九章十四話 『王都再び』
エリミアスが拐われてから、約一週間が過ぎた。
王都への道すがら、立ち寄った町でなんとか情報収集を試みたが、特に進展はなし。町によって王都を目指し、また町によって王都を目指す。何度立ち寄っても有益な情報は一切なく、一行は虚しさに包まれていた。
「…………」
重苦しい空気に包まれた荷台、ティアニーズは座りながら小さなため息をつく。
問題はエリミアスだけではなかった。
原因不明の体調不良により倒れてしまったケルト。回復の兆しは見られず、悪化している様子はないものの、良くなっている気配もない。
あれから約一週間、寝言のようにエリミアスの名を呟く事はあっても、目を覚ます事は一度もなかった。精霊は食料を必要としないので、栄養面での問題はないのだが、これだけ長期間寝たきりだと不安は募るばかり。
そしてもう一つ、これは個人的な問題なのだが、不安要素があった。
「……はぁ」
バカ勇者ーールークの事だ。
精霊の国に行ってしまってから、勿論だが連絡はない。そもそも落ち合う場所を決めていなかったので、会えるかも定かではない。目的地を覚えてはいると思うのだが、どうやって王都まで行くのかも分からない。
ともかく、不安要素が多すぎるのだ。
「ため息か。あまり考え過ぎるのは良くないぞ」
「分かってるんですけど、エリミアスもケルトさんも、ルークさんも……。なんだか嫌な事ばかりが続いて……」
「現状、私達に出来る事はなにもない。エリミアスを探す事も、ケルトの体調の事も、ルークの事もだ。王都を目指す、それだけしかないんだ」
「エリミアス、大丈夫かな……」
ぼそりと呟くと、隣に座るアテナがティアニーズの肩に手を乗せた。いつもと変わらない表情に見えるが、恐らくアテナも平常心ではないのだろう。僅かに、瞳の奥が揺らいでいた。
「アンドラ、あとどのくらいで着くんだ?」
「さぁな、一週間くらいだと思うぜオイ。ま、ペースはあっちに任せてっから断言は出来ねぇけど」
馬に股がるアンドラは、欠伸をして眠そうだ。一応交代でやってはいるものの、得て不得手というものがあるらしく、アンドラが馬を操作している時が一番揺れが少ない。
ちなみに、一番下手くそなのはアテナである。
「ちゃんとご飯食べてるかな……」
「一応敵ではあるが、あのウルスという男、相当エリミアスを気に入っているらしい。少なくとも彼の独断で殺される事はないと思うが……すまない、嫌な事を思い出させてしまったな」
「いえ、大丈夫です。私もそれは分かっていますから。多分、ウルスさんはエリミアスを殺さない……誰かに指示されるまでは」
エリミアスがどこへ行き、誰と会っているのかは分からない。相手がウルスだけならば問題はないが、もし他の魔元帥がいたらーーなによりも、ゼユテルが一緒にいた場合、命の保証なんでどこにもない。
「ウルスさんは、ゼユテルの命令ならなんだって従います。たとえエリミアスだとしても、命令されたら……」
「ウルスがエリミアスを拐った理由、それ次第だな。この国の姫だからなのか、エリミアスだからなのか。……はぁ、会わない事にはなれていた筈なんだがな」
珍しくアテナがため息をこぼし、疲れたように眉間に指をぐりぐりと押し当てる。
ティアニーズはアテナへと顔を向け、
「アテナさんは、小さい頃のエリミアスを知っているんですよね?」
「あぁ。私が団長になる前から知っている。以前の団長がエリミアスと仲が良くてな、その付き合いで知り合ったんだ」
「そうだったんですか……って、アテナさんって歳はいくつなんですか?」
「二十歳だ。今年で二十一になるがな」
なんどビックリ、ルークと歳は一つしか変わらないらしい。落ち着きようといい人との接し方といい、同年代には見えない。
「私が団長になったのは十五の時だ。前の団長が魔獣に殺されてしまってな、その時私が使命された。律儀に遺書なんてものを残していたよ」
「十五歳で……私より下の時なんですね。その、不安とかはなかったんですか?」
「あったよ、そりゃ沢山な。今でもそうだが、団長という肩書きは私には重すぎる。なにをしたら良いのか、五年たった今でも分からない」
ティアニーズは、前の団長の名前を知らない。騎士団に入った目的が目的なので、正直興味がなかったのだ。上を目指すためには知っていた方が良いのだが、ティアニーズが目指していたのはせいぜい副隊長クラス。魔獣に殺されたというのも、今知った事実である。
アテナは外へと視線を移し、
「正直、私よりも向いている人間は山ほどいると思う。あの人がなぜ私を選んだのか、それはこの先も分からないんだろうな」
「私は、アテナさんで良かったと思います。今までだってそうです、こんな状況でも冷静な判断が出来る。きっと、そういうところを見ていたんだと思います」
「そんな事はないさ。これでも、内心はとても焦っている。私に出来る事はなにかないかと、常に頭を回しているんだ」
