九章二十話 『勇者適正』
「…………」
「なに、緊張でもしてるの?」
「これから魔元帥に会うんですから、緊張くらいしますよ」
「私達よりも会ってるでしょ。それに、あの子は普通の魔元帥とは違うから、そんなに緊張する必要はないわよ」
「何度会っても緊張するものはするんです」
結局、ティアニーズはエリミアス達と別れる事になってしまった。正直に言えば他にやりたい事ーーあの手紙について調べたかったのだが、その役目はエリミアスとアキンに譲った。
ルークと手紙の主の女性との関係。
元々王都へはそれを知るために来たのだが、魔元帥が捕らえられているとなれば話は別だ。個人的な興味ではなく、騎士団に所属する人間として行動する事に決めたのだ。
城の地下へと続く階段の道中、もう会うのになれてしまっているのか、緊張感のない様子のメレスが言う。
「あの子、脱走する気配もないのよね。無敵の力は厄介だけど、それ以外は本当にただのガキっぽいのよ」
「相手はあの魔元帥です、油断はダメですよ」
「そんな事言われてもねぇ……ま、会えばアンタも分かるわよ」
いりくんだ道を抜け、さらに奥まで進んで行く。通常、犯罪者は城の地下ではなく、騎士団が所有する牢に閉じ込められるのだが、凶悪犯罪者はまた別だ。こうして何人もの兵を置き、厳重な警備の元に地下深くの牢屋に幽閉されている。
「なにも、情報は吐いてくれないんですよね?」
「本当になーんも話してくれない。こっちが話かけても無愛想に頷くだけだし、挑発してみても効果はなし。人形みたいな子よ」
「そりゃそうですよね。敵が簡単に情報を吐く筈がない……」
「うーん、そうでもないみたい。単に私や他の人と話したくないって感じもするし。てゆーか、なにも知らない気もするのよね」
「なにも知らない? そんな筈はないと思うんですけど……」
メレスの言葉を聞く限り、魔元帥の容姿は幼いのだろう。それでいて無表情で、淡白な返事しかしない。今までの魔元帥はどちらかと言えばお喋りなのが多かったので、これまでとは違う緊張感が全身を駆け巡った。
それでも気を緩めないように頬を叩き、
「相手は魔元帥なんです。私は空気に飲まれたりーー」
そこで、足が止まった。
城地下、最下層にたどり着き、魔元帥のいる牢屋まであと少しのところだった。ふと、なにかの視線を感じ、ティアニーズは顔を横に向けた。そこには牢屋があり、薄暗い空間の中、一人の男が正座していた。
見覚えのあるーーバンダナの男が。
「…………」
ティアニーズはそれを蔑んだ目で見ると、何事もなかったかのように足を進める。
と、
「ちょ、待てやオイ!! 無視すんなボケ!」
バンダナの男ーーアンドラはその他人行儀な態度を見ると、慌てて立ち上がり、叫びながら鉄格子にしがみつく。ティアニーズはため息をつき、
「なんですか?」
「なんですか? じゃねーよ! これ見て、俺捕まってんの! 普通おかしいって思うだろーがオイ!」
「なにもおかしくないじゃないですか。だって悪い人ですし」
「あ、そうだった、俺悪党だったーーってそうじゃねぇわ! 話が違うだろって言ってんだよオイ!」
芸術的な乗り突っ込みを身ぶり手振りで終えると、なんか半泣きで鉄格子の間に顔を突っ込むアンドラ。ティアニーズの言う通り、本来であればこの処置は適切である。適切なのだが、聞いていた話と違うのも事実だ。
アンドラはメレスを指差し、
「オイ、そこの結婚出来ない女! テメェさっさとここから出しやがれオイ!」
「誰が結婚出来ない女よ。私に見合う男がまだこの世に生まれて来てないだけ。アンタはそのままそこで地獄に落ちない」
「ふ、ふざけんな! こちとらかなりの覚悟決めてここに来てんだぞ! テメェらの欲しい情報は全部吐いただろーがオイ!」
「情報吐いただけで罪が帳消しになるとでも思った? 世の中そんなに甘くないのよ、大悪党さん」
鉄格子の向こう側から繰り出される挑発に、アンドラの怒りは限界を突破している。しかしかなり強固に作られているのか、どれだけ動かしてもガシャガシャと音が鳴るだけで、壊れる気配は一切ない。
流石に可哀想になり、
「あの、メレスさん。アンドラさんは確かにぐうの音も出ないほどのクズですけど、これまでの功績を考えると、ここに閉じこめるのはやり過ぎじゃないですか?」
