九章二十四話 『開戦』
「お前が来るとはな。俺はてっきり、もう協力はしてくれないものだと思っていたよ」
「…………」
皮肉を口にし、しかし嬉しそうに頬を緩めながら男は言う。風に靡く黒髪を鬱陶しそうに抑え、斜め後ろを歩く男は無表情のままーー、
「勘違いするな、ゼユテル。俺はお前のために行く訳じゃない」
「だったらなぜ来た? これから俺達がどこへ行き、なにをするのか知らない訳じゃないだろう?」
「あぁ、知っている。ーー王都へ行き、戦争の続きを始める」
男はーーセイトゥスは僅かに眉を動かし、瞳にうつる巨大な壁を見つめていた。まだたどり着くのに時間がかかるが、すでに視界に捉えられるまでには迫っていた。
ーーカムトピア。
アスト王国の王都であり、この国の要の都市と言っても過言ではない。物資にしろ金品にしろ、全てが目の前の都市には揃っている。その重要拠点を、彼らは大胆にもこれから攻める。
ゼユテルは軽く首を回し、
「お前は前に言ったな、俺は俺だと。しかしこの戦いに参加するという事は、俺の目的に近付く事になる。それともなにか、行くだけで人は殺さないと?」
「俺がここへ来たのは、俺自身のためだ」
「お前自身の?」
「あぁ、お前の言いなりになった訳じゃない。俺はーー」
「さっきからぐちぐちとうるせぇな。まどろっこしい話は止めてよォ、結論だけ言いやがれ」
セイトゥスがなにかを言おうとすると、白髪の男の乱暴な口調がそれを遮った。頬の切り傷を指でなぞり、怒りと殺意に満ちた瞳で王都の壁を睨み付け、
「俺はあのクソ野郎を殺せればなんだって良いんだよ。テメェの目的なんざ微塵も興味ねぇ」
「言った筈だ、恐らく勇者はいない。あの人間は今、精霊の国でウェロディエと戦っている」
「んなの知るか。ウェロディエじゃあのクソ勇者には勝てねぇ、どうせ殺されんのがオチだろ。アイツは俺の獲物だ……誰にも渡さねぇぞ」
「おーおー、随分とルークに執着してんなぁ。一回殺されたくらいでそんなに怒んなよ」
「アァ? もっぺん言ってみろカス……!」
今にも飛びかからんとする剣幕で、デストが飄々とした態度の男ーーウルスを睨み付けた。一応彼らは仲間なのだが、まったくまとまりがない。今だってゼユテルがいなければ、この場で殺しあいを始めていただろう。
「悪い悪い。ただ、ルークと因縁があるのはお前だけじゃねぇ。ここにいるほとんどが、アイツになにかしらの仕打ちを受けてんだよ」
「私は特になーんもされてないけどね。邪魔されたのは事実だけど」
「俺もなんもされてねーぞ。ま、会ってみてぇけど。つえーんだろ? ソイツ」
「だから言ってんだろ! あのクソ勇者は俺が殺すって!」
とりあえず波に乗って手を上げたユラとニューソスクスだったが、デストの怒鳴り声によってかき消された。二人は冗談のつもりで言ったのだろうけど、それを冗談として捉えられる余裕がデストにはないのだ。それほどまでに、あの勇者を憎んでいる。
「…………」
「どうした、メウレス。体の調子が悪いのか?」
「あぁ、思うように動かない。俺が思っていた以上に、アルトの力は強大だったらしい」
「あれは精霊の中でも特別だからな。一人ではなにも出来ないが、人間と契約する事でその真価を発揮する。魂ごと消えなくて良かったと思え」
「そうなった場合、困るのはアンタだろ」
「そうだった、忘れていたよ。ともかく、お前は王都についたら新しい体を探せ」
足取りの重いメウレスを見て、ゼユテルは少しだけ身体を気遣うように支えたが、直ぐに笑い飛ばすように鼻を鳴らした。メウレスは不機嫌そうに青白い唇を動かして『うるさい』と呟き、離れるように歩く速度を落とした。