目を細め、ぎこちない笑みで表情を満たすアテナ。彼女にのし掛かる重圧がどれほどのものかは理解出来ないが、アテナなりに思う事があるのだろう。
空気を入れかえるため、ティアニーズはわざとらしく声のトーンを変えた。
「あの、小さい頃のエリミアスってどんな感じだったんですか?」
「そうだな……強いて言えば、天真爛漫だったよ。その頃はまだ城の抜け出し方を知らなくてな、私が教えたんだ」
「今とそんなに変わらないんですね」
「そんな事はない。いつも窓から寂しそうに外を眺めていたよ。エリミアスは全部を持っているようにも見えるが、欲しいものはなに一つ持っていなかったんだ」
互いの本音をぶちまけたあの時、ティアニーズはエリミアスが本当に欲しかったものを知った。アスト王国の姫としてなに不自由なく暮らせていた訳ではなく、その実、彼女の望みは一つも叶っていなかった事を。
「友達、ずっと欲しかったんですね。でも、アテナさんがいたじゃないですか」
「エリミアスの前では言えないが、正直私は友達だとは思っていなかったんだよ。あくまでも、お偉いさんの子供という目でしか見ていなかったんだ」
「それ、なんだか分かる気がします。今は違いますけど、私も少しだけ壁がありました。あの人は、私が護らないといけない人だって」
アテナの言葉に同意するように頷き、ティアニーズはかつての事を思い出す。彼女がまだ、『護らなくてはならない人』だった時の事を。
「君達に会って、エリミアスは変わった。勿論良い面でも悪い面でもだが」
「悪い面は全部あの人ですけど」
「特にティアニーズ、君はエリミアスにとって大きな変化をもたらした。歳が近いという事もあるが、恐らく君は、ルークとは違う意味でもっとも大切な人になっている」
「う……」
「全部は言わないが、ルークの事を好きなんだろう?」
「言ってます、全て言っちゃってます。一から百までその言葉に表れてます」
照れならがらも冷静に突っ込むティアニーズに、アテナは悪戯っぽく微笑む。僅かに入って来た風に揺れる蒼髪に指を通し、
「友達ーーそれは、エリミアスがなにを捨ててでも欲しかったものなんだろう。姫という立場を理解していながらも、唯一捨てる事の出来なかった望みなんだ」
「きっと、私達には分からない苦しみだったんですね」
「初めて本音を口に出し、互いの気持ちを知った。友人に優劣をつけるのはいささか気が引けるが、君は間違いなく一番上にいる」
「そうなら、嬉しいですけど……」
「君だったからエリミアスは変われたんだ。私でも、ケルトでも、ルークにも出来ない。……ルークの場合、我々の事を友達と思っているのすら怪しいな」
「皆さんはともかく、私の事は奴隷かなんかだと思ってますよ、絶対。ムカつきます、殴りたいです」
好きな相手の筈なのだが、あのムカつくドヤ顔がゆらゆらと頭の中に出現した瞬間、無意識に言葉が飛び出した。あの顔は一度見たら忘れられない、夢にまで出てきて人を苛つかせる顔なのだ。
クスクス笑い、口元を手で押さえながらアテナが言う。
「ルークの生き方は、恐らく誰にも真似出来ない。他人を気にしないなんて言葉で言うのは簡単だが、私達には感情がある。嫌でも他人を気にかけてしまうんだ。私はそれが、優しさだと思う。特に君はそれが大きい。ルークに似てはいるが、その面ではまったく違う」
「似てません。……いえ、そんな事ないかも」
「ルークは答えを出そうとはしない。なにもかもを相手に丸投げして、お前の事はお前がやれと言う。だが、君は人に寄り添い、共に答えを出す事が出来る。私よりも、君の方が団長に向いているよ」
「そ、そんな事ありません。私なんかまだまだです。学ぶ事が沢山ありますから」
真正面から褒められ、ティアニーズ照れ隠しで顔を逸らして手を振る。忘れがちだが、騎士団団長直々に褒められているのだ。同じ騎士団に所属する者としてこれほどの名誉はない。
ティアニーズはパタパタと顔を手で仰ぎ、熱が覚めたのを確認すると、改めてアテナへと向き直る。
「でも、全部ルークさんのおかげなんです。あの人は空気も読まないし、人の気持ちも察しないーーいえ、察していて無視するような人です。でも、そんな人だから、人の本質を見抜く事が出来る。キツイ言葉でも、容赦なく人に浴びせる事が出来る。だから、私は変われたんです、前を向けたんです」
「そう、だな。エリミアスも君も、ルークと出会って変わった。かく言う私もだ」
「そ、そうなんですか?」
「あまり伝わらないとは思うが、心境に多少の変化はある。一般人が頑張っているんだ、私が頑張らない訳にはいかない。まぁ、働いていない訳ではないんだがな」
そもそもだが、アテナがなぜ隣の国を訪れていたのかが不明だ。初めて会った時、王の命令でカムトピアに向かうと言っていたので、王と直接連絡をとる手段があるのは確かなのだが。
「おーい、次の町が見えて来たぜオイ」
振り返り、アンドラが進行方向を指差す。勇者軍団の馬車に隠れていて見辛いが、視界の先に小さな町が見えて来た。
