三章四話 『不安と不穏』
薄暗い部屋、木で出来たボロボロの椅子にルークは腰をかけていた。
机を挟んで目の前に座るのは、先ほどの顎髭をはやした男ーー名前はアルフードというらしい。
死んだ魚のような目をしているが、その奥には何か底知れないものを秘めている。
ルークはそれを感じとり、背もたれに体を預け、冷や汗をかきながらも言葉を吐き出した。
「だから、さっきから言ってんじゃん。いきなり人が落ちてきて、俺はそれを見てただけ。あのメレスって人に聞けば分かんだろ」
「なるほどな、そりゃ災難だ」
「すげー他人事だな。えーと、アルフードさんだっけ?」
「呼び方はなんだって良い、他に何か見なかったのか?」
顎髭をいじりながら、アルフードは先ほどからチラチラと時計を確認している。
ルークは少し考え、あの時感じた違和感を口にする。
「そういや……建物の屋上に人が居たっぽかった。性別は分からねぇけど、金髪だったと思う」
一人で納得したように頷き、アルフードはルークの持っている剣を見る。本来なら取り上げられるべき物なのだが、ルーク以外では持ち運べないので、ぐるぐるに布を巻かれた状態で所持している。
ため息をつき、アルフードは改めて話を切り出す。
「金髪か……んじゃ多分間違いねぇな。お前、勇者なんだろ?」
「……あの桃頭から聞いたのか? 俺は勇者じゃねぇ、つかその質問ウザイから止めろ。夢に出てくるんだよ」
「ちゃんとティアニーズって呼んでやれ。死んだ親父さんから貰った名前なんだよ」
「んな事知らねーよ。アイツ名前呼んだらキレるんだよ」
村を出てから幾度となく投げ掛けられた勇者という言葉。諦めて認めてしまえばいいものの、ルークは頑なに頷く事をしない。
あまりのしつこさに面倒を通り越して呆れの境地に達しているけれど、それでもルークは食いぎみに否定した。
「だったらその剣はなんだ? お前意外じゃ持ち上げる事すら出来なかったぞ。自慢じゃねぇが腕力にはそこそこ自信がある……それ、勇者の剣だろ?」
「これは勇者の剣だ。でも俺は勇者じゃない。たまたま押し付けられてたまたま持てただけであって、所有者は俺じゃない」
「俺も本物を見るのは初めてだが……騎士団には前の戦争に参加して生きてる奴は何人も居る。ソイツらが見れば分かると思うが?」
「知らねーよ。大体、アンタの部下の桃頭がいきなり村に来たせいでこんな状況になってんだろ。勇者を探すのは別に構わねぇけど、勇者なんてのはこの世界に腐るほど居んだろ。俺じゃなくてソイツらに任せれば良いじゃねぇか」
机に手を置き、身を乗り出しながら潔白を証明しようとするルーク。
アルフードは聞いているのか分からない表情を浮かべ、コップに注がれた水を一気に飲み干すと、
「ま、勇者なんて呼び名は周りが勝手につけただけだし、お前の自覚はあんま関係ないんだよ」
「迷惑だって言ってんのが分かんねぇのか? ただの一般人を死地に送り込んでアンタは何も思わねぇのかよ」
「思う」
アルフードは短く返事をした。
その反応に驚き、ルークは僅かに言葉を失う。
小さく息を吸い、落ち着いた口調でアルフードは再び語り始めた。
「だがそれが戦争ってもんだ。一般人だろうが兵士だろうが関係ない、国を守るためには犠牲がつきものなんだよ。そんなぬるい事言ってられるほどこの国は今平和じゃない……お前もそれは分かってんだろ?」
「テメェら騎士団の弱さのツケを俺に払わせようってのか? そもそも、始まりの勇者と騎士団が魔王を殺しきれなかったのがわりぃんだろ」
「そりゃそうだな、素直に頭を下げて詫び入れるしかねぇ。でもなぁ、だから俺達は必死なんだ、毎日命かけて戦ってんだ。大人の事情に若いのを巻き込むのは気が引ける……でも、勇者ってのはそれだけの存在なんだ。本物の勇者は人類にとって唯一の希望なんだ」
ルークは言葉を失う。ゴルゴンゾアに来る道のりで勇者がどれほどの存在なのかは嫌というほど聞かされたが、全て話半分で聞き流していた。
しかし、これほどまでに真っ直ぐに言葉を伝えられれば、自覚もやる気もないルークでも怯んでしまう。
「戦うのが勇者だ。他の連中は勇者って名前をぶら下げてればなんでも出来ると思ってるカスどもしかいねぇ。だが、お前には力と資格がある、お前は道を真っ直ぐに、ただ突き進むしかねぇんだよ……勇者として戦う道を」
「……断る。やりたい奴にやらせれば良いだろ、俺は普通に暮らしてぇんだ」
「今はそれでも構わねぇ。けど、戦争ってのはどちらかが死ぬまで終わらねぇんだ。どの道お前が戦わなきゃ全員死ぬぞ。お前も家族も友人も、最後に残るのはお前一人だ」
「そりゃ大丈夫だ、俺には家族も友達もいない。もし魔王が復活して人間側が負けるんなら……最初から勝ち目なんてなかったんだろ」
これだけ言われながら、ルークは勇者として戦う道を選ぶ事をしなかった。認めてしまえば楽なのに、ルークは決してそれを選ばない。
自分が勇者なんて立派な存在ではない事は、世界の誰よりも理解しているのだから。
