九章二十三話 『戦争準備』
「失礼します!!」
そう言って勢い良く中へ飛び込んだティアニーズ。外から見て、エリミアス達がなにやら込み入った話をしているのは分かったが、躊躇う余裕すらなかった。
こちらを見つめて硬直する三人。
エリミアスだけは違った意味で硬直していたようだが、やはりそれを気にするだけの余裕はない。何度か深呼吸を繰り返し、とりあえず喋れる状態を作ると、
「いきなり飛び込んで来てすみません! ですが、事態は一刻を争います」
「お、おう。なんか起こったのは分かるが……その腰に抱えてるの、俺の見違えじゃなきゃ魔元帥だよな?」
「はい。許可もなく連れ出してしまった事は謝ります」
「それについては私が許可を出しました。罰なら私が受ける」
「罰なんか与えねーよ。それよりも、その様子を見るによほどの事みてぇだな」
副隊長としてメレスが前に出るが、バシレはそれを罰する事はなかった。それよりも、ティアニーズ達のただ事ではない表情に気付き、なにが起きたかの説明を求める。
ティアニーズは抱えているケレメデへと視線を落とし、ゆっくりと下ろした。
「ケレメデさん、貴女が見た事をここで話してください」
「全部?」
「はい。私達に話してくれた事を、全て」
頷き、ケレメデはバシレを見た。相手が魔元帥という事もあり、緊張の面持ちでバシレは言葉をまつ。そして、
「さっき、ウルスの目を見たの」
「ウルスってーと、前にここに来た魔元帥だな」
「そしたら、みんながいた。全員じゃないけど、お父さんと、デストと、セイトゥスと、ユラと、ニュースと、メウレスと、ウルスが」
「そりゃまた……大所帯だな」
「それでね、みんなが見てたの。ーーここを」
淡々と語るケレメデの口から出た『ここ』という単語。最初はそれがなにを指すのか分からず、バシレは目を細めていたが、ティアニーズ達の焦った顔を見て、ようやく事態を飲み込んだように口を開く。
「ここって……まさか、王都か……?」
「うん。まだ距離はあるけど、おっきい壁が見えた。ここに来る時私も見たから、間違いないと思う」
「……他に、なにか見たか?」
「それだけだよ」
それだけだよーーと平然と言ってのけるが、事態は想像を越えている。彼らがなにを思って王都カムトピアを眺めていたのかは分からない。だがしかし、もし、思った通りなのだとしたら。
バシレが口にするより早く、ティアニーズが結論を述べた。
「ここへーー王都へ、攻めて来るかもしれません」
今まで別々に行動していた魔元帥が一ヶ所に集まり、しかも王都を見ていた。もしかしたらーーなんて予想をせずとも、その答えを出すのは簡単だった。
あくまでもティアニーズの予想でしかない。これが思い過ごしならば、それでも構わない。だがーー、
「…………」
バシレは黙りこみ、ケレメデの顔を見据えて息を飲む。王の間に流れた沈黙、しかしながら、その重さは今までの非ではない。
「その情報は、信用出来るもんなのか……?」
「分かりません。なにか確証がある訳でもないですし、もしかしたら、彼女が嘘をついているだけかもしれません。ーーけど、私は信じます」
確たる証拠も、彼女を信用するだけの付き合いがある訳でもない。それでも、ティアニーズはケレメデの言葉を信じていた。合理的なものではなく、自身の内から沸く感情に従って。
バシレは静かにアテナへと顔を向ける。
「どう思う?」
「罠という可能性もあります。この状況ですから、内側から掻き回されれば打つ手がなくなる。それこそ、相手の思う壺です」
「だよな……。正直に言うぞ、俺はソイツの言葉を信じる事は出来ない。いくら敵意がないからっつったって、魔元帥である事にはかわりねぇからな。だが……」
「私は、ティアニーズさんを信じます。ティアニーズさんがその方の言葉を信じたのなら、私はその方を信じます」
これ以上ないほどの信頼を向けられ、ティアニーズは恥ずかしさから僅かに口角を緩めた。だが、これは感情的な話だけで片付けて良い話題ではない。
