手を当て、上半身を後ろに逸らしていると、コルワがベッドの反対側へと回り込み、
「ねーねー、起きたんなら早く行こーよ。皆待ってるよ」
「皆? アルフードのおっさんだけじゃねぇの?」
「ううん、メレスとトワイルとティア、あと白い頭の女の子も待ってる」
「面倒くせーからやだ、まだ寝てるって言っとけ」
「ダメー、怒られるの私だもん!」
コルワはルークの顎に手を伸ばし、ガッシリと掴んでそのまま下に向けて引っ張る。
受け身をとる事も出来ず頭から落下し、手を使わずにブリッジという構図が完成。変な声を漏らしながらも、首の力だけでなんとか体を支え、
「離せ猫耳ッ、腰が、腰がおかしくなるから!」
「お兄さんが一緒に来るって言ったら離してあげる」
「分かった、行く、行くから離せ!」
「しょーがないなぁ」
数秒でギブアップし、へたりこむようにしてベッドに倒れるルーク。
悪びれた様子もないコルワは、ダラダラとしているルークを急かすように肩を揺する。
「早くー、早くー!」
「ちょっとくらい待てっての」
肩を掴む手を強制的に引き剥がすと、ゆっくりとした朝を迎える事すら出来ない現状にため息を溢す。
大きなあくびを吐き出し、寝癖でボサボサになった頭のままルークとコルワは寝室を後にした。
一階には下りず、二人は三つほど隣の部屋へと移動。
スキップで走るコルワに続いて扉を開け、中に入ると待ちかねたように全員がルークへと視線を送る。
机にだらしなく体を預け、アルフードは目を細めると、
「おせぇぞ、どんだけ寝てんだよ」
「事件解決の立役者に対して労いの言葉すらねぇのかよ、疲れてんだならしゃーないだろ」
「それとこれとは話が別だ。感謝はしてるが遅刻は許さねぇ」
「へいへい」
人は見た目によらないという言葉の通り、アルフードは意外と時間に厳しいらしい。
既に全ての椅子はメレスとコルワ、そしてトワイルに占領されており、ルークは立ち話を強いられる事になった。
「おはようございます、寝癖凄いですよ」
「あ? まだ起きて数秒なんだよ。つか……ソイツ寝てんの?」
先に待っていたティアニーズも、座るところがないので立っていたらしく、ルークの爆発頭を見て笑みを浮かべた。
そして、問題はその横に立つ白髪の少女である。
立ったまま瞳を閉じ、微動だにしないどころか呼吸の音すら聞こえない。死んでいると言われても誰も疑わないだろう。
「あはは……ソラさんも起きたばっかなんです。部屋に来てから一言も発してないので、多分寝てますね」
「精霊ってのは立ったまま寝れんのか、便利な体してんなぁ」
「それは精霊関係ないと思います」
ごもっともな突っ込みを受け、ルークは立ち尽くしているソラの横に立つ。
ようやく全員が揃い、アルフードは話を切り出すべく立ち上がった。顎髭に指を絡ませ、
「大体の話はティアニーズから聞いた……そのガキが精霊って事もな。にわかに信じ難いが、勇者の剣は生きてるって話をどっかで聞いた事ある気もする。それにティアニーズの言う事だ、間違いなく事実だろうよ」
「あらあら、いっちょまえにお父さんっぽい事言っちゃって。そのくらいの信頼を私に向けてくれても良いのよ」
「お前はちゃんと仕事しろ、信頼はその後だ。婚カツパーティーばっか行ってんな」
「う、うるさいわね! 今が重要な時期なのよ!」
茶化すように口を挟んだメレスにアルフードは乱暴に言い捨てる。
図星というか今の発言はメレスの心に深く突き刺さったらしく、子供のように唇を尖らせて体育座りのまま顔を逸らした。
今さらだが、初めて会った時にドレスを着ていたのは、婚カツパーティーに参加するつもりだったからなのだろう。
