九章二十一話 『秘密の会談』
魔元帥に好かれる男、ルーク・ガイトス。
それを聞けば本人は嫌がるーーいや、むしろ喜ぶのではないだろうか。向こうが自分を好き=近くに来てくれる=殺しやすい=平凡な生活が早く手に入る、というイカれた思考回路をもつような男なので、嫌がるとは断言出来ない。
とはいえ、今はそんな事どうだって良い。
ルークにとってはそうではないのだろうけど、ティアニーズにとっては、心底どうでも良いのである。
なぜなら、
「私、お兄さんに恋してるの?」
そう言って、焦げ茶色の髪の少女は首を傾げる。見た目は十歳前後だが、その実、彼女は誰もが恐れる魔元帥である。しかしながらその影はなく、可愛らしい顔でティアニーズを見つめていた。
「ち、違います! 絶対に違う!」
「違うの?」
「恋な訳ないじゃないですか! そうですよ、あり得ないです!」
「なにムキになってんのよ」
「ムキになってないもん!」
先ほどまで驚くほどに冷静だったのだが、ティアニーズは急に立ち上がると、手を振り回してケレメデの感情を否定する。が、牢屋の外から少し不服そうな顔のメレスが口を挟み、背後にいたアンドラまでもが頷いた。
「恋って、なに?」
「恋は、その……えと……口では説明し辛い事なんです」
「そうなんだ。じゃあ、私には分からない」
「分からなくて良いです、はい」
考える事を早々に放棄するケレメデを見て、安堵の息をもらすティアニーズ。感情的になってしまった事を悔いるように奥歯を噛んで再び膝を曲げるが、牢屋の外の悪魔はそれを見逃さない。
「ライバルが増えるのが嫌なんでしょ?」
「な、なんですとぉ!?」
「エリミアスもいるもんねぇ。あ、あとソラもか」
「ち、違います! そんなんじゃないです! 私はただ、間違った事を指摘しただけです!」
「なんでよ。魔元帥が人間に恋しちゃいけないなんて決まりはないじゃない」
「そ、そそそれはそうですけど……」
メレスの言う事はもっともだ。たとえ魔元帥だからと言って、人を好きになってはいけないという決まりはない。ティアニーズだって、相手がルークでなければ放置していただろう。まぁつまり、嫉妬である。
「話逸れてんぞオイ。あとメレス、お前は青春してる若者が気に食わねぇだけだろ」
「私クラスになると男が腐るほど寄って来るのよ。そりゃ選ぶのに一苦労するほどにね」
「どの口が言ってんだオイ。左手の薬指に指輪はめてから出直して来い」
「とりあえず死ね」
呆れたように壁にもたれかかるアンドラだったが、禁句に触れてしまったため、牢屋の外から飛んできた小さな炎の玉が直撃。燃える服をなんとか鎮火し、『なにしやがんだテメェ!』と叫ぶが、婚期を逃した悪魔は口笛を吹いてそれを無視した。
二人のおかげで冷静さを取り戻したティアニーズは、再びケレメデに問い掛ける。
「恋の話は一旦置いておきましょう。単刀直入に言います、ゼユテルの居場所を教えてください」
「出来ないって言ったよ」
「同じ魔元帥ならば、ゼユテルの視界を見る事も可能性な筈です」
「無理だよ。お父さんの視界は見れない」
「……だとしても、側にいる魔元帥の目なら見れる。ーー例えば、ウルスさんとか」
ゼユテルの視界を見る事が出来なくとも、側にいる魔元帥ならば可能かもしれない。近くに魔元帥がいないという可能性もあるが、あのウルスの事だ、彼だけはゼユテルについているに違いない。そしてそれさえ出来れば、今度はこちらから仕掛ける事が出来る。
「ウルスさんの目を、見ていないんですか?」
「ここにいれば、色んな人が来てくれる。だから退屈しない。だから見てない」
「だったら、今見てください」
「……やだ」
顔を逸らし、ケレメデが小さく呟く。今まで嫌がる素振りは何度かしていたが、これはそれらとは違い、決定的な否定だった。