「そうだそうだ! 俺はクズだけどそれなりに活躍はしてんぞ! 魔元帥は倒してないけどねオイ!」
「うーん、確かにそうね。けど、その前に言う事があるじゃなくて?」
メレスは腕を組んで頷き、それから改めてアンドラへと向き直る。冷めた目でアンドラを見つめ、
「まず、謝りなさい。この私に、土下座しなさい」
「は、ハァ!? なんで俺がそんな事しなくちゃいけねぇんだよオイ」
「決まってんでしょ、今まで私達から逃げてた事についてよ。どーせアンタの事だから、一人で盗賊になった後ろめたさでもあったんでしょ?」
「そ、そんな事ねーし」
あからさまに顔を逸らし、鉄格子から手を離して変な方向を見るアンドラ。一応幼なじみなので、そこら辺はお見通しなのだろう。
「アンタが盗賊を選んだ事についてはなにも言わない。あの人の影響もあったんだろうし、こればっかりは育て親が悪かったとしか言いようがないから」
「ならなんでだよオイ」
「あのね、ここまで言って分からないの? これでも同じ釜の飯食って同じ寝床で寝た仲なの、心配くらいするでしょーが」
予想外の発言に、アンドラは目を丸めてメレスを見つめる。言った本人は照れる様子もなく、しかし呆れたように手を上げてため息をついていた。
「私やハーデルトはともかく、アルはアンタの事を本当に心配してた」
「アイツが? 嘘つくんじゃねぇよ。アルフードの野郎は、俺の事が大っ嫌いな筈だろ」
「そうね、多分嫌いよ。けど家族でしょ。私やハーデルトにはいない、たった一人の兄弟でしょ」
「う……それは……」
「家族に心配をかけたら謝る、そんなの当たり前の事でしょ……違う? それともなに、アンタはガジールさんからそんな事も教わらなかったの?」
ガジールの名を出された瞬間、アンドラの体が少し縮んだ気がした。メレスの言う事は反論のしようがないほどに正論なので、アンドラは言い返す事も出来ず、ただ目をそらして口をすぼめている。
「だから謝るの。アンタがどんな人間になろうが関係ない、私にとっては家族なの。分かった? 分かったなら返事して土下座プリーズ」
アンドラの足元を指差し、土下座するように促すメレス。その目には一切の容赦はなく、冗談のつもりではないようだ。あくまでも、土下座をしない限りは出さないという姿勢を貫いている。
少し躊躇いながら、アンドラはメレスを見る。
それから膝を曲げ、その場につくと、
「その、なんだ……今まで心配かけてすまなかった」
「本当に悪いと思ってる?」
「思ってる、めちゃくちゃ」
「そ。……なら許してあげる」
小さく微笑み、メレスは満足したように肩の力を抜いた。アンドラはようやく出れると思い、勢い良く立ち上がってメレスに駆け寄るーー、
「じゃ、もう一回」
「……は?」
「アンタ、さっき私の事結婚出来ない女って言ったわよね? それについての謝罪よ」
「ふざけんな! それは関係ねぇだろオイ!」
「あーそう、ならそこで一生暮らしなさい。私は行くから、そんじゃ」
「あー嘘嘘! 謝るから、謝るから出してくださいメレス様!」
その後、地面に頭を擦り付ける綺麗な土下座を披露し、ようやくアンドラは牢屋から脱出する事になった。歳はメレスの方が下なのだろうけど、完全に尻に敷かれるなさけない夫である。
「ったく、これだから騎士団は嫌いなんだよオイ」
「しょーがないでしょ。こっちにも立場があるんだから、一応アンタを捕まえたって名目は必要なの」
「へいへい、そんじゃ俺は戻るぞオイ」
「なに言ってんのよ、アンタも一緒に来るに決まってんでしょ」
そそくさとその場から去ろうとするアンドラだったが、メレスはにこやかな笑顔でそう言った。その笑顔の奥にある邪悪な感情を即座に読み取ったのか、アンドラはなにも言わずに降伏。
「魔元帥に会うんだもの、万が一に備えて肉壁は多い方が良いに決まってる」
「わーい、やったー、肉壁ばんざーい」
「……アンドラさん、変なのに目覚めないでくださいね」
完全に死んだ目で両手を上げるアンドラを見て、ティアニーズは盗賊から変態に進化しない事を祈るのだった。
それから三人は足を進め、ようやく魔元帥のいる牢屋の前までたどり着いた。独特の言い表せない空気の中、一人の少女が膝を抱えて座っていた。
「彼女が……魔元帥?」
「前に一度見てっけど……マジでただのガキだなオイ」
