三章二十話 『逃げの才能』
熱と轟音が森を支配し、広範囲を扇形に炎が焼き付くした。
木も草も土も、そして恐らく近くに居たであろう動物達さえも。圧倒的な破壊力と規模で一瞬にして広範囲を消し飛ばすその姿は、まさに魔元帥と呼ぶにふさわしい。
焦げた臭いが漂い、真っ黒な煙が空へと登って行く。夜の世界に真っ赤な炎が立ち込める中、その中心に見えた三人を見てウェロディエが首を大きく捻って呟く。
「今ので死なないのか、少し見直したぜ」
「…………!」
あの瞬間、ルークは間違いなく自分の死を悟った。次の瞬間には炎に焼かれ、耐え難い苦痛に身を包まれて死ぬのだと。
しかし、その死という結果は訪れなかった。
ルークがなにかした訳ではなく、行動を起こしたのはアキンだった。
透明なドーム状の壁が三人を包んでいた。
炎が吐き出される直前、アキンは危険を瞬時に感じとり、己の持つ最大限の力で魔法を発動。結果として、それは三人の命を守り通す事になり、こうして命を繋ぐ事に成功したのだ。
しかし、
「う……ぐ」
ガラスが砕けるような音とともに壁が崩壊し、それに比例するようにしてアキンの小さな体が前のめりに倒れた。
魔力切れというやつだろう。
それに加え、今のアキンではウェロディエの炎を全て防ぎきれる訳ではなく、少なからずダメージを負っていたのだ。
「オイ! アキン大丈夫か!?」
「だ……大丈夫、です。僕はまだ……」
「バカ言ってんじゃねぇ! お前ボロボロじゃんかよオイ!」
身に余るほどの魔法、それを行使したアキンの体は悲鳴を上げていた。鼻血を垂れ流し、唇は見るに絶えないほどに青ざめ、瞳は虚ろな様子で揺れている。
立つことさえも困難な状態、誰が見ても明白だった。
首を回してアキンを見るが、ルークだって先頭に立っていた事で熱をモロに浴びていた。
体のあちこちに小さな火傷の後が見られ、飛び交う木片が腕を掠めて出血している。
たった一撃、一撃で状況は最悪の展開を迎える事となった。
「少しやり過ぎたな、もう少しで女を殺しちまうところだった。この姿になるの手加減がしにくいんだ、勘弁してくれ」
「なにが勘弁しろだ……こっちの台詞だっての……!」
「まだそんな口が叩けるのか? 剣のない状態でどこまでやれるか見ていたが、正直に言って見るに絶えないぞ、勇者」
「黙れ、俺を勇者って呼ぶんじゃねぇよデカブツ」
痛みを堪え、なんとか立ち上がるルーク。
けれど、立ち上がってはみても勝てる兆しなど一切訪れる気配はない。
唯一の攻撃役であったアキンが倒れ、攻撃手段を失った状態では戦いとして成立すらしないだろう。
もし、倒れているアキンに無理を強いて魔法を使わせれば、最悪の場合には命を落とす。そうでなくても満身創痍だし、彼女に戦わせるという手段は捨てるべきだろう。
万事休す、そんな言葉が頭を過る。が、
「諦めた、って感じじゃないな」
「たりめーだ、俺は諦めが悪くてしつけーんだよ。まだまだ喧嘩は始まったばかりだ」
「その威勢だけは認めてやる。だがどうする? 見たところお前は魔法を使えない、そんな状態で俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「とっておきの秘策がある、それでテメェをぶちのめしてやるよ……!」
「ほう、それは楽しみだな。なら見せてもらおうか、その秘策とやらを。出来たらの話だけどな」
ルークにはその顔が微笑んだように見えた。
身を屈め、一気に飛び出した。
それと同時に巨大な腕が迫る。
「う、らァァッ!」
痛みもなにもかもを一旦忘れ、生き延びる事だけに全ての神経を集中。
振り下ろされた腕を全力で横へ飛んで回避し、背後に打ち付けられた土煙を追い風にし、さらに加速しながらウェロディエの側面へと走り出す。
(前に居たら炎、後ろに行っても尻尾、横に回ってどうにか避けるしかねぇ!)