「よし、エリミアスを早く見つけるために頑張らないと」
「あぁ、まずは情報収集だな」
過去のエリミアスを知り、アテナを知り、ティアニーズのやる気は一段と高まる。そのやる気を保ったまま、一行は再び町へと入って行くのだった。
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「王都、見えて来ちゃいましたね……」
それから再び一週間後、馬車は走っていた。
以前と違う点を上げるとすれば、既に目的地が視界に入っているという事だ。本来であれば喜ぶべき事なのだが、誰一人拳を突き上げる者はいはい。
「はぁ……王になんて言えば良いんだろう」
「仕方ないさ。ありのまま告げるしかない」
「だ、大丈夫ですよ! もしかしたら先に戻ってるかもしれませんし!」
大きなため息をつくティアニーズを、アキンが必死に励まそうとする。ここに来るまでに様々な町によったが、エリミアスに関する情報は一つもなし。これまでの旅を考えれば、エリミアスが拐われた以外は割りと平和な旅路なのだが、その一点が大きすぎるのである。
「こればかりは誤魔化しても仕方がない。正直に起こった事を方向し、改めてエリミアスを探そう」
「僕も手伝いますから、そんなに落ち込まないでください」
「うぅ、ありがとうございます」
「困った時はお互い様ですよ!」
二つの拳を握り締め、なんとか元気を分け与えようとするアキン。すると、前を走っていた馬車が速度を緩め、ティアニーズ達が乗る馬車の横についた。
「おーい、ちょっと良いかな?」
「なんか呼んでんぞ、オイ」
アンドラの声を聞き、アテナとティアニーズは荷台から顔を出す。横には馬に股がるワーチスがおり、声を張り上げて言った。
「これだけの大所帯だ、怪しまれる可能性がある。だから、君達が先に行ってもらえるかな? 出来れば、俺達が何者なのか説明してもらいたいんだ」
「分かった、私達が先に行こう。アンドラ、頼む」
「一応この中だと一番怪しいの俺なんだけどなオイ」
指名手配中の盗賊はあからさまに嫌な顔をしながらも、他の馬車を抜いて前に出た。
王都の姿が、少しずつ大きくなって行く。
ティアニーズの家は、あそこにある。なのだが、離れていた時間が長すぎるため、変な緊張が生まれていた。
「王都……久しぶりだな」
「僕、来るの初めてです。他の都市も大きかったですけど、ここは凄くおっきいですね」
「中も凄く広くて活気に溢れていますよ」
「た、楽しみです!」
荷台にから顔を出し、強く吹く風に負けじと、キラキラと目を輝かして高く聳え立つ壁を見つめるアキン。その表情は年相応の子供そのもので、悩みに関しては今は心配する必要はなさそうだ。
「なぁ、やっぱ帰って良い? 入っていきなり逮捕とかされないよなオイ」
「心配するな、私がいる。いざとなったら私が逮捕してやるさ」
「痛くない感じでお願いします」
逮捕ジョークを交えつつ、ようやく馬車は王都レムルニアに到着。それぞれがそれぞれの感情を抱きつつ、ティアニーズ一行は馬車を降りる。その間は、ワーチスにケルトを見ていてもらう事になった。
ぞろぞろと荷台を降りると、一列になって門の側まで歩く。当然先頭はアテナで、その後ろにワックワクしているアキン、ティアニーズ、そしてティアニーズの背中に隠れるアンドラだ。
「あの、そんな事しても意味ないと思いますよ」
「うるせぇ、こちとら指名手配中なんだぞオイ。俺からすりゃここは敵の本拠地、不安にもなるだろーが」
「もっと寛大に構えておいた方が良いと思います。そうやって挙動不審な動きをしているから、逆に怪しまれるんですよ」
「盗賊としての動きが染み付いてんだよ。しゃーねぇだろオイ」
結局、大きい大人が少女に背中に隠れるという見るからに怪しい構図のまま、一行は門へと行く事になった。門の前には二人の男が立っている。近付くに連れ、なぜかティアニーズにも変な緊張が生まれていた。
ーーだが、そこで異変に気付いた。
「……なんだ?」
「誰かと話してますね」
門番の一人が誰かと話していた。フードを深くかぶっていて顔は分からないが、無理難題を押し付けているらしく、門番は困ったように頭をかいていた。
そして、その声がした。
「お願いします。もうすぐ皆さんが到着する筈なのです! だから、ここで待たせてください!」
「い、いやですから、せっかく戻られて王は安心しているんです。なのにまた抜け出したと知ったら……」
「知らないのです! 私は誰になんと言われようと、ここで待ち続けるのです!」
特徴的な言葉使い、人の話を聞かない頑固さ、そしてーー良く知ったその声。
ティアニーズの足は、無意識に走り出していた。
フードの少女を宥める門番の横に立ち、
「エリ、ミアス……?」
その名前を口にした瞬間ーー、
「ティアニーズさん!!」
フードを勢い良くとり、顔を露にした姫様ーーエリミアスが全力で胸に飛び込んで来た。