三章十話 『敗北者』
魔道具を構え、その少女は真っ直ぐにイリートを見据える。向けるのは敵意、一歩でも動けば容赦しないという気迫が身体中から溢れだしていた。
それを見て、ルークの中で激しく警報が鳴り響いた。
彼女を、ティアニーズをこの男と会わせるのは危険過ぎると。
昨日の件もあり、ティアニーズがイリートの考えを知れば黙っている筈がない。彼女の真っ直ぐで真面目な性格は、決してイリートを許す事はないだろう。
そして、それはイリートも同じ筈だから。
「バカ……テメェなんでここに来た! とっとと戻れ……!」
「様子が変だったから追いかけて来たんです。そうしたら案の定でしたね……貴方が勇者殺しの犯人……!」
「今すぐ戻って助けを呼んで来い、お前じゃコイツには勝てねぇ!」
「そんな事関係ありません。沢山の人の命を奪い、私の……私の大事な仲間を傷付けた相手に背を向ける事は絶対に出来ません!」
チラリとルークに視線を送り、ティアニーズは引く事のない意思を告げた。
しかし、今回はその強さがあだとなる。
どう考えても人を呼んだ方が良いだろうし、いつもの彼女ならばそうしていただろう。
けれど、今のティアニーズは目の前で二人の残酷な殺され方をした死体を目にし、今度はルークという仲間を傷つけられている。冷静な判断能力を失い、良くも悪くも熱くなってしまっているのだ。
「君か、良かったよ、僕も丁度会いたいと思ってたところだから」
「奇遇ですね、私もそう思ってました。これ以上人を傷付ける行為を見逃す訳にはいきません、貴方を今ここで捕らえます」
「僕を捕らえる? 大きな勘違いだよそれは。僕がやっている事は正義なんだ、法で裁かれるべき事じゃない」
「それを決めるのは貴方ではなく法です。そして、その法は貴方を殺人鬼としてしか見ませんよ……たとえ勇者だとしても」
「……やっぱり君は勇者がなんなのか理解していないようだね。だから教えてあげないと、本物の勇者がなんなのか」
上げた剣をそのままティアニーズへと向けるイリート。
ルークは手を伸ばして鞘を掴もうとするが、意思に反して指先が僅かに動く程度だ。
この男は間違いなく、なんの躊躇いもなくティアニーズを殺すだろう。
それだけはなんとしても阻止しなければならない。けれど、
「君は後で殺す。それまで生きていられればの話だけどね」
「ざけんな、テメェの相手は俺だ。無視してんじゃねぇぞ……」
「君の命はもったとしても後数分。元々相手にすらならないんだ、僕が直々に手を下すだけでありがたいと思いなよ」
「……そうですか、なら、早々に決着をつけなければいけませんね」
ルークの横を通り過ぎ、イリートはティアニーズへと歩いて行く。既に敵意の対象は変わっており、彼の視界にはルークなど微塵も入っていない。
ティアニーズも同じで、臨戦態勢へと入っていた。
二人は向き合い、
「最後の警告です、大人しく投降して下さい。勇者として世界を救いたいと思っているのなら」
「世界は救うよ、けどその前にやらなくちゃいけない事がある。道に転がるゴミの掃除だ、名ばかりのゴミどもの掃除をしないと」
「……説得は通じませんね。やはり貴方は勇者ではないし、勇者にもなれない……ただの犯罪者だ」
「心外だな、僕のおかげでどれほどの人々が救われていると思っているんだい?」
「そんな事は関係ありません、貴方は本来救うべき人々を傷付けているんです。どんな理由があろうとも、個人の意思で人を殺すなんて事は許されない」
「ルールは僕が決める、僕は勇者だから」
そこで、二人の会話は途切れた。お互いに理解したのだ、絶対に意見が一致する事はないと。
だから、後は言葉ではなく、力で相手を納得させるしか方法はない。
武器を捨て、武器を握る。
そしてーー、
「ハッ!」
戦いが始まった。
