三章二十八話 『ソラ』
「疲れた、私はおんぶを所望するぞ」
「歩け、それが嫌なら置いて行く」
「仕方ないな、剣の姿になってやる。その方が持ち運びしやすいだろ」
「うるせぇ、怪我人にんな事頼むんじゃねぇよ。こちとらさっきまで命のやり取りしてたんだぞ」
腰にしがみつく少女を引きずり、ルークはゴルゴンゾアまでの道なき道を歩いていた。
そう、歩いているのだ。
何故か、それはルーク自身が誰よりも知りたいと思っている。
イリートを打ち倒して万事解決でパッピーエンドと思いきや、結局は最終的に不幸になるのがルークらしい。
どうやら、勇者殺しの話はネルマクの町まで広がっていたらしく、イリートは町に潜伏していた騎士団と憲兵に引き渡した。
その後、来た時と同じように馬で帰ろうとしたのだが、なんとビックリ知らない間に馬が消えていたのだ。
なんとか借りようと話をしてみたものの、現在は全て出払っていると言うではないか。
結果、町でアルフード達が来るまで待てば良いものの、ティアニーズが歩きたいと言うので仕方なく徒歩で帰っているのである。
魔元帥、そして勇者殺しのニコンボの後という事もあり、体が悲鳴を上げていた。
「私がおんぶしましょうか? 体力も全然残っていますし」
「無理だ、剣の時と同じで契約者であるルークにしか私は持ち上げられない」
「そうなんですか、ではルークさんがおんぶするしかありませんね」
「おうコラガキども、俺は勇者だぞ」
「勇者なら困ってる人を助けてあげないとですねっ」
隣を歩くティアニーズはご機嫌らしく、先ほどから曇りのない純粋無垢な笑顔を振り撒いている。本人は悪意など全くないのだろうけど、ルークからすれば嫌味でしかない。
しがみつく少女を引き剥がそうと顔を掴み、
「いい加減にしやがれッ、これでも十分疲れんだよ」
「もう私は歩けない、人間体は久しぶり過ぎて疲労が直ぐに溜まるんだ」
「知るかそんな事。しがみつく力があんなら歩けよガキンチョ」
「私はガキンチョなんて名前ではない、私は……私はなんだ?」
突然少女が手を離し、後ろから引っ張る力が消えてルークは地面に顔からダイブ。
少し涙目になりながら、顎に手を当てて悩む仕草をとる少女に掴みかかると、
「いきなり離してんじゃねぇよ!」
「うるさい、今考え事の最中なんだ」
「あ? 考え事?」
「あぁ、これは困った、私の名前を思い出せない」
胸ぐらを掴んで激しく前後に揺さぶりをかけるが、少女はなに食わぬ顔で口を開く。
振り返り、異変を察知したティアニーズが駆け足で二人の側により、一旦ルークの手を引き剥がす。
「名前、ですか?」
「あぁ、いや……名前どころか記憶が所々抜け落ちている」
「記憶喪失っやつですかね、昔の事も覚えていないんですか?」
「いや、勇者とともに戦った事は覚えている。その後は死んだ勇者を見送り、私は東に行った……」
記憶を探るような空を見上げ、ポツポツと言葉を繋ぐ少女。
つい数分前に会ったルーク達が彼女の素性を知る筈がないけれど、東という言葉に心当たりのあるルークは、
「だからあの村に刺さってたのか? あ、そういや消えちまったんだっけか」
「村? ……そうだ、村だ。私を守るために村を作ったんだ。そこに彼らを住ませ、勇者の可能性を持つ人間があるまで待っていた」
「お前が作った? あれを? 村を一人で?」
「村だけではない、あそこに住む全ての生物は私が作ったものだ。ふむ、少し思い出して来たぞ」
話の流れが分からないルークとティアニーズは顔を見合せ、同じタイミングで首を傾けた。
少女は思い出せた事がよほど嬉しかったのか、僅かに笑みを溢して話を続ける。
「そうか、そうだな、役割を果たしたんだから消えて当然か。礼くらいは言っておきたかったが……」
「まてまて、勝手に話進めてんじゃねぇよ。俺にも分かるように話せ」
「簡単な事だ、私を守る役目を果たし、彼らは消えた」
「だから、そこが分からねぇんだよ。お前を守るってのはなんとなく分かる、でも作ったってなんだよ」
「言葉の通りだ、残りの力を使って命を作り出したんだ。精霊はそういう力を持っているからな」
鳥が空を通り過ぎ、落ちてきた糞が三人の間に着地。キャーキモいーとかリアクションをとるべきなのだが、二人は現在放心状態である。
それもその筈、今の発言にはおかしなところがある。
耳を疑うどころか、彼女の存在すら疑う発言が。
