九章四話 『太っちょ』
ティアニーズ達がテムランを出発してから、約六日が経過しようとしていた。ここまでの道中、魔獣に襲われる事は何度かあったが、特に大きな怪我もなく、安定した旅路を進んでいた。
ただ一つ、問題があるとすれば、
「……静か、ですね」
車輪が回る音、時折、小さな石に乗り上げて荷台が揺れる音。騒音と呼ばれる類いのものはあるが、ほとんど会話はなかった。
平和なのは良い事だ。そんなのは、ティアニーズだって分かっている。
「騒がしいのがいないからな。大人数で旅する機会が増えて忘れていたが、私もそう思うよ」
ティアニーズの隣に座り、天井を見上げながらアテナがそう言った。エリミアスは荷台から顔を出して外の風景を眺めており、ケルトは落ちないように見張っている。アキンは一人隅っこにポツンと体育座りをしていて、会話に参加する気配はない。
アンドラは当然、運転である。
「でも、ルークさんって、そんなにいっぱい喋る人でもないですよね」
「言われてみれば、確かにそうだな。周りが騒いで、それに文句を言ってばかりだった気がする」
「気に入らない事があったら、なんでもかんでも言いますからね、あの人。我慢が出来ない子供なんですよ」
無口、という訳ではないが、ベラベラと喋る方でもない。ただ、周りが気に入らない事をしていると、とりあえず突っかかる面倒な性格なので、その分口うるさい印象があるのだ。
一度騒ぎ出すとうるさいのは事実なのだが。
「凄く変な感じです。ずっと一緒にいたから、ルークさんがいないと……」
「寂しいのか?」
「そ、そんな事は……ちょっとだけ、あります」
何時もの調子で否定しかけたが、本人がいないのに強がる必要はないと判断し、ティアニーズは少し照れながらも本心を口にした。
その様子を見て、アテナは嬉しそうに口元を緩める。
「君は、本当にルークの事が好きなんだな」
「す、好きとかそういうのじゃありません……って、もうバレてるんだった」
「隠す必要はないさ。君くらいの年齢の女の子は、恋の一つくらいしていてもおかしくはない」
「でも、こんな状況なのに……」
「こんな状況、だからだよ。こんな状況だからこそ、普通であり続けるのは難しいんだ。その有り難みを、気持ちを、大事にするべきなんだ」
アスト王国がどれだけ危機的状況に立たされているのか、ティアニーズは誰よりも理解している。命をかけて戦っている人間がいるというのに、自分は恋にうつつをぬかしている。当たり前なのかもしれないが、多少の罪悪感がある。
「普通を、大事に」
「君の隣にいただろう。狂ったように普通を追い求める男が」
「ルークさんの普通は、他の人とはちょっと違います。ハードルが凄く高いんです」
「魔獣がおらず、可もなく不可もなく、平凡な毎日がいつまでも続く世界。現状を見れば、それがどれだけ難しいかは考えるまでもない」
以前は、それが普通だった。しかし、今の世界は違う。魔獣がいて、いつ殺されてもおかしくない世界になってしまっている。それがこの世界の、国の普通なのだ。
「ルークさんにとって、世界を救うのはついでなんです。自分の平凡を得る事が、世界を救う事に繋がるとしても」
「まぁ、本人に世界を救ってるつもりはまったくないだろうがな」
「本当ですよ、まったくもう。もう少し自分がやってる事の凄さに気付いてください」
「ティアニーズ、そこにルークはいないぞ」
何気なく横を向いて異議を唱えるが、勿論そこにルークはいない。何時もなら返って来る『うるせぇ』という言葉もなく、アテナの突っ込みだけが虚しく耳を通過した。
自分がどれだけルークを好きかを改めて理解し、ティアニーズはため息と共に肩を落とした。
「調子、狂うなぁ」
両手で膝を抱え、膝の上に顎を乗せて呟く。
別に楽しかった訳ではないが、無駄な口論が今では懐かしく思えた。
「でも君は、そんなルークを好きになった。一つ聞いても良いか? 男として魅力を感じるのは分かるが、どこを好きになったのだ?」
「どこって、私も分からないです。なんか、知らないうちに、気付いたら……」
「一目惚れ、といつやつか?」
「違います、それだけはないです」
食いぎみに反論すると、アテナは驚いたように目を丸くした。
断言出来るが、一目惚れはあり得ない。出会い頭からあれだったのだ、最初の印象は最悪中の最悪。
「いつからとか、覚えてないんです。本当に、気付いたら、す、すすすすす好きになってて……」
好きという単語を口にしただけで、自分の体温が跳ね上がるのをティアニーズは感じていた。パタパタと赤くなった顔をあおぎ、
「なにか明確なエピソードがあった訳でもないですし、どちらかといえばムカつく思い出ばかりです」
「ふむ、難しいな。エリミアス、君はどうだ?」
呼ばれ、エリミアスは視線を中へと戻す。風に吹かれて乱れた髪を整え、