そこにいたのは、焦げ茶色の短い髪を後ろで結んだ、幼い顔つきの少女だった。その見た目に一瞬だが、ティアニーズは幽閉している事に対して罪悪感を覚えてしまう。
少女は顔を上げてこちらを見ると、再び視線を前に戻す。
「ね? いっつもこんな感じなの。誰が来ても顔を見て逸らす。話にすらならないわよ」
敵意も、悪意も感じない。魔元帥と戦った者だけが分かる、圧倒的な恐怖もない。そこにいるのは紛れもなく、小さな女の子だった。
だがそれと同時に、魔元帥でもある。
ティアニーズはしゃがみ、少女に視線を合わせて問い掛ける。
「初めまして、ティアニーズと言います。貴女の名前を、教えてもらっても良いですか?」
「……ケレメデ」
少女はティアニーズと目を合わせる事もせず、視線を前に向けて一言だけ言った。無愛想と言うかなんと言うか、人間に対してまったく興味がないようだ。
その姿を見て、アンドラがもっともな疑問を口にする。
「つかよ、コイツ本当に魔元帥なのか? 間違って違う奴連れてきたとかじゃねーよなオイ」
「そんな凡ミスする訳ないでしょ。私とはハーデルトは実際に戦ってるの、間違える筈がない」
「つってもよ……」
アンドラの言いたい事は分かる。それなりに修羅場をくぐり抜け、ティアニーズよりも悪い人間を知るアンドラですら、この少女からはなにも感じないのだろう。
ティアニーズは少し考え、意を決したように立ち上がる。
「メレスさん、この牢屋、開けてもらえませんか?」
「なに言ってんのアンタ。正気?」
「私が中に入って話をします。もし危なくなったら助けてください」
メレスはティアニーズの目を見て、こうなったらなにを言っても無駄だと理解したのか、反論はせずに牢屋の鍵を取り出した。そこへ、アンドラが慌てた様子で止めに入る。
「まてまて、流石に危な過ぎんだろオイ」
「ティアニーズがやるって言ってんだから良いのよ。責任は私がとる。それに、アンタも入るんだからへーきよへーき」
「ですよねー。肉壁行って来ます」
こちらも文句は言わず、開いた牢にティアニーズと一緒に入って行った。メレスが外側から鍵をかけたのを確認すると、ティアニーズはケレメデの前に腰を下ろした。その斜め後ろ、アンドラは面倒くさそうに壁にもたれかかる。
「貴女は、本当に魔元帥なんですか?」
「うん。魔元帥」
「では、ゼユテルの居場所を知っているんじゃないですか?」
「知らない。お父さんは、いつも見せてくれないから」
喋るというよりも、淡々と言葉を並べている印象をティアニーズは受けていた。それでもめげずに言葉を続ける。
「他の魔元帥の居場所は分かりますか?」
「分かるのもいる」
「それを教えてください」
「教えられない」
「なぜですか?」
「教えても、お姉さん達が死ぬだけだから」
「私を、心配してくれてるんですか?」
そこで、初めてケレメデと目があった。
ティアニーズの言葉を聞き、静かに首を傾げると、
「私が、お姉さんを心配してるの?」
「それは貴女にしか分かりません。私が死ぬのは嫌だと思ったから、さっきの言葉が出たんじゃないんですか?」
「違う。お姉さんが死んでも、悲しくない」
ここで、ようやくティアニーズは理解した。
この少女は、自分の感情を自分で理解出来ていないのだ。今までの魔元帥と明確に違う点、それは自分をもっていない事だ。なんのために戦うのか分かっていなかったセイトゥスでさえ、それを考えるという手段をもってはいたが、ケレメデには、それすらないのだ。
「……お姉さん」
「はい?」
「お姉さんの顔、見た事ある」
ティアニーズが考えていると、ケレメデが初めて自分から口を開いた。その行動にはメレスも驚いたようで、外側から鉄格子に迫って耳をすませる。
「私を、知ってるんですか?」
「うん。誰の目かは忘れたけど、見た事ある」
「誰の目? ……あの、一つ聞きます。貴女達魔元帥は、視界を共有してるんですか?」
「ーーうん、そうだよ」
当たり前のように放たれた言葉に、ティアニーズは絶句した。アンドラも、メレスも、驚いたように目を見開く。それはつまり、この状況すら見られているという事でーー、
「でも、自分の意思で見えなくする事も出来る」
「……じゃ、今は?」
「見えてないよ。それに、みんな私の目なんて興味ないと思うから」
「興味、ない?」
「私はあんまり出歩かないから、みんなの目を見てるの。でも、他のみんなは違う。みんな好きなようにやってる」