「……あの、もう一度言ってもらっても良いですか?」
「ん? 精霊にはそういう力がある」
「あの、ごめんなさい。それだと貴女が精霊って言ってるようなものですよ?」
「なにを言ってるんだ、私は精霊だぞ」
自分から聞いておいて、答えを引き出しておいて、ティアニーズは後は頼みます的な視線をルークに送る。
無表情のままバトンを受け取り、今度はルークのターンである。
「お前精霊なの? んじゃ、あのおかまとかも精霊なの?」
「厳密に言うと違うが、貴様ら人間からすれば大差はない。貴様だってその力の片鱗を見た筈だぞ、山の頂上で私に光が集まっただろ? あれは彼らだ」
「……おう、確かにそうですね」
「その反応は少しムカつくな。あの鞘、彼らから貰った物があっただろ? あれについていた宝石は全て彼らだ、何度も助けられた筈だぞ」
段々と色々な謎が解けていくけれど、初めの時点で理解出来ていないルークの思考は、既に諦めの境地に達していた。
不機嫌そうに頬を膨らませ、しかし少女は記憶を探るように言葉を吐き出す。
「死んだ、という表現が正しいかはさておき、貴様が力を使う度に宝石は砕け、その力は私の中に還元されて行ったのだ。そのおかけで私はこうして人間の姿になれた」
「でもよ、まだ宝石三個くらい残ってなかったっけ?」
「既に私の中に返った。貴様が危ない目にあってると思ったのでな、少女裏技を使ってティアニーズの体を操らせてもらった」
「あぁ、だから記憶がなかったんですね、納得です」
喋った、というよりも自然に溢れ落ちたと言った方が正しいだろう。うんうんと頷くティアニーズは、ダメだと言わんばかりにルークへレスキューサインを目で送る。
気付いていない、というか気にしていない少女は疲れを癒すようにルークの背中によじ登り、
「とまぁ、私が思い出せるのはこれくらいだ。名前はダメだな、全く思い出せない。なにか強い衝撃を受けたんだろう」
「ちょっと待てぇぇぇぇぇい!」
「ちょっと待て下さい!」
首に回された手を掴み、そのまま放り投げるようにして前方へと少女を捨てた。
思考が追い付いた二人の言葉は奇跡的に同化し、腰を押さえて涙ぐんでいる少女に突き刺さる。
「せ、精霊は伝説上の生き物じゃないんですか!?」
「精霊ってあれだろ、神様とかそういう感じの奴らだろ!」
「うるさいぞ、いきなり大声を出すな、そして私を投げるな。こう見えても普通の女の子と変わらないんだからな」
「お前がいきなり意味分かんねぇ事言い出すからだろ!」
「これでも相当分かりやすく伝えたつもりなのだがな。そもそも、人間が普通に戦って奴らに勝てる筈がないだろう」
口調、そして雰囲気はお婆ちゃんでしかないけれど、体の作りは少女そのものらしい。
一旦大きく息を吸い込み、ルークとティアニーズは胸に手を当てて呼吸を整える。昨日から色々な出来事があったが、その全ての上を行く衝撃である事は間違いないだろう。
「よし、まず整理するぞ。お前は精霊で、あのおかま達はお前が作った精霊もどき。んで、鞘にはめ込まれた宝石はおかま達で、死んだんじゃなくてお前の中に戻った」
「ふむ、その通りだ。ルークだけにしか扱えなかったのは、私が勇者だけ守れと言ったからだ」
「で、では、貴女はどうやって私の体を操ったんですか?」
「言っただろ、あれは裏技だ。呪いのは本来、精霊が罪を犯した人間に罰を下す力だ。それが簡略化され、ちょっとばかし威力が下がって今人間が扱えるようになっている。つまりだ、呪いにかけられたティアニーズには僅かながら精霊の力が入っていて、だから残った彼らの力を使って操れたんだ」
「そ、そうなんですか」
恐らく、全てを理解した訳ではないだろう。呪いの起源、そして自分には精霊の力が入っていたから、というところだけを把握し、ティアニーズは首を縦に振った。
「貴様らが伝説と言っているが精霊はちゃんと存在している。精霊の国だってあるぞ、ま、どこにあるかは覚えていないがな」
あっけらかんとした様子で呟き、少女は服についた砂ぼこりを払いながら立ち上がる。
ちなみに、ルークは彼女が精霊であるという事以外を理解する事を捨て、パンクしそうな脳ミソを休ませる事に集中していた。
ようやく物事を理解し、自分がどれほどの存在と対面しているかに気付いたティアニーズは、
