九章十九話 『娘の成長とパパの不安』
「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁ!!」
バシレの大声が響き渡り、一同が耳を塞ぐ。本人も思ったよりも声が出ていたらしく、肺の空気を全て吐き出した直後、焦りながら大きく息を吸い込んだ。
苦笑いしていた姫様は、
「今まで黙っていて申し訳ありません。言うタイミングが見当たらなくて……」
「お、おま、アレイクドル達とはぐれて、一人で歩いてここまで来たってのも嘘なのかっ?」
「えへへ、ほとんど嘘なのです」
「な、なんじゃそりゃ……」
てへ、と可愛らしく頭を叩き、舌を出して誤魔化そうとする姫様。バシレは呆れてなにも言えなくなってしまったのか、顔面から生気が消え、真っ白に燃え尽きた。
放心状態の王様の代わりに、頭を抱えつつもオーガルが口を開く。
「という事は、姫様は敵の親玉とつい最近まで一緒にいたって事か?」
「はい、そうなります」
「おてんばだとは思っていたが、まさか俺達よりも先に魔王に会うとはな……。誰に似たんだか」
「きっとお父様だと思います」
「いや、真面目に返されても……」
嫌みのつもりで言ったらしいのだが、そんなのがエリミアスに通じる筈もなく、爽やかな笑顔で自慢げに答える。オーガルはどうにもならんと言いたげに手を上げ、話の主導権をティアニーズへと渡した。
「え、ええと……とりあえず皆さんに聞いてもらおうか。エリミアスが見た事、聞いた事を全部」
エリミアスがバシレに対してどんな嘘をついていたのか気になるところだが、話を渡された以上、ここは繋ぐしかない。この中で状況を知っているのはティアニーズとアキン、そして本人であるエリミアス。アンドラの姿が見当たらないので、その役目は必然的にティアニーズになるのである。
「私の口からでは、恐らく全てを伝える事は出来ません。私に出来るのは聞いた事をそのまま伝える事だけなので……」
「うん、それでも良いよ。だから話して」
なにかを思い出し、エリミアスの表情が僅かに曇る。ここから先はティアニーズも味知の領域だ。エリミアスがゼユテルと会い、なにかを話した事は聞いているが、詳しい内容までは知らない。
彼女の表情からなにかを読み取りながらも、耳をすませる事に徹底する事にした。
「今まで私達は、相手の事をなにも知らずに戦って来ました。勿論、理由があるからといってなんの罪もない人の命を奪って良い訳ではありません」
エリミアスの言う通り、ティアニーズ達はなにも知らないまま戦って来た。剣を握る理由としては、人間を傷つけたからーーそれで十分なのだが、やっている事は暴力でねじ伏せる事と同じだ。
「もしかしたら、この話を聞いて考えが変わる方もいるかもしれません。少なくとも私は、ほんの少しだけ揺らぎました」
敵の考えに賛同する、それは姫としては失格なのだろう。だが、エリミアスは正直に気持ちを吐き出す。それが彼女の長所であり、短所でもある。
「まず始めに……あの方はーー精霊です」
そして、エリミアスは語り始めた。
ゼユテルという男について、彼になにがあったのか、精霊がなにをしたのか。聞いた話でしかないが、その言葉の一つ一つに、エリミアスの悲しみの感情が込められていた。
ティアニーズは、ただ耳を傾ける。
ゼユテルが精霊という予想はしていたが、彼の行動原理を聞き、僅かだが、同情の気持ちが芽生えていた。正しい事をした筈なのに誰も助けてはくれず、たった一人世界から追放された存在。そんな間違った世界を変えるため、ゼユテルという男は行動を始めた。
「これが、私の聞いた話なのです。上手く伝えられなくてすみません……」
話が終わる頃には、エリミアスの瞳から小さな涙がこぼれ落ちていた。自分ではなく、他人におきた不幸をここまで悲しむ事の出来る人間はそういない。
ーーだからこそ、エリミアスの次の言葉が、ティアニーズの胸に突き刺さった。
「けれど、私は戦うと言いました。皆さんの話を聞かず、私の独断で決めてしまいましたが、この選択に後悔はありません」
涙を拭い、顔を上げてエリミアスが言う。
ティアニーズですら沈黙を通す中、バシレが真剣な顔で口を開いた。
「そりゃ、宣戦布告をしたって事か?」
「はい」
「その意味、ちゃんと分かってるんだろうな? お前のその決断で、多くの人間が傷つくかもしれないんだぞ」
「それも、分かっています。もし魔獣の動きが活発になり、以前よりも被害が拡大したのなら……それは全て私の責任です」
今のバシレは、父親ではなくアスト王国の王としてエリミアスに語りかけている。いつもの優しげな口調も、娘に向ける柔らかな笑顔もなく、国を代表する者として、一人の少女に語りかけていた。
「それは、お前が自分で考えて決めた事なのか? 誰かに言われた訳じゃねぇよな?」
「はい、全部私が考えて決めた事なのです」
「理由を聞かせてくれ」