「それでだ、お前はめでたく自分の運命を受け入れて勇者になる事を選んだ。これからは俺達騎士団の命令で動いてもらう事になる」
「まてまて、勇者にはなったけど騎士団の命令に従う気はねぇぞ。俺は今まで通りやりたいようにやる」
「なら魔元帥がどこに居るか分かるか? お前がのらりくらりと旅をしてその情報を得られると思うか?」
「……思わない、けど命令されんのは大ッ嫌いだからやだ」
大人しく認め、その上で子供のわがままのような事を口にするルーク。
実際、アルフードの言う事は正しい。魔元帥がルークを狙って来るという事は後手に回るという事であり、今回のように上手くはいかないだろう。
その点、ある程度の情報を掴んでいる騎士団について行けば、前もって対策を練る事はだって出来てしまう。
不満を丸出しにするルークを見かね、トワイルは爽やかスマイルを浮かべると、
「別になんでもかんでも命令に従えって事じゃないよ。形式上騎士団の下で働くって事実さえあれば良いんだ」
「なら最初からそう言えっての」
「ごめんごめん、アルフードさんはいつも一言二言少ないんだ」
何故かアルフードの変わりにトワイルが謝罪をしているが、恐らくこれが本来の形なのだろう。
トワイルはチラリとアルフードに視線を送り、言葉はないもののちゃんとしてくださいと言っているようだった。
「まぁとにかく、トワイルが言ったように俺達の目が届く範囲で行動してもらうぞ」
「目が届く範囲ってどんくらいだよ」
「どこかに行くのは構わねぇ、ただ毎回行く場所を俺らの誰かに報告しろ。つっても、お前の側にはティアニーズがつく事になるけどな」
「……騎士団って人材不足なの?」
「失礼な、私だってちゃんと戦えますよ。今までは相手が悪かっただけです」
その悪い相手とこれから戦う事になるのを、ティアニーズは気付いていないのだろか。
ともあれ、ティアニーズの同行はあらかじめ覚悟していたので、これと言った文句も口にせずに飲み込んだ。
「そんで、俺はこれからどうすりゃ良いんだ? 魔獣どもを倒しまくれば良いの?」
「んな事したって時間の無駄だ、魔元帥は自分より下位の存在を産み出す事が出来る。やるにせよ、奴らを直接叩いた方が効率的だ」
「でも魔元帥の居場所分からねぇんだろ? だったら動きようがねぇじゃん」
「そこら辺は俺らに任せろ。魔元帥を殺せる算段が整った今、騎士団も本腰を入れて魔元帥探しに取り組むだろうよ。奴らが動き出したのも明白だしな」
「結局は騎士団の動き待ちかよ、全部終わるのがいつになる事やら……」
段々と遠ざかって行く平穏な暮らしに一旦別れを告げ、ルークは瞳に悲しみを宿しながら肩を落とした。
体育座りのまま、メレスは机に置いてあったクッキーを一口かじり、
「アンタが選んだ道でしょ、文句言わずに前だけ見て突っ走りなさい」
「俺達も出来るだけサポートするから。ルークだけに重荷を背負わせるつもりはないし、安心して良いよ」
「しょーがないから私も手伝ってあげる!」
各々が好き勝手に口を開くが、誰一人としてやる気があまり感じられないのは何故だろう。
ティアニーズの考えは既に決まっているので、特になにも言わずにソラが倒れないかを見張っていた。
謎の孤独感に襲われ、やる前からあらゆるやる気を削がれかけているルーク。
アルフードはそんなルークを見つめ、わざとらしく咳をして話を切り出した。
「そんでだ、早速これからお前に命令……お願いを言う。心して聞けよ、他の奴らも全員だ」
統率感のない部屋に再び威厳を示し、仕方ないと言いたげに全員の視線がアルフードに集まった。
命令ではなく、わざわざ言いかえたのはルークの性格を分かってきた証拠と言える。
