三章十三話 『脱走劇』
目を覚ましたルークが初めに感じたのは、左肩に駆け巡る激痛だった。
痛みの発生源を押さえ、うずくまるようにして体を丸めると、自分がベッドの上で寝かされていた事に気付く。意識が覚醒していく最中、何故ここに居るのかを思い出し、
「……あの野郎、いきなり電撃食らわせるとか正気かよ。こちとら怪我人だぞ」
天井を見上げ、最後にかけられたアルフードの言葉を思い出しながら呟く。
ふと窓の外へ目を向けると、既に日が沈んでいた。どれほど寝ていたかは分からないが、時計を見ると針が十二時をさしていた。
痛みに顔を歪めながらベッドから下りると、窓の側まで歩みを進める。見えるのは、乱暴に打ち付けられている木の板の隙間から見える僅かな風景だけで、他の窓も同様に開ける事が出来ないようになっていた。
「逃がさねぇってか……それにしても雑過ぎんだろ」
木の板に触れ、思ったよりも頑丈に取り付けられている事に驚くルーク。窓から脱走するのを諦めると、今度は扉へと近付き耳をすませる。
扉の向こうからは数人の話し声が聞こえ、少なく見積もっても三人は居るだろうと予想。
(強行突破も出来ねぇか……。流石にこの傷で何人も相手にするのは無茶過ぎる、あの野郎、とことん性格わりぃな)
脳裏に過ったアルフードの顔を頭から弾き出し、一旦ベッドに戻るとどうやって抜け出すかを考え始める。
気絶した事によって多少の冷静さは取り戻したが、このままジっとしているという選択肢はないようだ。
(窓も無理、扉も無理、完全に八方塞がりってやつだな。それに……)
部屋の中をぐるりと見渡し、ベッドと机以外に全く物が置かれていない事に気付く。恐らく宿舎の中だと思われるが、昨晩泊まっていた部屋とは違うところを見るに、脱走を警戒して物を退かしておいたのだろう。
(剣がありゃなんとか出来たかもしれねぇが……多分桃頭の部屋に置きっぱなしだろうな。いや、あっても人を斬れねぇんだから意味ねぇか)
勇者の剣はルークしか持ち運べない事を考えると、恐らくあの部屋に放置したままなのだろう。取りに戻るという選択肢もあるが、それだけのリスクを犯して手にする価値ははないと考え、剣を取りに行くという考えを捨てた。
(しゃーねぇ、ぐちゃぐちゃ考えたって良い方法が浮かんでくる訳でもねぇし、行き当たりばったりでやってみるか)
頭の中である程度の考えをまとめ、ルークは脱走しようと行動に移る。
わざと音を立ててベッドから飛び下りるとそのまま扉に突撃。渾身の演技力を発揮し、苦しそうな声を絞り出す。
「そ、そこに居るんだろ? 腹痛くてやべぇんだ、トイレに行かせてくれ」
「起きたのか? 残念だが、隊長の命令で君をここから出す訳にはいかないんだ」
「んな事言っても漏れそうなんだ……よ」
「ダメなものはダメだ。今晩だけでも我慢してくれ」
(やっぱそう簡単には出してくれねぇか。アルフードの野郎、相当俺に警戒してやがんな……)
扉の向こうの男の素っ気ない態度は安易に想像出来たので、ルークは一つ目の作戦を簡単に諦めた。
さりとて、この程度で諦めるような男ではないので、直ぐ様次の作戦へと移行。大きく息を吸い、腹の底から声を上げた。
「グ、グァァァァァァ……肩が、肩がめっちゃ痛いぃぃぃ……死ぬ、血が出過ぎて死んじゃうぅぅ!」
「お、おい! 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫じゃないぃぃ! イヤァァァ肩が取れるぅぅ血が止まらないぃぃぃ」
「ちょっと待て! 傷口は塞いだ筈だぞ……まさか、さっきの大きな音は転んだ音か!? それで傷口が開いたのか!?」
「無理ぃぃ痛過ぎるのぉぉぉ! 肩がプランプランしてるぅぅぅ!」