もしケレメデの話が全て嘘で、こちらがなにか策をうったとしても、それが筒抜けになっていたのなら、本当にこの国は終わってしまう。この国を統べる王として、いくら娘が信じる相手だとしてもーー、
「よし分かった。お前達の言葉を信じる」
この国を統べる立場だとしても、バシレは決して娘を裏切ったりはしない。娘が、エリミアスが信じているのなら、それを疑う理由なんて微塵も存在しないのだ。
王としては、失格なのかもしれない。
けれど、こんな男だからこそ、この国がまだ滅びていないのも事実だ。
「ケレメデ、ここに到着するまでの時間はどのくらいだ? 大雑把で構わねぇから教えてくれ」
「遅くて二日。でも、お父さんがやろうと思えば、今すぐにでも来れると思う」
「ったく、準備すらさせてもらえねぇのかよ……!」
苛立ちを吐き捨てるが、感情的にならないように自分の頬を叩いて冷静さを保つバシレ。いくら戦争になると分かっていたとはいえ、これは流石に早すぎる。対応策どころか、準備の一つすら出来ていないのだから。
「ともかく、集められるだけ人数集めろ。あの勇者軍団もちょっとは戦力になんだろ?」
「はい。率いる男は少々あれですが、かなりの手練れが揃っています」
「アレイクドル、お前達は住人の避難だ。今から他の都市に逃がすってのは現実的に考えて難しい。城の地下に避難用のシェルターがある、そこに全員を避難させろ。それでも足りねぇと思うが……そん時は騎士団の宿舎だ。ちと規模はちいせぇが、同じもんがある」
「もし、それでも足りなかった場合は?」
「この城に避難させる。どのみちここが落ちたら終わりだ、お前達にはなにがなんでもこの城を守ってもらうぞ」
今から大急ぎで準備をしたとしても、恐らく間に合わないだろう。それでもやれる事はやるーーここが、人類にとっての正念場になる事は間違いないのだから。
「後ろのお前らもだ。アレイクドルと一緒に町に出て、片っ端から声をかけろ。騒ぎになるのは目に見えてるが……形振り構っちゃいられねぇ」
「お、お父様! 私は……」
「お前はここに残れ。行ったってなにが出来る訳でもねぇだろ」
「皆さんの誘導くらいなら、私にも!」
「ダメだ。余計騒ぎになる。悪いがここは譲れねぇ、もし断るってんならいくらお前でも力付くで部屋に閉じ込めるぞ」
いつものバシレとは違い、たとえエリミアスの我が儘でも聞く様子はない。負けじと反論してみても態度は変わらず、むしろその強固な意思を目にする事になった。
エリミアスは目を伏せ、それでも必死に表情を作ると、いつもの笑顔でティアニーズを見た。
「アテナ、お前は俺と来い。一から全部説明するって訳にはいかねぇが、王様と騎士団長が出りゃちょっとは静まるだろ」
「分かりました」
この状況の中でも、アテナの表情は変わらない。こうして冷静な人間が一人でもいると、周りはそれだけでも気持ちが落ち着くものだ。
バシレは話をまとめ、
「頼んだぞ」
力強く答えると、ティアニーズ達は王の間をあとにした。エリミアスの悲しげな瞳を背にしても、ティアニーズは笑って走り出した。
「随分とやべぇ状況になっちまったなオイ」
「多分、これでもマシな方ですよ。ルークさんがいたら、この情報すらないまま戦闘になっていたと思います」
「なるへそ、アイツが聞いたらキレそうがが……確かにその通りだなオイ」
王の間を飛び出したティアニーズ達は、とりあえず城から出るために走っていた。すでにスピーカーを通してバシレの声が国中に響いており、城内には慌ただしい足音がそこかしこから鳴っている。
まだ、国民達の声は聞こえない。ーーいや、事態を飲み込むのに時間が足りないのだろう。
「つーか、そのチビどうすんだオイ」
「あ、忘れてた」
「頼むぜ副隊長。そんなんだとトワイルに笑われちまうぞオイ」
「うっさいわね。……これでもかなり動揺してんのよ」
