二章閉話 『守る強さ、守られる強さ』
次の日ルークはベッドの上で目を覚ました。
前日の戦いを終えたルークとティアニーズだったが、治療を終えた後で一目散に宿へと向かい、まともな食事もとらずに睡眠の世界へと飛び込んだ。
ビートは家族の元へ行き、アンドラとアキンについてはあのまま放置したので行方は分からない。
捕まっているか逃げているかのどちらかだが、恐らく前者だろう。
剣狩りをしていた一味についても、騒ぎで駆けつけた憲兵によって捕らえられているに違いない。
と、過ぎた事は置いておくとして、重要なのは今おかれている状況なのである。
「テメェ……わざとやってんだろ」
目を覚まし、何だか腹が重たいなぁなんて思いながら視線を落とすと、スヤスヤと寝息を立てるティアニーズが腹の上で丸まっていた。
昨日寝た時には間違いなく隣のベッドで寝ていたし、寝相が悪いなんてレベルではない事は明白だった。
「なに、誘ってんの? 実は起きてるとかいうパターンなの? お兄さんはそんな誘いに乗りませんよ」
頬つついて見るが返事はなく、どうやら熟睡しているらしい。あれだけの怪我を負っていたので仕方ないけれど、危機感を感じながらルークは頬を伝う冷や汗を拭った。
(俺は学ぶ男だ。前回は外からの邪魔で起きちまったが、今回はそう上手くはいかせねぇ)
時刻は恐らく昼過ぎ。窓はちゃんと閉まっているし、この時間なら前回の時のようにいきなり声を張り上げる人も居ないだろう。
というか、居ないでくれと願う。
(……そうだ、ゆっくりとコイツを退かす。疲労はかなり溜まってるだろうし、ちょっとやそっとの衝撃じゃ起きない筈だ)
息を止め、出来るだけ全ての音を無くす。
ティアニーズの肩に触れると、右にずらしながらルークは左へと脱出を試みる。転がすようにしてティアニーズを下ろすと、今度はベッドから離れるべく立ち上がる。
仮に退かす事に成功しても、同じベッドで寝ていては暴力が飛んでくるに違いないと考えての行動だ。
爪先から着地して踵へと体重を移動、最後に布団をかけて完成するーー、
「よぉ、調子はどうだ」
ドン!と激しい音と共に扉が開き、満面の笑みを浮かべるビートが姿を見せた。
時が止まる。
寝ているティアニーズに布団をかけるルーク。
ティアニーズは薄着、そして今さらだが何故かルークは上半身裸。
つまり、
「オイコラ、ガキに手を出すとはどういう了見だ。いくらなんでも許される事と許されねぇ事くらい分かんだろ」
「ちげーよ! 寒そうだったから布団かけてあげたの! 俺が上半身裸なのは……そう、裸族だから!」
慌てながら謎の言い訳を並べるルーク。
拳を合わせ、ビートは鉄拳制裁の準備へと入っている。
そんな中、二人の声によってティアニーズが目を覚ました。
「ん……あれ、おはようございます……?」
寝ぼけながら虚ろな瞳でルークを見つめ、その裸体が目に入った瞬間に体が固まる。
寝ているのはルークのベッド、何だか知らないが服がよれよれになっている、そんでもってルークは裸。
色々な考えが頭を過ったのだろうが、たどり着く答えは一つで、
「どうして……貴方はそんなに変態なんですか!」
「ヘブホッ!」
真っ赤に顔を染めながら放たれた渾身の右ストレートがヒット。捻りを加えた拳はルークの体を吹き飛ばし、窓を突き破って部屋から強制退室したのだった。
それから数分後、無駄に傷を負ったルークは部屋へと戻り、ついでと言わんばかりに振るわれたビートの鉄拳を受け、顔を張らしながら服を着ていた。
これだけ理不尽に見舞われる勇者も珍しいだろう。
「ッたく、せめてお互いの了承を得てからやれよな」
「何もやってねーっての! いきなり入って来て勘違いしてんじゃねぇ」
「バカ野郎、男女が同じベッドに寝てやる事なんて一つしかねぇだろ」
「黙れエロじじい」
ビートはあらぬ事をしていたと信じているようで、着替えを終えて戻ってきたティアニーズの肩に優しく手を置いた。