大根も大根、とんでもなく胡散臭い演技だが、外で待つ男達はざわつき始める。これで騙されるのはよほどのお人好しかバカくらいだが、恐らく両方持ち合わせているのだろう。
額に汗を滲ませ、ルークは畳み掛けるように迫真の演技を続ける。
「俺の、俺の肩がァァァァァ肩肩肩肩がァァァァァ! 分離しちゃぅぅぅ!」
「いや待て落ち着け、これは演技かもかされないぞ! 一旦様子を見てーー」
「なんじゃ……こりゃァァァァァ!!」
「おいどうした!?」
最後に今日一番にド派手な声を上げると、ルークは男の問い掛けを無視して一旦黙り込んだ。
緩急というやつである。今まで叫んでいた人間がいきなり黙り込んだらどうなるか、外で待つ男達の疑心はさらに煽られるだろう。
部屋の外に注意を払いつつ、ルークは足音を殺して扉から離れる。ベッドの横まで行くと、包帯を外してその場に寝転ぶと死体の出来上がりである。
外の男達はドタバタと足音を騒がしくし、
「ど、どうする?」
「いやしかし、アルフードさんからの命令だぞ」
「でも、もしあの男にもしもの事があったら……」
「わ、分かった、俺が中に入って様子を見て来る。怪我が酷いようだったら治す」
外の会議は終わったらしく、ルークはしめしめと微笑んだ。ゆっくりと開かれる扉を目にし、その笑みを殺して顔面を狂気で満たす。
男はルークの側によると、血相を変えて肩を揺すった。
「おい、大丈夫か? まさか死んでないよな?」
「…………」
「しっかりしろ! 今治してやるーー」
男が顔を覗き込んだ瞬間、一気に胸ぐらへと手を伸ばして床に叩きつけると、押さえつけるように馬乗りになった。
体重をかけて逃げられないように固め、男の首へと手を伸ばす。
「よォ、やっと来てくれたか」
「お、お前なにをしている!」
「おっと大きな声を出すなよ、うっかり間違って首折っちゃうかもしれないし」
声を荒げようとした男の首を締め付けて言葉を遮ると、悪という言葉でしか表せないほどの表情へと変化。
勇者どころか、それは魔王と言った方がふさわしいだろう。
苦しそうに顔を歪める男を他所に、ルークはこちらの要求を伝える。
「良いか、俺の言う事だけに従え。バカな真似した瞬間にテメェの指の骨を一つずつへし折ってく」
「こんな事して許されると思っているのか……?」
「んな事知ったこっちゃねぇんだよ、いきなり気絶させて閉じ込めたテメェらがわりぃんだ」
「俺は正義のために騎士団に入ったんだ……そんな脅しには屈しない」
「そうか、んじゃ……」
静かに微笑み、痛んでいる肩を気にせずに左手を男の指に伸ばすと、本来なら曲がらない方向へと全力で指を傾ける。
握っているルークですらミシミシと骨が軋む嫌な音が聞こえたが、一切緩める事はしない。
「お、お前本気で折るつもりなのか!?」
「たりめーだろ、つか無駄口叩いてんじゃねぇ。んじゃ、一気に折るからな」
「ま、まてまてまてまてまて、分かった、分かったから折るな」
「よしよし、最初からそうしてりゃ良いんだよ」
心の中でビートに感謝すると、安心したように胸を撫で下ろす男へと畳み掛ける。指は握ったまま、叫べば容赦なく折るという威圧を与えながら。
「テメェの持ってる武器を全部よこせ。答は分かりました以外は受け付けない」
「わ、分かりました……」
「良い子だ、そんで黙って立ってジッとしてろ」
一旦男を解放すると、所持していた剣やナイフなどを全て取り上げ、身につけていた鎧も容赦なく剥ぎ取った。
完全に戦意喪失しているのか、男は抵抗する様子もなく無言で震えながら立っている。
ルークはおもむろに取り上げた剣で掛け布団を切り裂き、
「……なにしてるんだ」
「勝手に喋ってんじゃねーよ」
