一章五話 『勇者の剣』
洞窟内に静寂が流れる。
時間が止まり、世界から全ての音が消え失せたと錯覚するほどの沈黙。その沈黙はルークによってもたらされたものだが、本人が誰よりも困惑していた。
何故なら、ルークは剣に触れてすらいない。
指先から剣までの距離は少なく見積もっても拳三つ分ほどあり、実は触っちゃってましたテヘペロなんて事はあり得ない。
ルークは黙る。カランと音を立てて転がる剣を虚ろな瞳で見つめながら。
「あ、あの、抜いちゃったんですか……?」
村人、そしてルークと同じように言葉を失っていたティアニーズだったが、頭を振って正気を取り戻すと、こそこそとルークの元へ近付く。当然の事ながら抜けるとは思っていなかったらしく、倒れている剣を見て冷や汗が流れている。
ルークは村人に聞こえないように声を小さくし、
「ば、バカ野郎。俺は触ってすらねーよ」
「だって倒れてるじゃないですか」
「ちげーよ、触ろうとしたら倒れたの。この剣が勝手に倒れたの」
「じゃあ触ってないんですね? 抜いてないんですね?」
「ゼッテーに触ってない。精霊に誓っても良い」
「ならセーフですね?」
「あぁセーフだな」
この世界において伝説の生き物である精霊の名前を口にし、ルークは自らの潔白を証明する。というか、本当に触っていないのだから仕方ない。
二人は視線を合わせ、それから再び剣を見る。
ルークは剣に触っていない。
すなわち抜いてはいないという事だ。
二人は満面の笑みを浮かべながら村人達の方へ顔を向けると、
「抜けませんでした」
「抜けなかったわ」
今日一番の沈黙が洞窟を支配した。
二人は今ので誤魔化せると思っていたが、村人達はルークを見つめ、剣へと目をやる。
老人の肩がプルプルと震え出し、それにつられるように全員が高らかに拳を振り上げ、
「やはり勇者様だったんだ!」
「予言は本当だったんですね!」
「流石アタシの勇者様だわ!」
「五十年待ったかいがあったぜ!」
各々が伝説を目の前にして歓喜の声を上げる。先ほどまでの静寂が嘘かと思えるほどに洞窟の中に雄叫びのような声がこだまし、踊り出す者まで現れる始末だ。
しかし、納得出来ないルークとティアニーズは、
「抜いてねーよ!」
「抜いてませんてば!」
「我々は確かに目の前で見たのです! 貴方が剣をその手で抜き、天高く振りかざすのを!」
「ふざけんな老眼! どこからどう見ても倒れてんだろーが! これ、ねぇこれ見て! お願いだから見て!?」
倒れてる剣を指差して抗議するが、村人達は聞く耳を持つ様子はない。ありもしない事実をでっち上げられて不満爆発のルークだが、どれだけ身振り手振りで伝えようとも誰も見てはくれない。
ティアニーズの加勢もむなしく、村人達はルークが剣を抜いたと本気で思い込んでいるようだ。
「やべぇ、どうすんだよ。お前何か良い案考えろ」
「し、仕方がありません。剣を再び台座に刺します!」
それが何の解決策になるのかは不明だが、ティアニーズは転がる剣を台座に刺そうとする。が、どれだけ力を入れても剣は持ち上がらないようだ。
見かねたルークはティアニーズを押し退け、
「貸せ! こんなのとっとと刺しちまえば良いんだよ!」
意図も簡単にその剣を軽々と持ち上げ、全力で台座へと突き立てる。しかし、同じ場所に刺したのにも関わらず、剣は台座を拒むように弾かれた。
「ちょ、ちょっと、何でそんな簡単に持ち上げられるんですか!?」
「はァ? めちゃくちゃ軽いだろ! つか、全然刺せないんですけど!」
「その剣は勇者にしか扱えない物なんですよ」
偽装工作に励む二人だったが、突然背後に現れた老人に肩を叩かれる。ビクリと肩を震わせて剣を背中に回して隠すルーク。だが、今さらそんな誤魔化しは通用しない。
慌てふためく二人を他所に、老人は淡々と言葉を繋ぐ。
「仮に貴方が抜いてないとしても、今剣を手にしている事が勇者である証拠です。その意味が騎士様なら分かる筈ですよ?」
「そ、それは……私には持ち上げる事すら出来ませんでした。なのに……」
「い、いやいやいや……マジで言ってんの?」
ルークの問い掛けにティアニーズは無言で頷く。どうやら、本当に剣を持ち上げる事が出来ないらしい。振り回してみても全く重くないし、どちらかと言えば軽い方だ。
ティアニーズが嘘をついている可能性もあるが、彼女の性格上それは低いだろう。
必死の抵抗を一旦止め、ルークは状況把握のために頭を回す。
