一章四話 『貞操の危機』
無言のまま馬車に揺られ、ルークとティアニーズは素直に誘拐されていた。
盗賊にも負けじと挑む姿勢を見せたティアニーズだったが、馬に乗るマッチョの背中を見て、戦意喪失したようだ。わざとなのか意識しているのか分からないが、先ほどからピクピクと服越しに背筋が波打っているのが見える。
「あ、あの、私達はどこに連れて行かれるんですか?」
若干手を振るわせながらティアニーズが問い掛ける。普通の盗賊よりか遥かに恐怖を煽る背中を持つマッチョは二人に顔を向けず、
「もうすぐですよ。アタシ達は貴方をずっと待っていました」
「貴方ってこの勇者もどきですか?」
「誰が勇者もどきじゃ。もどきですらねーよ」
どうあっても自分が勇者だと認めようとしないルーク。条件反射で否定すると、マッチョは横顔を見せて微笑んだ。
恐らく本人は気付いていないだろうが、その笑顔はそっちの毛を連想させる。
マッチョは進行方向を指差し、
「ほら、あれがアタシ達の村よ」
抵抗と反論もする気も削がれ、ルークとティアニーズは揺れる馬車に乗りながら村の中へと入って行ったのだった。
村に着いて馬車を降りた二人。何のこっちゃ分からないので、とりあえずルークは何があっても大丈夫なようにティアニーズの背後へと移動。盾にする気満々のようだ。
しかし、そんな危惧は外れ、一人の杖をついた老人の男がシワだらけの笑顔を浮かべてやって来た。
「よくお越し頂きました。勇者様とそのお仲間ですね?」
「違います」
「はい、仲間ではないです」
「またまたご冗談を。予言の書にあった通り、貴方達は盗賊に襲われていた。勇者様で間違いありませんよ」
二人の否定する箇所は違うけれど、老人は構わずに話を続ける。その間、ぞろぞろと村人が姿を現し、ルーク達をかこうように円を作った。
全力で逃げ出したい気持ちを堪え、質問しろという意味を込めてティアニーズの背中を押す。
「貴方ねぇ……この人が勇者かは一旦置いとくとして、その予言の書とはなんですか?」
「我々の村に昔から伝わる古文です。百前の魔王の出現、それから勇者様が現れる事が記してある本です」
「……私は騎士団の者ですが、そんな物が存在するとは聞いた事がありません。もし仮にそれが事実なのだとして、何故世間に公表しなかったんですか? そうすれば魔人大戦で多くの命が失われずにすんだのかもしれないのに」
「我々も見つけたのがつい最近なのですよ。もっと前に見つけていればそうしていましたよ」
訝しむ目を向けるティアニーズを前にして、老人は笑いながら言葉を続ける。彼女の言う通り、予言の書なんて物があれば戦局は変わっていたかもしれない。しかし、それを今さら言ったところで何も変わりはしない。
ティアニーズも分かっているらしく、怪訝な表情で違和感を押し潰して質問を口にする。
「分かりました、予言の書の話は一旦置いときましょう。それで、何故私達をここに連れて来たんですか?」
「先ほども言いましたが、貴方達が現れる事は予言の書に記されていたのです。そして、その勇者様があの剣を抜く事が出来るという事も」
「あの剣?」
「そう、始まりの勇者が魔王を封印する時に使用した剣です」
その言葉を聞き、何か知らないかという視線を向けるティアニーズ。勿論、ルークに心辺りがある筈もなく首を横に振った。
そもそも、戦争が起きた頃にルークは産まれておらず、その実害がどれほどのものなのか知らないし、戦争の結末についても村長に聞かされた程度なのだ。
そんなルークが剣の話など知っている方がおかしい。
ティアニーズは再び老人へと目を向け、
「それはありえません。魔人大戦で亡くなった始まりの勇者の所有物は全て王都で管理しています。私だって剣の話は聞いた事ありますが、魔王を封印する際に砕けたと聞きます」
「えぇ、私もそう聞きました。ですが実際に剣はあった。そして、この村にやって来たのです」
「……やって来た?」
「はい、ちょうど五十年前、戦争が終結した年の事です」
この時点で、老人の怪しさは限界値を越えていた。自分を勇者だと納得していないルークにとって、いきなり馬車で連れ去った連中を信用しろと言う方が無理な話だ。
挙げ句、騎士団であるティアニーズですら知らない情報を持ち、存在するか不明な予言の書とかいうとんでもアイテムの話まで飛び出して来た。
それはルークだけに限らず、ティアニーズの警戒心は常に研ぎ澄まされている。
しかし、老人は相も変わらずの笑顔である。老人は真っ白な髭を指先で遊ばせ、
「つもる話は剣の元でしましょう。立ち話もなんですから」
「私達がそれに従うと?」
「従って貰わねば困ります。この世界の未来がかかっておりますので」
老人が手にしている杖で地面を一回叩くと、ルーク達を囲む村人が一歩前進。人数だけなら盗賊とは比べ物にならず、先ほどの囮作戦も通用しないだろう。
それに、老人はティアニーズと会話しているが、その視線は執拗にルークへと向けられている。
「分かりました。ですが、怪しいと判断した場合は直ぐにでも抵抗します」
「いやいや、もう怪しいだろ。だってあのマッチョだぜ? めっちゃ俺の事見てるし、絶対に狙われてっから」
