九章八話 『絶対絶命』
正直に言えば、一緒に戦いたかった。
トワイルの敵を、この手で討ちたかった。
しかし、それはエゴでしかない。自分の手でウルスを殺したいという、自己満足でしかないのだ。
今優先すべきは、この状況を切り抜ける事。危機的状況を脱し、全員で生きて逃げ切る事。であれば、この私怨はねじ伏せよう。
自分のやるべき事を、出来る事を、ティアニーズ・アレイクドルは選択した。
「良かったんですかっ? あの人は……」
「良いんです。私達の中でウルスさんを止められるのは、アテナさんかケルトさんだけです。私があの場に残っても、足を引っ張るだけですから」
今は、まだその時ではない。もっと強くなって、その時は、今度こそウルスを殺す。だから、今は生きる事をなによりも優先するのだ。
「アンドラさん!」
「お頭!」
「おせぇぞお前ら! 向こうは大丈夫なのか!?」
「大丈夫です! アテナさんに任せて来ましたから!」
駆け足で馬車まで戻ると、すでにアンドラ達が戦闘を開始していた。短刀を握り締め、襲いかかる犬型の魔獣の喉元に突き刺すと、そのまま振り回すように他の魔獣へと投げ付ける。アンドラは短刀についた血を払い、
「ったく、なにがどうなってやがんだよオイ!」
「魔元帥です。ウルスさんが攻めて来ました!」
「魔元帥!? ルークもいねぇのになんで来やがったんだよオイ」
「分かりません。ただ、なにか目的があるようでした。とにかく、今はここから逃げる事だけを!」
次々と迫る魔獣。狼のような魔獣もいれば、どこかで見た事のあるトカゲ型の魔獣もいる。翼を羽ばたかせているのは、両翼種ーーガーゴイルという奴だろうか。
武器を構え、それぞれが迎撃に当たる。
「隊列を組むんだ! 今まで通り、落ち着いて一匹づつ倒す。魔法を使える者は援護を、それ以外は三人一組で確実に仕留める!」
「ワーチスさん!」
「あぁ、君達か、無事で良かったよ。それにしても、なんでいきなりこんな数の魔獣が……」
「あの、えと、多分私達のせいです」
「君達の? ともかく、俺達の後ろに!」
「いえ、私達も戦います!」
隊列を組み、それを指揮するワーチス。恐らくだが、彼がこの勇者軍団の要なのだろう。指示通りにそれぞれが動き出す中、魔獣の数は増える一方だ。あらかじめ潜んでいたのかーーもし、そうでないのなら、
「ケルトさん! どこかに魔獣が現れる門がある筈です。場所は分かりますか?」
「少し時間を下さい。それまでエリミアス様を」
馬車の影に隠れていたのか、呼ばれるとケルトとエリミアスが姿を現した。ティアニーズはエリミアスに駆け寄り、
「エリミアス、怪我はない?」
「はい、大丈夫です。それよりも、魔元帥……ウルスさんがいるって……」
「……うん、でも今は気にしないで。私が必ず守るから」
「ま、魔元帥だって!?」
二人の開始を聞いていたのか、狼型の魔獣を真っ二つに両断したワーチスが驚きの声を上げる。その声を聞き、辺りで戦闘を続ける者達の顔色が明らかに曇った。
当たり前だ。彼らはあくまでも、普通の魔獣としか戦った事がない。魔元帥と何度もぶつかり、それでも生きているティアニーズ達の方がおかしいのだ。
「君達、いったいどれだけの戦場を……」
「話はあと! 付近に魔獣が現れる門がある筈です! 見つけ次第教えるので、魔法を使える方はそれの破壊をお願いします!」
「分かった。どうやら君達の方が、遥かに死線を潜り抜けて来ているらしい。みんな、今は聞いた通り、彼女の指示に従うんだ!」
腐っても、ワーチス達は勇者だ。本来なら逃げたしてもおかしくない数の魔獣、それに加えて魔元帥の出現。しかし、誰一人逃げる者はいない。その危険度を正確に理解出来ていないのもあるが、その程度の覚悟、当の昔に決まっているのだろう。