「……私が、人間だからなのです。たとえ相手にどれだけの事情があろうとも、私は人間を守るために戦う。この手で、誰かを殺す事になったとしても」
「……っ」
娘の口から飛び出した『殺す』という単語。城に閉じこもっていた以前のエリミアスからは、想像も出来ない言葉だ。たったその一言で、バシレはエリミアスがどれだけの困難を乗り越えて来たのかを理解し、それと同時に、なにもしてやれなかった自分を悔いるように奥歯を噛み締めた。
もう、あの頃のエリミアスはいない。
この旅は、エリミアスにとって悪い方向にーー、
「ですが、まだ諦めた訳ではありません」
「ーーは?」
「魔獣の中にも良い方はいます。ゼユテルを殺すという事は、そういった方々の命も奪う事。出来れば、そんな事はしたくありません」
眉を寄せるバシレに対し、ティアニーズは静かに微笑んだ。この少女は、なにも変わってなんかいない。おてんばで世間知らずで、なんにでも興味を示してーーそして、誰よりも優しい少女だという事を、ティアニーズは知っている。
「だから、その方法を探します。勿論、私一人では無理なので、皆さんの力を貸してください」
「もし、その方法が見つからなかったら?」
頭を下げたエリミアスに、バシレが冷たい言葉を放つ。しかしエリミアスは躊躇う間もなく、即座に切り返した。
「その時はやるしかありません。ゼユテルを殺し、そして……彼が作りたかった世界を私が作ります。正しい事をした人間が、報われる世界を」
エリミアスが見据えているのは、さらにその先だ。戦って、勝って、さらにその先の世界の事まで考えている。相手の想いを踏みにじるのだから、その想いを無駄にしてはいけない。
戦って良かったと、勝って良かったと言える世界を、少女は作ると宣言したのだ。
「皆さん、どうか協力してください。私はまだまだ子供で、この世界の事をなにも知らない。一人では無力で、戦う力もありません。だから、私の剣に、盾になってください。私が必ず、より良い国を作りますから」
エリミアス・レイ・アストの、根底にあるものはなに一つ変わらない。みんなが笑って暮らせる世界、たとえ悲しみがあったとしても、手を取り合って乗り越える事の出来る世界。
それが、誰よりも優しく、許す勇気をもったーー姫様勇者の願いなのだ。
バシレは呆れたようにため息をこぼし、それからガリガリと乱暴に頭をかき、
「ったく、本当に誰に似たんだかな」
「きっと、お父様なのです」
「俺には違うように見えるけどな。アイツと……あのバカ勇者に見えるぞ」
「えへへ……。私の大好きなお二人なのです」
バシレの言うアイツとは、きっと母親の事だろう。そしてもう一人は言うまでもなく、エリミアスの世界を変えたバカ勇者の事だ。
微笑みあう親子。しかし、直ぐにバシレは表情を正し、
「つー訳で、うちの娘が敵の親玉に宣戦布告しちまったみてぇだ。悪いがお前らにも戦ってもらう。拒否権はねぇ、王様の命令だ」
「断る人間は、ここには一人もいないと思いますよ」
「そりゃそうだろうな。そんな人間、俺はここには呼ばねぇし」
あくまでも命令という形式をとったのは、もしなにかあった時の責任を全て背負うためなのだろう。なにも言わずともこの場の全員がそれを理解しているので、胸に手を当て、騎士団は揃って頭を下げた。
バシレはミールの言葉を聞き、不敵に微笑むと、
「こっから忙しくなるぞ。こっちは姫様が直々に喧嘩売ってんだ、向こうも黙ってる訳がねぇ」
「具体的な対応策は?」
「うーん、とりあえず考えとく。ミール、お前は一足先に部隊を連れてサルマに行ってくれ。あそこは海の上だからな、後々になって物資が足りないなんて事になったら洒落になんねぇ」
「了解です」
オーガルの質問を適当に流し、今出来る事をミールに告げる。ミールは一言で頷くと、連れていた部下数人と一緒に部屋を出て行った。
「ともかく、これからは今まで以上に警戒しろ。対応策はあとで伝える、とりあえずは五大都市の警備を強化しろ。以上だ、解散」
早口で会議を終わらせると、バシレは手を叩いた。ティアニーズが思っていた以上に呆気ない終わりを迎え、拍子抜けしつつ、その場を後にしようとすると、
「まてまて、お前はここで待機だ。それとアテナ、エリミアス、メレス、そこのちっこいの。お前らも残れ」
バシレに引き留められ、慌てて足を戻すティアニーズ。呼ばれた面々も、なんの事か分からずに首を傾げている。とはいえ、このメンバーが呼ばれれば、ある程度の内容は理解出来た。
全員が外へ出たのを確かめると、アテナが扉を閉める。静まった王の間、黙りこむバシレを見つめ、
「なぜルークの事を言わなかったのですか?」
「まだ不確定要素が多すぎる。下手に期待させて無理でした、なんて事にはしたくねぇからな」
思った通り、精霊の国に旅立ったルークについてだ。先ほどの会話で適当に誤魔化し、結局会議が終わってしまったので疑問に思っていたが、どうやら忘れていた訳ではないようだ。
