三章六話 『金髪の青年』
目にかかるくらいの金髪をかきあげ、男は柔らかな笑みを浮かべた。落ち着いた目尻は何故か見る者の不安を煽り、腰にぶら下がっている剣は男の存在を主張するように豪華な装飾が施されている。
見た目だけで言えば好青年だが、その笑みはどこか人間とは違うものだった。
「テ、テメェ……俺が誰だか分かってんの……」
「分かってる……ゴミ、だろ?」
「俺は勇者だ……アグルって聞いた事ねぇのか!」
「ないし興味もない。それに、君みたいなゴミが勇者だって? 笑わせないでくれ」
「なんだと……!」
叫び、寝ていた男は食器の破片を撒き散らしながら立ち上がった。体を捻ってテーブルを持ち上げると、振りかぶって金髪の青年へと投げ付ける。
金髪の青年は流れるように腕を上げ、掌から放たれた炎がテーブルを一瞬にして燃やしつくした。
「舐めんじゃねぇぞガキ!」
しかし、男はそのまま突っ込んだ。テーブルを投げたのは相手の視界を遮るためであり、男はその隙に横へ移動していたのだ。怒りに顔を染めながら、男はその拳を金髪の青年の顔に向けて伸ばす。が、
「遅い、それに勇者の戦い方にしては美しくない」
大きな動作もなく、青年は男の拳に自分の手を添えていなした。そして、次の瞬間には殴りかかった男の体が宙を舞い、そのまま一回転して床へと落下。
恐らく、何かしらの技術を使ったのだろう。その立ち振舞いにルークは思わず目を奪われた。
男が立ち上がる。今の一撃で意識があるのは、男がそれなりの強さを持っているからだろう。
けれど、それを待ち受けていたように青年は男の側に立った。聞こえはしなかったが、何か呟き、男の顔面に向けて爪先を食い込ませた。
「ふぅ、騒がしくしてごめんね。でも大丈夫、もう偽物は黙らせたから」
何事もなかったかのように振り返り、意識を失った男を青年が踏みつける。
明らかに過剰な一撃、既に勝負はついていたのに、青年はなんの躊躇いもなくとどめをさした。そして、表情は柔らかな笑顔だった。
誰もが言葉を失い、その光景をただ眺めているだけだった。
カウンターの横で座る屈強な男達も、テーブルで食事をとるならず者や勇者達も。
しかし、その中で一人だけ席を立つ者が居た。
それは、
「貴方、何をしているんですか」
「ん? 君は誰だい」
「ティアニーズ・アレイクドル、騎士団の者です」
真面目と正義感の塊、ティアニーズであった。
ルークは頭を抱え、ティアニーズに手を伸ばして止めようとするが、彼女はそれを払って金髪の青年の元へ歩み寄る。
「そうか、騎士団の人だったんだね。いつもご苦労様……僕がのびのびと動けるのも、この町に平和があるのも君達騎士団のおかげだよ」
「いえ、それは当然の事ですので。それより、何があったのか説明していただけますか?」
「何って……あぁ、彼の事か」
労いの言葉を口にし、青年は頭を下げる。
ティアニーズはその姿に違和感を感じたのか、僅か眉をひそめながら倒れている男へと目を向けた。
「別になんて事はないよ。彼が自分は勇者だって言うからさ、そのふざけた言葉を訂正させただけ」
「何故彼が勇者でないと言いきれるんですか」
「そんなの簡単だよ、だって……僕が本物の勇者だから」
青年は自信に満ちた表情でそう告げ、周りの人間を見渡してから再びティアニーズへと視線を戻した。
この世界には数えきれないほどの自称勇者は存在するが、彼の言葉は非にならないほどの力強さと執着が伺える。ルークもそれに気付いたが、自分の存在がバレないようにと頭を低くする。
「だからと言って彼をそこまで打ちのめす必要があったんですか? どう見てもやりすぎです、勇者なら威厳と節度をもって行動するべきです」
