九章十二話 『姫様の答え』
「そんな顔で睨むなって。手ぇ出したりしねぇからよ」
「……」
「信用ねーな。……ま、信用しろって方が無理か」
エリミアスは、静かな森の中を歩いていた。
その前にはウルスがおり、時折振り返って顔を確認しては、エリミアスの不服そうな表情を見て眉を寄せる。
「……ここは、どこなのですか?」
「教えない。それと、もし道順を覚えようとしてるなら止めといた方が良いぜ。分かんないようにわざと遠回りしてっから」
「……いじわる」
「これでも一応、俺達の寝床に向かってるんでね」
ちなみに、ここがアスト王国なのかすら不明である。魔元帥が使える謎の移動手段の範囲が分からない以上、どこまで移動したのか推理するだけ無駄だ。なので、どうにか道だけでも覚えようとしていたが、それも無駄のようだ。
あれから、恐らく何日か立ったのだろう。
黒いモヤに吸い込まれ、そこで一度意識を失い、気付いたらこの森の中にいた。ウルスからは敵意のようなものは感じないので、恐らく殺されはしないのだろうが……。
「嬢ちゃんさ、俺の事嫌い?」
「この世界で一番嫌いなのです」
「うわ、グサッとくるな」
エリミアスのストレートな言葉を聞き、ウルスはわざとらしく胸を押さえて苦笑。気にしていないように見えるが、わりと心に響いているのだろう。
「トワイルさんの事、私は絶対に許しません」
「ま、そりゃそうなるわな。俺だって悪かったとは思ってるぜ?」
「謝罪なんていりません。土下座しても、なにをしても許すつもりはありませんから」
「ひでぇ嫌われようだな」
大抵の事ならなんでも許してしまうエリミアスだが、こればかりは許す訳にはいかない。
怪訝な瞳を向けながら、
「私は、これからどうなるのですか?」
「さぁな、俺も知らん。親父が嬢ちゃんと話してぇって言うから拐って来ただけだし」
「魔王……ゼユテル、ですか」
「その名前を知ってんのか。でも、その先は知らねぇだろ?」
「その先……?」
枯れ葉を踏み鳴らし、なにかを確認しながらウルスは足を進める。エリミアスもなんとかついて行こうとするが、足場が悪いので僅かに遅れていた。
「今頃ルークが聞いてんじゃね? アイツーー精霊の国に行ってんだろ?」
「ーー! なぜ、それを」
「今のはかまかけただけだ。もうちょい表情を作る練習しといた方が良いと思うぞ」
まんまとはめられ、慌てて口元を抑えて動揺を隠そうとするエリミアスだったが、時すでに遅く、ウルスはからかうように笑った。
「つーか、マジで精霊の国に行ってんのな。最悪、アイツ帰って来れねぇぞ?」
「精霊の国を、知っているのですね」
「そりゃな。もう隠しても無駄だと思うから言っとくが、親父は元精霊だ。親父と記憶を共有してる俺達も、精霊の国を知ってる」
「元、とはどういう意味ですか?」
「教えない。親父に直接聞いてみな」
魔王、または魔元帥が精霊かもしれないーーという推理は当たっていたようだ。しかし、そこにはまだ知らない事実があるらしく、魔王を倒すための手段を簡単には教えてくれないようである。
「なぜ、ルークさんが精霊の国に行った事を知っているのですか?」
「アイツの居場所は手にとるように分かる。俺がやった訳じゃねぇが……嬢ちゃんも知ってんだろ? ルークの腕に、呪いが刻まれてんのを」
「それが、目印……」
「その通り。ユラは呪いをかけた人間の居場所を感知する事が出来る。ま、最近は無視されて教えてくれねーけど」
今ので分かったが、魔元帥には遠く離れた場所でも意志疎通する手段があるようだ。有益な情報を手に入れたエリミアスは、ウルスに見えないように小さくガッツポーズ。
「ちなみに、あの呪いで死ぬ事はねーから安心しな。ソラの加護があるし、ユラは本人も殺す気はねぇらしいからな」
「ルーク様は死にません。たとえ、相手が誰だとしても」