王様モードからぐーたモールに変わり、バシレがだらしなく背もたれに体重を預けた。
「その口振りだと、ナタレムとはちゃんと会えたらしいな」
「正直驚きましたよ、ずっと騙していたんですね」
「人聞きのわりぃ事言うんじゃねぇよ。アイツが誰も言うなって言うから黙ってたんだ」
「いつからですか? 少なくとも私が騎士団に入った頃から彼はいた筈です」
威厳のある態度はどこへやら、アテナの質問責めに肩をすくめるバシレ。勝手に進む話になんとかついて行けてはいるが、口を挟むだけの余裕はない。
「アイツと始めて会ったのは、お前が騎士団に入るちょっと前の事だ。精霊の国から抜け出して来て、けど行き場がねぇからって俺のところに転がり来んで来たんだよ」
「怪しいとは思わなかったのですか?」
「思ったに決まってんだろ。けどアイツは、魔王を封印してる場所を知ってた。親父とおふくろ、そんで俺しか知らねぇ筈なのに」
「……それも初耳ですね。そのついでに聞きますが、エリザベス様が封印場所を守っていたというのも事実ですか?」
「へいへい、そうだよ。おふくろが死んで、その役目がアイツに移ったんだ」
面倒くさそうに適当な返事をしながらも、なんだかんだでちゃんと答えるバシレ。ナタレムの事と言い、エリザベスの事と言い、まだ隠している事があるのでは、と想わせるほどに適当な態度である。
「つか、その話はもう良いだろ。終わった事をほじくり返しても意味なんかねぇの」
「聞きたい事は山ほどありますが……仕方ありません、また今度の機会にしましょう。個人的に用件もありますし」
なんだか怖いアテナに、バシレおじちゃんは苦笑い。空気を入れかえるように、わざとらしく咳をすると、
「ルークは、ちゃんと精霊の国に行ったのか?」
「はい。私達がこの目で見ました」
「なら良いけどよ……。いや、なんも良くねぇか」
バシレの言いたい事は、とても良く分かる。
先ほどまではなかった不安が、今はあるのだ。エリミアスの話を聞き、それから生まれた疑念。
ーー本当に、精霊を信用して良いのか、だ。
「ナタレムから聞いて覚悟はしてたが……かなり難しそうだな」
「それについてはなんとも。少なくとも、私の知る精霊は良い精霊です」
「地上にいる精霊はこの際どうでも良い。上の連中がどんな態度をとるのか、ってのが問題なんだよ。しかも行ったのがアイツだからな……」
精霊という不安要素に、ルークという不安要素が足される。交渉なんて向いていないのはこの場の全員が理解しているし、なんなら全部ぶっ壊して帰って来る可能性だってある。
それでも、あの男に期待するしかないのだが……。
「ルーク様なら大丈夫なのです! きっとやってくださいます!」
「そ、そうですよ! あんな人ですけど、凄く頼りになる人なんです!」
「ま、なんだかんだで大丈夫じゃない?」
エリミアス、アキン、メレス、それぞれがルークを信頼しているような言葉を吐くが、これと言って勝算がある訳ではない。ルークの認識が『なんだかんだでやる男』なので、適当に言っているだけなのである。
「こればかりはやりようがねぇからな。アイツらに期待するしかねぇ。ま、ともかく、聞きたかったのはそれだけだ。下がって良いぞ」
そう言って、バシレは手を振る。
ようやく全てが終わり、緊張の糸がほどけたティアニーズ。全員が足を揃えて王の間から出て行く中、
「アテナさん?」
「あぁ、私はもう少し王と話をして行く」
一人残ったアテナは、笑って手を振っていた。疑問はあるが、特に気にする事なくティアニーズ達は王の間を出た。
部屋を出た瞬間ティアニーズは立ち止まり、信じられないくらいに大きなため息をついた。無意識のうちにプルプルと足が震え出し、一気に体温が下がり、唇が青ざめる。
「き、緊張したぁ……」
「とても立派だったのです!」
「はい! ティアニーズさん、凄く格好良かったです!」
あれだけの大人数の中、しかも王の目の前で話すというのは、計り知れない緊張感がある。正直に言えばあまり覚えておらず、無我夢中で喋った事しか記憶にない。それでもエリミアスとアキンが笑顔で褒めてくれるあたり、悪くはない出来だったのだろう。
「とりあえず休みましょう! わ、私の部屋に来てください!」
「エリミアスの部屋に?」
「はい! お友達を招待するのが夢だったのです! 勿論、アキンさんも!」
緊張がなかった訳ではないのだうけど、流石は姫様だ。もういつもの調子に戻ってらっしゃる。というか、始めからこれが楽しみで仕方なかったのだろう。
ーーだが、
「なに言ってんのよ、まだやる事あるわよ」
「へ?」
「ボサッとしてないで行くわよ」
盛り上がる三人を無視し、メレスが勝手に進んで行く。訳も分からずに追いかけ、
「あ、あの、どこに行くんですか?」
「決まってるでしょーー魔元帥のところよ」