「んなの、見りゃ分かるっての」
残り二日間ーーそれまでにゼユテルが攻めて来る。それを聞いて動揺しない人間なんかいないーー否、一人だけしない人間に心当たりがあるが、あれは普通ではないので放置。
「そのちびっこは私が牢屋まで連れて行く。アンタ達は先に外に出てなさい」
「私も一緒に行く」
「は? そんなの無理に決まってるでしょ。アンタ、自分が魔元帥だって事分かってる?」
「うん。でも、お姉さん達以外は知らないでしょ?」
「……正論だけどムカつく。その力がなかったら思いっきり殴ってるとこよ」
ケレメデの言う通り、魔元帥を捕らえたという情報は騎士団しかしらない。余計な混乱を招く事を避け、国民達には告げられていないのだ。なので、誰もケレメデが魔元帥だという事は知らない。幸い、容姿もただの少女なので、町中にでも問題はない。
「それに、お父さん達がなにしてるのか、教えられるよ?」
「そうだった……忘れてた。でもそれならなおさら、アンタを外に出す訳にはいかない。今すぐにさっきの場所に戻って、ゼユテル達の動きを逐一アテナさん達に教えなさい」
「やだ」
「は、はぁ!? やだってなによ、やだって!」
「やだ」
走りながら真顔で答えるケレメデに、メレスはお怒りのご様子だ。しかしメレスの言う通り、向こうの動きを常に監視できるケレメデの力は、アテナ達と一緒にあった方が良い。
だが、
「私は、お姉さんと一緒に行く」
「わ、私ですかっ?」
「うん」
そう言ってケレメデが見たのは、隣を走るティアニーズだった。いきなり指名された事に驚きバランスを崩したが、なんとか立て直して足を前に出す。
「お姉さんと一緒じゃないとやだ」
「わ、我が儘言ってんじゃないわよ! アンタは人質なの、私の言う事だけ聞いてれば良いの!」
「じゃあなにも教えない」
「このガキ、ここで燃やしてやろうかしら……!」
メラメラと燃える火を指先に灯す。本気でやりかねないで、アンドラが慌てて止めに入った。
なにをそこまで気に入っているのかは分からないが、ケレメデはティアニーズの側を離れたくないらしい。メレスはアンドラをはね除け、乱暴に頭をかきむしると、
「あぁもう! 分かったわよ、アンタはティアニーズと行きなさい! ティアニーズ、もしなんかあったら遠慮なくぶった斬りなさいよね!」
「が、頑張ります」
魔元帥だからではなく、私怨混じりの敵意を向けるメレスに、ティアニーズは苦笑いしながら頷いた。
それから階段を勢い良く下り、二階にたどり着いた時、アンドラ一人だけが全員とは違う方向に走り出した。
「アンドラさん! そっちじゃないです!」
「んな事分かってるよオイ! 俺はワーチス達に事情を話してくっから、お前達は先行っとけ!」
この城のどこかにいる勇者軍団。その居場所を知るのはアンドラとメレスだけで、しかしメレスが離れる訳にはいかない。となると、必然的にその役目はアンドラになるのだが、
「だ、だったら僕も行きます!」
「ダメだ!!」
着いてい行こうとアキンが方向転換した時、アンドラが振り返って。あまりの大声に体を震わせ、アキンは足を止める。それに釣られ、ティアニーズもその場で立ち止まった。
「アキン、お前はメレス達と行け」
「ぼ、僕も一緒に行きます!」
「ダメだっつってんだろ。お前が来ても……出来る事はなにもねぇ」
「アンドラさん……そんな言い方ーー!」
「良いんです!」
アンドラの言い方に我慢ならず、ティアニーズが声を荒げたが、それを止めたのは他でもないアキンだった。震える拳を握り締めて、力のない笑みで口を開く。
「良いんです。お頭の言う通りですから」
「でも! いくらなんでも、あんな言い方しなくたって……」
「大丈夫です。僕達は僕達に出来る事をやりましょう……お頭も、そう思って言ってくれたんです」
