三章十九話 『あるべき姿と』
とりあえずは三人の意思は一致し、逃げるのではなくて戦って切り抜ける道を選んだ。
相手はあの魔元帥で、とてもじゃないが勇者の剣なしの三人が太刀打ち出来るとは思えない。しかし、一度やると決めたのだから逃げるという選択肢はなくなった。
ウェロディエは闘志に満ちた三人を見て戦う意思を感じ取ったのか、進路に落ちていた木を弾き飛ばし、やれやれといった様子で肩をすぼめた。
「やる気満々って顔してるな、俺は別に構わないが……女の方も間違って潰しちまいそうで殺りにくいな」
「なに言ってんだオイ、アキンは殺らせねぇし俺も死ぬ気なんかねぇぞ!」
「そこの勇者ならともかく、お前みたいな一般人が勝てるとでも思ってんのか?」
「思ってるから戦う、男は一度向き合った相手に背を向けるなんてあり得ねぇんだよオイ」
「なるほど、中々良い男だ。でも俺は女しか食わねぇって決めてんだ、調味料どもは黙ってカスになってろ」
苛立ちながら乱暴に吐き捨て、ウェロディエはその手を振り上げる。硬い鱗で覆われた腕は鉄以上の強度を誇り、鋭利な爪は人間の肉体など簡単に切り裂いてしまうだろう。ようするに、当たれば終わりという事だ。
つまりーー、
「おっしゃァ! 逃げるぞ!」
俊敏な動きで百八十度体を回転させ、振り返ったかと思えば手を上げて全力の逃走を開始。
アンドラとアキン、そして敵であるウェロディエでさえその動きの意味を理解するのに時間がかかった。
残された二人は慌てて続くように駆け出し、
「テ、テメェ、戦うって言ったじゃねぇかオイ!」
「戦うとは言ったが正面切って戦うとは言ってない!」
「俺背を向けるなんてあり得ねぇとか言っちゃったんだぞ! めっちゃ恥ずかしいじゃんかオイ!」
「知らねぇよ! 勝手に格好つけたテメェが悪い!」
「喧嘩は後にして下さい! 来ますよ!」
必死の形相で迫りながら抗議するアンドラに、ルークは目をつり上げて屁理屈を口にする。
とはいえ、実際のところ正面から向かって行っても勝てないだろうし、この選択は間違ってはいない。
ウェロディエは三人を見据え、
「剣がない状態で無闇に突っ込んで来なかったのは褒めてやる。が、逃げれるなんてアホな事考えてないよな?」
両手を広げ、一気に走り出した。
木の間をすり抜けて走るルーク達などお構い無しに、ウェロディエはその爪と腕力で木々をなぎ倒して迫る。
振り返る必要などはない。
何故なら、嫌でも背後から近付く轟音が耳に入ったから。
「良いか、一度しか言わねぇから良く聞けよ! あの鱗はめっちゃかてぇから刃物で挑んだって勝ち目はない。鱗のない部分を攻めるって手もあるが、目くらいしか見当たんねぇ。となると、ちびっこの魔法しか攻撃手段として成立しねぇって事だ!」
「はい! 魔力はまだまだ残ってます、全然戦えますよ!」
「俺とテメェはどうすんだオイ」
「俺とおっさんは囮だ、ちびっこが確実に魔法を当てられるようにアイツを誘い出す!」
「囮ですか!? でもそんな危ない事……!」
「アキン! 勝つためにはこれが最善なんだよオイ! 腹決めてドッシリと構えとけ!」
「……はい!」
作戦、と言えるかどうかは怪しいが、アキンの魔法に頼るという方向性は間違っていないだろう。
以前ティアニーズから聞いた話しによれば、騎士団は魔法をメインにして遠距離からの攻撃で戦っていたようだし、勝てなかったとはいえ戦法としては正しい。
一応、奥の手はルークの中で考えてはいるが、成功する確証もないし最後に使うからこその奥の手なのだ。
言いかけた言葉を飲み込み、怒涛の勢いで飛んでくる木の破片を避けながら、