ティアニーズ達、そしてワーチスが率いる小隊は塊、エリミアスを護るように輪になった。その中心、ケルトは息を潜め、辺りに注意を払う。
「アキン! 俺らが前に出て殺る! 取りこぼした奴をお前の魔法で燃やしてやれ!」
「分かりました!」
アンドラが飛び出すと、アキンは力強く頷いてその姿を目に焼き付ける。アンドラの武器は短刀のみだが、その類い稀なる身体能力と、生きるために身につけた技術で次々と魔獣を殺して行く。全身に血を浴びるその姿は、恐らくアキンの知るアンドラではない。だが、それでも目を逸らす事はなく、彼の本当の姿を目に刻む。
「お頭! 伏せて!」
「おうよ!」
アンドラの頭上をガーゴイルが通り過ぎると、アキンがすかさず炎の塊を放つ。ガーゴイルに着弾すると同時に炎が弾け、小さな隕石のように地上に降り注いだ。しかし人には当たらず、魔獣だけを正確に焼き付くして行く。
「ナイスだアキン! やっぱお前は自慢の弟子だぜオイ!」
「えへへ、そんな事ないですよ」
「そこ! よそ見しない!」
親バカを発揮するアンドラ、照れてもじもじするアキン。その一瞬の隙に包囲網をすり抜けて迫るトカゲ型の魔獣の首を、ティアニーズの剣が跳ねた。切断面から大量の血を吹き出して倒れる魔獣。エリミアスはそれを目にし、
「が、頑張ってください! 皆さん!」
自分に出来る事はなにもない。ここで立ち、みんなに護ってもらうしかない。その歯がゆさを感じさせない表情で、必死に叫んでいた。
すると、その横で、
「おい小娘! 魔元帥がいると言うのは本当なのか!?」
「本当です! 今忙しいから黙ってて!」
「よし、ワーチス! 今すぐその魔元帥を殺せ!」
どこに隠れていたのかは分からないが、気付くとダリアンが立っていた。錆びた鍋を頭に被り、必死に戦うワーチスへと無理難題を押し付ける。
「魔元帥を殺したとなれば、王も私達の力を認めざるを得んだろう! そうなれば、この
ビジネスの成功率はぐんと上がる!」
「無理です! 今ここを離れれば貴方が死ぬ! 全員命がけで戦っているんだ、少し黙っててください!」
「な、なに!? 私は貴様の雇い主だぞ、口答えーー」
「うるさい、デブ!!」
ダリアンの言い分に我慢ならず、ティアニーズは落ちていた魔獣の首を拾い、全力で投げ付けた。綺麗な放物線を描いた首は、ダリアンが被る鍋に命中し、そのまま足元に落下。
「き、ききき貴様、なんのつもりだ!」
「死にたくなかったら黙ってて! 今度は本当に当てますよ!」
「な、なんだと! 小娘の分際でーー」
「ティアニーズさん、見つけました」
怒りのままに歩き出したダリアンだったか、突然声を上げたケルトに驚き、足元に転がっていた首を踏み、そのまま体勢を崩してすってんころりん。手にべったりを血をつけ、それを見るなり白目を向いて倒れてしまった。
ケルトはそれを無視し、
「二ヶ所、見つけました。場所は西と東、徒歩でも十分に行ける距離です」
「東の方は私が行きます! ワーチスさん!」
「聞こえているよ! 西は俺達に任せてくれ!」
魔獣の死体を踏みつけ、振り返らずにワーチスが叫ぶ。
門さえ破壊してしまえば、これ以上増える事はない。ウルスをアテナが止めている今、チャンスはここしかないのだ。
だがーー、
「っ! 数が多過ぎる!」
テムランの時ほどではないが、数は向こうの方が圧倒している。一人でもここを離れてしまえば、防御はあっという間に崩壊してしまうだろう。ワーチス達も目の前の魔獣に手一杯なのか、指示を出す隙も見当たらない。
こちらの数は、約五十人ほど。それに比べ、魔獣は倍以上だ。完全に不意討ちだった事もあり、周りを囲まれているので、そこを抜け出す隙をまず見付けなくてはならない。
アキンの魔法ならば、あるいは可能性かもしれない。だがしかし、出来るとしても一点のみ。