アキンの表情は、なに一つ納得出来ていないと言いたげだった。それでも本心を押し潰し、違う道を行こうとしている。アンドラはそれを気にするどころか、直ぐ様体の向きを変えて走り出してしまった。
ティアニーズはそれを止めようとーー、
「なにやってんのよ! そんな下らない事に時間潰してる暇ないわよ!」
「はい! 今行きます!」
先を行くメレスの声を聞き、アキンは顔を上げると走り出した。その横顔にある言い難い感情を読み取りながらも、ティアニーズはかける言葉を見つける事も事が出来なかった。
唇を噛み締めてうつむいていると、ケレメデが問い掛ける。
「おじさん達、喧嘩してるの?」
「いえ、喧嘩とは少し違いますけど……」
「仲直りしないの?」
「……します。あの二人は、きっと元に戻ります。私達も行きましょう」
今、ティアニーズが出来る事はなにもない。
あの男ならば、場所も空気も読まずに説教するのだろうけど、ティアニーズは違う。首を傾げるケレメデの頭を軽く撫でると、メレス達を追いかけるように走り出した。
城の外に出ると、すでにバシレの話を聞いた数人が揃っていた。それを率いているのはーー、
「お前ら、状況は聞いての通りだ。時間に猶予があるからって油断すんじゃねぇぞ……多分だが、敵にメウレスもいる」
アルブレイルが、ただならぬ剣幕で部下達に指示を出していた。いつもの豪快な態度もなく、ただ静かに怒りの炎を燃やしているようなーー少なくとも、ティアニーズの目にはそううつった。
そしてその横には、
「遅いわよバカ!」
「うっさい、文句なら足の遅い部下に言いなさいよね!」
「私速いもん!」
遅れた事を叱りつけるハーデルトと、それに文句を言うメレス、そして手を上げて足が速いアピールをするコルワだった。
ティアニーズは慌ててそちらに駆け寄り、
「遅れてすみません!」
「長い説明はあと。今うちの隊長が一足先に町におりて行ってる。この際部隊とかは関係ない、三人一組になって避難を急がせて」
それだけ告げると、メレスの文句も聞かずにハーデルトは慌ただしく走って行ってしまった。呆気にとられるティアニーズを他所に、先に集まっていた団員達は次々と行動に移り始めている。
ティアニーズ、アキン、そしてケレメデを含めて三人。騎士団ではないアキンとケレメデを数に入れられるのかは微妙なので、残り一人を求めてコルワに声をかけようとすると、
「おいちっさいの、少し話がある」
話かけられた訳ではないのに、全身を寒気が襲った。振り返るとそこにはアルブレイルがおり、無表情のケレメデを見下ろしていた。
「なに?」
「メウレスもいるのか?」
「うん、いるよ」
「そうか、分かった」
それだけ言うと、アルブレイルは背を向けて去って行った。そこまで面識がないとはいえ、アルブレイルのあんな顔を見るのは初めてだった。動く事はおろか、声を出す事さえ忘れていた。
ケレメデは固まるティアニーズの手を引き、
「あの人、凄く怒ってた」
「え? あ……はい、メウレスさんと、色々あって……」
味方の筈なのに、なぜか震えが止まらなかった。魔元帥を前にした時とはまた違う震えだった。それでもケレメデが一切表情を変えないのは、やはり彼女が魔元帥だからなのだろうか。
ティアニーズは自分の太ももつねり、改めてコルワの元へと駆け寄る。
「コルワ!」
「ティア! 探してたんだよ!」
「ごめんね、遅くなって」
「ううん、へーきへーき。私足速いから」
猫耳を動かし、未だに俊足をアピールするコルワ。ともかく、これで三人揃った。
「私達も急ご。最初はティアのお父さんのとこだね」
「え? 良いよ、それよりも先に……」
「どーせ全員避難させるんだから、どこから行っても一緒でしょ。さ、速くいこー!」
「僕達でみなさんを助けましょう!」
危機感をまったく感じさせないコルワの無邪気な笑みを見て、ティアニーズはほんの少しだけ安心したように口元を緩めた。
こうして、戦争の準備が着々と進められる。
しかしそれと同時に、魔の王も迫っているのだった。