エリミアスが強気にそう宣言すると、突然ウルスが足を止めた。ゆっくりと振り返り、エリミアスに向かって歩みよると、
「お前、なんか変わったな」
「……なにが、ですか」
「前に拐った時、あん時はビビってただろ? でも今は違う。ティアニーズ達が助けに来るって信じてるからか?」
「約束しましたから。ティアニーズさん達は、必ず私を助けに来てくださいます」
目の前に立つウルスの顔が、不気味な笑みで満たされる。
正直、不安がない訳ではない。これから親玉がいる敵地に向かうというのに、なんの恐怖もない訳がない。だが、それよりも、助けに来てくれるという信頼の方が上回っているのだ。
「……やっぱ良いねぇ、人間は。ティアニーズにしろ嬢ちゃんにしろ、成長が目に見える」
「貴方に褒められても嬉しくなんてないのです」
「なら、ルークに褒められたら?」
「とても嬉しいのです。飛んで喜びます」
即答で言い放つと、ウルスは一瞬だけ目を点にした。それから腹を抱えて大声で笑い、涙を流しながら口を開く。
「ティアニーズとは正反対だな。お前、ルークの事好きなんだろ?」
「はい、大好きなのです」
「こりゃ、ティアニーズに勝ち目はねぇかもな。……いや、でも相手はあのルークだかんな。アイツ意外と鋭いし、全部バレてんじゃねぇ?」
からかうように、酔っ払った親父顔負けのダルい絡みをするウルス。しかし、エリミアスは眉一つ動かす事はなく、はっきりとした口調で言葉を放った。
「知られていても良いのです。むしろその方が嬉しいのです。隠す必要なんてありませんし、私がルーク様を好きなのは事実ですから」
「流石姫様ってところか? 肝が座ってんな。ま、頑張りたまえよ」
そう言って手を伸ばし、エリミアスの頭を叩こうとしたが、身をよじってそれを回避。空を切った掌を見つめ、自分がどれだけ嫌われているかを改めて理解したウルスは、肩を落としながら再び歩き出すのだった。
それから数分後、森の中をさ迷っていたエリミアスの目に一件の小さな小屋がうつった。手入れなどはまったくされていないのか、屋根は所々剥がれ、外壁には大量の蔦が絡み付いている。
「ボロボロなのです」
「俺ももうちょい良いところに住みてぇんだけどな。親父が聞かなくてよ」
どうやらあれが目的地らしく、ウルスはそちらに向かって歩みを進める。エリミアスは緊張の面持ちを浮かべながらも、あとに続いて歩く速度を上げた。
今にも外れてしまいそうな扉の前に立つと、
「さぁて、ご対面だ。先に言っとくが、俺は嬢ちゃんの味方じゃない。この先は親父の気分次第で、嬢ちゃんを殺すかもしれねぇぞ」
「……大丈夫、なのです」
生唾を飲み込み、掌に滲む汗を服で拭う。
恐怖はある。不安もある。逃げ出せるのなら逃げたしたい。だがーー、
「敵の親玉に会えるチャンスなのです。私は、自分がなにと戦っているのか知りたい」
「分かった。そんじゃ、怒らせねぇように気をつけな」
ウルスは扉に手を伸ばした。見たまんま立て付けが悪いらしく、ガシャガシャと怪しい音を立てながらもなんとか開けると、道を譲るように手を動かした。
エリミアスは息を吸い、この中へと足を踏み入れる。
「…………」
薄暗い部屋の中、窓から差し込む僅かな光が揺れていた。室内は腐った木の臭いで満たされており、椅子が数個と机が一個、しかし机は使用されていないのか、大量の埃をかぶっていた。
そして、その奥。
窓際に、それがいた。
「どこかで見たと思っていたがで……なるほど、お前だったのか」
男が、ゼユテルが口を開く。
たった一度、それもほんの僅かな時間しか見た事のない顔だったが、エリミアスはその男をはっきりと覚えていた。どれだけ拒もうと、その男の空気が、記憶にこびりついていた。
「貴方が、ゼユテル……」
「初めまして、だな。ウルス、こいつがお前の言っていた人間か?」
「おう。最近会った人間じゃ一番好きだぜ。本当はルークも連れて来たかったんだけどよ、アイツ勇者だし。それを抜きにしても、多分親父とはそりがあわねぇ」