アキンの援護がない以上、再びあの炎を放たれればこちらに勝ち目はない。連続して使わないのを見るに、恐らく次に使用するにはある程度の間隔が必要と予測。
希望的観測にしか過ぎないが、今はそれを信じて動く他ない。
側面へ回り込むとその腹の下へと滑り込む。右側から入り、転がりながらも足を前に出して左側から抜け、今度は後ろ足へと近付く。
幸い、デカくなったせいで細かい動きは出来ないようだった。
「うざいな、ちょこまかしやがって」
「勝手にデカくなったのはテメェだろ! 一気に片付けるとか言ってたが、巨体のせいで余計時間かかってんじゃねぇのか!」
「本当に口だけは達者な奴だな、前の勇者とは大違いだ」
「ハッ、前の勇者がどんな奴かは知らねぇが、俺は正々堂々戦う騎士道なんざ持ち合わせてねぇんだよ!」
後ろ足の周りをくるくると回り、あえて挑発するように姿を見え隠れさせる。
ウェロディエは足踏みをするが、ただの足踏みですらルークの命を奪うには事足りる。踏まれればその場で終わり、なんとも割には合わない戦いである。
「ーーッ」
その前兆をルークは見定めていた。
ウェロディエが尻尾を振り上げるのを見るのと同時に、持てる全ての力を持って全力で退避。背後を振り返る事すらせずに一目散に走り出した。
尻尾が地面に叩きつけられ、地が激しく振動する。巨体が軽々と跳ね上がり、落下の勢いで地面が沈んで土の波が四方に広がった。
事前に逃げ出していたルークは逃れ、してやったりと微笑む。
「バーカ、んな同じ手を何度もくらうかよ!」
ルークが一番警戒したいた事、それは跳躍である。一度目の戦いの時はそれで死にかけているので、軽いトラウマになっていたのだ。
それをこの土壇場で見極め、僅かな余韻に浸る暇もなく再び突撃を開始。
「チッ、どこまでもムカつく野郎だ」
「だったらちっさくなりゃ良いだろうが! その本当の姿ってのも対した事ねぇな!」
「いい加減口を閉じろ、耳障りだ」
段々とウェロディエに苛立ちが見え始めていた。
それがルークの狙いと知るよしもなく、ウェロディエは意地をはるようにドラゴンの姿で戦いを続ける。
苛立って冷静な判断を失うなんて期待はしていない。狙いはそこではないから。
「どぉぉぉぉぉ!」
雄叫びを上げるのは、自分を奮い立たせるためだ。叫び、そして飛び、そして走る。
避ける度に、走る度に、その才能は真価を発揮する。
極限の状態に追い込まれ、より鋭さを発揮する。
何度も何度もやり取りを繰り返し、ルークの持つ『逃げの才能』が。
ウェロディエは爪を地面に引っかけ、抉りながらルークの背後に向かって土の塊を投げつけた。
怯まずに突っ込み、土の膜の僅かな隙間を見つけて駆け抜けると、地面に突き刺さった爪の間を器用に走り抜ける。
「んなもんか! 魔元帥ってのも対した事ねぇな! 剣のない俺を殺すのにどんだけ手間取ってんだ! アァ!?」
「少しは黙れ、人間程度が調子に乗るな……!」
「その人間一人殺すのに時間かけてるから言ってんだろーが! 俺が前の戦争に参加してたらテメェらは一人残らず死んでただろうな!」
「……黙れって言ってるのが、聞こえないのか!」
ウェロディエが激しい咆哮を上げた。
空気が振動し、あまりの轟音に思わず耳を塞ぐ。全身が雄叫びにさらされ、身体中の神経が嫌と言うほどに悲鳴を上げる。
続けて両手を振り上げると、そのまま両の拳を地面に叩き付けた。
振動が地を伝って身体中に伝わり、心臓の鼓動がタイミングを狂わされたように速度を上げる。
立つ事さえ困難になり、思わず地面に膝をついてしまう。
「ーー隙が出来たぜ、人間」
声が聞こえた時には、既に手遅れだった。
地面を抉りながら迫るのは拳。正面を見据え、殺意にまみれた拳が真っ直ぐにこちらに迫っている光景だった。