「合図したら俺とおっさんで突っ込む! 良いか!?」
「たりめーだオイ! 足引っ張るんじゃねぇぞ!」
「テメェこそ速攻死ぬんじゃねぇぞ!」
減らず口を叩きながらも、ルークは振り返りつつタイミングを見極める。
速度は間違いなくウェロディエが上だし、このまま逃げたところでなにか手を打ってくるに違いない。
勝負は一瞬。
あの巨大な腕に捕まらずになんとか懐に潜り込み、相手の動きを止める。
「今だ!」
「ッしゃ!」
ルークの合図ともに二人は急停止。
地面を靴裏で抉りながら止まり、体を捻って向きを変えると、ウェロディエに向かって全力の突撃を開始した。
ウェロディエは手を開き、点ではなくて面の攻撃に切り替え、
「やっとか、さて、見せて貰おうか……今度の勇者はどれ程のもんなのか!」
爪で風を切り、当たれば死に直結する一撃が頭上から迫る。
やっている事は虫を潰すのと同じだが、この場合の虫はルークとアンドラだ。死という一文字が形を持って襲いかかる。
ルークは飛び、アンドラは横へと逸れた。
爪の間を器用にすり抜けて飛び上がり、手の甲に着地するとそのまま止まらずに本体に向けてダッシュ。
アンドラは風圧で僅かに体勢を崩したが、片手を地面について体を支え、地を蹴って更に加速した。
「迷わずに突っ込んで来るか、肝だけは座ってるな」
「田舎者舐めんじゃねぇぞ!」
一気に腕を走り抜け、叫びながらゴツゴツとした鱗を踏み締める。残り数メートルまで迫ったところで、ウェロディエの怪しげな笑みを目にした。
そして次の瞬間、一つの異変によってルークは地面に頭から突っ込む事となる。
「うおッ!」
寸前のところで手をついて顔面強打を逃れると、顔を上げてウェロディエを見る。
何故か、その疑問は直ぐに解消された。
なんて事はない、ドラゴン化した腕を人間のサイズに戻しただけである。そのせいで足場を失い、地面へと落下したのだ。
「バカかお前? こっちは何人の人間相手にして殺してきたと思ってんだ、お前らがやる事なんざ簡単に分かるんだよ」
「クソッタレが……!」
そして再び腕はドラゴンへと変化した。
拳を結び、一直線にルークに向けて圧倒的な質量が迫る。
「ーーさせません!」
背後から聞こえた声とともに、ウェロディエの拳に炎の塊が激突した。威力を殺すとまではいかないが、確実に一瞬の隙をうみだした。
体を最小限まで縮めて転がり、横を掠めた拳に戦意を削られながらも回避。
「ナイスだちびっこ!」
「なるほど、魔法を使えるのはあの女だけか。先に男を殺しとこうと思ったが……まず食っちまうか」
「んな事俺がさせると思うかオイ!」
牙を光らせ、舌舐めずりをしてアキンを眺めるウェロディエの言葉を遮り、アンドラが右腕を避けて一気に拳の届く距離までつめる。
握り、そしてその頬に拳を叩きつけた。
しかし、
「ッ……魔元帥ってのはどいつもこいつもかてぇのかオイ……!」
「デストなんかと一緒にするな、アイツはただ硬いだけでしかない。俺のはちと違うぞ」
顔を歪め、右拳を庇うようにしてアンドラは一旦距離をとる。
ウェロディエは笑みを浮かべており、当然の如くダメージはないようだ。さらに、その頬にはドラゴンの鱗が浮かび上がっていた。
「硬いだけだと不便だろ? 俺の鱗は硬くて鋭い、人間なんかが軽々と殴ればどうなるか……まぁ、説明する必要もないか」
悟ったように呟き、ウェロディエの両手が一瞬にして人間へと変化。遠距離から近距離に切り替え、うずくまるアンドラの顔面へ爪先を叩きつけようと振り上げる。
間一髪間に合ったルークが襟首を掴んで引きずり、爪先がアンドラの鼻先を通り過ぎる。