「私も一目惚れではないと思います。初めて会った時に助けていただきましたが、その時は良い人、というくらいの印象しかありませんでした」
ティアニーズとは違い、エリミアスは照れる事なく初めて会った時の事を語る。むしろその顔は喜びに満ち溢れており、聞いてくれと言わんばかりだった。
「ティアニーズさんと同じように、気付いたら好きになっていたのです。ルーク様の、自由な姿を見て」
「あれを自由と言い切る事は出来ないが……そうか、エリミアスにはそう見えていたのか」
「私には、自由がありませんでしたから。決められた道ではなく、自分の決めた道を真っ直ぐと歩くルーク様を見て、とても格好いいと思ったのです」
自由というよりも、自分勝手と言った方が正しい。あれだけやっておいて、本人は自由ではないと言うのだ。ルークの強欲さに、底はない。
「アテナさんがルーク様と初めてお会いしたのは、ルーク様が拐われてしまった時なのですよね?」
「あぁ、今思えば、あの出会いも必然だったのかもしれないな」
思い出すように呟き、アテナは懐かしさを漂わせながらアキンへと目を向ける。話を聞いているのかいないのか、その目はどこか遠くを見つめていた。
ティアニーズの口から、不意に言葉が落ちる。
「本当に、色々あったな」
「君がルークを迎えに行かなければ、私達はこうして共に旅をする事もなかった。まさしく運命だな」
「アテナさんって、意外と乙女ですよね」
「心外だな、これでも一応、私は女なんだぞ?」
悪戯っぽく微笑むアテナに、ティアニーズの頬も自然と緩む。運命、なんてメルヘンチックな言葉は信じないけれど、この出会いは、きっと偶然なんかではないのだろう。
ティアニーズはポケットから手紙を取り出し、便箋に描かれた似顔絵を見つめる。
運命の始まりとなった、一通の手紙を。
「この、手紙なんです。私がルークさんと出会えたのも、皆さんと会えたのも、この手紙のおかげなんです」
「差出人が誰にせよ、ただ者ではない。結果的とはいえ、ルークの勇者としての活躍は目をみはるものがあるからな」
「そうなる事を知っていたのか、それともたまたまなのか。どちらにしても、王都に行けば分かります」
道のりは、まだ長い。
ティアニーズの乗る馬車は、勇者のいない馬車は、王都を目指して進む。
ただひたすらに、真っ直ぐと。
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時刻は夕暮れ。日が落ち始めた頃だった。
これまでは近くの村や町に寄ってなんかやり過ごして来たが、アテナの話では、付近に泊まれる場所はない。そうなれば、魔獣に見つからず、安全に一晩をすごせる場所を探すしかないのだ。
例えば岩影。例えば森。視界が悪い森はあまり適しているとは言えないが、それは魔獣側も同じ事だ。ともかく、寝床を探すべく、一行は馬車を進めていた。
「あまり良いところがありませんね」
「周りを見渡せるという点では、草原のど真ん中で寝るのも悪くはない。が、それは一人旅の話だ」
騎士団や戦える人間だけでメンバーが構成されているのなら、それでも良かったのだろう。しかし、まったく戦えないエリミアスがいる以上、出来る限りリスクは最低限に抑えたい。それに加え、一度魔獣の群れに襲われて壊滅の危機にまで追い込まれ事があるのだ、油断は出来ない。
「わ、私から平気なのです! 交代で見張りも出来るのです!」
「ダメだよ、無理したら。昨日だってあんまり寝てないんだから」
「で、ですが……」
「友達としてのお願い、ね?」
重荷になる事が嫌なのか、エリミアスは胸をはって強気な態度をとる。が、ティアニーズはエリミアスの肩に手を乗せ、騎士ではなく、友達としてその身をあんじた。頑固なお姫様も、これには諦めたように肩を落とすしかなかった。
それからしばらく進んでいると、馬に乗るアンドラが前方を見つめ、指を指して声を上げた。
「オイ、なんか見えて来たぞ」
アンドラの声に反応し、全員が身を乗り出して進行方向を眺める。すると、視界の先で炎が揺れていた。それも一つではなく、いくつもの炎だった。よくよく目を凝らして見れば、数本の松明が辺りを照らすように立てられていた。
「なんですかね、あれ」
「お祭りですか?」
一人ワクワクするエリミアスを他所に、ティアニーズは耳をすませた。直後、人の声が微かに鼓膜を叩く。上手く聞き取れないが、大人数の声だった。
「どうするんだオイ、近付くか?」
「あぁ、接近してみよう。各自警戒を怠るな」
アテナの言葉で、緩んでいた空気が一瞬にしてピリつく。なにが来ても良いようにエリミアスを囲い、後ろはケルトが守りを固めた。
馬車が進む。
数本の松明に向け、一気に。
がーー、
「……え?」
近付くに連れ、松明の光が大きくなる。