流石のアルフードも諦めたようにため息をつき、頑固とも違う執念に肩を落とした。無言の時間が流れ、二人はただ視線を交差させる。
そんな時、扉が開かれて金髪の青年が姿を現した。室内に流れる微妙な空気に一瞬だけたじろいだが、直ぐ様アルフードに近付き、
「辺りの捜索終わりました、恐らくこの近くには居ないと思いますよ。彼を解放して大丈夫です」
「そうか、ご苦労さん。て事だ、もう出て行って良いぞ」
「……は?」
突然真逆になったアルフードの態度に、ルークは口を開けたまま停止。
金髪の青年はそんなルークを見て、まぶしいくらいに爽やかな笑顔で表情を満たすと、
「初めまして、俺はトワイル・マグトル。君はルークだよね? ティアニーズから話は聞いたよ」
「ど、どうも……じゃなくて、なんでいきなり態度が変わったんだよ」
「……アルフードさん、もしかして何も説明してなかったんですか?」
「あー、忘れてたわ。歳とると無駄話が長くなっちまう」
「はぁ……彼も一応狙われる可能性があるんです、ちゃんと説明して下さい」
とぼけたように髭を触り、明後日の方向を眺めて唇をすぼめるアルフード。
トワイルは悪びれた様子のないアルフードに若干キレながら椅子から退かし、今度はトワイルが腰を下ろした。
「何も説明せずにこんな所に閉じ込めてすまないね。でも君が勇者である以上、安全が確保出来るまではこうするしかなかったんだ」
「俺は勇者じゃねぇ」
「最近、このゴルゴンゾアと近くの町で勇者と名乗る人間が次々と殺されているんだ。その被害は結構甚大でね、僕達騎士団も手をやいている」
「さっきの殺された女も勇者だったのか?」
「うん、騎士団にも顔を出していた。一応忠告はしていんだけど……まさか彼女が殺られるなんて。僕達の慢心が招いた結果だ」
殺された女性の事を思い出しているのか、トワイルは顔を伏せて声を震わせている。
ルークはこの青年は自分とは真反対で、自らの非を認めて誰かのために悲しむ事の出来る人間であると悟った。
「君をここに無理矢理連行したのは他でもない、勇者殺しから遠ざけるためだ。あの場に居たら狙われる可能性もあったし、かくまうにはここが一番だと思ったからなんだ」
「勇者殺し……迷惑な野郎だな。んで、安全が確保出来たからもう出て行って良いと」
「うん。ただ一つだけ条件がある」
全て初耳の情報なので、ルークは何も話さなかったアルフードに訝しむ目を向ける。
アルフードは知りませんと言いたげな表情で顔を逸らし、グビグビと呑気に水を飲んでいた。
込み上げる怒りを抑え、話途中のトワイルへと意識を集中させ、
「条件ってなんだよ、捕まえろとかは無理だし全力で断るぞ」
「そんな事は言わないよ。町を自由に歩き回るのは構わない……ただし、こちらで用意した護衛と共に行動してほしいんだ」
「別にいらねーよ、俺勇者じゃねぇし」
「君がどう言おうとこれは決定した事なんだ。護衛には無理矢理にでも付きまとってくれと言ってある。それに、万が一狙われて怪我するのは嫌だろう?」
「そりゃ確かにそうだな……んで、護衛ってどれ? まさかそのおっさんじゃねぇよな?」
「俺はそんなに暇じゃない」
いくら勇者ではないと言っていても、今までのように周りは納得せずにそう呼ぶかもしれない。ルークとしても無駄な怪我は避けたいので、大人しく護衛との行動を受け入れた。
もし面倒になれば逃げ出してしまえば良いと考え。
「外で待ってる。これで話は終わりだよ、くれぐれも気をつけて。君が勇者ではないとしても、知り合いが死ぬのはもうごめんだからね」
「分かった、サンキュー」
アルフードに感じていた怒りも、トワイルの柔らかい対応によって少しだけ中和され、珍しく礼を言うルーク。
最後まで態度を崩さないアルフードには目もくれずに部屋を後にする。
部屋を出たルークは思わず怪訝な表情を露にした。
部屋の前に立っていたのは二人の少女で、一人は見知った桃頭の髪の少女、そしてもう一人は猫耳をはやした少女だった。
猫耳の少女はルークの顔を見上げ、
「ふーん、お兄さんが勇者なの? なんかすっごく普通だね、ティアが言ってた通りだ」
「見た目は普通だけど中身はダメダメな人だよ」
「……これ以上同じ事を何度も言わせんじゃねぇ。つか、何で桃頭がここに居んだよ……そして誰だお前」
「コルワ・シーフル、初めましてだよね! ティアのお友達です」
元気よく手を上げ、コルワと名乗る少女はくったくのない笑顔でそう言った。
押し寄せる嫌な予感を頭の隅にやり、ルークはコルワの上げた手を無理矢理戻すと、
「どういう事だ、説明しろ」
「本当は分かってますよね?」
「嫌だ、全力で断る」
「そんな事言ってもダメです。私とコルワが二人でルークさんの護衛をしますから」
現実の拒むように耳を塞いだが、そんな事で逃げられる筈もなく、ティアニーズの言葉はスルリと耳に入り込んで来た。
そう、トワイルの言っていた護衛とはつまり、今目の前に立つ二人の少女の事だったのだ。