ティアニーズの魔道具から放たれた炎の鳥は一直線にイリートへと突き進む。熱を発するそれは、前にルークが見た物とは段違いの速度と規模で犯罪者を襲う。
イリートは片手で剣を握り、軽く降って炎の鳥を切り裂いた。
「魔道具か……どうやら君は魔法が使えないみたいだね」
「だったらなんですか」
「いや、簡単だなって思っただけだよ」
ザッ!と音と共に地を蹴り駆け出したのはイリートだった。その一太刀はティアニーズが構えるより早く彼女の喉元へと伸びる。
首を横へ曲げ、当たりはしなかったものの、風圧に顔をしかめながらもティアニーズは即座に反撃へと転じる。
ティアニーズも容赦していられないと今の一撃で悟ったのだろう。イリートの腹に向かって横一線に剣を振り、あえて彼の間合いに足を踏み入れる。
イリートは後ろへ飛ぶ事で回避すると、間髪入れずに再び走り出した。
「ーーッ!」
二人の剣が激突し、剣撃の攻防が繰り広げられる。
素人であるルークから見てもその差は歴然で、単純な技術だけならば間違いなくイリートが上だろう。
しかし、極限まで研ぎ澄まされた集中力と怒りの感情がティアニーズの動きを支えていた。
受け流し、斬りつけ、距離を取る。
イリートの剣は一太刀でも浴びれば呪いに蝕まれるという驚異がある。対してティアニーズは己の技術と弱い魔法を使える魔道具のみ。
一瞬の油断さえ許されないのだ。
「うん、ただの騎士なのに中々やるもんだ。ここで殺してしまうのはおしいよ」
「貴方に殺されるつもりはありません!」
「戦いっていうのは技術と経験が全てなんだ。意思の力なんて見えないものでその差は埋まらない」
「違う! 戦いにおいて一番大切なのは立ち向かう勇気です!」
ティアニーズの籠手がひかり、現れた三本の氷の刃がイリートへと襲いかかるが、彼は腕を振って炎の壁を作り出し、その一撃をしのいだ。
さらに、作り出した炎の壁は鞭のように形を変え、四方からティアニーズの足に目掛けて伸びる。
「クッ!」
「無謀と勇気は違う。世の中には絶対に出来ない事があるんだよ」
飛び、足に迫る鞭を回避しようとするが、空中に飛んだ事で身動きが取れないティアニーズの体に鞭が叩き付けられる。なんとか剣で応戦するが、防げたのは五本の内の僅か二本のみ。
倒れ、焼けた足を庇うティアニーズに、イリートは静かに近付く。
「あ、良い事を思いついたよ、君の言う本物の勇者はどこに居るんだい?」
「……答えたら、どうなるんですか」
「君は強い、それに僕には及ばないけど勇者がなんなのか理解するだけの頭を持ってる。だから、教えてくれたら見逃してあげるよ」
「断ります……絶対に」
「悪い話じゃないと思うけど? 君はいきて偽物をこの世界から消せる。勿論、君は僕と共に偽物達を殺すために働いてもらうけど」
足を引きずりながら、ティアニーズは迫るイリートから距離をとろうとする。炎や氷を投げつけるが、イリートは涼しい顔でそれを凪ぎ払った。
「貴方は犯罪者であって勇者ではない。そんな人の仲間になるくらいなら死んだ方がマシです」
「……そうか、残念だよ」
その笑みが強がりだという事はルークにも分かった。
素っ気なく応じるイリートに、ティアニーズは籠手を構えてなにかをしようとした。恐らく、彼女の打てる最後の手だったた。けれど、
「見くびるなよ、僕は自分の力を過信してはいない。君は殺すべき相手で僕の敵だ……だからーー」
腕を振り、現れた炎の鞭がティアニーズの腹部を貫いた。
傷口を即座に焼き、血こそ流れる事はないが、口から溢れ出す血液がその威力を物語っていた。
続けてイリートは再び腕を振り、ティアニーズの周囲を風が包み込んだ。
「痛みで己の愚かさを知ると良いよ、簡単には死なせない」
ティアニーズの服に血が滲む。小さな風の刃が体を切り裂き、やがて風が消えると前のめりに倒れた。
既に勝負は決した。意識の有無は分からないけれど、倒れるティアニーズはピクリとも動かない。
