三章二十七話 『喧嘩の結末』
互いの拳が互いの顔面をとらえ、鈍い音とともに両者の頭が弾かれた。
クロスカウンター、防御すら捨てて攻める事のみに自分の全ての機能を使用する。
どちらが正しいとかは関係なく、己の意地を通すためだけに二人は拳を交えているのだ。
「まだまだァ!」
「僕が勝つ!」
よろけながら一歩後退るが、直ぐ様反撃の体勢に移る。イリートの胸ぐらを掴んで手繰り寄せると、そのまま鼻っ柱に額を叩きつけ、怯んでがら空きになった横腹へと拳を突き刺す。
「グゥ……調子に、乗るなァ!!」
体がくの字に折れたイリート。しかし、体を起こす勢いを使ってルークの顎にアッパー。
咄嗟の判断で腕をクロスして防御するが、それすらもはね除けて直撃。顔が上がり、無防備になった頬へ横から飛んで来た拳が当たり、脳を激しく揺さぶった。
意識が飛びかけ、一瞬膝から崩れ落ちそうになる。が、それを根性と火事場のクソ力で堪えると、その場で体を捻って鞭のように足を振り回し、イリートの胸板へと靴裏を叩きつける。
「ゴフッ……ガ、こんなもの……!」
「まだまだやれんだろ、お前の持てる全部を引っ張り出せ。じゃねぇと俺には勝てねぇぞ」
「当たり前だ……僕の培ってきたものはこんなものじゃない!」
「そうだ、お前の歩いて来た道を全部見せてみろ。その上で俺はお前をぶっ潰す」
不適に微笑み、力の入らない足に渇を入れ、地を踏んで駆け出す。
互いの雄叫びが噴水広場に響き、見る者は口を開く事さえ忘れて二人の喧嘩を見つめていた。
それほどまでに泥臭く、戦いではなく喧嘩と呼ぶに相応しいものなのだろう。
突き出された拳、それをイリートは身を屈めて回避。そのまま懐に潜り込み、伸びた腕を掴んで体を捻り、地面に向けて投げ飛ばす。
背中を激しく地面に打ち付け、一瞬呼吸が止まった。しかし、息をつく暇もなくイリートの足がルークの頭を踏み潰そうと眼前に迫る。
「ッ! あッぶね!」
横へ転がる事で顔面が潰されるのを避け、即座に立ち上がってタックル。腰に手を回して体を持ち上げると、そのまま叩きつけるようにしてイリートを投げ捨てる。
後頭部を打ち付け、イリートは軽い脳震盪を起こしているのだろう。けれど、ルークは容赦なくその顔に拳を落とした。
「おらァ!」
「ブッゥ!」
ルークの拳がイリートの顔面をモロにとらえ、口の端からなにか白いものが飛んで行った。それが歯だと確認する前に、ルークは再び拳を振り上げる。
馬乗りになり、抵抗するイリートの腕を踏みつけて。
「お前が、正しいかなんてのはどうだって良い! 譲れねぇもんがあるなら向かって来い、お前の敵は俺だ、下らねぇ過去なんか見てんじゃねぇ!」
「黙れ! 君に僕のなにがーー」
「なにも知らねぇよ!」
自分から喋りかけておいて、ルークはイリートの言葉を遮るように拳を振り下ろす。
唇が裂けるイリート。当然ながら殴ったルークの拳からも鮮血が飛び散る。
「お前の過去なんざ知らねぇし興味もねぇ! 他人の抱えてるもんなんて理解すらしたくねぇ! 今を見ろ、前を向いてそこに立つのは誰だ!」
「そんなの……君に決まっているだろ、ルークゥゥ!」
再び拳を振り下ろそうとした瞬間、下から吹き荒れる突風によってルークの体は数メートル上昇。受け身をとる暇もないまま全身を地面に叩き付けられた。
息を切らし、血へどを吐きながらイリートが立ち上がる。
「……うるさいんだよ、なんで僕の邪魔をするんだ! どうして、どうして僕にそこまで向かって来る!」
「グ……決まってんだろ、やられっぱなしじゃ終われねぇからだ。難しい事なんて分からねぇ、けど、お前がムカつくし間違ってると思うから立つんだ」
「これしかないんだ、制裁を下して道を正すしか。これが僕に出来る事、僕にしか出来ない事だ!」
「なんべん言わせんだ、んな事どうだって良いんだよ。俺はお前が間違ってると思う、だからぶん殴る!」
結局のところ、どちらが正しいかなんてのは分からない。
誰も救わない勇者は間違いだと言い、偽物を正すために殺人という道を選んだイリート。
自分の平穏な暮らしのために、全ての魔元帥を倒すと決めたルーク。
どちらも自分のためであり、どちらも正しいと言える。