「貴方の貞操がどうなろうと知りません。私は騎士団に所属する者として事実を確かめる義務があります」
「話が分かる方で良かった。では、こちらへ」
ルークの意思とは関係なく、老人の言う通りにする事は決定となってしまったらしい。諦めの境地に達したルークはため息をこぼし、ティアニーズを盾にしながら老人の後に続くのだった。
ルーク達が訪れたのは老人の家と思わしき建物だった。屋根に藁が敷き詰められ、このご時世では中々珍しいタイプの建築物である。ルークの住む村も田舎だが、この村はそれ以上のようだ。
中へ入ると、老人が床に敷いてある絨毯を退かし、そこへ現れた木製の扉を開ける。
「秘密基地かよ。怪し過ぎんだろオイ」
「無駄口を叩いてる暇があるなら歩いて下さい。それと、私を盾にするのは止めて」
盗賊の口癖が伝染しつつあるルークは腕を引かれ、今度はティアニーズの前に立たされる。
そのまま老人に続いて階段を下って行くと、石レンガで舗装された道が奥まで続いていた。勇者の剣とは程遠く、強いて言うならば魔王が住んでそうな洞窟だった。
「一つ質問良いですか?」
「なんなりと」
「貴方の言う事が本当だとして、何故見つかった直後に言わなかったんですか?」
「それを言えば、貴女達騎士団は剣を強引にでも奪いに来ていたでしょう? 我々にはあの剣を守る義務が、そして本物の勇者の元へ届ける使命があるのです」
「……貴方達は何者なんですか?」
「質問は一つ、そうおっしゃいましたよね?」
剣へと行く道すがら、ティアニーズは老人に探りを入れていた。生きて来た年月の差で上手く丸め込まれているが、ルークはそんな事どうだって良かった。
一番危険なのは、老人ではなく隣を歩くマッチョなのだから。
「あの、何で俺の隣歩いてんすか?」
「君を守るため。アタシはそのために鍛えているのよ」
「あの、すんげぇ失礼な事聞きますけど、何で一人称がアタシなの? どことなく口調も女っぽいし。もしかしてだけど、オカマじゃないよね?」
「あら失礼ね、アタシはどっちもイケるわ」
歯をキラリと光らせて上腕二頭筋をぴくびと動かすマッチョ。今までに感じた事のない悪寒が身体を駆け巡り、ルークは自分の尻を死守しようと両手で覆った。
それぞれが色々な疑問を抱きながら進んでいると、少し開けた空間へとたどり着く。
「あれが、始まりの勇者の剣です」
老人はそう言って指をさす。鍾乳洞のように岩肌がさらされ、所々にひび割れが見えるが、それ以上に青紫の光が全てを帳消しにし、神秘的な雰囲気で包み込んでいる。
その中心に四角い台座があり、岩に突き刺さる一本の剣が見えた。
しかし、
「……なぁ、俺は剣の良し悪しは分からねぇけどよ、めっちゃボロくね?」
「刀身は錆びて柄は所々腐敗していますね。とても勇者の剣とは思えません」
ティアニーズの言う通り、その剣は素人目で見てもボロボロだった。勇者の剣という威厳ある名前とは程遠く、鍛冶屋で作られた失敗作だと言われても気付かない程に。
特別な力も感じないし、何か光ったりもしない。
「見た目はアレですが、秘められた力は神の領域へ達しております。試しにいかがですかな? 騎士様が抜いてみては」
「私に抜けるんですか?」
「無理ですな。村の皆が試してもビクともしませんでしたから。貴女も自分の身で実感してみると良いですよ」
少し挑発的な老人の態度に乗せられ、ティアニーズは渋々ながらも台座へと足を運ぶ。老人の言葉が正しいとすれば、ルークの隣に居るマッチョですら抜けなかったという事だ。正直、胡散臭い事この上ない。
(子供が蹴っ飛ばしたら抜けそう)
台座に刺さっているのは刃先のみで、とてもじゃないが信じがたい。
ティアニーズは柄を握り、神妙な顔つきに変わる。息を止め、あらんかぎりの力で引き抜こうとするが、
「あ、あれ……全然ッ……抜けない……!」
上に引いたり横へ倒そうとするが、剣は微動だにしない。踏ん張っている足場が削れているのを見るに相当力を込めているようだが、ルークの目にはふざけているようにしか映らなかった。
「おーい、なにやってんだよ。とっとと抜けよ」
「ぬ、抜けないんですよ! 刺さってるって言うより、くっついてるみたいに……!」
その後、数分間粘ったが結果は変わらず、肩を上下に揺さぶるティアニーズが帰って来た。額には汗が滲んでおり、彼女がどれだけ必死だったかを物語っていた。
疑おうにもティアニーズは喋れないほどに息を切らし、演技でこれをやっているとは思えない。
「さぁ、勇者どの。貴方の番ですよ」
「い、いやいや、無理だって」
「アタシが連れて行ってあげましょうか?」
「よし行って来ます」
マッチョが接近してきたのでそそくさと台座まで移動。周りの目がルークへと集中し、嫌な緊張感が漂う。
剣を前にしても、ルークは何も感じなかった。
そして、抜ける筈などないと安心しきっている。
自分が平凡なのは誰よりもルークが分かっているし、勇者なんて呼ばれる存在ではない。
老人は勘違いしているようだが、この剣が抜けないと分かれば諦めるだろう。ルークはそう思い、剣へと手を伸ばすーー、
「……え?」
空気が氷ついた。洞窟の中だからとかではなく、目の前で起きた光景によって。
だって、ルークは剣に触っていない。
なのに、剣は独りでに倒れたのだから。