「どうすんだオイ! このままじゃじり貧だぞ!」
「分かってます! どうにかして門を破壊出来れば……」
前線から引き返して来たアンドラが、焦ったように言う。他の場所でも激しい戦いが繰り広げられており、門まで手が回らないのが現状だ。
「こんな時、ルークさんなら……」
あの男なら、策を労する必要もない。そもそも護るという考えがないので、一人で走り出してしまう筈だ。しかし、ティアニーズには出来ない。力云々ではなく、他人を切り捨てる事は出来ないのだ。
ーーだが、
「ティアニーズさん、危ない!」
考えるのに気をとられていると、不意に悪寒が走った。エリミアスの叫びと同時に振り返ると、そこには鋭い爪をもって襲いかかる魔獣がいた。
「まずーー」
避けられないーー反撃しようにも、恐らく間に合わない。そう思った時には、体が勝手に倒れていた。否、エリミアスが突き飛ばしたのだ。二人はもつれ合いように転がり、なんとかその一撃を回避する。しかし、魔獣は直ぐ様ティアニーズ達へと視線を向け、
「ーー!!」
雄叫びを上げ、地面を蹴って飛び上がる。
エリミアスを庇うように覆い被さると、
「お前の相手は、僕だ!」
爪が背中を引き裂く寸前、間一髪のところでアキンの放った氷の刃が魔獣の体を貫いた。体を貫通した氷の刃をなんとか引き抜こうとするが、直ぐ様アンドラが接近し、跳躍と共に脳天に短刀を突き刺す。突き刺した短刀をズズズ!と縦に移動させると、魔獣は血飛沫を上げて倒れた。
「大丈夫かオイ!」
「あ、ありがとうございます!」
一瞬、なにが起きたのか分からずに呆気にとられてしまったが、直ぐに体を起こすと、下敷きになっていたエリミアスを確認。フードがとれて顔が露になっているが、特に怪我はしていない。
ティアニーズは短く息を吐き、
「良かったぁ……。それと、ありがとね」
「いえ、お友達なのですから当然です」
「でも、あんまり無茶はしないでね」
僅かに膝を擦りむき、そこから血が滲んでいた。エリミアスは痛み顔を歪めたが、安心させるように笑顔を作る。彼女の強がりを汲み取り、ティアニーズは触れる事なく手を掴んでエリミアスを立たせた。
「……なんだよ、オイ」
二人が振り返ると、動きを止めるアンドラがいた。いや、アンドラだけではない。先ほどまで戦っていたワーチスや、少し離れたところで戦う勇者達もが一斉に動きを止めた。
脅威が去った訳ではない。むしろ、その数は増す一方だ。だが、変化があった。暴れていた魔獣達が、揃って動きを止めたのだ。
「戦うのを止めた、訳じゃないですよね……」
「ウルスの野郎がなんかやったのかよオイ。いや、こりゃ、ちげぇな……」
「お、お頭……」
「勘弁しろよな……オイ」
額に汗を滲ませ、アンドラは落ちていた短刀を拾い上げる。その瞬間、ティアニーズ達は理解した。魔獣達が、なぜ一斉に活動を止めたのか。
ーーその答えは、魔獣の視線の先にあった。
「エリミアスを、見てる……?」
全ての魔獣が、エリミアスを見ていた。
離れた場所で、エリミアスの存在を関知していなかった魔獣でさえ、こちらを見ている。
その瞳はまるで、猛獣が獲物を見つけた時のようだった。
「ーー下がって!!」
ティアニーズが叫ぶ。それを合図にしたかのように、活動を停止していた魔獣達が一斉に動き始めた。意志疎通の意味があるのかは分からないが、大地を震わせるほどの雄叫びを上げて。
「な、な」
「エリミアス様!」
「全員下がれオイ!」
震えるエリミアスの手を引いて下がると、ダリアンを放置してケルトが駆け付ける。それと同時にアンドラが叫び、
「アキン! 特大のだ!」
「はい!」
全員が死に物狂いで後退したのを確認すると、アキンは踏み出した。雪崩れ込むように迫る魔獣に向け、特大の炎玉をぶちかます。炎は魔獣を容赦なく焼き付くし、辺りに肉が焦げたような匂いが立ち込める。しかし、お構い無しに魔獣は炎の中を突っ込んで来た。