ティアニーズがそこで目にしたのは、焚き火を囲う大勢の人間だった。辺りには馬車と思われるものもあり、一人一人の顔を確認する事は出来ないが、子供から大人、男女関係なく、一つの場所でなにやら楽しそうに会話をしていた。
ピリピリとしていた空気が、一瞬にして吹き飛んだ。首を傾げるティアニーズの背後で、エリミアスが嬉しそうに目をキラキラと輝かせる。
「や、やっぱりお祭りなのです!」
「そ、そうなのかな?」
「お祭りに決まってるのです! 行ってみましょう!」
言われれば、祭りに見えなくもない。ただ、こんな草原のど真ん中で、しかも夕暮れ時にやるお祭りなんて聞いた事がない。なによりも、目立つので危険だ。危険を考慮しない集団なのか、それとも分かっていてやっているのかーーともかく、エリミアスの好奇心に押され、馬車はそちらへと進んで行った。
かなり近くまで来ると、その大きさにティアニーズは目を丸めた。遠くからでは分からなかったが、ざっと見ただけでも百人近くはいる。なによりも目を引いたのが、全員が、武装していたのだ。
馬車がスピードを緩めると、一人の男が近付いて来た。荷台に乗るティアニーズ達は身を潜め、たった一人の男であるアンドラが生け贄に選ばれた。
「よう、こんなところでなにやってんだオイ。夜になると魔獣どもが出て危険だろ」
「それはお互い様だろ。でも、俺達は大丈夫だ。なんせ、魔獣を倒すために旅をしてるんだからな」
「魔獣を倒す?」
「おう。ここにいる奴らは全員同じ目的で集まってんだ。困ってる人を助けて、世界を平和にするためにな」
危険ではないと判断したのか、アンドラが荷台へと目を向ける。ティアニーズ達が揃って顔を出すと、男は少し驚いたように眉を動かしたが、直ぐに笑って口を開いた。
「なんだ、アンタ達も旅してるのかい?」
「あ、あぁ、まぁ、一応な。コイツらは俺の……な、仲間だ」
仲間という言葉が恥ずかしかったのか、ギリギリ聞き取れる声でアンドラはそう言った。年齢は三十くらい、がたいの良い男は一旦焚き火の方へと顔を向け、
「うーん、もし良かったら今晩ここで過ごさないか? 魔獣の事もあるし、人数は多い方が良いだろう?」
「見たところわりぃ奴じゃねぇんだろうけどよ……どうするんだオイ」
吟味するように男の顔を見つめ、それからアンドラはアテナを見た。特に決めた訳ではないが、騎士団団長であるアテナがこの一行のリーダーみたいなものになっているらしい。
「その前に、聞きたい事がある」
ティアニーズ達に待つように指示すると、アテナは荷台を降りて男へと近付く。
「君達はいったい何者なんだ? こんな事言いたくはないが、怪し過ぎるぞ」
「そりゃごもっともだ。普通の奴は夜に出歩いたりはしない、魔獣に襲われる危険性があるからな」
「分かっていてやっているのだな。まさか、わざと魔獣に狙われようとしているのか?」
「そんな訳ないだろ。俺達だってそこまでバカじゃない、自分達の力を過信したりはしないさ」
男ではなく、焚き火に集まる人達に興味津々なエリミアスをなんとか抑え、ティアニーズは二人の会話に耳をすませる。
「アンタ達は平気そうだが、俺達がここにいれば、迷子になった人達の目印になる。それに、もし魔獣に襲われてる人がいたら、直ぐに助けに行けるだろう?」
「言いたい事は分かるが……いくらなんでも……」
極論過ぎる、とアテナは思ったのだろう。
誰かを助けられるかもしれないから、自分達は危険な場所で一晩をすごす。確かに、彼らがここにいる事で、万が一襲われている人がいれば、逃げるための目印になるのは事実だ。だがしかし、それは自殺行為に他ならない。
魔獣の驚異を知っている一行からすれば、彼らの行動は浅はかとしか言いようがない。本人達がどう思っているかはともかく、危ない橋を渡っているのだ。
「どうした、なにかあったのか?」
アテナが難しい顔をしていると、焚き火の方から男がやって来た。先にやって来たがたいの良い男とは違い、その男は太っていた。それどころか、武器と思われるものを一切身につけておらず、その代わりに、骨付き肉を一本装備していた。
「あぁ、この人達、寝床がなくて困ってたみたいで」
「そうかそうか、君達さえ良ければ、ここに泊まって行くと良い。ここにいる奴らは全員腕っぷしに自慢があってな、魔獣なんて怖くもなんともないぞ」
「あの、失礼ですが、貴方は?」
「申し遅れました、私の名前はロッケス。このーー勇者達を率いる団長でございます」
「勇者を?」
「我々は勇者の集まり。世界を救うために、このアスト王国を救うために駆け回る一団なのでございます」
不意に告げられた『勇者の集まり』という言葉。その言葉がティアニーズの記憶のどこかに引っ掛かり、荷台から身を乗り出して太った男の顔を凝視。
ーーそこで、一致した。
「あぁぁぁぁ!!」
その太った男は、かつてルークとティアニーズがぶっ潰してしまった、ネルマクという町で勇者の集いをひらいていた男だった。