しかし、やっぱりそれはどうでも良い。
譲れないものがあって、それは他人に理解されるような事ではなくても、自分が正しいと信じればそれが真実なのだ。
だからルークは拳を握る。
人を殺すなんて方法は、勇者が一番やってはならない事だと思うから。
たとえ、イリートの全てを否定する事になったとしても。
「お前はただの殺人鬼だ! お前がなんと言おうとそれは変わらねぇ、そんな方法しかとれねぇお前は勇者ですらねぇんだよ!」
「君が勇者を語るな! 僕が基準だ、僕が本物なんだ!」
「お前はもう勇者ですらねぇよ。だから最初からやり直して来い」
既に限界は越えている。
少女の恩恵を受けた影響なのか、ルークの体は見た目よりも披露が溜まっている。視界の端でなにかがチカチカと点滅し、まるで意識が切れる前触れのようだ。
それを無視し、ルークは走り出す
「やり直せない、やり直す気なんてない! 僕が、僕が本物の勇者なんだよ!」
「俺もお前も、ただの下らねぇ人間だろうが! 英雄になろうと思った時点でお前は英雄にはなれねぇんだよ!」
叫び、ろくに握れてすらいない拳がイリートの顔に当たる。
フラフラと下がり、仕返しと言わんばかりに放った右ストレートがルークの顎を弾く。
「君は自分が勇者だと言ったな、だったら君も僕と同じじゃないか!」
「そうだ、俺もお前も英雄にはなれない。間違いだからけの俺らが救えるほどこの世界は甘くねぇよ」
「だったら君はなんのために戦う!」
「言ってんだろ、俺のためだ。俺の安定平穏な生活のためだ!」
今度はルークの拳がイリートのどてっ腹を撃ち抜く。続けて肘を曲げて顔面に叩き付けた。
けれど、イリートは倒れない。
既にどちらも満身創痍、体を支えているのは信念と意地だけだ。
「そんな志じゃ世界は救えない、間違った世界を正せないんだよ!」
「自分の過去と決別すら出来ねぇで、狭い世界に閉じこもってる奴よりはマシだろうが!」
「ーーな」
その言葉に、イリートの瞳が大きく揺れた。彼が初めて見せた動揺、少女が現れた時とは非にならないほどに瞳の奥が揺らぐ。
距離をつめ、胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「自分すら救えない奴に世界は救えない、だから俺は自分のためだけに戦う。俺が救うのは俺の世界だ!」
ルークにはイリートがどれほどの苦しみを背負って生きて来たのかなんて分からない。両親の顔すら見た事のないルークには、目の前で家族を失う辛さは分からない。
けれど、だからこそ彼の心になんの迷いもなく土足で踏み入れる事が出来る。
イリートは進んでなんかいない。
ただ道を選んだだけで立ち往生しているだけなのだ。
内側から壊せないなら、ルークはそれを外側から壊す。
「だからーー」
突飛ばし、左足を力強く踏み出す。
腰を捻り、全体重を右の拳に乗せる。
振りかぶり、そしてーー、
「一般人からやり直して来い、勇者殺し!!」
フルスイングの拳が顔面を直撃した。
防御はおろか、動揺していたイリートは対応する事も出来ず、その体は鈍い音とともに後方へと吹き飛んだ。
二度三度と跳ね、転がりながら人混みへと突っ込んで行く。
トドメ、今のはそう言える一撃だろう。
それ以前に彼の心は敗北を、自分の過ちを認めていたのかもしれない。
自分の殻に閉じこもり、外の世界を見ようとすらせずに同じ場所で足踏みをしていた。
そんな人間に、世界を救うどころか偽物かどうかなんて判断する資格はない。
「……僕は、ただ憧れた。勇者でありたいと思った、勇者になりたいと思った。でも、勇者は僕の思っているほど綺麗な存在じゃなかった」
倒れるイリートの周りから人が離れ、出来た道をルークが歩く。
天を仰ぎ、瞳を閉じたままゆっくりとイリートは言葉を紡ぐ。
「教えてくれ、勇者とはなんだ。本物ってなんだ、勇者はなにをすれば良い」
「自分で考えろ、俺は神様じゃねぇしお前でもない」
「でも、君は僕を否定した。それは正しくないと、なんでそう言い切れるんだ。君の言う勇者とはなんだ」
イリートを見下ろし、ルークは考える。
今の彼からは戦意が感じられず、悪感情が一つも見えない。ほんの少しだけ悲しげな顔をしているだけだ。