「ルーク、お前はこれから王都に行って王に会ってもらう。勇者が戻ったって事を騎士団に報告するためだ」
「結局王都に行くはめになんのかよ」
「別に他の奴が行っても良いが、あの王は用心深いから信用しねぇだろうよ。お前が行った方が話が円滑に進む」
「へいへい、分かりましたよ」
王様、すなわちこのアスト王国で一番偉い人である。
今までも何度な会えと言われていたが、それを目前にしてルークは僅かな緊張感を覚えていた。
「ただ、お前とティアニーズだけで行くってもの流石に危ねぇ。魔元帥や魔獣、他にも勇者を狙う奴も居るだろうしな」
「そうですね、大人数で攻められたらどうしようもないと思います」
「だから護衛をつける、今から呼ぶ奴はルークを必ず王都に安全に連れて行け。最重要任務だ、断る事は許さねぇ」
そう言って、アルフードはまず初めにメレスを見た。
視線が交わり、メレスは自分の後ろに誰か居ないかを確認。当然ながら誰か居る筈もなく、メレスは『えー』とあからさまに嫌な反応をした。
「嫌よ、面倒だもん。数ヶ月先の婚カツパーティー予約してるのよ?」
「なら全部断れ、今までサボってきたツケを今ここで払え。お前レベルの魔法使いが居ねぇといざと時に対処出来ねぇだろ」
「ぶーぶー、職権乱用よ。いつか必ず反乱起こして給料アップさせてやる」
「やりたきゃ勝手にしろ。次はトワイル、お前にはこの小隊の指揮をしてもらう。いつもわりぃが責任をお前に押し付けるぞ」
「はいはい、今さらなにを言われても驚きませんよ。押し付けられるのはなれてますから」
メレスとは違い、トワイルは一番面倒な申し出を潔く受け入れた。というよりも、あらかじめ予想していたか聞いていたのだろう。
そもそも断る権利などなく、嫌でも頷くしかないのだが。
「最後にコルワ、お前もついて行け。こんか中でティアニーズと一番連携とれんのはお前だ」
「はーい、ティアと一緒なら良いよ。またいっぱいお話出来るし」
「以上三名に同行を命じる。俺はここに残って後始末だ、イリートの今後も考えねぇとだしよ」
一気に三人も増え、大人数での王都行きの旅行が決定。
一癖も二癖もあるメンバーに先行き不安にもなるが、断ったところで強制連行されると考え、ルークは無言のまま頷き、話の話題を他へと移す。
「そういや、あの金髪はどうなんだ?」
「イリートか? 今朝ゴルゴンゾアに到着した。今は牢屋の中だ、何人も殺してっからそれなりの罰は受けると思うぞ」
「ふーん、まぁ自業自得だわな」
他人事のように呟き、ルークはそれ以上イリートについて聞く事はなかった。
彼は自分で道を選び、その道でルークという足止めを食らった。そこから立ち上がるのか立ち止まるのかは彼次第であり、ルークが口を挟む事ではないから。
要件を伝え終わったのか、アルフードは二度手を叩いてから両手を広げ、
「話しは終わりだ、出発は明日。馬車はこっちで手配しとく、各自しっかり身支度と疲れをいやすように」
名残惜しさの欠片もなく、メレスとトワイル、コルワは足早に部屋を後にして行った。
二度寝したいルークも部屋を出ようとするが、突然服の袖をティアニーズに掴まれる。
「なんだよ」
「なんだよじゃありません、ソラさんを置いて行くつもりですか?」
「んなのお前が運べば良いだろーが」
「私じゃ持ち上げられないんです、試してみたけど無理でした」
「なにしてんだ、こっちは忙しいんだからとっとと出てけ」
「お前ら、マジでいつか勇者の鉄拳食らわしてやるかんな」
ルークにしか扱えないという面倒な特性を抱えたまま、ソラは未だに熟睡中らしい。
さらにそこへアルフードが急かすように手を振り、ルークはソラを担ぎ上げて部屋を後にするのだった。