「お頭、取りません!」
「続けろ! 少しで良いから時間を稼ぐんだオイ!」
連続で炎を放つが、魔獣は死を恐れずに突っ込む。ワーチスと共に戦っていた勇者達も足止めをしようと魔法を放つが、その勢いは少しも衰えない。
なんとか下がっていると、エリミアスを目にしたワーチスが叫ぶ。
「な、なんで君をーーって、姫様じゃないか!」
「す、すみません。黙っていて……」
「い、いや大丈夫だ。それよりも、魔獣達の狙いは……」
「恐らくエリミアスです。でもなんで……」
理由は分からない。だが、魔獣がエリミアスを狙っているのは確かだろう。となれば、連鎖的にウルスの狙いも明らかになる。
「ウルスさんは、エリミアスを狙って……」
「関係ありません。奴らがエリミアス様を狙うというのなら、私はそれを排除するまで」
ウルスは、エリミアスを狙っている。殺すのか、それとも別の理由があるのかは分からないが、魔獣の動きを見れば明らかだ。その証拠に、魔獣達は勇者達に一切興味を示していない。門から現れたと思われる魔獣も、真っ直ぐにこちらへとやって来る。
「ワーチスさん、今のうちに皆さんの避難を」
「し、しかし君達は」
「大丈夫です。今までもどうにかして来ましたから」
「だ、大丈夫なのです! 私が囮になっているうちに、早く!」
なによりも優先すべきは、他でもない人命だ。魔獣がエリミアス以外に興味を示さないのなら、他の人間を逃がすチャンスはここしかない。
ワーチスは唇を噛みしめ、顔を歪めながらも、
「分かった。みんなを逃がしたら必ず戻る。だから君達も死なないでくれ」
小さく頷くと、ワーチスは走り出した。アキンと共に炎を放っていた魔法使い達も、こちらを見て事情を察したのか、ワーチスのあとを追い掛けて行った。
アンドラは顔をしかめ、
「ったく、結局こーなんのかよオイ」
「でも、一つ分かりました。貧乏神は、ルークさんだけじゃなかったんですね」
「バカいえ、ルークがいたらもっとひでぇ事になってるっての。これで済んだだけマシだぜオイ」
止めれないと悟ったのか、アキンがこちらへと駈けてくる。魔獣は一瞬だけ動きを止めたが、屍を乗り越えてさらに進行を進める。
「私が前に出ます。エリミアス様をどうか」
「いえ、前に出るのは私とケルトさん、それにアンドラさんです」
「え、俺も?」
「当然です。アテナさんが向こうに付きっきりなんですか、一番強い人が前に出なくてどうするんですか」
「へっ、分かってんじゃねぇかよオイ。ま、俺様はつえぇかんな」
あっという間に口車に乗せられ、アンドラは胸をはって高笑い。一人だけ呼ばれなかったアキンは、不安げな表情を浮かべ、
「あ、あの、僕はどうすれば」
「エリミアスをお願いします。威力だけでいえば、間違いなくアキンさんの魔法は一番の戦力です。援護を、そして……もし危なくなったら、エリミアスを連れて逃げて」
「そ、そんな事出来ません! 僕も皆さんと一緒に最後までーー」
「アキン、頼む」
それだけは我慢ならないと言いたげに声を荒げるアキンだったが、アンドラが静かに呟くと、悔しそうに唇を震わせながらも、首を縦に振った。
エリミアスはティアニーズを見つめ、
「逃げないのです。皆さんは、必ず私を護ってくださいますから」
「……もう。分かった、そこでじっしててね」
ルークに負けず劣らず、この姫様も中々に頑固なのだ。ティアニーズは諦めたように微笑し、それから背を向けた。
その、直後だった。
「ーーえ」
ケルトが、疑問の声を上げた。
ティアニーズが理解するよりも早くーーケルトの体が、前のめりに倒れた。
「ケルトさん!!」
エリミアスが叫ぶ。
しかし、その声は届かない。
その代わりに、魔獣の声が、辺りを埋め尽くした。