死という言葉が、形を持って今まさにルークの命を刈り取るべく接近していた。
「ーーぐ、ォォォォ!」
諦める、そんな選択肢はあり得ない。
この男はどんな時だって自分のために行動を起こし、自分のために一切の妥協すらしてこなかった。
己の心情である、やるべき事を突き通すため。
叫び、麻痺していた感覚を無理矢理引き戻すと地面を両手で叩き、その勢いを使って全力で飛んだ。
直撃は免れた。が、全てを完璧に回避するにはタイミングが遅れてしまった。
「ゴフ……ガーー!」
僅かに拳が左腕を掠り、左半身を持って行かれたような衝撃が走る。当然の如く左肩は外れ、なにかが砕けたような音が轟音に紛れて耳に入る。
状態を確かめる暇もなく空中で数回転し、そのままの勢いで地面を転がりながら数メートル吹っ飛んだ。
平行感覚はどこかへ行ってしまい、止まった後でさえ自分が立っているのか倒れているのか、右を向いているのか左を向いているのかすら分からなくなっていた。
頭を振り、なんとか意識を保とうとする。
「……左腕……あるよな」
仰向けになりながらボヤけた視界を探り、左腕へと目を向ける。折れてはいるが、どうやらちゃんとくっついているらしい。
取れていないだけマシと結論付け、体を起こそうとするが、
「万事休すだ、クソ人間。お前の人生はここで終わる、俺が終わらせる」
眼前には、ドラゴンの凶悪な顔が広がっていた。間近で見れば見るほど恐怖の塊でしかなく、世闇に揺れる赤い瞳がルークを真っ直ぐに睨み付けている。
牙を見つめ、これからあれでぐっちゃぐちゃにされると考えただけで寒気が体を支配する。
ルークは諦めたように全身の力を抜き、
「わーったよ、殺したきゃ殺せ。ただ頼みがある、普通に殺すくらいだったら食ってくれ」
「は? 俺は女しか食わねぇって言ってんだろ」
「……認めたくねぇけど、俺は勇者なんだろ? だったらちょっとくらい特別扱いしろ」
「なんでお前が命令してんだ。だが……そうだな、勇者なら食ってやっても良いか。見せしめには丁度良い」
「だろ? ならとっとと頼むわ。あと痛いのは勘弁な、左腕とか痛くて泣きそうだし」
これから食われるというのに、ルークは適当な様子で口を開く。実際、痛すぎて泣きそうなのは事実だが、あまりにもあっけらかんとし過ぎていた。
ウェロディエは声を低くし、
「ありがたく思え、お前は俺が食った最初で最後の男だ。そしてーー死ね」
口を広げ、大きな顎が視界を埋め尽くす。
奥歯までしっかりと確認でき、その奥の喉ちんこの形ですらハッキリと見えた。
こんな形なのかぁなんて呑気な事を考えつつ、喉のさらに奥まで確かめると、ルークは思い出したように呟いた。
「あ、そうだ」
一瞬、顎の進行が止まった。
口元を悪魔のように歪め、右腕を口の中に突っ込むと、
「前の時は試してなかったわこれ」
呟き、右腕にはめられた腕輪が光を放つ。
ルークが持つ唯一の武器で、ティアニーズから貰った魔道具。
それが輝きを放つという事は、すなわち魔法が発動するという事で、
「たっぷり味わえや、デカブツ」
瞬間、掌に現れた炎の塊がウェロディエの口の中へと放たれた。ここまで一発も使って来なかった事がこうをそうし、残弾を全て使った一撃が喉の奥まで突き進む。
弾け、爆発。
ウェロディエは黒煙をたっぷりと吐き出し、
「なに、をーー」
なにかを喋ろうとしたが、舌を焼かれて上手く言葉を初声ないらしい。
ルークは微笑みながら満足げに微笑み、空を見上げた瞬間に前を通り過ぎた人影を見て『おせぇよ』と呟く。その人影はルークを飛び越え、ドラゴンの鼻先へと着々すると、
「確かにそうだな、目玉には鱗がねぇよオイ」
振り上げ、アンドラの握り締めたナイフがウェロディエの右目を貫いた。