「それにしても……こりゃ壮観だな」
歩くゼユテル達の姿を一番後ろから眺め、ウルスは他人事のように呟いた。全員が一斉に足を止めて振り返る。
「なにがだ?」
「デスト、ユラ、セイトゥス、メウレス、ニューソスクス、親父、そんで俺。人間が見たら腰抜かすんじゃねぇのか?」
「一般人は俺達の姿を知らない。だが……そうだな、前の戦争でも俺達が揃う事はなかったな」
六人の魔元帥に、魔王。
なにも知らない人間が見たら仲の良い友達が一緒に歩いているようにしか見えないが、彼らはこれからこの国を滅ぼしに行く。一人一人の戦力が並外れているのは勿論だが、個人主義の魔元帥がこれだけの数集まっているーーこれを絶望と呼ばずして、なんと呼べば良いのだろうか。
ウルスがあっけらかんとした様子で言う。
「前の時はしゃーねぇだろ。まんまとブレイブの罠にはめられた訳だし……それに、アイツは多分ーー俺達の殺し方に気付いてた。だから一人で親父の相手をしたんだろ?」
「分かっていてもどうにもならないさ。現に俺はアイツに勝った」
「ま、そりゃそうだな。親父を殺せなきゃ、いくら俺達を殺しても意味がねぇ……だが」
ウルスはそこで一旦言葉を区切り、何気ない様子で空を見上げた。今日中に滅ぶかもしれないのに、アスト王国の空はどこまでも青い。
視線を落とし、鼻を鳴らすと、
「今回はそうはいかねぇかもな」
「どういう意味だ?」
「嬢ちゃんが言ってただろ? 勇者だよ」
「下らないな。人が変わったところでアルトはアルトだ。負ける道理がない」
「そうだな、アルトはアルトだ。でもよ、油断しねぇ方が良いぞ。勇者やってる男があれだかんな」
ルークの名前を出さずとも、勇者の話題が出た時点でデストの額に青筋が浮かんだ。これ以上聞いても苛立つばかりだと判断したのか、一人先に歩いて行ってしまった。
「随分とその人間を高く買っているんだな」
「力そのものは大した事ねぇよ。アイツより強い人間は探せばわんさかいるだろうしな。……けど、なぁ? セイトゥス」
「俺に訊くな」
「んじゃ、ユラ」
「私もパス。でも、会いたくはないわね」
「なんだよつれねぇな。んじゃニューソスクスーーは知らねぇんだったな」
「俺だけ仲間外れかよ」
セイトゥス、ユラの反応が気に入らずにニューソスクスへと話を振るが、軽く見かけた程度なので、語れるほど知らないらしい。デストに聞いたらただキレられるだけなので、
「メウレス、お前はどうだ?」
「お前の言う通り、強くはない。アイツの体が欲しいとも思わない。だが……そうだな、少なくとも俺は警戒すべき対象として認識している」
「お前がそこまで言うのか。それはアルトがいるからか?」
「いや、違う。あの男は力のあるなしではなく、もっと根本的な部分が強いんだ。言っただろ、アイツの体はいらないと。あの体と、心が揃っているから強いんだ」
青ざめた顔で息を切らしながらも、メウレスはルークについて語る。やっとこさ期待していた感想が帰って来たので、ウルスは少しだけ上機嫌な様子で駆け寄ってメウレスの肩を叩いた。
「ルークの強さは武力じゃねぇ。アイツの恐ろしいところはーー人を強くさせるところだ」
「人を?」
「アイツと関わる人間は、関わる前よりも強くなる。そりゃ肉体は簡単には変わらねぇけどよ、人間には心ってもんがある。そこんところを、アイツは変えられるんだ」
「相変わらず人間が好きなんだな」
「当たり前だろ? この世で一番おもしれぇ生き物は人間だ、俺達魔獣なんて比べ物にならねぇほどにな」
幸せそうにはにかむウルスを見て、ゼユテルは呆れながらも口角を上げた。恐らく話半分程度にしか聞いてないのだろうが、先ほどよりも興味がわいたらしい。