しかし、出てくる答えは何度考えても同じだった。
手にしている剣が本物かはさて置き、それを持ち上げられるのはルークただ一人。つまり、言い逃れするには難しい状況なのだと。
「……認めるべきです。貴方は始まりの勇者の力を受け継ぎし者なのです」
「じゃ、じゃあ本当に……」
「まてまて、仮に俺が勇者なんだとして……やっぱ仮でも嫌だわ。こんなボロい剣が何の役に立つんだよ」
勇者の剣とは言ったものの、振り回す度にギチギチと今にも折れてしまいそうな音が鳴り響く。魔獣はおろか、普通の木ですら切断出来るか怪しい。これでは戦うどころか、持ち運びにも気を使わなければならないだろう。
「まだ眠っていられるのです。貴方が呼びかければ本当の力を再び取り戻します」
「眠ってるって生き物かよ。……おーい、剣さーん、聞いてます? 俺が勇者じゃないって説明してあげて」
勿論、剣が言葉を発する筈もなく、ルークのむなしい呼びかけだけが響き渡る。言い訳も誤魔化しも通用せず、唯一の味方であるティアニーズですら言葉を失って半信半疑の状態だ。
老人も村人もルークが勇者だと疑わず、ただ純粋に尊敬の眼差しだけが体に突き刺さる。
「どうやら、少しは信じてくれたようですね。……貴方を本物の勇者と見込んでお願いがあります」
「俺は全然これっぽっちも納得してねぇけどな」
「村の近くの山にドラゴンが住み着いています。何時下りて来るかも分からず、我々は恐怖に怯えながら生きているんです。どうか、そのドラゴンを退治してはもらえませんか?」
「おーい、話聞けじじい。ドラゴンてなんだよ、ゼッテー食われて終わりだろ。つか、最初からそれが狙いだったんじゃねぇだろうな」
「騎士様にもお願い申し上げます。我々国民をどうかお救い下さい」
耳が遠いとかではなく、老人はルークの話を意図的に無視しているようだ。この状況では意見を述べる事すら許されず、判断は残されたティアニーズに託される。未だ全てを納得出来てはいないようだが、
「勇者かどうかは私には判断しかねます。しかし、ドラゴンは討伐しましょう。騎士団であるならば当然の行いですから」
「テメェ、本気で言ってんのかよ。ドラゴンなんてこのボロい剣で勝てる訳ねぇだろ」
「それが本物なら、ドラゴン程度意図も容易く倒せる筈です」
ティアニーズは考える事を放棄し、一旦保留という選択肢を選んだようだ。現状で判断するのは難しいので、剣が本物なのかを見極める、彼女はそう決めたらしい。
ルークはドラゴンについてそこまで詳しく知らないが、とにかく巨大で火を吹く生物として認識している。
そんな化け物を討伐出来るとすれば、やはり勇者の剣しかないだろう。最悪の場合、倒せずとも生き残れば良いのだ。へし折られた剣でも持ち帰って無理でしたと言ってやればいい。
ルークは言い訳を頭の中でいくつか考え、
「わーった。どうせ倒せねぇんだ、やるだけやって無理ならお前らも諦めろよ」
「貴方達ならばやれます」
甘受するように言葉を吐くルークに、老人は信頼の眼差しを向けて微笑んだ。舌を鳴らして不満をあからさまに表現するが、老人は気にせず髭に触れてどこか遠くを見つめていた。
「早速今から行きますので、場所を教えてもらえますか?」
「焦りは禁物ですぞ。今日はそろそろ日が落ちます、一日休んでから行かれるとよろしいでしょう」
「……分かりました。では、宿に案内して下さい」
「はい、しっかりと疲れを癒して下さい」
あれよあれよと話が勝手に進み、ドラゴン退治は確定事項となってしまったようだ。正義感が強いティアニーズは騎士団の役目をまっとうするという名目でやる気を出しているが、何の得もないルークにとっては死にに行くようなものだ。
そそくさと洞窟を出ようとする村人からティアニーズを引き剥がし、
「お前さ、本気でやるつもりなの?」
「当然です。私が騎士団である以上、困っている人を見過ごす事は出来ませんから。それに……」
「なんだよ」
「貴方が本物か、そして剣が本物なのか見極める役目もあります」
「ハァ……俺が死んだら真っ先にお前を呪うかんな」
真っ直ぐな瞳を向けられ、ルークはたじろぎながらも肩を落とした。どうやら、逃げられないらしい。
先ほどからマッチョがルークを見つめているし、逃げようものなら何をされるか分かったもんじゃない。
本日何度目か分からないため息を漏らし、ルークはしぶしぶ宿へと向かうのだった。