しかし、ティアニーズだって引く訳にはいかない。
「貴女は、この状況が分かっていないんですか?」
「分かってるよ。人質、でしょ?」
「はい、貴女は人質なんです。もし断るのならーー」
「無理だよ。お姉さんじゃ、私を殺せない。お姉さんは、私の敵だから」
「敵だから殺すんです。私達だって、もう形振り構っていられない」
遅かれ早かれこうなる事は分かっていたが、エリミアスが宣戦布告をした以上、すでにアスト王国は戦争状態へと入っている。相手がいつ攻めて来るのかも分からない状況でもっとも重要なのは、いかに相手よりも早く動けるか、だ。
相手の情報は一切ないこちらとしては、もうケレメデに頼るしかない。たとえ、小さな少女の体を傷つける事になったとしても。
ティアニーズは、静かに剣を抜いた。
「この剣には、精霊の力が宿っています。貴女の力は分からないけれど、私には……貴女を殺すだけの力がある」
「良いよ。どうせ死んでもまた作り直されるから」
「……死ぬのが、怖くないんですか?」
「死ぬのって、怖い事なの?」
ティアニーズは、ケレメデの瞳を見て絶句した。今の言葉は、彼女が魔元帥だからではない。これまで出会った魔元帥は、たとえ死んでも生き返ると分かっていながら、それでも生きるために抵抗していた。しかし、彼女にはその意志がない。本気で、死を恐れていないのだ。
息を飲み、ティアニーズは改めてケレメデを見据える。どこにでもいる小さな女の子。敵意なんて感じないし、悪意の欠片だってない。まるで、生まれたてのように。なにが悪くて、なにが良い事なのか教えられていない子供のようだった。
「死ぬのは、怖いですよ。死ぬのが嫌だから、私達は戦っているんです。貴女は、なんのために生きているんですか?」
「理由なんてない。人間を殺す、私はそのために作られた存在だから」
「……それって、楽しいですか?」
「楽しい? 生きるのって、楽しいの?」
「いえ、辛い事ばかりです。理不尽で、どうにもならない事ばっかです。でも、私は……今、生きていて楽しいです」
ティアニーズの『楽しい』という言葉に反応するように、ケレメデが顔を上げた。曇りのない瞳ーー純粋さで言えば、アキンにも匹敵するものがある。
「けれど、貴女達は人間を殺している。必死に生きていている人達を、楽しい人生を送っている人達を」
「殺すのは、ダメな事なの? でも、お姉さん達も、魔獣を殺してるよ」
「はい、だから……私もダメな人なんです。自分が生きるために、私は他の誰かの命を奪っている。それはきっと、やってはならない事なんです」
「だったらーー」
「けど、私は自分で選んだ。なにが正しくて、なにが間違っているのかを選びました。私にとって、魔獣を殺す事が正しくて、人間を守る事が正しい事なんです」
魔獣の中にも、優しい人はいる。先に仕掛けて来たのがゼユテルとはいえ、まったく関係のない魔獣だっている。ティアニーズのやろうとしている事は、ゼユテルを殺すという行動の意味は、そんな魔獣達の、楽しい生活を奪うという事だ。
やっている事は、ゼユテルとなにも変わらない。
けれど、ティアニーズは自分で選んだ。正しい事と間違っている事に線を引き、自分の中の正しさを貫こうとしている。
自分の道を、歩こうとしている。
「貴女は、自分で選びましたか? 自分の意思で、望んで人を殺しているんですか?」
「……分からない」
「分からないではダメなんです。貴女は貴女で、ゼユテルではありません。なにが正しいのかは、ケレメデさん、貴女自身が決めるべきなんです」
「私自身……」
恐らく、ケレメデは何人もの人間を殺している。命令されたからと言って、彼女の罪がなくなる訳ではない。ちゃんとした場所で、ちゃんとした裁きを受けるべきなのだろう。だが、そのためにも、彼女は理解しておくべきなのだ。自分が、これまでやった事に対する罪の重さを。