エリミアスに続き、ウルスが室内に入る。ふらふらと部屋の中を歩き回った挙げ句、最後には空いている適当な椅子に腰をかけた。
エリミアスは、ゼユテルを見つめていた。そしてその違和感に、思わず息がもれた。
これまでの旅で幾度となく恐怖を味わった。それは魔元帥だろうが人間だろうが、魔獣だろうが関係ない。しかし、目の前の男からはなにも感じなかった。自分でも驚くほどに、恐怖という感情がどこかへ行ってしまっていた。
「私に、なにか話があるのですよね」
「あぁ。ウルスから聞いたが、お前は魔獣と人間が手を取り合える世界を望んでいるらしいな」
「はい」
「俺もだよ。争わずに済むのなら、それが一番良いに決まっている」
「だったらなぜ、人間を殺すのですか」
「ーー仕方ないからだ」
ゼユテルは、迷いのない口調で言った。
表情はまったく変化は見られず、冗談を言っている訳ではない。この男は、本気で仕方ないから人間を殺しているのだ。
エリミアスの中にある怒りが、言葉として外に溢れる。
「仕方がない? そんな、そんな理由で何人もの人の命を奪ったのですか」
「あぁ、そうだよ。俺の目的を果たすにはそれしか方法がないからだ。他に方法があるのなら考えるが、そんな都合の良い手段はない」
「まだ、ちゃんと探せばーー」
「探したさ。だが、これが俺のたどり着いた答えだ。何度も何度も考えても、答えは変わらなかった。だからやってる、これが、俺にとって正しいと思える事だから」
迷いなんて、微塵もない。この男にとって、人を殺すのはあくまでも手段でしかない。自分の目標を果たすための過程で、多くの命を踏みにじったとしても、それを全て仕方ないと思っている。
「先に言っておくが、悪いとは思っているぞ。人間は関係ない、関係のない人間を巻き込む事に罪悪感はある」
「だったら、なんで!」
「言った筈だ、これしかないと。俺の目的を、世界を変えるにはこれしかないんだ」
「世界を、変える……?」
「この世界は間違っている。だから俺が正すんだ。正しい事をした人間が報われる世界を創る」
そこで、初めてゼユテルの表情が変化した。その言葉には並々信念が宿っており、彼は何一つ嘘はついていない。『世界を変える』、それが、彼にとっての全てなのだろう。
「お前、この国の姫なんだろう? だったらちょうど良い、一つ、提案がある」
「……内容次第なのです」
「俺の目的を果たすためには人間を殺さなくてはならない。だが、全ての人間を殺す必要はない。この国の人口くらいなら、殺さなくても済むかもな」
「なにが、言いたいのですか」
「お前が、この国が俺に協力してくれるのなら、この国の人間を生かしてやる。お前にとっても悪くはない提案だろう?」
額に滲む汗を拭い、エリミアスは唇を噛む。ゼユテルの言葉の意味を理解し、無意識に、足が震えた。
「他の、他の国の方々はどうなるのですか……」
「殺す。生かせるのはアスト王国の人間だけだ」
「そんなの、そんな条件飲める筈がありません!」
「お前はこの国の姫だろ。だったら、この国の人間を守る義務がある筈だ。一時の感情に流されて、自分を優先して良いのか?」
アスト王国を守る代わりに、他の国を滅ぼす。それはつまり、人殺しの片棒を担ぐという事だ。確かに、エリミアスはこの国の民を助けたくてここまで来た。しかし、その代償があまりにも大きすぎる。そんなの、受け入れられる訳がない。
「この国には、お前の大事な人が何人もいる筈だ。そいつらは生きられるんだぞ? 死ぬのはお前に関係のない人間だけだ。迷う必要がどこにある」
「知らないからといって、関係ないからといって見捨てる事など出来ません!」
「なら、この国を捨てるのか? お前がここで選択を誤れば、アスト王国は滅びるぞ。ーーそれとも、戦うか?」
そこで、エリミアスはようやく理解した。