「まさか、本当に精霊が存在するなんて……。感激です、だって伝説の生き物ですよ! 生きている内に会えるなんて!」
「ほう、ティアニーズは私がどれだけ偉いかを理解したようだな。そう、私こそがあの精霊である」
「凄いです、握手して下さい!」
ここら辺の順応の速さは彼女が子供である証拠なのだろう。大人になり、ひねくれた考えしか出来ないルークは握手する二人を頬をひきつらせながら見守っている。
握手、ついでに熱い抱擁を交わしたティアニーズはルークに迫り、
「ルークさん! 出来ますよ、精霊が一緒なら本当に世界を救えちゃいますよ! 頑張りましょうね!」
「お、おう、暑苦しいから離れてね」
「だって、だって精霊ですよ! 伝説ですよ、格好良いじゃないですか!」
「分かった、分かったから。伝説って格好良いよね」
たまに見せるティアニーズの子供のような一面に、ルークは押されながら適当に相づちを打つしかない。
それを見ていた少女は遠慮がちに会話に割って入る。
「ただ、私の力はほとんど封印に使われている。だからこそルークに与えられる恩恵は制限つき、それに加えて名前すら思い出せない。前のように本調子で戦う事は出来ないぞ」
「そうですよね、名前がないと不便ですよね……。ルークさん、私達で名前を考えましょう」
「いやそこじゃねーだろ、本調子じゃないって言ってるんだよ? 戦うの俺だよね? 死んだりしないよね?」
「ティアニーズの言う通りだな、これからガキと呼ばれるのは私としても好ましくない」
ルークの言葉は誰も聞いてくれないらしい。先行き不安なチームワークにため息を溢し、されど決めなければ永遠に付きまとわれると判断し、ルークは考えるために空を見上げる。
数秒考え、空を指差すと、
「んじゃ、お前の名前ソラな」
「ダメですよ、もっとちゃんと考えないと。そうですね、モーテルカンドラベルガールアンデルセンとかどうですか?」
「なげーよ、呼び辛いわ。ダメかどうか判断すんのはお前じゃねぇだろ。んで、どうなんだ 」
二人の視線は少女に集中。
適当な思いつきで出た名前か、特に理由はないであろう長い名前。
少女は大きく頷き、
「ソラ、か。良いだろ、今日から私の名前はソラだ。空のように寛大な心と美しさを持つ私に相応しい名前だ」
「えー、モーテルカンドラベルガールアンデルセンの方が格好いいのに」
「将来お前の子供が可哀想だよ俺は」
別に大した意味があった訳ではないが、本人は大変満足らしい。『ソラ』と単語を何度も口ずさみ、噛み締めるように自分に言い聞かせている。
少女改めソラは、喜びに浸っていたと思いきや、
「でも待て、そもそもなんで私は記憶を失ったんだ?」
「んなの俺が知る訳ねーだろ」
「確かに、強い衝撃と言っても思い当たる出来事は……」
「ないない、ソラがアホなだけーー」
そこまで言いかけて、ルークの頭に電撃が走り抜ける。強い衝撃、ルークにはたった一つだけ思い当たるふしがあったからだ。
ウェロディエとの最初の戦闘のさい、思い返せば剣は一度折れている。
もし、それが原因なのだとすれば。
というか、間違いなくそれだろう。
「どうしました、ルークさん」
「顔色が悪いぞ」
「え、いや、なんでもねぇよ?」
ソラの記憶喪失の原因、それは剣が折れた事である。そう気付いてしまったルークの顔色は一瞬にして青ざめる。
バレたらなにを言われるか分かったもんじゃない、そう考えたルークはぎこちない笑顔を浮かべ、
「よ、よーし、ちょっと休んだら元気出て来ちゃったぞー。しょうがないから俺が運んであげるよー」
「……なんだいきなり、喋り方と顔が気持ち悪いぞ」
「うるせぇ、顔は産まれつきだ。運んでやるって言ってんだから運ばれろや」
「なんでルークさんが怒ってるんですか」
「仕方ないな、そんなに私に触れたいなら触る事を許可しよう」
上から目線の攻防が繰り広げられる中、突然背後からドタドタと騒がしい音が耳に入る。地を揺らし、三人に迫って来ていた。
そちらに目を向けると、馬の集団が走っていた。
先頭を走る顎髭の男、アルフードが騎士団を引き連れて。
「さ、帰りましょう」
「ふぅ、これで歩く必要もなくなったな」
「ようやっと休める、勇者ってクソ疲れんのな」
現れた出迎えに三人は頬を緩め、ようやく不幸と困難を乗り越えたのだと実感した。
ゴルゴンゾアでルークを襲った試練、魔元帥と勇者殺しの戦闘を経て、量産型勇者はここに誕生したのだった。