「ケレメデさん、貴女のやった事は許されません。たとえこれからどれだけの行いをしたとしても、その罪が消える事はない」
「私は、悪い人なの?」
「はい、少なくとも私は、貴女を許すつもりはありません。これから先も、貴女はずっと私の敵です」
やり返したら終わりのルークや、誰かを許す事の出来るエリミアスとは違う。ティアニーズは、決して許さない。やってしまった事の責任は、一生をかけて取り続けなければならないのだ。自分が、そうだから。
ティアニーズは息を吐き、ケレメデの肩を掴んだ。
「けど、ほんの少しだけ、貴女には余地があります。だから決めるんです、今この場で。貴女にとっての正しい事を」
「分からないじゃ、ダメ?」
「目を逸らしていられたのなら、きっと楽なんでしょう。でも、私はそんなの許さない。ちゃんと、向き合ってください」
ティアニーズを見つめるケレメデの瞳は、僅かに揺れていた。それは恐怖ではないが、確かに彼女の中のなにかが変わった瞬間だったのかもしれない。
「お姉さんは、きっと良い人だと思う」
「私は良い人ではありませんよ。一人の男の、平凡な生活を奪った極悪人です」
「聞いても、良い?」
「人に質問する時は、確認をとらない方が良いです。どうせ断ってもするんですから」
微笑み、ティアニーズは受け売りの言葉を口にする。それから肩に置いた手を離すと、ケレメデはゆっくりと口を開いた。
「あのお兄さんも、そうなの?」
「ルークさんですか? うーん、あの人はちょっと特別と言うかなんと言うか……普通の人とは思考回路が別なんです。でも、自分で間違っていると思う事は、決してやらない人ですよ」
あの男は、色々と規格外なので比較対象にはならない。一応自分のやりたい事だけを貫いているのだが、やりたい事がその場その場で変わるのだ。ようするに、自分勝手なクズである。今は勇者という立場だが、ほんの少し変われば、魔王にだってなっていたかもしれない。
「おじさんも、そうなの?」
「お、おじ、おじさん? まぁ、俺は……正しくなろうとはしてるつもりだぜオイ。けど……」
突然話を振られたアンドラ。おじさん呼びに困惑した様子だったが、少し照れながらもケレメデの質問に答える。最後まで言いきれなかったのは、恐らくアキンが原因だろう。
「いつものお姉さんも?」
「当たり前でしょ。私は私の好きなタイミングで仕事を休む」
「それは困ります。副隊長なんですから」
メレスもメレスで、わりとルークよりの性格だ。なぜかドヤ顔で職務放棄を宣言するメレスに突っ込みを入れ、ティアニーズはケレメデへと目を戻す。
「もう一度だけ言います。ウルスさんの目を見てください。もし貴女が間違っていると思うのなら、やらなくても良いです。だからと言って、傷つけたりはしませんから」
「……まだ、分からない」
ティアニーズの目から逃げるように、ケレメデは目を伏せて小さな声で呟く。しかし、直ぐ様顔を上げると、
「けど、多分……お姉さん達が死んだら、私は悲しいと思う」
「そう、なんですか?」
「これも、恋なのかな?」
「違うと思います」
「じゃあ、お兄さんに恋してる」
「それは絶対に違う!」
ケレメデはふざけていないのだが、完全にティアニーズを掌で転がしている。無知と言うか純粋と言うか、ティアニーズはその類いの人間に苦労させられる体質のようだ。
肩を上下させるティアニーズに、ケレメデはさらに追い討ちをかける。
「お姉さんは、お兄さんに恋してるの?」
「へ? し、してないですけどっ?」
「そうなの? じゃあ、私がする」
「ダメ!」
「なんで? 恋したらいけないの?」
「ダメじゃないですけど……それは、その……」