首を締め付けられて苦しそうなアンドラをそのまま引きずり、ある程度の距離をとったところで投げ捨てた。
アンドラは顔をしかめつつ立ち上がると、
「めっちゃいてぇぞオイ……」
「大丈夫か? 折れてんじゃねぇの」
「んな生半可なもんじゃねぇよオイ、見るか?」
「止めろ気持ち悪い、んなグロいもん見たってやる気が失せるだけだ」
軽い調子で言っているが、庇っている右拳からは絶えず血が流れ落ちていた。骨折は間違いないとして、皮膚が避けて骨が見えている可能性もある。
そんな惨状を見せられてやる気を失わない自信はなく、ルークは即座に断った。
「んで、まだやれんのか」
「たりめーだ、こんなの日常茶飯事だオイ。テメェこそやられっぱなしじゃねぇのか」
「うっせぇ、遠距離と近距離、どっちもやれるなんざ予想外だっての。切り替える速度もはえぇし、近付き過ぎてドラゴンになられたら終わりだろ」
「あ、テメェ! それ分かってて俺に特攻させやがったなオイ!」
「でっかくならなくて良かっただろ。助けてやったんだからこれでチャラにしろ」
別に狙ってやった訳ではなく、たまたま先に到達したのがアンドラなだけであって、近付いていればルークも同じめにあっていただろう。
接近したければ攻撃が出来ない、しかし近付き過ぎてドラゴン化されたら潰される。
唯一の攻撃手段であるアキンを前に出す訳にもいかず、肉弾戦しか取り柄のない二人でどうにかするしかないのだ。
ルークは考え、面倒くさそうに息を吐き出し、
「しゃーねぇ、一旦下がってちびっこに治してもらって来い。んな状態じゃまともに動けねぇだろ」
「良し分かった、後は頼んだぞオイ」
即答し、アンドラは足早にアキンの元へと走って行こうとする。
その肩を掴んで引き止めると、
「まてまてまて、もうちょっと名残惜しい感じ出せやボケ」
「テメェが下がれって言ったんだろオイ。今さら怖じけづいてんじゃねぇよ」
「そこは俺も戦うとか格好つけろよ」
「格好つけてもテメェが全部台無しにするんだろうがオイ!」
「わーったよ、さっさと行け」
ツンデレとは若干違うけれど、少しだけ期待していたルーク。とはいえ、自分と似ているアンドラがその期待に応える筈もなく、結局アンドラは足早に下がって行ってしまった。
「どうした、もう作戦会議は終わったのか?」
「とりあえずテメェの相手は俺がする事になった」
「そうか、最初からそうしろよ。元々俺の狙いはお前だ」
「んな事知るか、面倒くさいんだよテメェ」
乱暴に言葉を繋ぎ、口の中に入った砂利や土を吐き捨てる。アンドラのせいで大分と戦う気力は削ぎ落とされているが、やらなければ死ぬとなればやるしかない。
構え、そして右腕にはめられた最後の武器に触れる。
そのまま走り出そうとするが、
「元々俺の狙いはお前だ。が、さっきの一発で気分が変わった」
「諦めた……とかじゃねぇよな」
「当たり前だ、面倒だからさっさと終わらせるって事だよ」
ベキベキ!となにかが擦れる音がルークの鼓膜を叩いた。
耳をつんざくような嫌な音に思わず眉を寄せ、その音源であるウェロディエを睨み付ける。
赤い瞳と交わり、その瞳が大きく揺れた。
変化が訪れる。
両手が膨れ上がり、それにつられるように胴体が弾けるようにして肥大化。それは足にも訪れ、巨大な肉塊を覆うようにして皮膚を突き破って赤紫の不気味な鱗が姿を現す。
鋭い赤眼と何人もの人間を噛み砕いてきたであろう牙。
やがてそれは姿を確立し、本来のあるべに姿へと戻る。
「さぁ、食事の時間だ」
低音の声と思われるものが響き渡る。
木々が激しく揺れ、鳥たちが一斉に飛び立つ。
そして、放たれた炎が森を焼き付くした。