「うん、うんそうだよね! 君の言う通りだよ、勇者というのは皆の模範じゃないとダメなんだ。悪を挫いて弱い者を助ける……それこそが勇者なんだ、なのにこの男は……」
ティアニーズの言葉に賛同するように手を叩く青年。何がおかしいのか分からないけれど、青年はティアニーズの言葉に共感出来る箇所があったらしい。
しかし、その瞳は直ぐに冷たさを宿し、倒れている男を再び踏みつけると、
「彼はお金欲しさで勇者をやっているんだ。人助けなんてのは二の次で、時には自分の命欲しさで人を見捨てる事だってあった。なのに、なのにコイツはそれすらも分かっていないクセに勇者を名乗った……だから本物の僕が裁きを下したんだよ」
「…………」
「勇者とは希望を与え、たとえ僅かな悪でも駆除しなくちゃならない。勇者がなんなのか分かっていない奴を、勇者なんて名乗らせるのはどうしても我慢が出来なかったんだ。この世界に偽物はいらない、君なら分かるだろ?」
「確かに、勇者とは世界の希望です。困っている人を救い、自らが率先して死地へと赴き、それでも笑顔で人々を救いあげるのが勇者です。自ら勇者と名乗り、誰かを見捨てて自分のためだけに戦う人は勇者とは言えない」
「そうだ、君とは話が合いそうで良かったよ。どいつもコイツも勇者がなんなのか分かっていないんだ、勇者は希望でなくてはならない……この僕みたいにね。だから偽物なんていらないんだよ」
「私と貴方の描く勇者の姿は同じようですね……けど」
ティアニーズは一旦言葉を区切り、チラリとルークへ視線を向けた。
その言葉が誰に向けられたものかは、何度も聞いているので嫌というほど分かっているが、ルークは自分の存在を消す事に徹している。
「決定的に違う所があります。勇者とは皆の希望……けど、それだけじゃない。誰かに希望を与え、明日へ踏み出す勇気を与える事の出来る存在なんです。でも貴方は違う。戦意を失った人を傷つけ、さらには尊厳を踏みにじっている……少なくとも、貴方は本物の勇者じゃありませんよ」
「……ごめんね、良く聞こえなかった。もう一回言ってくれるかな?」
「何度でも言います、貴方は勇者ではない。必要に追い討ちをかける理由なんてなかった筈です、貴方のやっている事はただの自己満足でしかない……人を傷つけ、誰かの上に立つ自分が勇者だと思い込んでいるだけです」
「……うん、そうか、残念だよ。君となら話が出来ると思ったんだけどな……結局他の奴らと一緒なんだね。じゃあ教えてくれるかな、君の知る勇者がなんなのか」
青年の冷めた瞳がティアニーズへと向けられる。殺意も何も感じないけれど、それは人の持つ悪感情を全て詰め込んだような瞳だ。
けれど、ティアニーズは怯まない。もっと大きく、そして強い男を見てきたから。
「勇者とは人それぞれです。聖人のような人間が勇者だと思う人もいれば、悪人でも人を助けて勇者と呼ばれる人もいる」
「そうだね、この世界には偽物が溢れている。名ばかりのゴミどもが勝手に名乗ってるだけの。だから僕が示さなくちゃいけない、本物がなんなのか」
「……私の知っている勇者は自分勝手で子供にも平気で手を上げるような人です。変態だし後先考えないし、やる気を出す時はいつも自分のため」
「それは勇者とは言えない。勇者は常に他人のためにあるんだ」
「私もそう思ってました……けど、そうじゃなかった。勇者とは『勇気ある者』、その人は揺らぎない勇気を持っていました。そして何よりも、貴方みたいに他の勇者を偽物とは呼ばなかった。勇者とは周りから与えられた名であって自分から名乗るものではない、貴方が自分を勇者だと言っている内は、本物の勇者にはなれませんよ」
ルークは隠れたまま大きなため息を吐き散らした。全て自分に向けられたものであり、それは過剰過ぎるほどの信頼であった。
そんなものを預けられるほど、自分は立派な存在ではないと知っている。