等間隔で掛け布団を切り裂き、ルークは下着姿の男の体にそれをきつく巻き付ける。
男は自分がこれから拘束されると理解したらしく、天井を見つめて必死に涙を堪えていた。
「うっし、こんなもんだろ」
「むぐ、むぐぐぐ」
「なに言ってっか分かんねぇよ」
猿ぐつわのように口にも巻き付けているので、男は息苦しそうにもがいている。軽く押してベッドの上に寝転ばせると、ルークはナイフで念入りに打ち付けられた窓の釘を抜き始める。
全ての木の板を剥がし終えると、窓を開けて下を確認。どうやら二階らしく、このくらいならば飛び降りても大丈夫だろうと頷く。
「んじゃ、俺は行くから。もしアルフードに会ったら伝えとけ、俺は俺のためだけに動くってな」
最後にそれだけ言うと、ルークはもがく男を後にして扉から身を投げる。着地し、爪先から頭に登った痺れに全身を震わせながら、周りを確認して脱走は見事に成功したのだった。
脱走に成功したとはいえ、そもそもルークは土地勘が全くない。宿舎からゴルゴンゾアの入り口までならなんとか覚えているものの、無闇に走り回ったところでイリートへたどり着くのは無理だろう。
しかし、ルークは意図せずして有益な情報を得る事となる。
「……あの金髪、完全に指名手配くらってやがんな。そこら中に騎士団の連中がいやがる」
物陰に身を潜めながら町を徘徊していると、視界の至るところに鎧を着た騎士団と思われる集団が見えた。イリートを探すために総力を上げているのだろうと考え、立ち話をしている二人の男の背後へと忍び寄る。
「どうだ、なにか見つけたか?」
「いや、どこも目撃情報はないみたいだぞ。もしかしたらもう、ゴルゴンゾアには居ないのかもな」
「これだけ大規模で探し回ってるんだ、相手だって気付いて逃げるくらいはするだろうな。それに、居ないって言ったってどこに行ったんだよ」
「そんな事俺が知るかよ……いや待てよ、そういやここから馬車で半日くらい走ったところの町で、富豪が勇者を集めてるって話を聞いたような……」
立ち話に疲れたのか、一人の男がルークが隠れている木箱に腰をおろした。
バレないように身を屈め、全神経を男達に集中する。
「いやいや、まさかそこに行って全員殺すつもりだってのか?」
「流石にそこまではバカじゃないと思うぞ? いくらイリートが強くたって、大勢の勇者を相手にして勝てる筈が……いや、やりそうだな」
自分の言葉を否定する男に、ルークは同意してしまった。
あの男の行動原理は自分が勇者だという自信から始まっており、そこに一切の邪念はない。相手が誰でもあろうが関係なく、勇者と名乗る者ならば容赦なく切り捨てることの出来る男ーーそれがイリートだ。
善意はあるのかもしれない。自分が勇者だと信じているからこそ、名前だけの偽物が許せないのかもしれない。
けれど、その迷いのない正義こそが危険なのだと、イリート本人は自覚していないのだろう。
(本当にムカつく野郎だ……でも色々と分かってきたぞ。アイツの狙いと、心をへし折るための方法が)
頭の中で考えをまとめようとその場を離れようもした時、それは視界に入った。
夜空に輝く緑色の光、ゴルゴンゾアの空を照らし儚く散る緑色の炎は美しいという言葉がふさわしいけれど、その意味を知る者からすれば美しいさなど微塵も感じない。
「あれは……!」
男が呟いた瞬間、ルークはその男を突き飛ばして姿を現した。木箱に乗り上げて大きく跳躍すると、そのまま走り出す。
騎士団内で使われている緊急用の信号、それすなわち光の真下にあの男が居るという事だ。
「逃がすかよ……!」
苛立ちと嬉しさの両方が一気に押し寄せ、怪しげな笑みを浮かべながら光の元へとルークは全力で駆け出した。