「少なくとも、俺はアイツと出会って強くなった人間を知ってる。嬢ちゃんーーエリミアスもその一人だよ」
「あの女か……」
「それによぉ、ルークがいなけりゃとっくに俺達は勝ってたと思うぜ? 親父がずっと寝坊したまんまでもな」
「好きで寝ていた訳ではない」
挑発するように両手の人差し指を立ててゼユテルの頬に突き刺すと、ゼユテルは鬱陶しそうにその手を振り払った。一応誰もが恐れる魔王の筈なのだが、今の彼を見て恐怖を抱く者は一人もいないだろう。
「俺は一回アイツに負けてっけど、ガチで戦いてぇと思ってる。そうだろ? セイトゥス。だからお前もここに来たんだろ?」
「……違う。俺はあの男に負けた、もう一度戦う理由はない。だから俺はーー」
「ティアニーズ、か?」
「お前のその、なんでも見透かしているような顔をやめろ。見ていると腹が立つ」
「しゃーねぇだろ、ルックスの文句は親父に言え。けど否定しねぇって事は、当たり前なんだよな?」
まったく表情が変わらないので分からないが、どうやらウルスの顔が嫌いだったらしい。胸を押さえて傷ついたように振る舞いながらも言葉を返すと、セイトゥスは観念したように口を開いた。
「俺が王都へ行くのは、俺がなにをしたいのか確かめるためだ。俺の知る限り、その答えを知っているのはあの女しかいない」
「ティアニーズ? あー、その名前私も知ってるかも。その子達に殺されたから、私」
「お前が誰に殺されたかなんて興味ない。俺はただ、自分の歩くべき道がなんなのか知りたいだけだ」
そう言って、セイトゥスはウルス達に背を向けて歩いて行ってしまった。同じ魔元帥ではあるものの、必要以上に関わる事はしないため、実は相手の事をなにも知らなかったりする。だがそれでも、セイトゥスはあの男に出会い、変わったのは分かった。
「ま、でも私も会いたい相手がいるのよねー」
「なんだなんだ、恋か?」
「違うわよばーか」
ウルスのセクハラを適当に受け流し、ユラはセイトゥスに続いて歩き出す。残されたのはウルスとゼユテル、そしてメウレスとニューソスクス。となれば話を振る相手は勿論、
「ニューソスクス、お前は?」
「俺が行く理由はただ一つ。リベンジするためだ」
腕をぶんぶんと回して微笑み、意味の分からない事を言ってニューソスクスは歩いて行った。
「体調の悪いメウレス君は、なんでここに来たのかな?」
「俺も会いたい……いや、会わなくちゃいけない人がいる。ずっと騎士団にいた、そのけじめをつける」
重たい体を引きずりながらも、メウレスはウルスの横を過ぎて行く。勘違いしていたが、因縁のある相手はなにもルークだけではない。それぞれがウルスの知らない間に、知らない縁を結んでいるのだ。
唯一、それがないのが、
「親父は……聞くまでもねぇよな」
「俺のやるべき事は、今までもこれからも変わらない。神を殺し、この間違った世界を正す」
背を向け、ゼユテルは歩みを始める。
ウルスは先ほどまでとは毛色の違う不気味な笑みを浮かべ、
「どこまでもついて行くぜ。でもまぁ、親父には悪いが期待してんだ。ーー人間の底力ってやつを」
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「…………」
南門を見つめ、ゼユテルは息を吐いた。
これまで何人もの人間を殺し、人を殺す事にはなれたつもりでいた。たとえ五十年もの間眠っていたとしても、それだけは変わらない。だがーー、
「なるほど、俺は緊張しているのか」
胸に手を当て、誰に言うでもなく呟いた。
「さっさと突っ込むぞ。全員ぶっ殺してあのクソ勇者を殺す」