この男がなにを言いたいのか、理解してしまった。
時間が止まったかのように、エリミアスの口が開いたまま固まる。
「人間と魔獣が手を取り合える世界は創れる。だが、なんの犠牲もなく創れる訳じゃない。なにかを得るためには、なにかを捨てなければならないんだ」
「そ、それは……」
「選べ。理想を捨てるのか、理想を実現させるのか」
この国を守るためには、理想を果たすためには、他の国を滅ぼさなくてはならない。しかし、戦うという選択肢を選んだのなら、エリミアスの今までの旅は無意味になってしまう。自分の選んだ道を、自ら否定する事になる。
こんな時、あの男ならどうするのかと考えた。だが、あの男はいない。いくら周りを見渡しても、助けてくれる人は誰もいない。ウルスはなにも言わず、ただエリミアスを見ているだけだ。
「私は、わた、しは……」
今この瞬間に、アスト王国の未来は決まる。
十四歳の少女の言葉に、全てが託された。
「選べ。他の選択肢はない。俺が譲れるのはそのどちらかだけだ」
冷酷な言葉が突き刺さる。
姫として、いつか重大な選択を迫られる事は分かっていた。だが、こんなにも突然、国の未来を任されるなんて思っていなかった。
覚悟はしていたつもりなのに、そんなの、まやかしだった。
「…………」
視界が暗くなり、足がフラついた。
選べる筈がない。なにを選んだとしても、必ず誰かは死ぬ。
エリミアスは、失いかけた意識を繋ぎ止め、弱々しく呟いた。
「聞かせてください……」
「……なにをだ」
「貴方の事を、です。私はまだ、貴方の事をなにも知らない。貴方がなぜ人を殺すのか、その理由を知らない」
「なんのために聞く。聞いたところで答えはーー」
「ーー答えを、出すためです。貴方の想いを知って、もし寄り添えると思ったのなら、私は貴方の提案を受け入れます。でも、もしそうでないのなら……その時は、戦います」
苦し紛れに出た言葉だった。あらかじめ考えていた言葉ではなく、気付いたら口が勝手に動いていた。
しかし、その言葉を聞いて、僅かにウルスの口元が緩む。それはゼユテルも同じで、初めて笑顔を見せた。
「良いだろう。お前に全てを話す。その上で決めろ」
そして、魔王は、ゼユテルは語り始めた。
友人を守るために、友人が犠牲になった事。精霊の王を守るために、友人を殺した事。守った筈の相手に裏切られた事。誰一人手を差し伸べてくれなかった事。精霊を地上に引きずり下ろすには、人間を殺さなくてはならない事。神にあうには、精霊を殺さなくてはならない事を。そして、世界を変えるには、神を殺さなくてはならない事を。
それを語る上で、ゼユテルは感情を表に出さなかった。起きた事をただ淡々と語るだけで、そこには怒りも悲しみもない。起きてしまったのだから仕方ない、だから、それをどうにかするための未来を考えているーーエリミアスは、そう思った。
「だから、俺は人間を殺す。言っただろ、これしかないんだ」
全てを話終え、ゼユテルはそうやって話を区切った。
口を挟む事はなく、エリミアスはゼユテルの言葉に耳を傾けていた。表情に変化はないものの、そこに隠れた、彼の悲しみにも気づいていた。
「……きっと、辛かったのですね」
「慰めの言葉なんかいらない。そんなものにはなんの価値もない」
きっと、ゼユテルのやった事は正しい。
多分、同じ立場だったらエリミアスもそうしていた。
誰もゼユテルを庇おうとはしなかった。
どこまで冷たいのだと、精霊に憤りさえ感じる。
もし、エリミアスが同じ経験をしていたのなら。
自分はどうしていただろうか。
そこまで考えて、答えは簡単に出た。
「…………」
言葉だけでは伝わらない感情が、そこにはあったのだろう。正しい事をした人間が報われない世界、それは間違っている。
あぁ、それは間違っているとも。
でも、そうじゃない。
だからーー、
「ーー貴方は、間違っています」
少女は、答えを口にした。