ひとまず、今は大丈夫ーーなのかもしれないという答えを出し、ティアニーズはメレスへと視線を送った。メレスは直ぐ様監視の人間を呼び、今の情報を小声で伝えると、監視の男は血相を変えて走って行ってしまった。
「以前、魔元帥は個人主義だと聞きました」
「うん。みんな、みんながなにをやってるのかなんて興味ないから。見るのは、私かウルスくらいだよ」
「……では、ゼユテルの目を見る事もできるんですか?」
踏み行った疑問を口にする度、心臓が締め上げられる感覚があった。もしこれを見ているとすれば、間違いなくゼユテルはしかけて来る。エリミアスの宣戦布告もあり、向こうはこちらを完全に敵として認識しているのだから。
だが、もしそれを逆手にとる事が出来れば、人間側にだって反撃の機会が生まれる。しかしーー、
「それは、無理だよ。お父さんの目は、誰も見れない」
「そう、ですか……」
「ねぇ、聞いても良い?」
メレスの話とは違い、自分から発言するケレメデにティアニーズは驚きを隠せない。しかし情報を得るチャンスだと気を引き締め、動揺を隠して答える。
「はい、構いませんよ」
「あのお兄さんは、どこにいるの?」
「……お兄さん?」
「うん。お姉さんといつも一緒にいる、目付きの悪いお兄さん」
ティアニーズといつも一緒にいる目付きの悪い男ーーそんなの、一人しかいない。あの、バカ勇者の事だ。
「ルークさん、ですか?」
「ルーク? うん、多分、そんな名前」
「ルークさんは、今ここにはいません」
「そうなんだ……」
そこで初めて、ケレメデの表情に変化があった。それは間違いなく、悲しんでいる表情だった。なぜ、そんな顔をしているのかは分からない。恐らくルークも会っているので、もしかしたらその時になにかあったのかもしれない。
だが、気になってしまった。
「なんで、ルークさんの事を?」
「ーー会いたいから」
「あ、会いたい?」
「うん。あのお兄さんに、会いたいの」
その表情を、ケレメデの顔を見て、三人は同時に目を丸めた。先ほどまで無表情だった少女が、メレスがどれだけ話しかけても答えなかった少女がーー笑っていたのだ。ルークの名を出し、考え、微笑んでいたのだ。
ティアニーズは嫌な予感がし、僅かに身を乗り出す。
「あ、あの! なんで会いたいんですか?」
「分からない。でも、会いたい」
「ルークさんに、なにかされたんですか?」
「なにか? ……叩かれた」
「へ? 叩かれた?」
焦るティアニーズに対し、ケレメデは表情を元に戻して答える。あの男なら子供でも容赦なく叩きそうだがーーいや間違いなくやる。うん、絶対やる。
「叩かれたから、会いたいんですか?」
「ううん、本当は、もっと前から会いたかった」
「前から?」
「だって、みんなあのお兄さんの事考えてるから。みんな、あのお兄さんを殺そうとしてるから」
実を言えば、この時点で悪い予感はしていた。それはアンドラでもメレスでも気付く事は出来ず、ティアニーズだけが見抜けた事だ。しかし、それを言わずーー否、言いたくないという気持ちが上回り、あえて無視をした。
「今まで、そんな事なかった。人間に興味をもつなんて、そんな事なかった。でも、あのお兄さんだけは違う」
「…………」
「だから、私も行ったの。メウレスに呼ばれて、あのお兄さんに会えるかもって思ったから」
「…………」
「そこで、ようやく会えた。ほんのちょっとだったけど、お兄さんとお話出来た。凄く、嬉しかった。初めて、人間とお話して楽しいと思った」
嫌な予感が、現実味を帯びて行く。この頃には、アンドラもメレスも彼女がなにを想っているのかに気付いていたのだろう。驚きというよりは、呆れてものも言えないという表情だ。
その呆れは、ケレメデに対してではない。
どこまでも魔元帥に好かれる、あの勇者に対してだ。
「あの、ケレメデさん……それって、もしかし……」
「惚れたな」
「恋ね」
「ちょ、ちょっと二人とも!」
ティアニーズがあえて言葉に出さなかった事を、大人二人は容赦なく口にした。慌てて振り返るティアニーズだったが、ケレメデはその言葉を飲み込むように何度も頷きーー、
「私、お兄さんに恋してるの?」
やはり、あの男が勇者になるのは運命だったのだろう。
だって、ここまで魔元帥に好かれる人間なんて、この先現れないだろうから。
ーー良い意味でも、悪い意味でも。