同情はしない、可哀想だとも思わない、哀れむ事もしない。
ただ、
「自分で探せ、それが生きるって事だ」
「勝手だな、説教したくせに答えは丸投げか。君はブーメランを投げている事に気付いていないのか?」
「俺は自分勝手だからよ、言いたい事だけ言えれば良い。反論なんか知らねぇ」
「……あぁ、本当に、君は勇者にはなれないよ。間違いだらけの僕と同じだ」
そう言い残し、イリートは自分の意識を放りなげたのだった。
喧嘩が終わり、事情を知らない周りがざわざわと騒ぎ出す。どちらが正義の味方か分かったもんじゃないが、二人の意地のぶつけ合いに少し感化されたのだろう。
振り返り、ルークは人混みから離れるように歩き出す。自分を待つ、二人の少女の元へ。
「まったく、どこまでアホな奴なんだ。私の力なしで勝てた事を奇跡だと思え」
「うるせぇ実力だ」
「ルークさん!」
いつの間にか人間の姿に戻っており、腰に手を当てて嫌味を吐く少女を軽くあしらい、こちらに駆け寄って来るティアニーズへと顔を向ける。
ボロボロで、目も半分しか開かないけれど、彼女の顔が微笑んでいる事だけは分かった。
「お疲れ様です、イリートさんが少しでも考えを改めてる事が出来るように気を使ったんですね」
「ちげーよ、お前の頭は花畑か。ムカついたから言いたい事言っただけだ」
「そんな事言って、素直じゃないんですから」
勘違いしているようだが、訂正する気力も体力もないのでルークはその場に座り込む。
全身で暴れ回る痛みに顔をしかめながら、からかうように体をつついて来る少女を押し退け、
「おい、ティア」
「……え? あ、はい、私ですか?」
「お前以外にティアニーズって名前の奴どこに居んだよ」
「い、いえ、いきなり名前を呼ばれたので驚いただけです」
ビクリと体を震わせて反応するティアニーズに、ルークは名前を呼んだ事を少しだけ後悔。
傷口を刺激して来る少女が段々とうざったくなり、全力のチョップをかまして黙らせると、
「お前のせいでこうなったんだからな、最後まで付き合えよ」
「付き合う? ダ、ダメですよ、そういうのはもっとお互いを知ってからでないと!」
「なに言ってんだお前。魔王と魔元帥を全員倒すって話だよ」
「え、あ、そうですよね、分かってます、別に変な勘違いとかしてませんから」
慌ただしく表情が変わり、ティアニーズは赤くなった顔を隠すように逸らす。パタパタと手で顔を仰ぎ、上った熱を冷ますと座りこんでいるルークに手を差し出した。
コホン、とわざとらしく咳をすると、
「これからもよろしくお願いしますね、勇者さん」
「だから俺は勇者じゃ……お前ほんと性格わりぃよな」
「ルークさんのひねくれた性格が移ったのかもしれませんね」
「いつかその減らず口を叩きのめしてやるかんな」
「いつでもどうぞ、私はルークさんに一度勝ってますから」
自慢気に鼻を鳴らし、胸をはって誇らしげに口を開くティアニーズ。
差し出しされた手を握りたくない衝動にかられるが、しぶしぶ掴むとわざと力を入れて握り締める。立ち上がり、睨みあって言い合いが始まるかと思いきや、
「おい、私を忘れてはいないか? 私が居なかったら貴様は勝てなかったんだぞ。近頃の人間は敬うという気持ちすらないようだな」
「今さら出てきてなに言ってんだクソガキ。つか、お前が俺を選んだからこうなってんだろ」
「知らんな、選ばれた貴様が悪い」
握った二人の手の上に少女が自分の手を重ね、だだをこねる子供のように会話に割って入る。
喧嘩の対象が少女に逸れそうになり、ティアニーズは慌てて『まぁまぁ、落ち着いて下さい』と休戦を申し出る。
結ばれた三人の手を見つめ、ティアニーズは嬉しそうに頬を緩ませ、
「私達三人で世界を救いましょう。長きに渡る魔獣との争いを終わらせ、必ず平和な世界を取り戻しましょうねっ」
「ふむ、私が居れば余裕だな。まぁ期待しておけ」
「……やだ、俺帰りたい。量産型勇者辞めたい」
二人との温度差を感じ、ルークは一人肩を落とす。
改めて自分の選んだ道がどれだけ困難かを理解し、今すぐにでも逃げ出したいとさえ思っていた。
しかしそれと同時に、ほんの少し、ほんの少しだけ悪くないと思ってしまったルークだった。