「はいはい、勝手に盛りが上がるのは良いけど、私に迷惑かけないでよね」
「黙れ、テメェが俺の近くにいなきゃ良いだけの話だろ」
「そんな事言われても、西門の担当になったんだからしょーがないでしょ」
デスト、ユラは西門の前に立っていた。
今すぐにでも暴れたいオーラを放つデストに、ユラは呆れを通り越して苦笑いしている。
「……きっと、俺は怒られるな」
東門の前に、メウレスは一人立っていた。
いくら満身創痍とはいえ、彼の身体能力は並みの人間を圧倒出来てしまう。たとえそれが隊長クラスであろうが、その差は埋まらない。
唯一その穴を埋められる男ーーメウレスはその顔を頭に浮かべ、悲しげな横顔で呟いた。
「さーてと、あの精霊はどこにいっかな」
北門の前、ニューソスクスは一人楽しそうに準備体操をしていた。彼がここへ来た理由はただ一つ、以前敗けをきっした精霊にリベンジするためだ。国とか世界とか、ニューソスクスにとってはどうでも良い。
戦えれば、それで良いのだ。
「……行くか」
手を上げ、ゼユテルは踏み出す。
アスト王国最後の砦であるカムトピアを守る壁。だが、彼にとってはそんなものなんの意味もない。
今まで通り、五十年前にやった事を繰り返すだけだ。
「さて、始めるか」
あの、戦争の続きをーー、
「なるほど、まさか魔王とはな」
その時だった。
王都を囲う高い壁、ゼユテルの遥か上空から声がしたのは。
声の直後、一人の人間は魔王の前に降り立つ。
そして、蒼い髪の騎士が宣言する。
「悪いが、ここから先へ通す訳にはいかない」
「誰だ、お前は」
「アスト王国騎士団団長ーーアテナ・マイレード。この国を護る、蒼い剣だ」
その時、声がした。
「ったく、なんか凄く目付きの悪い男がいるんですけど」
「心配すんな、たまにお前もあんな目してっからよオイ」
デスト、ユラは顔を揃えてその声の主へと目を向ける。
一人は女だった。戦場だと言うのに派手なドレスに身を包み、これでもかと言わんばかりに胸を強調している。そして、もう一人は男だった。あまり清潔感のない衣服に身を包み、ボロボロのバンダナを巻いている。
「テメェ……見た事あんな」
「よぉ、久しぶりだなカチカチ野郎。あん時の借り、返しに来てやったぞオイ」
その時、声がした。
「あれが魔元帥か? 正直なところ、もっとヤバそうなのを想像していたんだが……」
「見た目に騙されないでくださいよ。私とメレス、一度アイツに吹っ飛ばされてますから」
ニューソスクスが目にしたのは、ライオンだった。ライオンが二本の足で立ち、毛を逆立ててこちらを見ている。もう一人の女には見覚えがある。と言っても、見た事があるというだけだが。
「ハズレかよ……って言いてーところだが、お前らつえーな。リベンジマッチの肩慣らしにはちょうど良い」
「悪いな。誰にリベンジしたいのかは知らんが、お前の願いは叶わない」
ライオンはニューソスクスを指差し、
「ライオンは狙った獲物は逃さないんだ。ここで朽ちろ」
その時、声がした。
「……やっと、会えたな」
低く、腹の底から出ているような声だった。
たとえ顔を見ずとも、メウレスにはその声の主が分かってしまった。身の丈ほどの剣を肩に乗せ、筋骨粒々とした男は言う。
「俺達第一部隊のルール、分かっているよな?」
「えぇ、俺もそのつもりで来ましたから」
「そうか、覚悟は決まっているんだな」
男が剣を振り下ろす。
激しい風圧が辺りに広がり、切っ先が突き刺さった地面が抉れる。土が舞い上がり、地面に落ちるーー、
「俺の筋肉を見て学び直せ」
男のーーアルブレイルの剣が、メウレスに向けて振り下ろされた。
ーー開戦。