しかし、イリートはティアニーズの肩に切っ先を僅かに突き刺した。今の彼女にとっては大した痛みではないだろうけど、その行動の意味をルークは知っている。
全身から血を流し、腹に穴を開けた少女の体に呪いを刻みこんだのだ。
「テメェ……いい加減にしろ……!」
「へぇ……まだ喋れるんだ。大丈夫、彼女も君の後を直ぐ追う事になるよ。もっとも、もう死んでるかもしれないけどね」
「黙れ……逃がすかよ!」
イリートの言う通り、今のルークは口を開く事で精一杯だった。
けれど、諦める事はしない。そんなものよりも怒りが思考を支配していたから。
だから、最後の一滴を絞り出す。この状況を覆せる唯一の手段へと手を伸ばす。
そして、届いた。
指先に鞘が触れた瞬間、宝石が砕けて光がルークを包み込むと、全身の倦怠感と重さが消え去った。握り、今度はそれを空に向かって掲げる。
鞘の先から緑の光が現れ、空へ向かって登って行った。
「……どういう事だ、あり得ない、なぜ君は動ける。今のはなんだ、なにをした!」
驚くイリートの言葉を無視し、本来の動きを取り戻したルークは走り出した。
イリートが構えるよりも早く鞘を地面に叩き付け、爆発するようにして煙が広範囲を一気に包み込む。本来ならぶん殴ってやりたいが、ルークは混乱しているイリートの横を通り過ぎ、
「バカかテメェは! なにしてんだよ、クソ!」
倒れるティアニーズの側により、握り締めた鞘を体に触れされる。しかし、宝石は砕けない。
鞘の力でルークは自身の呪いを解いたが、ティアニーズの体に対しては何故か力が発動しなかった。
鞘については謎が多く、一応の使い方は理解しているつもりでは、良く良く考えれば力が発動するのはルークを守るためだった。
嫌な予感が頭を過り、ルークは乱暴に言葉を吐き出す。
「クソ、なんでなにも起こらねぇんだ! まさか、俺だけしか治らねぇとかか……」
「答えろ、一体なにをした。僕の意思に反して呪いが解けるなんて事はありえない」
風が吹き荒れ、煙幕が一気に消え去り視界が晴れる。風を発生させた本人、イリートは怒りに満ちた瞳でルークを睨み付けていた。
イリートへと目を向け、即座に思考を切り替える。鞘では治せない、ならば、
「教えろ、呪いを解く方法を」
「僕が質問しているんだ、何故呪いから解放された!」
「良いから黙って教えろ!!」
「君に質問する権利はない!!」
お互いの激情をぶちまけ、二人は揃って走り出した。
その意思に応じるように、勇者の剣はルークの手に吸い込まれるようにして独りでに宙を舞う。
握り、二人の剣が激突ーー、
「そこまでよ」
路地に一人の声が響き渡った。
構わずに振り下ろした剣は激突する事なく、突然現れた透明な壁によって阻まれた。
魔法、背後に立つメレスがやった事だった。
メレスはルークを見ず、引き連れて来た集団に向けて、
「あの金髪を捕らえなさい、アイツが勇者殺しよ」
「メレスさん、まさか貴女が僕の邪魔をするなんて」
「あら、意外かしら? 元々アンタの事いけすかない奴だと思ってたわよ」
「残念だよ、騎士団とはもう少し友好的な関係を続けていたかったのに。まぁ良いか、僕にはやらなくちゃならない事が出来たからね」
剣を鞘に納め、イリートは体の向きを変えて走り出した。
ルーク追い掛けようと踏み出すが、血の流し過ぎでグラリと大きく体が揺れて膝をついてしまう。
「待て……! 逃がすかクソ野郎!」
「君の顔は覚えた、奴らを殺した後で必ず殺しに行くよ」
最後に見たのは、イリートの怒り混じりの微笑みだった。
横を過ぎて行く騎士団には目もくれず、ルークは一人のうつ向く。拳を握り、そのまま地面に叩きつけた。
拳が割け、血が滲む。
その痛みも、なにもかもを消し去るように叫びを上げた。
「待ちやがれぇぇぇぇ!!」
その叫びが届く事はない。
敗北者の叫びは、誰にも届く事はなかった。