ティアニーズさんはゴミでも見るかのような目を向け、
「罪状を言い渡します」
「待ちなさい、ちゃんと相手の意見を聞かないと裁判はなりたたないよ」
新しく罪を重ねたところで、ビートは呆れながらも二人の顔を見つめて頭を下げた。
ルークとティアニーズは顔を見合わせて首を傾げる。
「経緯はどうであれ、俺はお前達に助けられた……本当にありがとう。娘夫婦も孫も無事だ、感謝してもしきれねぇよ」
「いえいえ、私は騎士として当然の責務をまっとうしただけです。ビートさんが助けに来てくれなければどうなっていたか……お礼を言うのは私の方です」
「助けたの俺な、戦ったの俺な。おっさんは金払え、無駄に怪我して疲れた慰謝料だ」
「うるさいです、変態勇者は黙ってて下さい」
「変態でも勇者でもねぇ」
茶々を入れるルークの腹に、ティアニーズの拳がめり込む。うずくまってベッドへと倒れ、朝から散々なルークを他所に二人は会話を続ける。
「これからどうするんだ?」
「王都へ向かいます。ルークさんを勇者として国王に紹介しなければならないので」
「そりゃ大変だな。王に会ったらよろしく言っといてくれ、ビートって名前を出せば分かると思うからよ」
倒れているルークを見て、ビートはこれから訪れる苦難を読み取ったらしく、ティアニーズに頑張れと言いたげな視線を送る。
ティアニーズは乾いた笑いを溢し、
「分かりました。ビートさんはこれからどうなさるんですか?」
「鍛冶屋だからな、武器を造る事にする。町の奴らに迷惑もかけちまったし、憲兵どもに極上の武器を渡してやるつもりだ」
「そうですか、頑張って下さい。私もいつかビートさんに武器を造っていただきたいです」
「あ? 知らねぇのか? その剣、俺がアレイクドルにくれてやった物だ」
「……え? そうなんですか?」
剣へと目をやり、ティアニーズは驚いたように声を上げる。
父親の形見という話だったが、前の戦争に参加していたビートが製作者らしい。世界の狭さに感心しつつ、
「大事にします。これは私と父の繋がりですから」
「おう、壊れちまったら俺の所に持って来い。嬢ちゃんなら無料で直してやるよ」
「ありがとうございます。ルークさん、いつまで寝てるんですか、行きますよ」
「殴ったのどこのどいつだよ」
絡まれると面倒なので寝た振りをしていたルークだが、簡単に見抜かれてしまう。
体を起こし、服を整えながら剣を手にとると、
「早く行こーぜ、これ以上この町に居ると厄介事に巻き込まれそうでやだ」
「はい、一刻も早く国王に報告しなくちゃですから」
「もう行くのか? 達者でな」
「ビートさんをお体に気を付けて下さい」
準備を済ませ、というより元々荷物は極端に少ないので数秒で終わらせると、ティアニーズは頭を下げた。
短い付き合いなので特に名残惜しいとかはないけれど、ほんの少しだけしみじみとした空気が流れる。
そんな雰囲気を残しながら三人は宿を後にし、入り口の前でそれぞれの行く方向へと体を向けた。
足早に去ろうとした時、
「おいルーク、テメェが勇者かどうかは俺にも分からねぇ。だかなぁ、剣はお前を選んだ。その意味をきちんと考えろよ」
「知らんし興味もねぇ。勇者は他の奴らに任せりゃ良いだろ」
「お前がどう思おうが勝手だ。けど、世界はお前を中心に動くぞ。魔元帥どもは魔王を殺せる唯一の手段を持ったお前を必ず狙ってくる……簡単に死ぬんじゃねぇぞ」
「バカ言え、俺は寿命と病気以外じゃ死なねぇよ。おっさんこそ、せっかく手に入れた自由を無駄にすんじゃねぇぞ」
「大きなお世話だ。頼んだぞ、勇者」
「俺は勇者じゃねぇよ」
微笑むビートを後ろ手に手を振り、二人は別れを告げた。
相変わらずの騒がしさに包まれながら、ルークは町並みを抜けて行く。滞在は二日だが、ほんの少しだけ都会の喧騒になれていたのであった。
しばらく歩いて馬車の元までたどり着くいた二人。