「じゃあ、お姉さんに恋するね」
「もうそれで良いです」
いまいち恋を理解していないケレメデ。これ以上口論しても無駄だと判断し、ティアニーズは適当に話を切り上げた。なにも知らない人間が聞けば勘違いしそうな内容だが、後ろのおじさんと牢屋の外のお姉さんはニヤニヤと見守っていた。
「私、ウルスの目を見るね」
「……良いんですか?」
「うん。多分気付かれると思うけど、私がここにいる事は知ってると思うから」
「じゃあ……お願いします」
「うん、分かった」
そう言って、ケレメデは静かに瞼を閉じる。先ほどまでの騒がしかった空気はどこかへ行き、ティアニーズ達の息遣いだけが辺りにこだましていた。
それから数十秒間無言が続き、ようやくケレメデが目を開けた。無表情のまま、ティアニーズを見つめる。
「あ、あの、なにかありました?」
「……うん、あった。ウルスの目を見たけど、そこにお父さんがいた。あと、他のみんなも。全員じゃないけど」
「揃っている、という事ですか?」
「うん。それとーー」
ケレメデが口を開く。
それと同時に、ティアニーズ達は、自分の耳を疑った。
一方その頃、時間を少し遡る事になるが、エリミアスとアキンは、王の間の扉の前にいた。こそこそと隠れるように怪しい動きをし、少しだけ開いた扉の隙間から中の様子を伺う。
「アキンさん、これはとても重要な任務なのです!」
「は、はい! 僕達できっと成功させてみせましょう!」
声を抑えてはいるが、みなぎるやる気を隠しきれていない。エリミアスの手には、ティアニーズから預かっている手紙がある。手紙の主の事についてバシレから聞くーーというのがティアニーズからの指令なのだが、二人が中に入る様子は一切ない。なぜなら、
「お父様とアテナさんの会話、きっと重要な会話なのです。これを私達が盗み聞きし、ティアニーズさんに伝えれば、役に立つのです!」
「はい! 盗み聞きは盗賊の専売特許ですから、これでお頭も僕を認めてくれる筈です!」
「頑張るのです!」
「頑張りましょう!」
友達のため、パパのため、二人の少女のやる気は変な方向へと進んでいる。今思えば簡単な事だが、この二人になにか頼むというのは、かなり軽率な行動である。
しかも、
「ねぇねぇ、なにしてるの?」
「ひゃっ!」
「だ、誰ですかっ?」
二人がなんとか中の様子を探ろうとしていると、背後からいきなり声をかけられた。驚きのあまりに声を上げてしまうが、慌てて口を抑え、振り返る。そこにいたのは、猫耳の少女だった。
「あ、貴女は、ティアニーズさんのお友達の……」
「コルワだよ。ねぇねぇ、なにしてるの? もしかして盗み聞き?」
現れたのは、ティアニーズに抱き付きながら鼻水と涙を流していた少女だ。普通、こんな状況に出くわしたら疑うのだが、すぐにエリミアス達がやろうとしている事を理解し、なんなら参加しようとしている。
「あの、どうしてここに?」
「うーんとね、ティアを探しに来たんだけどいなくって。それより、盗み聞きなら私もやるよ! 耳良いし!」
「そうなのですかっ? 是非ともお願いします!」
猫耳も参加決定。
純粋シスターズにバカが参戦し、もうどうにもならん状況が出来上がった。
三人が息を殺して中を覗きこむと、真剣な表情のアテナとバシレがいた。耳をすませると、アテナの声が聞こえて来る。
「すみません、私の力ではどうにもなりませんでした」
「いや、お前のせいじゃねぇよ。元々そっちは期待してなかったんだ。悪いな、長い期間面倒な事を押し付けちまって」
「いえ、これでも騎士団団長ですから」
所々聞こえる会話では、話の内容が分からない。三人はバレないギリギリまで身を乗り出しーー、
「隣国を回りましたが、協力してくれる国はゼロ。あくまでも、アスト王国のみの問題として扱え、との事です」