けれど、ルークの中で少し揺らいだ。
けれど、これから行うのは自分のためであって、面倒事を遠ざけるための行動である。
決してティアニーズを助けるためではない。
そう、自分に言い聞かせると、
「いやぁ、わりぃな、俺の知り合いが迷惑かけちまって」
「誰だい君は」
「えーと、コイツの知り合い。コイツアホだから連れ戻しに来たんだよ」
「ちょ、ちょっといきなりなんですかっ」
頭に手を乗せ、お茶らけた様子で二人の間に割って入ると、ルークはティアニーズの手を無理矢理引いた。
ティアニーズはそれを拒むように抵抗する意思を見せる。
青年はそんな二人を見て、
「待ちなよ、彼女は勇者がなんなのか分かっていない。だから僕がちゃんと教えてあげなくちゃいけないんだ。もう少し時間をくれないかな?」
「しつけー奴だな。ナンパなら他でやれ、顔はともかく中身は酷いぞコイツ」
「酷くありません、貴方より百倍ましです!」
「良いから話合わせろ、お前俺の護衛だろーが」
小声で呟き、抵抗するティアニーズを引きずりながら、ルークは足早にその場を去ろうとする。
しかし、青年はルークの肩を掴み、
「僕は待てって言ったんだ。勇者の言葉を無視する気かい?」
「……テメェが勇者なのは分かった。んで、それがなんだ。それだけでお前に従う理由があんのか?」
「あるに決まっているだろ、本物の勇者である僕が待てと言ったんだ。救われている側の君達には待つ義務がある筈だ」
「俺はお前に救われた記憶はないし、仮にあったとしても絶対に嫌だ。勇者だからってなんでも許されると思ってんじゃねーぞ」
「許されるよ、僕は英雄になるんだからね」
「だったら英雄になってからまた来い。残りの魔元帥と魔王を倒した後でな」
青年の制止を振り切り、ルークは歩き出そうとする。しかし、去ろうとする二人の前に立ち塞がった青年は剣を抜き、その切っ先をルークへと突き付けた。
顔をしかめ、ティアニーズを自分の後ろへと引っ張ると、
「なんのつもりだ……人の食事を邪魔した挙げ句、喧嘩売ってんのか」
「喧嘩じゃない、裁きだ。勇者に従わない人間なんていらないんだよ」
「どこまで自分勝手なんだよテメェ。勇者は神でも精霊でもねぇ、ただの人間だ」
「そうだね、けど……勇者は精霊に選ばれた存在なんだ、だからーー」
瞬間、ルークの体を悪寒が駆け巡った。
ティアニーズを突飛ばし、その際に腰の剣を引き抜くと、青年の振り下ろした一撃を受け止める。
火花を散らし、鉄が擦れる音が鼓膜を通過した。
「へぇ、今のを受け止められるんだ」
「いい加減にしろよ金髪……こっちが下手に出てりゃ調子に乗りやがって」
「調子に乗っていたら、どうするんだい? 」
「んなの決まってんだろ、ぶちのめす」
弾き、一旦距離をとるために数歩下がった。細身の体から繰り出された一撃とは思えず、受け止めた剣を伝って両手に電撃が走っていた。
痺れをねじ伏せ、剣を力強く握り締めるとーー、
「そこまでだ、喧嘩なら外でやれ」
いつの間にか周りを囲まれており、カウンターの横に座っていた大男の一人が間に割って入った。全員が武器を構えていて、動けば容赦なく斬りかかるという忠告のつもりなのだろう。
青年は間に入る男を見て、きょうが削がれたように息を吐くと、
「まぁいい、今回は見逃してあげるよ。ただ、僕は君を認めない。今度会った時は勇者がなんなのか教えてあげる」
「結構です、私にとっての勇者はもう決まっているので」
青年は意味ありげに微笑み、踵を返して入り口へと歩き出した。ふと、足を止めて振り返ると、
「そこの君、名前はなんだい」
「教えねーよ。ただの一般人だ」
乱暴に吐き捨てると、ルークは舌を出して挑発するように青年を睨み付けた。
青年はそれをあざけ笑い、何も言わずに宿を去って行った。