このまま何事となく出発出来ればよかったのだが、そこで待っていた二人を見て顔をしかめた。
「バンダナのおっさんとちびっこ。なんでここに居やがる」
「ど、どうもです」
「アンドラだ、名前くらい覚えやがれオイ。アキンがテメェに話がしたいんだってよ」
傷は癒えているようで、所々に包帯を巻いてはいるが元気そうである。
馬にもたれかかるアンドラの横で、体を縮こまらせながらアキンはうつ向き、小さな声で言葉を吐き出した。
「あの、ありがとうございました。僕、お頭が死にそうだったのに何も出来なくて……震えて見てる事しか出来ませんでした。でも、貴方は怖がりもせずにあの男に向かって行った……本当に、本当にありがとうございます……」
「そんな事ありません。アキンさんが魔法を使ったからアンドラさんは元気でいられるんです、アキンさんは立派に戦えていましたよ」
ルークが口を開こうとした瞬間、横から押し退けるようにしてティアニーズが口を挟んだ。
子供に対しても一切容赦のない発言を口にすると思い、なんとかそれを阻止したようだ。
「でも、僕は口だけで……全然やくに立てなくて……」
「アキンさん、人には出来る事と出来ない事があるんです。それに、戦う事よりも守る事の方が大変なんですよ? 貴方はアンドラさんの命を救いました、それは私にもルークさんにも出来ない事です、だから……そんなに落ち込まないで下さい」
身を屈めてアキンの目線に合わせ、安心させようと微笑みかけるティアニーズ。
アキンはその瞳を見つめ、少しだけ胸のつっかえがとれたように目を細めた。
しかし、ここで空気を読まない男が満を持して口を挟む。
「弱いくせに無理するからだろ、無謀って言葉を調べとけ」
「ちょっとルークさん! 相手は子供ですよ!」
「だからだろ、ちっさい頃から世の中には不可能な事があるって教えてやってんだ。命のかけあいに自分から突っ込んでんだ、子供も大人も関係ねぇだろ」
「彼は立派でした、貴方とは違って人を救おうと必死だったんです!」
「人を助けるのがそんなに立派なのか? 自分が死んじまったら意味ねぇだろ、人を助けたかったらまず自分が助かる事を考えろ。弱い奴は足手まといで邪魔になるだけだ」
その言いぐさに、ティアニーズは掴みかからんと迫る。
ルークはひらりとかわすと、再びうつ向いてしまったアキンの脳天に全力のチョップを叩きつけ、
「強くなれ、そうすりゃ誰も文句言わねぇよ。守る方も守られる方も知ってる奴が本当に強いんだ」
「ーーーー」
ルークの言葉を受けて、アキンは目を見開いた。
守る重圧と守られる重圧、必ず助けなければという思いと、必ず助からなければという思い。
守る側も守られる側も、どちらも強さと勇気が必要なのだ。
だからこそ、ルークは思う。
そのどちらも知らない自分は本当の強さなんて持っていなくて、勇者なんて大それた存在ではないと。
ただ、どこまでも自分の思いだけを優先する自分が勇者であってはならないと。
「行くぞ、まだ寝たりねぇから荷台で寝る」
「ルークさんってたまに良い事言いますよね。言い方とかはダメダメですけど」
「ダメダメってなんだよ。俺は俺に正直なだけだ」
一足先に荷台へと乗り込むルークを見送り、ティアニーズは一度だけ頭を下げて馬に乗った。
馬を走らせ、二人の横を過ぎて行く。
すれ違い様、アキンは顔を上げて声を張り上げた。涙を浮かべて。
「僕、もっともっと強くなります! いつか、胸を張って勇者だって言えるように!」
顔は見せず、ルークは手をヒラヒラと振った。
僅かに見えた、幼い少年の強さに微笑みながら。
言動も立ち振舞いも全てにおいて勇者とは言えないけれど、誰かに希望を与えられるーーそれは勇者として大事なものなのかもしれない。
少年に立ち上がる勇気を与えた事にも気付かず、ルークは再び瞳を閉じて眠るのだった。
これから待ち受ける大きな運命の渦、その中心に足を踏み入れた事にも気付かずに。